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20170626 寺子屋
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『ねずさんと語る古事記・弐』6月15日発売です。
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20170526 古事記弐

【お知らせ】
 7月 2日(日)13:30 黎明教育者連盟講演
 7月15日(土)18:30 第42回 倭塾 公開講座
 7月17日(祝・月)18:30 CGS【ねずさんとふたりごと】公開収録
 7月14日(金)08:00 ABCフォーラム朝食会(テーマ:百人一首)
 7月23日(日)14:00 第 1回 名古屋倭塾 公開講座(テーマ:古事記)
 7月27日(木)18:30 第17回 百人一首塾 公開講座
 8月15日(火)靖国神社昇殿参拝
 9月 2日(土)18:30 第18回 百人一首塾 公開講座
 9月17日(日)13:30 第43回 倭塾 公開講座
10月 1日(日)日心会『ねずさんと古事記』出版記念イベント
 *****
以前にもご紹介したことがあるのですが、江戸時代に寺子屋で教科書として使われた「童子教(どうしきょう)」は、現代日本人が忘れている大切なことを教えてくれています。
それは童子教の冒頭からはじまるのですが、そこに何が書いてあるかというと、次の言葉です。
 ****
1 夫貴人前居 夫(そ)れ貴人の前に居ては
2 顕露不得立 顕露に立つことを得ざれ
3 遇道路跪過 道路に遇ふては跪(ひざまづ)いて過ぎよ
4 有召事敬承 召す事有らば敬つて承れ
5 両手当胸向 両手を胸に当てて向へ
6 慎不顧左右 慎みて左右を顧みざれ
7 不問者不答 問はずんば答へず
8 有仰者謹聞 仰せ有らば謹しんで聞け
 ****
目上の人の前では、かしこまれ、ということです。
「かしこむ」というのは、恐れつつしむという意味で、どこまでも厳しく目上の人を立てよ、ということです。
よく時代劇などで、若侍たちが侃侃諤々の議論をしているところにご家老が入ってくると、全員がかしこまって、正座して礼をしますけれど、まさにあのスタイルです。
ただし、Chinaや半島のような下卑た慎み方は必要ありません。
一寸の虫にも五分の魂です。
堂々と、そして規律正しく、礼をとります。それが日本式です。

