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さて、毎年恒例の、「アヤメ」と「ショウブ」と「カキツバタ」です。
「いずれアヤメかカキツバタ」というくらいで、似ていて見分けがつきにくいですが、ちょっとした手がかりで、すぐにわかるようになります。
世の中、ありがたいもので、どなたの作かわかりませんが、上の絵がネットで検索できました。
実にわかりやすい対比です。
簡単に言うと
アヤメ(文目) 花びらの根元に筋が描かれている。
ショウブ(菖蒲) 花びらの真ん中が黄色い。
カキツバタ(杜若) 花びらの真ん中が白くなっている。
今年はこのことを、それぞれの花にまつわる和歌とともに、この三つをご紹介してみたいと思います。
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1 アヤメ(文目)
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「あやめ」は、漢字で「文目(あやめ)」と書きますが、まさに字のとおり、花の根元が「あみ目模様」になっています。

思ひ寝に みるとはすれど あや莚(むしろ)
アヤメもわかぬ夢ぞはかなき
『紅塵灰集』に掲載された後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の御製です。
後土御門天皇は、室町時代の第103代天皇で、応仁の乱の時代を生きられた天皇です。
平和を願うのに世の中が乱れる。人と人が殺し合う。
あらゆる権威が崩壊し、国が乱れたこの時代、後土御門天皇は、穏やかな日本文化を絶やさないために、歌会を何度も開催されています。
乱が終息しとき、後土御門天皇は、まさに焼け野原となった国の立て直しのために全力を傾けられますが、朝廷の財源は枯渇し、59歳で崩御されたとき、朝廷、室町幕府ともに天皇の国葬の費用さえ調達できなかったといいます。

室町幕府がここまで国を乱してしまった背景には、室町幕府の三代将軍足利義満が、幕府の財源を得るために、明国との交易を開始したことがあります。
明国と公式な交易ルートを拓くためには、将軍がChina皇帝の冊封を受けて日本国王に任ぜられなければなりませんでした。
足利義満は、財源確保と経済活性化のために、これを受けるのですが、ところがそのために、日本国内に、天皇という最高権威と、Chinaから任命された日本国王という2つの権威が並立することになってしまいます。
これによって国の柱が失われ、様々な価値観が乱立して、時代は「自分さえ良ければ」、「勝ったもの勝ち」、「力が強ければ何をやっても許される」といった、いわば「なんでもあり」の状態になっていきます。
それでも三代将軍の頃は、かつてない好景気によって、室町幕府は我が世の春を謳歌できたのですが、後土御門天皇の御在位の時代頃になると、世の中の乱れによって、その将軍家自体が、事実上の財政破綻し、国家の政治責任者としての機能までが失われてしまいます。
後土御門天皇は、そのような時代にあっても、はるか古代から続く大和心を失わずに、なんとかこれを保持しようと努められるわけです。
冒頭にご紹介した歌には、「寄莚恋」とタイトルがついています。
「ムシロに寄せる恋」と読みます。
現代語訳すると、次のようになります。
あの人を思いながら寝入り、あの人のことを夢に見ようとするのだけれど、
夢の中では、ムシロの文目(あやめ)もわからない。
そんな夢こそはかないものです。
もちろん恋がテーマですから、好きな女性の姿が夢の中でははっきりとは見えないといった解釈でも、それはそれで良いと思います。
ただ時代背景を考える時、陛下が畳ではなく、ムシロで寝られる。
戦(いくさ)のために焼け野原となり、食べるものさえない貧困に至った庶民のために私費公費を投じられ、ご自身はムシロに寝られる。
その後土御門天皇のおやさしさを考えると、本当にいたたまれない気持ちにさせられます。
二度と日本は、そのような国になってはいけない。そのように思います。
「あやめ」の背丈はだいたい60cm以下で、あやめ、しょうぶ、かきつばたの中では、花も背丈も、いちばん小柄です。
「あやめ」は、3種類のなかでも一番小柄。でも「その美しさは群を抜く」と言われています。
また、花の根元の編み目模様は、まるで複雑な女心をあらわしているかのよう。
そのためか、花言葉は
希望
燃える思い
情熱 です。
希望あふれる日本を保持していきたいものですね。
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2 ショウブ(菖蒲)
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「菖蒲(しょうぶ)」は、背丈が80〜100cmほどです。
花も3種の中で、一番大きく、「大きいな、背が高いな」と思ったら、ショウブである可能性が高いです。
見分け方のポイントは、やはり花の根元で、花菖蒲は、花の根元に、はっきりした黄色いマークが付いています。

