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◆【お知らせ】◆
7月15日(土)18:30 第42回 倭塾 公開講座
7月17日(祝・月)18:30 CGS公開講座(幕末史)
7月23日(日)14:00 第1回 名古屋倭塾 公開講座(古事記)
7月27日(木)18:30 第17回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
8月 9日(水)18:00 新潟県新発田市講演(古事記)
8月13日(日)14:30 東京・世田谷講演(古事記)
8月15日(火)14:30 ねずさんと靖国神社昇殿参拝
9月 2日(土)18:30 第18回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
9月17日(日)13:30 第43回 倭塾 公開講座(古事記)
10月 1日(日)11:00 日心会『ねずさんと古事記』出版を祝う会(古事記)
10月19日(木)18:30 第19回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
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人が生まれてくるためには、必ず父と母の2人が必要です。
その2人の父母が生まれてくるためには、あたりまえのことですが、4人の祖父母が必要です。
その祖父母が生まれてくるためには、8名の曾祖父、
曾祖父が生まれるためには、16名の高祖父母が必要です。
各ご家庭では、この高祖父までが、個人名でのお位牌になります。
高祖父の親の第よりも前の世代は、「ご先祖」として、位牌はひとつにまとめられます。
昔、きんさん・ぎんさんがテレビに良く出ましたが、きんさん・ぎんさんには、80代の子がいて、孫が50代、曾孫(ひまご)が20代、玄孫(やしゃご)が幼児でした。
昔は結婚年齢が15〜6歳と早かったですから、同様のケースはもっとあったかもしれません。
そうすると人が、生まれて死ぬまでに会えるのは、上が高祖父母、下が玄孫(やしゃご)までという可能性があるわけですから、ここまでで、自分を含めて9代になります。
ひとつの世代がおよそ20年から25年で交代すると考えますと、9代は180年から225年の歳月ということになります。
仮に間をとって、これを200年と考えますと、今年(2017年)から200年さかのぼったら、日本は文化文政年間です。
これは、江戸の街で、銭形平次が活躍した頃の年代にあたります。
世界に目を向けると、ナポレオンがいた時代です。
つまり、はっきりと記録をたどることができ、また、その時代のことについてウソを書いたら、まだ生き残りの証人がいたりして、あちこちから苦情が来る。
200年前という時代は、それくらい身近な時代であるということができます。
つまり、きんさん・ぎんさんの記憶にある、きんさん・ぎんさんを幼い日に抱いてくれた、爺ちゃん、ばあちゃんの時代と、そのきんさん・ぎんさんから直接、昔話を聞ける曾孫や玄孫の時代までという期間でもあるわけです。
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手塚治虫は、亡くなった祖父の物語を「陽だまりの樹」という漫画に残しています。
それは江戸後期から幕末動乱に至る時代の物語でした。
つまり手塚治虫にとって、幕末は、祖父が青春をすごした時代であったわけです。
いま、これをお読みの方の中には、お孫さんがおいでの方もいるかと思います。
そのお孫さんに、自分の祖父の子供の頃の話をすれば、それは100年前の物語となります。
幕末や江戸後期といえば、遠い遠い昔のことのようですけれど、実は、ほんのすこし前のことでしかないのです。
さらに、少し田舎にいくと、いまでも旧家と呼ばれる古いお宅があります。
そのようなお宅では、戦国時代に活躍したご先祖の物語がそのまま伝承されていることがあります。
戦国時代といえば、およそ500年前です。
○○家と呼ばれる各ご家庭では、戦国時代に活躍したご祖先の物語は、同時に我が家の物語や伝承であるわけです。
