★本日13:30、倭塾開催です。
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以下に示すのは、昭和7(1932)年に刊行されたある本に掲載された文章です。
ちょっと堅い文章ですが、是非、ご一読なさってみてください。短いものです。
国家の進運は
畢竟(ひっきょう)その国家本然(ほんねん)の
独創的改革によって
はじめて成就し得るものであって、
決して模倣によって
招来(しょうらい)し得るものでない。
日本には本来、
建国の昔から貴き伝統があり、
有難き国風がある。
ロシアの真似も、
英国の真似も、
アメリカの真似も、
すべてそれらは、
この国風を長養(ちょうよう)する意味で
摂取する場合においてのみ
意義を発揮し得るのであって、
単に模倣のための模倣は
決して日本のためにならぬのである。
その昔
儒教仏教もこれが国風化したときに、
はじめてそれは日本国家のものとなり得た事実に鑑み、
欧米舶来の新思想もまた、
これを国風化して
日本開展の一資料たらしむる覚悟が
なければならぬのである。

【倭塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第35回 2016/12/24(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
第36回 2017/1/14(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
第37回 2017/2/26(日)13:30〜16:30 第4/5研修室
第38回 2017/3/18(土)18:30〜20:30第4/5研修室
【百人一首塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第11回 2017/1/19(木)18:30〜20:30 第三研修室
第12回 2017/2/ 9(木)18:30〜20:30 第三研修室
第13回 2017/3/23(木)18:30〜20:30 第三研修室
たいへんに濃い文章でが、実はこの文は「特高(とっこう)」と呼ばれた、特別高等警察官の職務手帳である「特高必携」の冒頭序文に書かれているものです。
戦前の「特高警察」といえば、思想取締警察として有名で、苛酷な拷問や尋問を行った恐怖の機構組織と、いまどきの多くの方が思っておいでです。
特別高等警察は、一般の警察機構が都道府県単位に独立した警察組織と異なり、
内務省の直接指揮下に置かれ、全国規模で思想の取締を行っていました。
そのように聞くと、なるほど特高警察は、怖い組織と思えてしまいます。
けれど、そこは警察なのです。
悪人から怖がられる存在でなければ、その勤めは果たせません。
特高警察がおかれたのは、大正12(1923)年です。
この時期になぜそういう機構がおかれたのかは、時代を考えるとわかります。
その前年の大正11(1922)年に、
「日本共産党」が結成されたのです。
大正6年(1917)にはじまる共産主義のロシア革命で、ロシア皇帝のニコライ二世を筆頭に、ロマノフ王朝の王族、貴族たちがことごとく殺されました。
さらにその余波は、大正9年(1920)には、日本人まで被害に巻き込んでいます。
それがロシアのニコライエフスクで起きた「尼港事件」です。
この事件では、ソ連の共産主義者たちによって、日本人居留民約700人が全員虐殺されています。
大正11年(1922)になりますと、ソ連が世界の共産化を目指してコミンテルン組織をつくり、そのコミンテルンは、世界から君主を廃絶すること、を活動の大目標に掲げています。
ソ連はとうの昔に国家が崩壊して失くなり、共産主義のいかがわしさも世界中の知れ渡るところとなったのですが、不思議な事に日本では、日本が民主主義の国でありながら、いまだに共産主義を標榜し、天皇廃絶を活動目標に掲げている不思議な団体があります。
彼らは日本に住んでいますが、日本語がよくわからないのかもしれません。
共産主義の恐ろしさは、どれだけの人の命を奪っても、「革命のため」であれば、すべてそれが正当化されるという、極めて誤った独善性にあります。
思想信条は自由ですし、いろいろな考え方を持つ人が、いろいろな切り口で経綸を行い、すこでもみんながよく慣れるように研鑽するなら、それは大歓迎です。
けれど、あらゆる事物や現象を、ことごとく対立ととらえ、敵となったものに対しては、どこまでも容赦ない攻撃を加えるという姿勢は、人としてあるまじき行動です。
そのような思想的傾向や、発言、行動は、国家として治安維持のために「取り締まらない方がどうかしています」。
