
9月21日に、全国一斉護国神社奉納揮毫(きごう)が行われました。
これは名古屋の和プロジェクトTAISHI代表宮本辰彦氏の呼びかけによって始まったもので、今年がその第一回です。
国連の世界平和の日にちなんで、全国の護国神社で世界の平和を願う奉納揮毫を行おうということで、今回、全国の47の護国神社で地元の書家の先生をお招きしたり、あるいは地域によっては護国神社の宮司みずからが、英霊に奉納のためにと筆を揮いました。
巨大なロール紙などに、書いた文字は開催地によって様々です。
私も出席させていただいた埼玉では、安田先生をお招きして大日如来を意味する梵字(ぼんじ)と、「恒久平和」の2つの揮毫が行われました。
このイベントは、まだ決まったわけではありませが、これから毎年、同日に全国の護国神社で一斉に行っていきたいという希望を持っています。
その節は、是非、地元の護国神社に足をお運びいただけたらと思います。
さて、この奉納に際して、埼玉では梵字にまつわるお話を、私からさせていただきました。
その際の話の内容をねずブロにというお話がありましたので、恥ずかしながら以下に当日の原稿をご紹介させていただきます。

◆【お知らせ】◆
9月17日(日)13:30 第43回 倭塾 公開講座(古事記)
9月21日(木)13:00 埼玉縣護國神社奉納揮毫
10月 1日(日)11:00 日心会『ねずさんと古事記』出版を祝う会(古事記)
10月15日(日)13:30 古事記に学ぶ25の経営学
10月26日(木)18:30 第19回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
11月 3日(金・文化の日)第2回 名古屋倭塾 公開講座(古事記)
11月 5日(日)第45回 倭塾 公開講座
11月25日(土)第20回 百人一首塾
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1 梵字(ぼんじ)について
梵字(ぼんじ)というのはインドのサンスクリット語を表記するための文字です。
古代においては、インドから東南アジア一帯で用いられていました。
サンスクリットというのは「完成された・洗練された最高の」を意味します。
ですからサンスクリット文字は、「完成された文字」、あるいは「洗練された最高の文字」という意味になります。
このサンスクリット文字のことを、我が国では梵字(ぼんじ)と呼びます。
これは、インドの造物神ブラフマンのことを「梵天」というからで、要するに梵天によって創造された文字というところから、このような名称になっています。
梵字が日本に伝来したのは8世紀の天平年間のことです。
それは第45代聖武天皇のご治世のときのことでした。
聖武天皇は、歴代天皇のなかでも、とりわけ仏教への信仰を厚くされた天皇です。
そしてこの時代に遣唐使や鑑真和尚らの手によって梵字で書かれた仏典が日本に持ち込まれたことから、たいへんに珍重されるようになりました。
実はそれまでの仏教は、朝廷の厚い保護のもとにあり、一般の民衆が仏教に帰依することは禁じられていました。この時代までの仏教は、あくまで当時にあって世界を学ぶための典教であって、仏僧だけに信仰も学問も許されたものでした。
ところが聖武天皇のご治世に、行基(ぎょうき)という僧が現れ、ご禁制を破って一般庶民に仏教を普及しました。
我が国にもとからある神道は、どこまでも神々とつながり、神々に感謝する対象です。
願いは叶ったり、叶えてもらったりするものではなく、「こうしたい、こうなりたい」という思いを神様に誓うことで決意を新たにし、そこから先は自分で努力して問題を解決します。
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ところが仏教では、信仰して仏様におすがりすれば願いが叶うというわけです。
人は生きていれば、悩みや苦しみの連続です。
「旦那が足の骨を折って動けない。どうかお助けください」というのは、率直な人の思いそのものです。
それだけ願いが叶う信心を、民衆に広げてはならないというのは、おかしいではないか、という行基の気持ちはわかる気がします。
行基の教えは、またたくまに全国に広がり、民衆からは「仏教を庶民に認めないのはおかしいではないか」という声があがります。
朝廷は伝統に則って、これを禁止し続けようとしましたが、聖武天皇が、行基の行動をお認めになられ、ここから、日本の一般庶民による仏教帰依が大々的に始まっています。
そして平安時代初期(9世紀)には、仏教界では日本の天台宗の開祖となる比叡山の最澄(伝教大師)や、真言密教を開いた空海(弘法大師)らによって、梵字の経典が大量に日本に持ち帰られました。
そして我が国では、この頃に持ち込まれた梵字が、そのまま現代にまで受け継がれてきています。
ところが梵字発祥の地であるインドや、これを公用語に用いていた東南アジア諸国では、相次ぐ王朝交代に加えて、欧米諸国による植民地支配が行われ、サンスクリット語そのものが衰退して、併せて梵字も衰退してしまうことになります。
この結果、不思議なことに梵字を上古の昔のままの姿で伝えているのは、なんと「日本だけ」という状況になってしまっています。
もっとも、日本においては公用語は、日本語であり文字は漢字です。
ですから梵字は仏教界における「仏様そのものを表す文字」とされ、高僧以外門外不出として、大切にされてきたわけです。
埼玉県護国神社で奉納揮毫をされた安田先生は、この梵字を独学で30年学び、いまではカルチャーで教え始めて11年になります。
そしていまや安田先生は、僧籍以外で梵字研究をし、かつ書ける方として、この道の市井の第一人者となられています。