では、それよりも、もっと古い時代・・・たとえば鎌倉時代や、奈良平安の昔の物語はどうでしょう。
実は、そこまで時代をさかのぼると、日本全国、すべてのご家庭では、ご先祖がかぶってきます。
つまり、もとからの日本人なら、全員が血の繋がりをもってしまいます。
これは簡単な計算です。
冒頭に書きましたように、ひとりが生まれるためには2名の親が必要ですから、これをずっとさかのぼる計算は、いわゆる2の何乗、つまりねずみ算になります。
すると、いま、ひとりが生まれるためには、700年前には、1億3千万人が必要になってしまいます。
700年前というと、鎌倉時代ですが、その頃の日本の人口は699万人です。
計算が合いません。
これが何を意味しているかというと、ご先祖が途中で何度もかぶっている、ということです。
みんな親戚になってしまうのです。
つまり、もうその時代から以前の物語となると、それは我が家のご先祖の物語ではなくて、人々の共通のご先祖の物語ということになります。
ご先祖を上(かみ)のほうにずっと遡っていくのです。
すると各ご家族のご先祖が、みんなの共通のご先祖になるわけです。
「か」ぞく、「み」んなの共通のご祖先ですから、これを略すと「かみ」です。
ですから、現代日本人の私達からすると、700年前の源義経や静御前の物語、あるいは百人一首の歌人たちが活躍する千年前の物語というのは、日本人の誰もに共通するご祖先の物語です。
いまを生きている私たちは、全員が、彼らのDNAを万分の一ずつ共有し、受け継いでいるのです。
以前にも書きましたが、江戸時代に「神話」という言葉はありません。
これは幕末に英語の「Myth」を訳す際に生まれた翻訳語です。
英語は、もともとはイギリス語ですが、そのイギリスは、フランスからやってきた外来王朝によってキリスト教がもたらされました。
そのキリスト教徒にとって、イギリスの先住民族であるケルトの持つ神話は、「根拠のない作り話」とされました。
ですから英語の「myth」は、「神話」と訳されますが、それは根拠の乏しい作り話という語感を伴うものです。
では、日本で「神話」という言葉が生まれる前に、それを何と呼んでいたかというと、「神語(かむかたり)」です。
「神語」は、遠いご先祖の物語であり、そのご先祖は、どのご家庭にも共通するご先祖でもあります。
すべての国民に共通するご先祖の物語であれば、各家で神様となられているご先祖よりも、ずっと古い、各家に共通するご先祖(神様)の物語です。
だから「神語(かむかたり)」です。
人は死んだら仏さんです。
その仏さんの祖先をずっと「かみ(上)」の方にたどって行ったら、そこは神々の物語になります。
だから「神語(かむかたり)」です。
古事記は、上中下の三巻建てになっています。
そしてそれはいまから1300年前に書かれた書です。
その古事記は、古事記が書かれた時代からみて、200年ほど前までの時代を下巻、
700年前くらいまでの時代が中巻、
それより以前の、つまり共通するご祖先の物語を上巻にまとめています。
一般に、古事記の上巻は「神話の時代」と呼ばれていますが、古事記が書かれた当時の認識としては、それは当時生きていた人々にとっての共通のご祖先の物語、つまり神々の物語であり、「神語(かむかたり)」であったわけです。
したがって、古事記が書かれた当時の人々にとって、上巻に書かれた神語は、荒唐無稽なつくり話としての童話や寓話ではなくて、それはみんなに共通するご祖先の物語であったのです。
そして古事記は、天武天皇の詔によって編纂がはじまり、31年の歳月をかけて元明天皇に献上された書です。
天武天皇の時代に、いまの皇室の様々な行事が始まっています。
そして元明天皇の時代に、奈良の都、つまり平城京が完成しています。
白村江の戦いの敗戦を受けて、日本をひとつの中央集権国家に再構築しようとした、天智天皇、天武天皇、持統天皇、元明天皇、元正天皇に至る7世紀の大改革の時代に、中央集権体制の構築のための効率的な都つくり、法制度としての律令の制定と並んで、3つめの国の柱として国家のアイデンティティの基礎となる統一史書として編纂されたのが、古事記であるわけです。
