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いま我が国の戦後の常識が、ひっくり返ろうとしています。
無理もないことです。
二万年の営みを持つ日本文明の底の深さは、百年二百年の歴史しかもたない西洋や、戦後に生まれた中華人民共和国や、日本への対抗国家として誕生した半島国などでは、太刀打ち出来ないものなのです。

20171028 今上陛下
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【お知らせ】
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11月 5日(日)18:30 第45回 倭塾 公開講座
11月25日(土)18:30 第20回 百人一首塾
12月16日(土)18:30 第46回 倭塾 公開講座
12月23日(土)18:30 第21回 百人一首塾
1月6日(土)13:00 第47回 倭塾 公開講座
1月20日(土)18:00 第22回 百人一首塾
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最近では「君が代」の「きみ」の「き」が男、「み」が女という説明があちこちで聞かれるようになりました。
言い出しっぺは、実は私です。
最初にこのことを書いたのが2012年8月のことで、そのときに「き」は男、「み」は女を表すと書かせていただきました。
その後わずか5年で、このことはもはや私の手を離れ、日本人の常識になりつつあります。
たいへん喜ばしいことだと思っています。
けれどもこれは新説というようなものではありません。
大和言葉では、もともと「イザナキ、イザナミ」、「おきな(翁)、おみな(嫗)」というように、そもそ「き」は男、「み」は女を意味します。
ですから「君が代」は、そのまま大和言葉で「男と女の代は」という意味になりますし、君が代が国歌として、いまのメロディが付けられる以前は、この歌は結婚式の賀歌として、有名な「高砂」と並んで、一般に詠唱されていたものです。
しかもこの歌の初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)に編纂された「古今和歌集」です。
その巻七に賀歌の筆頭歌として納められています。
「古今和歌集」は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら日本政府そのものが編纂した公的歌集にあたるわけで、万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を収蔵しています。


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古事記3の一部


序文はカナで書かれていて、執筆が紀貫之(きのつらゆき)です。
その中で「君が代」は、「読み人知らず」として掲載されているのですが、ということは、いつこの歌が出来たのかさえもわからない。
そして「古今和歌集」が編纂された時点では、すでに多くの人々の口端にのぼっていた愛される常識歌だったということを意味します。
そして「君が代」は、その後に編纂された「新撰和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されています。
本来なら、すでに「古今和歌集」に掲載された歌なら、その後の歌集に載せることはありません。
それが何度も転載されているということは、それだけ人々に馴染みの深い歌であったということですし、この歌の持つ魅力が、より深いものであったことを示します。
もっとも、初出のときはこの歌の歌い出しは「大君は」となっていました。
 大君は
 千代に八千代に
 さざれ石の巌となりて
 苔のむすまで
となっていたわけです。
大君というのは天皇のことです。
それが「和漢朗詠集」では、いつの間にか「君が代は」に書き換えられています。
実はこのことはとっても重要なことで、多くの人々によってこの歌が愛されることによって、「君が代は」という別バージョンがいつの間にか生まれ、その別バージョンが普及していったということを意味します。
そして、そのことが、朝廷においても好感されたから、「君が代は」として転載されたのです。
天皇がもし、China皇帝のような絶対権力者であれば、こうした変遷は許されることではありません。
ところが我が国において天皇は、どこまでも知らす存在であり、国家の最高権威として神々とつながり、そして民を「おほみたから」とされるお役目です。
その民には、もちろん男と女がいます。
その男女が結ばれ、子をなし、その子孫が繁栄して千年も幾千年も、あたかも小さな小石が集まって巨大な岩石を構築している「さざれ石」のように、すべての家族が苔のむすまで繁栄し続ける。
それこそが国家の幸せであり、個人の幸せでもあるということが、この歌で好感されたのです。
つまり「君が代」の意味をさぐれば、そこには必然的に天皇の知らす統治のありがたさが見えてくる。
なぜなら私たちは、天皇という存在があるから、権力者の私有民、つまり隷民にならずに済んでいるのです。
世界ではよく、「俺達に自由を!」と言っての戦いが行われます。
けれど私達日本人は、生まれながらにして権力者よりも上位にある天皇のおほみたからとして、権力からの自由を得ているのです。
そしてそのような国の形が、いったいいつはじまったかわからないほどの太古の昔から続いているのが、私たちの国日本です。
「常識化」というのは、非常に大切なことです。
マーケティング用語で「商品を常識化する」といえば、誰もが知る常識にするということを意味します。
戦後の私たちは、天皇=支配者であるとか、天皇の命令で戦争で多くの命が失われたとか、すこし冷静になって考えれば、実にトンチンカンな理屈を、頭ごなしに学ばせられ、それを常識化しています。
けれど、少し考えたらわかることなのです。
我が国における天皇は、絶対権力者であった時代などありません。
いつの時代においても、知らす存在であり続けたのが我が国の誇る天皇なのです。
いま我が国の戦後の常識が、ひっくり返ろうとしています。
無理もないことです。
二万年の営みを持つ日本文明の底の深さは、百年二百年の歴史しかもたない西洋や、戦後に生まれた中華人民共和国や、日本への対抗国家として誕生した半島国などでは、太刀打ち出来ないものなのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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