実は、その安田先生がカルチャーで教え始めて3年位、僧籍の方、梵字研究の方等が、度々視察に来られたそうです。
そうだろうと思います。
梵字は仏教界では、仏様そのものを意味する大切な文字だからです。
こうした姿勢があればこそ、梵字は古代のまま我が国に伝わることになったのだと思います。
そして、そこにこそ梵字の持つ大きな特徴があります。
繰り返しになりますが、「梵字はひとつひとつの文字が諸仏諸尊をあらわしている」ということです。
これを「種字(しゅじ)」といいます。
要するに一文字ごとに、そこに仏様の種が宿るのです。
実はこのことと、我が国の神代文字が、実に深く関連します。
それだけではなく、もっといえばアルファベットにも関係します。
アルファベットのもとになったのはラテン文字です。
そのラテン文字はギリシャ文字を前身とします。
ギリシャ文字は、その前のフェキニア文字が元になっています。
フェキニア人は、地中海交易を通じて勢力を持ったことが知られていますが、彼らが使っていた文字は、レバント文書にみられる原カナン文字がもととされています。
原カナン文字は、いわゆるヒエログリフ(古代文字)です。
そしてこの原カナン文字の派生文字に、有名なメソポタミアの楔形文字(くさびがたもじ)があります。
そしてこの原カナン文字が、今日用いられているすべてのアルファベット文字の原型になります。
問題は、その原カナン文字が、やはり種字であることです。
種字のことを、別な言い方では「表語文字」といいます。
一つ一つの文字が、なんらかの意味を持つ文字のことです。
まさにアルファベットも、梵字も「表語文字」であるわけです。
続く問題は、なぜその表語文字が成立したかという成り立ちです。
その答えのヒントが日本における神代文字にあります。
神代文字も「表語文字」であり種字です。
神代文字は、現代日本では「江戸時代の造語にすぎない」などと言われていますが、これはとんでもない話で、江戸時代に国学が盛んになり、その結果、漢字渡来以前から使われていた神代文字の研究が盛んになったのですから、否定論は詭弁にすぎません。
そもそも神代文字で書かれた書や石碑、土器の模様などは、誰がどうみても江戸時代以前のものです。
少し古い神社になりますと、お守り袋を(こっそりと)開けて見ると、そこに神代文字が記されていたりします。
つまり、実はいまでも神代文字は、そのような形で「使われている」のです。
先程の梵字のような言い方をすれば、「神代文字は神社界で門外不出として大切にいまも使われている」といったイメージになります。
現代の通説は、明らかに古代に描かれた神代文字は、模様にすぎないとしています。
しかし、音を持った模様のことを、世界では一般に文字というのです。
その神代文字は、もともとは亀甲占いや、鹿骨占いによって得られる焼いた骨のひび割れ模様から成り立っています。
亀の甲羅や、鹿の骨を焼いたときに、様々な形のひび割れが生じます。
そのひび割れてできる模様をパターン化して、それぞれに意味をあてはめて、一定の音で模様パターンを呼んだのです。
つまり神代文字の音は、ひび割れのパターンの名前でもあったわけです。
我が国では、古来、音(こゑ、こえ)には、魂が宿るとされてきました。
これを言霊と言います。
そして言霊信仰というのは、江戸時代どころか、平安時代にはすでに確立されていたことが、各種資料によって明らかになっています。
音(こゑ)に言霊があるなら、それを表す記号にも魂が宿ると考えられるのが普通です。
どちらか一方だけが切り離されて用いられるとは考えにくいものです。
ただ違いがあるのは、我が国では文字は「神官だけが操る秘技」とされず、一般に広く普及したことです。
文字のない生活と、文字のある生活を考えれば、文字のある生活の方が人生が豊かになり、かつ便利であることは容易に想像できることです。
ここも日本の素晴らしいところです。
なぜならその便利なものを、神官や朝廷(官僚)の独占物としないで広く庶民の間に普及させているからです。
そんな馬鹿な!と思う方がいるかもしれません。
けれど、万葉集を見れば、一般庶民が、まさに文字を操り、歌を詠んでいます。
亀の甲羅や鹿の骨を用いたひび割れは、占いですからそのひび割れがパターン化され、縦に一本筋ならこういう意味、横一本なら、こういう意味、二本ならばこういう意味、穴が空いたらこういう意味など、それぞれに意味がもたらされたことでしょう。
そしてそのパターンの意味を伝承するには、そのパターンが記号化され、名前が付けられなければなりません。
こうしてパターンに付けられた名前は、当然「音」ですから、今度はその音が、母音と子音に分類されていったことでしょう。
アルファベットの原型となる原カナン文字は、こうした母音と子音の区別をせずに、ABCDEFG・・・のように、20と数文字をまるごと使用する形になりました。
ところが我が国では、その「音」に含まれる母音を縦軸に、子音を横軸に取ることで、さらに複雑なギリシャ文字の倍の文字を操れるという工夫が施されました。
これがいまに続く五十音です。
当初は、そうすることで、より正確な占い結果を得ようとしたことでしょう。
そしてその母音と子音の組み合わせによって得られた占い結果それぞれに、「音(こゑ)」が振り付けられたわけです。
ですから50音には、まさに魂が宿るわけです。
ここからは私の想像です。
そこまで完成したパターンは、占いとして海を渡ったか、あるいは1万8千年前の大氷河期後の温暖化で、いまは海(大陸棚)になっているところに住んでいた人々が、海岸線の後退とともに分散したか、あるいは7300年前の鬼界カルデラの大噴火後の人々の移動によって東亜諸国に散ったかしたことでしょう。