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ところがいつの世においても、いくら躾(しつ)けようとしても、言うことを聞かない子供もいます。
そんな場合にどうしたら良いのか。
その答えも童子教は明確に述べています。
 ****
115 不順教弟子 教へに順(したが)はざる弟子は
116 早可返父母 早く父母に返すべし
117 不和者擬冤 不和なる者を冤(なだ)めんと擬(ぎ)すれば
118 成怨敵加害 怨敵(おんてき)と成つて害を加ふ
119 順悪人不避 悪人に順(したが)ひて避(さ)けざれば
120 緤犬如廻柱 緤(つな)げる犬の柱を廻(めぐ)るが如し
 ****
言うことを聞かない子は、さっさと親に返しなさい。
なだめる必要もない、です。
けんもほろろです。
いまどきの学校なら、教師の言うことを聞かない子でも、教育を受ける権利があるのだからと、教室に置きます。
けっか教室そのものが崩壊する。
昨今の大学に至っては、生徒数が足らないからと、強姦事件まで起こしたような不埒な生徒が、放校処分もされずに、そのまま大学に居座っています。
なかには、「俺はあの事件の犯人だ」と開き直って、女学生を脅す生徒までいるくらいです。
とんでもないことです。
これは会社や組織においても同じで、会社や組織の風土になじもうとせず、我儘を言う社員や組織員は、要するにサッサとクビにすることが常道です。
そうしないとどうなるのか。
その答えも、童子教は用意しています。
次の一文です。
 ****
111 畜悪弟子者 悪しき弟子を畜(やしな)へば
112 師弟堕地獄 師弟地獄に堕(を)ちるべし
 ****
師弟ともに地獄に堕ちるのです。
しかも面白いことに、童子教は、悪い弟子を「畜(やしな)」えば、と書いています。
悪い弟子は、弟子でもなければ人でもない、犬畜生と同じだと書いています。
もちろん数ある中には、教える師匠の側がろくでもないというケースもあったであろうと思います。
けれど、そこは江戸社会です。
江戸社会に文科省はなく、幕府や藩による寺子屋への助成金はありません。
ろくでもない師匠のもとには生徒が集まらず、生徒が集まらなければ、その寺子屋はたちまちのうちに倒産、廃業してしまうだけのことです。
そこは完全自由競争で、淘汰の原理が働くのです。
質の高い教育には、教師と生徒、双方の質の高さが要求されます。
政府が助成金を出さなければやっていけないような寺子屋は、社会的存在価値がないとされたのです。
一方、研究開発や技術開発、翻訳や医学などの最先端分野については、幕府や藩が藩校(いまの大学)にお金を出しました。
藩校や幕府経営の昌平坂学問所のようなところは、全国から選りすぐりの子弟が集まり、切磋琢磨しました。
そこで行われる当時に在っての最先端の学問には、幕府は惜しみなく経費を与えています。
その一方で、初等、中等教育については、民間に一任されていました。
民間の自由競争の中でこそ、優秀な人材は育つと考えられたのです。
ひるがえって現代日本を見ると、初等中等教育は義務教育とされ、どんなアホでも教育を受けることが「義務」とされる一方、最先端の学問を行う大学は、数ばかり増えて、猫も杓子も大学に進学し、学問そっちのけでアルバイトに精を出すという状態になっています。
要するに江戸時代の学問体制は、現代日本とは正反対なのです。
ちなみに、寺子屋を追い出された生徒はどうなるかというと、町方なら、親が自分で面倒をみなければなりません。
それが十分に目が行き届かずに、その子が不良になって町で問題を起こせば、住んでいる長屋ごと、お取り潰しです。
これは、長屋全部がつぶされました。
つまり、その子や親だけでなく、隣近所に住んでいる人たちから、家主にまで迷惑がかかったのです。
それだけ厳しかったのです。
それでもどうにもならない子は、親が子を勘当(かんどう)しました。
勘当された子は、親という身元引受人を失いますから、どこにも就職できません。
丁稚奉公にさえ行けない。
するとどうなるかというと、無宿人になる他ない。
無宿人は、野良犬や野良猫と同じ扱いですから、殺されても人の数のうちに入りません。
武士はもっと厳しいです。
子が藩校を追い出されたとなると、その子は武家としての跡目を継げなくなるだけでなく、追い出されるような子をもうけた親も、俸禄を減免され、身分を落とされ、程度によっては藩主の顔に泥を塗ったということで、親子共々切腹です。
童子教が言う、「教へに順(したが)はざる弟子は早く父母に返すべし」は、だからものすごく重たい言葉であったのです。
そうした社会は、子供たちの我儘が許される現代と比べたら、ずいぶんとやかましい世間に思えるかもしれません。
けれど少し考えたらわかることですが、まともに生きている子供たちや親には、何の関係もない話です。
しかも、もっというなら、かつての日本社会の厳しさも、中共や北朝鮮などの共産主義国家とくらべたら、まるで天国です。
共産圏は密告社会ですが、反政府的言動者は密告しなければならないというだけでなく、密告をしなかった周囲者も、「密告をしなかった」という罪で、反政府主義者と同じ罪に問われます。
共産主義社会の異常性を考えれば、むしろ反体制派に属する人の方が健全な精神の持ち主のようにも思えるのですが、仮にそうだとしても歪んだ社会体制のもとにあっては、正常なものが斜めになり、斜めのものが正常になります。
日本社会は、かつての厳しさを取り戻すべきです。
すくなくとも、二重国籍のスパイが国会で幅をきかせるような社会は、どうみてもまともな社会とはいえないからです。
そしてまともな社会を取り戻すためには、まともな教育が必要なのです。
冒頭の絵をご欄頂くと、厳しかっったはずの寺子屋で、生徒たちが明るく笑っている様子が見て取れると思います。
厳しいから、楽しいのです。
厳しさがあるから、明るくなれるのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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20160810 目からウロコの日本の歴史

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