実は菖蒲(しょうぶ)は、とてもややこしくて、まず、サトイモ科の葉菖蒲(しょうぶ)と、アヤメ科の花菖蒲の二種類があります。
どちらも「菖蒲(しょうぶ)」と呼ばれているので、ただ文字上で「菖蒲」とあったら、いったいどちらの菖蒲かわかりません。
冒頭の絵でご紹介しているのは、花菖蒲の方で、これは江戸時代の中頃に、杜若(かきつばた)や、アヤメの変わり咲きを改良することでできた、改良種の日本の伝統園芸植物です。
このため種類も非常に多く、まるでフリルがいっぱい付いたドレスのように見えるものから、楚々とした可憐な花まで、種類も豊富です。
生まれた経緯がこのようなものですから、平安時代などの古典和歌には、花菖蒲は登場しません。
古典和歌で「菖蒲」とあれば、それはアヤメであったり、サトイモ科の葉菖蒲であったりするわけです。
花言葉は
うれしい知らせ
優しい心
優雅
です。
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3 カキツバタ(杜若)
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「かきつばた」は、漢字では「杜若」または「燕子花」と書きます。
背丈は60〜80cmと、文目と菖蒲の中間くらいで、見分け方のポイントは、やはり花の根元のマークで、「かきつばた」のマークは、「白」です。

「かきつばた」の花言葉は
幸せは必ずやってくる、です。
そんなカキツバタを詠んだ和歌で有名なのが、伊勢物語にある在原業平(ありわらのなりひら)の歌です。
か ら衣(ころも)
き つつなれにし
つ ましあれば
は るばるきぬる
た びをしぞ思ふ
この歌の頭のところだけを上から読んだら、あら不思議。「かきつはた」となっています。
伊勢物語では、身分違いの女性に恋してしまった在原業平(ありわらのなりひら)が東国へ旅の途中で、愛知県豊田市の三河八橋に至ったとき、そこにカキツバタが盛大に咲いていて、そこでカキツバタの五文字を使って歌を詠むことになって、即興でつくった歌として紹介されています。
歌の意味は、
美しい着物でも、長く着ていればだんだんヨレてくる。
けれどそれだけ体に馴染んでくるものでもある。
それほどまでに身も心にもなじんだ妻のことが、
こうしてはるばる旅をしてくると、
よけいに懐かしく思えますね。
といった感じになります。
ちなみに、「いずれアヤメかカキツバタ」という言葉は、源頼政(みなもとのよりまさ)の故事に由来します。
源頼政は、源三位(げんざんみ)と称され、保元の乱と平治の乱を勝ち抜き、平氏政権下でも中央政界にその地敷を固め、最後は以仁王と結んで平氏打倒の挙兵するけれど平氏に追討されて、宇治平等院の戦いに敗れて自害した人です。
たいへんな剛の人で、第76代近衛天皇(このえてんのう)のご治世のとき、都に出た鵺(ぬえ)と呼ばれる妖怪を退治したという逸話もあります。
鵺(ぬえ)は、猿顔で、胴体は狸に似て、手足には虎の爪があり、尾は蛇のような姿をしているという恐ろしい妖怪です。
この退治のあと、近衛天皇から恩賞として源頼政に下賜された刀が「獅子王」で、いまではこの刀は重要文化財に指定されています。
事件があったのが仁平年間(1151年~1153年)のことで、いまから1100年以上昔のことです。
こういうものが、いまでもしっかりと残っていて、ひとつの国として、歴史がずっとつながっているのが、日本の凄みです。


その源頼政には「あやめ御前」の逸話があります。
鵺退治のあと、鳥羽院(第74代天皇、後に上皇)から恩賞として、天下に名高い美女の「あやめ御前」を与えられることになるのですが、このとき鳥羽院は美女二人に、あやめ御前と同じ服、同じ化粧をさせ、三人の美女を源頼政の前に出して、
「どれが本物のあやめ御前か、
見事当てたら御前を譲ろう」と申されます。
困ったことに三人とも、ものすごい美女です。
そこで源頼政が即興で詠んだ歌が次の歌です。
五月雨(さみだれ)に 沼の石垣 水こえて
いずれかあやめ 引きぞわづらふ
意味は、簡単に言ったら
「あまりに美しくて感情がたかぶり、
どの姫があやめ御前かわからず
このままでは私は病になってしまいます」
といったものです。
鳥羽院はこの歌を即興で詠んだ頼政の教養の高さにいたく感激され、あやめ御前を頼政に下賜されました。
この故事が講談などで語り継がれ「いずれあやめか、かきつばた」と慣用句が生まれています。

さて、上にあるのは、尾形光琳の「燕子花図(かきつばたず)」です。
この絵がどうして「かきつばた」と特定できるのか。
みなさまには、もうおわかりかと思います。
それにしても、四季折々の花が咲く日本、長い歴史を持った国日本て、本当に素晴らしいですね。
※この記事は2014年5月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。