すると、向かった先にある土地に住んでいる人々にとっては、それは便利な記号となったことでしょう。
そして現地の人々の音(こゑ)によって、新たな読みを与えられたことでしょう。
占いという伝統を持たない人々にとっては、それは単なる音や意味を表す記号(文字)です。
そして占いという伝統を持たないことによって、彼らは更に鹿骨や亀甲ではありえない記号の組み合わせを行ったことでしょう。
こうして生まれたのが、漢字ではないかと思うのです。
それはたとえば、「=」と「☓」が組み合わさって「≠」になるようなものです。
あるいは「仁」という字は、人を意味する象形と二本の横線から成り立ち、そこから人と人との間に通う親しみやいつくしみの情を意味する漢字となっていますが、その「仁」という記号が成立するためには、あらかじめ、「人」と「二」という記号が先に成立し、受け入れられていなければならないのです。
そしてその受入に際し、伝統的な占いと切り離されていなければならないのです。
なぜなら、梵字にせよ、星占いの記号にせよ、それが占いや信仰と結びついたものならば、もとからある記号の変形はおそらく許されないことであろうからです。
このように考えますと、漢字というのは、突然変異のように、いきなり世の中に現れたものではなくて、もともと漢字の母体となる、意味を持った記号やパターンが先に考案されていて、はじめて組み合わせが成り立つとわかります。
つまり、漢字以前に、パターンとしての文字があり、そしてそれは、原カナン文字にも似た、古代文字であったろうと考えられるわけです。
そしてその古代文字が、梵字同様、古代のまま伝えられているのが、日本なのではないか、と思えるのです。
私はそれを、日本で生まれた、というように特定したり固定したりしたくはありません。
もちろんその可能性は否定しませんが、むしろ日本では、太古の昔から続く伝統が保持されたということであって、おそらく日本人を含む東亜の人々は、いまでは海の底になっている大陸棚が地表に露出していた時代に、その大陸棚に住んでいた人々が、気象変動による海岸線の変化によって、東亜に散ったのだと考えたほうが、合理的なのではないかと思っています。
*
さて、梵字の話に戻します。
冒頭にある梵字は、今回書かれた不動明王を意味する梵字です。
不動明王の梵名はアチャラ・ナータです。
大日如来の化身とも言われ、真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されています。
不動明王の起源は、ヒンドゥー教の最高神シヴァ神にあるのだそうです。
梵字の大日如来も、ヒンドゥー教ではシヴァ神の別名とされています。
梵名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」です。
ですからアチャラ・ナータは、日本語訳すれば「揺るぎなき守護者」という意味になります。
その「揺るぎなき守護者」である不動明王は、いつも怒ったような表情で描かれます。
これは密教経典によれば、不動明王とは釈迦が悟りを開いた菩提樹下の坐禅中に煩悩を焼きつくしている姿だからなのだそうです。
釈迦が成道の修行の末、悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座すのですが、そこに世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せます。
なかには千人の美女に誘惑させたりというのもあったそうです。
釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結んで、これらを撃退します。
このとき不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣と羂索(けんさく)と呼ばれる荒縄で、煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げて世の人々の迷いを救います。
そしてそれは、釈迦の内面の姿でもあったとされているのだそうです。
世界平和の祈願にあたって、安田先生がこの文字を選ばれた理由も、実はそこにあります。
不動明王が「生死即涅槃」を意味するからです。
「即」というのは、和融・不離・不二のことです。
我々現世の人間からみると、迷いの世界と静かな涅槃の世界には、明らかな隔たりがありますが、それは我々が煩悩に執着しているからです。
覚りの世界にある仏の眼から見れば、この世もあの世も、不生不滅、不増不減です。
つまりどちらも同時に存在し、影響しあっているわけです。
このことを仏教用語で「而二不二(ににふに)」というのだそうです。
つまり英霊の住む世界も、いま我々が住む世界も、まさに両者は別々に見えて別でない、二つであって二つではない、ともにある存在であるわけです。
いまも、そしてこれからも、我が国は英霊とともにあり、英霊もまた我が国とともにあるのです。
そのことを、揮毫に込められたわけです。
そして不動明王が大日如来の化身であるということから、神仏習合によって、不動明王、大日如来は、天照大御神そのもの、ないし、そのひとつの現れとされています。
つまり神社での揮毫にも、なんら障るところなく、英霊とともにある日本を象徴できるわけです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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