大正時代の終わり頃、こうした事情から、世界中で共産主義者に対する逮捕や投獄がさかんに行われるようになりました。
ちなみにこの時代、Chinaでは、「共産主義者かもしれない」というだけで、銃殺の対象でした。
その共産党が、日本でも結成されたわけです。
当然、これを取り締まるための警察機構が必要になりました。
そしてまず大正14年(1925)に「治安維持法」が制定されました。
これにより特高警察の取締に法的根拠が明示されました。
そして昭和初期にあった無政府主義者や、朝鮮独立運動と称するテロ組織、あるいは似非宗教などの反政府的団体も、取締の対象に加えられました。
特高警察は、おかしな思想に染まったと思われる人に警告を与え、必要に応じて逮捕し、ひとりひとりを誠実に説諭しました。
戦後、特高によって逮捕投獄された政治犯の人たちが、GHQの解放政策によって、牢獄からゾロゾロと出てきました。
彼らは、口を揃えて、
「私は平和のために国家権力による逮捕弾圧にも屈せずに信念を貫き通した」
と叫びました。
なるほど、これが世界の諸国であれば、獄中ではひどい拷問が加えられたであろうし、李氏朝鮮時代なら、体中の骨を一本ずつ折られたりしたであろうし、清國なら、体の肉を少しずつ削り取られたことでしょう。
そうした拷問にも耐えながら改心せずに信念を貫き通したのであるならば、日本人のみならず、世界中の誰もが仰天します。
もちろん彼らが戦後的ヒーローになるためには、特高による取り調べが厳しいものであったと思われれば思われるほど、都合がよかったという一面もあったことでしょう。
けれど、そのように物事を対立的に見る考え方そのものが、もうすでに間違っているのです。
「自分は正義であり、特高は悪である。」
と、このような二極分化して、対立的にものごとを把握しようとする姿勢そのものが、すでに子供じみているのです。
どんなことにも良し悪しがある。
良いことと悪いことは、常に紙の裏表である。
どんなことにも良い面はあるし、どんなことにも悪い面もある。
その両方を背負いながら生きるのが人間だし、人々の集合体である国家なのです。
だからこそ地面に足をつけて、他国の猿真似ではない日本の歴史伝統文化を踏まえて、外来のものからできるだけ良いものを国風化していくという努力が必要なのです。
特高警察はGHQによって解散させられました。
ですからどんなに特高警察を悪し様に言っても、元特高警察の人たちは、反論しませんでした。
しかし、彼らが逮捕した犯人に行ったことは、冒頭の特高必携に書かれた日本人としての必要を、彼ら政治犯とされた人たちとしっかりと話し合い、説諭することでした。
話してわかる相手でなくても、わかるまで教導する。
ときに涙を流しながら、一生懸命に彼らと向かい合い、話し合ったのです。
実際、日本の特高警察に逮捕されて獄死した人は、小林多喜二1名です。
世界の思想警察と比べたら、これは限りなくゼロに近い数字です。
しかも、このことは写真を見れば一目瞭然なのですが、当時食糧難となっていた日本において、なぜか特高警察解散に伴って牢屋から出てきた思想犯たちは、全員、極めて良好な栄養状態にありました。
特高の刑務所は食事が良い。
これは当時の社会の常識でした。
冒頭でご紹介した「特高必携序文」には、続けて次の記述があります。
「特高警察官は、
彼等に対してよき薫陶を与え、
よき反省のための伴侶であり、
師であり、
友であることによって、
職務の実を挙げ得るよう心掛くべきである。
それは独りその人々の幸福たるのみならず、
国家のための至福たるべきものである。」
もし本当に、特高警察が、苛烈で鬼のような恐ろしい殺人鬼集団であったのなら、特高に逮捕された人たちは、そもそも出所できていません。
実際、共産主義国で政治犯として逮捕された人たちは、誰も出て来ていません。
なぜなら、裁判もなく、皆殺しにされているからです。
また仮に出てきても、五体満足で出所できた者は誰もいなかったことでしょう。
戦後、GHQによって特高警察は解散させられました。
そして特高警察に逮捕投獄されていた人たちは、口をそろえて特高を「恐怖の国家権力集団」という印象操作を行い、悪しざまに罵りました。
かつて特高警察官として、涙を流して説得にあたっていた、まじめで正義感の強い警察官たちの思いは、いかばかりだったことでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。
※この記事は2014/6のリニューアルです。

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