◆『ねずさんと語る古事記 壱』絶賛発売中!

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今回ご紹介する本は、みぞろぎ梨穂さん著『約束の大地』です。
みぞろぎさんは、重度の脳障害とされている方です。
新生児のときに黄疸となり、脳に酸素がいかなくなり、そのまま寝たきりの障害者となったのだそうです。
言葉をしゃべることはできません。
通常、こうした症例の場合、患者さんである障害者は、言葉も思考もないとされています。
ところがそうではなかったのです。
2012年に國學院大学の柴田保之教授と出会い、パソコンを利用することで、彼女は会話をすることができるようになりました。
すると梨穂さんは詩を書きました。
その詩には、
「ずっと私は
人間とは何なのかということを
考えてきました」
と綴られていました。
重度の障害を持ち、外界とのコミュニケーションが取ないというだけで、ずっと意識がないとされていた彼女は、実は、幼いころから周囲の会話を聞きながらちゃんと言葉を覚え、そして思索を重ね続けていたのです。
人は魂の乗り物にすぎない、という日本古来の考え方があります。
古事記などは、まさにその考え方のもとに文書が綴られています。
みぞろぎ梨穂さんの本を読むと、意識や思考というものは、肉体に備わるだけでなく、実は、魂そのものに備わっているということがよくわかります。

この本のまえがきに、東大医学部名誉教授の矢作直樹先生が、次のように書いています。
「それはまるで幾多の試練を経験した魂が
今生でさらなるチャレンジのために
操縦困難な肉体を選んで生まれてきたようです。」
その通りと思います。
御魂であるうちは、自由です。
体の重さもないし、好きなことができます。
亡くなった義理の弟は、映画のランボーのファンでした。
彼は時折出てきますが、その都度、その映画のランボーのような服装で出てきます。
御魂であれば、なんでも好きなことができる可能なのだそうです。
けれど自由で何でもできてしまうということは、逆にいえば魂に進歩がないということです。
だから様々な制約のある現世に生まれてきます。
それはあたかも私たちがスポーツ競技を楽しむのと似ています。
バレーボールにせよ野球にせよサッカーにせよ、スポーツにはルールがあります。
そのルールという制約を受けることで、私たちはスポーツを通じて心技体を学び成長します。
これと同じです。

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私たちは、より高い魂として成長するために、意図して重い肉体や、様々な出自を背負って生まれてきます。
日本には、もともとそうした社会通念があったから、いまも昔も身障者を大切にしてきました。
上にある画像は江戸の市中の日常です。
よくみると、足が悪い方が台車に乗っている様子が描かれています。
我が国では古来、障害のある人は、実は自らの魂を鍛えるために、より重い人生を選択した人・・・つまり現世での訓練の最後の仕上げの段階にある高尚な御魂を持った人と考えられてきたのです。
どこかの国が「病身舞」と称して、障害のある人を笑い者にするのとは大きな違いです。
パラリンピックは、表向きは英国のストーク・マンデビル病院のルートヴィヒ・グットマンが昭和23年のロンドンオリンピックの開会式当日に車いす選手のための競技大会を開催したことが起源とされています。
ところが実はこの分野では日本がはるかに先行していて、日清、日露の戦いを経由して、戦場で腕や足をなくされた軍人さんたちが、一日も早く社会復帰できるようにと、手足の不自由を理由に甘やかせるのではなく、むしろその障害を乗り越えて、技量を身に付けたり、スポーツができるように厳しく指導が行われていました。
このため、第2回パラリンピックは、昭和39年(1964)の東京オリンピックのときに開催されたのですが、当時は世界の選手の水準と比べて日本の選手団の技量があまりに桁違いに高かったことから、パラリンピックは二部構成になり、一部が外国人だけの競技大会、二部が日本人だけの競技大会となっていたほどです。
すこしみぞろぎさんの本から脱線してしまいました。
脱線ついでにもうひとつ。
私の小学校のときの恩師は、聾唖学校のすぐ近くに住んでいます。
校長とも親しく、時折、その聾唖学校を訪問されます。
健常者の子供であれば、学校で学ぶのは普通の日本語だけです。
障害児たちは、そこで手話や点字、あるいは読唇術などを学んでいます。
つまり、いわば複数の言語を身につけるのです。
だから、その障害児たちからみると、私たち健常者の方が障害者に見えてしまうことがあるのだそうです。
みぞろぎ梨穂さんの本を読むと、障害者を持って生まれて来られた方が、実は、私たち健常者が見失いがちな深い思索を得ていることに、あらためて気付かされます。
逆にみれば、健常者と思っている私たちのほうが、魂のレベルでは障害者であるのかもしれません。
実は、この『約束の大地』は、拙著『ねずさんと語る古事記 壱』と同じ日に発売になりました。
そして、不思議なことに、この本と拙著の両方に、矢作先生から推薦の言葉を載いています。
それだけに、みぞろぎさんとは、なにか不思議なご縁を感じています。
とにかく、ぜひ一度この本の詩を読み、その魂の高貴さ、美しさに触れてみていただきたいと思います。
読み進むうちに、心のなかが透明に透き通って行くような、そんな感じを受けることと思います。
心が洗われます。

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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。