そして、古事記に書かれた神話は、当時にあっての人々に共通する古い時代のご先祖の物語、つまり神語として書かれたものです。
そうであるならば、古事記に書かれた神語(かむかたり)を、ただの子供向けの童話や説話、寓話、神話のたぐいとして読むことは、もちろん、子供向けにはそれで良いかもしれませんが、はっきりと、大人としての読み方が、そこにからなずある、といえることと思います。
古事記に書かれた神話は真実ではない。「眞相はかうだ」みたいな話は、多々あります。
たとえば、ヤマタノオロチは、越の国からやってきた8人の強姦魔だったという話とか、国譲り神話は出雲族と天孫族の戦乱だったとか、あるいは天照大御神は、本当の名はアマテルで、男性であったとか、地方地方には様々な伝承があります。
ただ、書かれたものには、必ず書いた目的があります。
古事記は、明らかに国家形成という目的をもって書かれた史書です。
そうであれば、その目的に添って内容が書かれているのは当然のことで、不要なものは捨て、神々を先祖にもつ諸国の豪族たちからも苦情が出ない、大切な神語をそこに記した、それも当時にあってのなだたる学者が勢揃いして、天皇の詔に従って31年の歳月をかけて、この史書をまとめたのだとわかります。
古事記に書かれたことが、いわゆる史実なのかどうか。
私たちは過去に遡ってヤマタノオロチを見ることはできませんし、大国主神話に会ってくることもできません。
いま確認できることは、天照大御神さまや、大国主神話さま等、神語に書かれた神々を祀る神社が現存していることだけです。
しかしそのことは、1300年前に古事記が書かれた当時も同じだったのではないかと思います。
そしてその中にあって、古事記は、我が国の成り立ちであり、人の上に立つものにとって必要な心得や、人としての大切な教えを神語としてまとめています。
つまり私たちにとって大切なことは、古事記の「眞相はかうだ」といったものではなく、古事記を通じて先人たちが伝えようとしたことを、しっかりと把握し、学ばせていただくことなのではないかと思います。
それが古事記を読む、たいせつな出発点であろうと思うのです。
幸い、古事記は全文が漢字で書いてあります。
そして、漢字では伝えられない、もともとの大和言葉については、漢字の音だけをもちいて、その場合は、一語一語に、細かく注釈をつけて記述されています。
私たちは漢字の持つ本来の意味と、その注釈を手がかりに、実は、古事記の真意に迫ることができるのです。
ところが残念なことに、古事記は、江戸中期の本居宣長の『古事記伝』に基づく解釈をさらに再解釈するだけで、原文に立ち返って、そこに書かれた本来の意図であるを読み込むということは、あまりされてこなかったように思います。
そこで、これにあらためて挑戦したのが、実は『ねずさんと語る古事記』です。
はじめて古事記を読まれる方は、『ねずさんと語る古事記』の第二巻を先に読まれることをお薦めします。
その上で第一巻を読むと、理解がはかどります。
また、本には、原文、読み下し文、現代語訳、解説がありますが、原文、読み下し文は、解説のための証拠として掲載したものですので、はじめは、いきなり解説だけを読むということで、素早く古事記の物語の真意にたどり着くことができようかと思います。
おもしろいもので、これまで、古事記が大好きで、何冊もの古事記の本を買ったという方の多くが、買っただけで「積ん読」になってしまっていたという方が、この『ねずさんと語る古事記』では、不思議なことに、あっという間に最後まで読み終えてしまったという話をよく聞きます。
いつも思うことですが、本当のこと、ただしい解というのは、常にシンプルでわかりやすいものであると思います。
数学の代数の問題の解と同じです。
ごちゃごちゃしていたら、それは途中の計算をどこかで間違えているのです。
神話は、私達日本人にとっては、私達日本人の、日本人としての共通のご祖先の神語です。
『ねずさんと語る古事記』、おもしろいです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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