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小選挙区制度というのは、二大政党が競うことを目的とした選挙制度です。
ところが我が国では、できたはずの対極政党が、ほんのわずかの間に崩壊してしまう。
民進党など、この党名になってわずか1年半で解党です。
そこに何が問題があったのか、そして次に生まれる希望の党が、最も懸念しなければならないことを、考えてみたいと思います。

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◆【お知らせ】◆
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10月15日(日)13:30 古事記に学ぶ25の経営学
10月26日(木)18:30 第19回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
11月 3日(金・文化の日)第2回 名古屋倭塾 公開講座(古事記)
11月 5日(日)第45回 倭塾 公開講座
11月25日(土)第20回 百人一首塾
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民進党が事実上解党して、希望の党への合流を決めています。
良し悪しは別として、小選挙区制のもとでは巨大な二大政党しか生き残れないので、小さな政党であれば消滅していくしかないし、国会における意見力さえも実質的に制限されるというのが実情です。
もともと小選挙区制は、そういう仕組みなのだから、これは仕方のないことです。
ただし「小さい政党」です。
日本においては、実に不思議な現象が起きました。
それが民主党であり、その中身を変えずに党名だけ変えた民進党です。
内閣まで組成した民主党は、結成当時は政権与党第一党でした。
選挙は大勝利となり、その分、自民は大幅に議席を減らし、ついに野党に転落しました。
ところがその民主党は、わずか三代の内閣で世間の評価を落とし、次の選挙では、なんと民主党内閣の総理経験者でさえ、選挙出馬を諦めざるを得なかったり、あるいは自身で票を集めることができずに、比例最下位でようやく議席を確保するという散々の体たらくとなりました。
このことから、もはや民主党では選挙は戦えないということになって、中身はそのままに、看板だけ(党名と党首だけ)すげ替えて、民進党と名前を変えたのが昨年(2016年)の3月です。
ところがその民進党も、わずか1年6ヶ月で、今度は党自体が、自分たちの党を消滅させて、新たに生まれる新党に乗り換えようということになったわけです。
かつての巨大政党であった民進党(民主党)が、なぜここまで凋落したのか。
そうなった理由は、あまりにも明らかです。
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それは彼らが「反日であることが世間にバレた」ということです。
これに気付いた人たちが、次々に彼らから離れていったのです。
そして最近では、彼らが日本人ですらないことを、多くの国民が知っています。
日本の政治なのです。
日本のため、日本人のために責任をもって働くのが、政治家の仕事です。
権力はそのためにあるのです。
これはごくあたりまえな、世界の常識です。
ところがそんな常識をまったくわきまえずに、むしろ出身地の外国に組みして、外国の言いなりになり、それによって、カネと票を集めただけ。
国民の生活を第一にするというのは、ただのお題目で、その実、自分の贅沢な暮らしが第一というのでは、誰もついてこなくなるのが、むしろあたりまえです。
かつて民主党が選挙で大勝利した頃、議員会館に用事があって行くと、そこには黒塗りのベンツ、BMWがずらりと並んでいました。
聞けばそのほとすべてが、民主党の1年生議員のクルマでした。
それが自民党内閣に代わったら、議員会館に停めてあるクルマは、国産のクラウンやアルファード、CIMAなどに一変しました。
自民党では、1年生議員が贅沢なクルマに乗っているのが見つかると、先輩議員から叱られたものです。
大臣でさえクラウンなのです。
「お前は一体何様のつもりだ!」というわけです。
「一番いいクルマに乗るのではなく、
オマエはそのひとつ下のクルマに乗れ。
一番いいクルマに地元支援者が乗れるように
していくことが、オマエの仕事なのだ」
と、言われたものでした。
あるとき、大臣に就任した先生が、車を新しくしたというので見に行ったら、なんとそれは中古のクラウンでした。
大臣になるとSPが付くのです。
SPは、警備のために公用車にも同乗します。
そのために、運転免許の教習車さながらに、サイドミラーやバックミラーが二段重ねに取り付けられます。
それは、助手席にいるSPが左右や後方を警戒することができるためです。
そのために、ミラーが二段重ねになったクルマを用意した。
ただし、中古車でそれをしていました。
貧乏くさいと思うのなら、それは間違いです。
国家を富ませることこそが大臣の仕事という、これは誇りなのです。
そういえば、その民主党内閣時代、その議員会館に行くと、地下の議員食堂のパートのおばちゃんたちや、議員会館、国会議事堂内の掃除のおばちゃんたちは、その大半がChineseでした。
食堂のおばちゃんはもとより、とりわけ掃除のおばちゃんというのは、誰もいない深夜・早朝に、総ての議員の部屋に入り、またマスコミの待機所にも掃除のために入室します。
もちろん、鍵はマスターキーを持ちます。
そして誰もいない、セキュリティさえも働かない建物内で、なんでもできてしまうわけです。
いったい、この国の議員会館は、どこの国のものになったのだろうかと、当時強く思ったことを覚えています。
要するに、日本の国政を預かる政治家・政党でありながら、自国の安全と安心、そして日本国民が豊かに暮らしていける社会の構築など、露ほども思っていない。
それでいて、議席がいまだにある、ということのほうが、実は異常なことだということではないかと、個人的に思います。
ちなみに、そのChineseのおばちゃんたち、自民党に政権交代したら、誰もいなくなりました。
これは二大政党制の良し悪し以前の問題です。
国会議員や政党は、右であれ左であれ、タカ派であれハト派であれ、革新であれ保守であれ、その根本には自国や自国民への深い愛情が、あってあたりまえなのです。
初めから日本人憎し、恨みを千年経っても忘れないなどというたわ言の尻馬に軽々と乗せられてしまうような人物では、そもそも国会議員になる資格などないのです。
では、民進党(民主党)の議員が、全部、反日だったのかといえば、それは違います。
自民党よりもはるかに右の政治家もいるし、愛国心の塊のような政治家、たいへんな勉強家の政治家も党内にはそれなりの数いました。
にもかかわらず、政党として反日にシフトしてしまったのは、党幹部が、まさに反日左巻きで固まったからです。
安倍総理は、昨日の衆院解散後の自民党両院議員総会で、緊迫化する北朝鮮情勢や少子高齢化対策で国民に信を問うと指摘した上で、
「選挙のためだけに看板を替える政党に、
日本の安全を
子供たちの未来を
任せるわけにはいかない」
と述べました。
まさにその通りと思います。
一方、希望の党の側は、民進党の合流構想に対し、若狭勝前衆院議員が、
「(民進党が希望に)合流というのは違和感がある。
右も左もいる民進党の枠内にある以上は
一切協力できないと申してきたから合流ではない」
と述べ、続けて、
「(民進党から)出てきた一人一人と
考え方や政策が一致するかを見極めた上で
参加することはあり得る。
『第2民進党』にはしない」
と、明確に民進党との合流を否定しました。
けだし、もっともなことだと思います。
メディアでも、保守と保守の二大政党に向かうべきだという議論がさかんになってきていると聞きます。
私もそれはおおいに結構だと思います。
ただし、ひとつ気をつけなければならないことがあります。
民族性なのでしょうが、「彼ら」は「背乗り」が常套手段だということです。
「背乗り」は、ひとつの家に入り込んで、その家の戸籍を乗っ取ってしまうというものですが、ここでいう「背乗り」は、もう少し幅を広げて、組織や団体の「乗っ取り」を意味します。
まるで人が変わったようにいい子ちゃんになって、内部に入り込み、ひとたび中に入り込むや、トップに擦り寄ってゴマを擦りまくり、周囲のライバルとなる人たちの悪口を言いふらして、引退させ、自分がNO2になると、今度はトップの悪口を言いふらして、トップ自体を引きずり下ろして、事実上、政党を乗っ取る。
これは、戦後に多くの日本企業や各種団体が乗っ取られた、まさに常套手段です。
ハナから反日活動をしてきた議員は、絶対に希望には入れないこと。
希望の執行部には、確固たる愛国心を持った誠実な政治家を採用すること。
そして、それでも入り込んでくる反日議員は、誠実で愛国心ある執行部に少しでも逆らうなら、問答無用で即座に党籍を剥奪すること。
ここに一切の同情をしないこと。
それをしないなら、おそらく3年後の希望の党は、いまの民進党と同じく解党に向かうことになってしまうものと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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