★次回倭塾は12月24日13:30開催です。
この日は、今年最後の倭塾なので、ちょっぴり特別なイベントが開催されます。
詳細は⇓で。
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昨日14日は、赤穂浪士討ち入りの日でした。
以前はこの時期になると、毎年違ったキャストや監督でテレビで赤穂浪士が放映されたものですが、最近では、それがまったくなくなりました。
日本に住んで日本語を話し、日本人のような顔をしていても人モドキには、その日本的美徳感が理解不能なのかもしれません。
それどころか最近では、赤穂浪士の討ち入りは、ひとりの老人を47人の刺客がよってたかって嬲り殺した日本人の残虐性を象徴する物語などと、茶化されたりもしているそうです。
我々日本人の感覚からすると、もはや気でも狂ったのかといいたくほどです。
ちなみにお隣の半島では、ひとことでいえば、
「日本は悪魔の国であり、自分たちは栄えある歴史を持った民族なのだから、日本の文化を破壊し、日本人女性を強姦することが正義である」と教えられるのだそうです。
子供の頃からそのようなことを刷り込まれ、スポンサーが付けば、わざわざ日本にまで出かけていって、仏像や神社の石碑を片端から壊して行くことが正義だと勘違いする馬鹿者が生まれるのも、うなづけます。
日韓関係における韓国民の日本人もしくは日本への悪感情は、特定の勢力によって刷り込まれたものであるにせよ、もはや抜き差しならないものとなっていようかと思います。
個人的に見れば、なるほど良い人も(100人にひとりくらい)いるかもしれませんが、ここまでくれば、我が国は断交しなければ、我が国の法と秩序と文化と伝統、そしてなにより日本人の安全と治安が守られません。
制裁は当然のことと思います。
ただ、赤穂浪士に関して言えば、実は戦後生まれの私たちの世代は、毎年テレビで放映されていたり、映画化されていたりしていたとはいえ、巧妙にその根幹にあることを隠されて育っています。
それが何かというと、尊王と国家統治の関係性の問題です。

【倭塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第35回 2016/12/24(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
第36回 2017/1/14(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
第37回 2017/2/26(日)13:30〜16:30 第4/5研修室
第38回 2017/3/18(土)18:30〜20:30第4/5研修室
【百人一首塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第11回 2017/1/19(木)18:30〜20:30 第三研修室
第12回 2017/2/ 9(木)18:30〜20:30 第三研修室
第13回 2017/3/23(木)18:30〜20:30 第三研修室
そもそも事件のきっかけとなった浅野内匠頭と吉良のお殿様の確執は、巷間言われているような「ヒヒ爺いの若者いじめ」ではありません。
皇室尊崇を説く山鹿素行の教育を受けた浅野のお殿様とその家臣団、天皇は斎主であって統治は将軍職という室町以来の価値観のせめぎあいの中で起きた残念な事件です。
御存知の通り、日本は天皇を国家最高権威とするシラス(知らす、Shirasu)国です。
けれども、その統治機構の内部においては、ウシハク体制がなければなりません。
ウシハクという厳しさという重石がなければ、統治機構が崩壊してしまうからです。
そのウシハクを実行する頂点にある者が、将軍です。
だから征夷大将軍(夷狄を征する将軍)でありながら、夷狄ではなく、国内の統治を委ねられているのです。
基本的な国家のカタチは、天皇が民衆を「おほみたから」とするという国家最高権威によって民衆を保護し守るという根底における天皇のシラス国があります。
けれどシラスを実現するうえにおいては、武士たちによるウシハク統治が必要です。
根底に仁をおいても、悪は誅さなければならないのです。
その力を行使する者がなければ、国家のシラスは崩壊します。
このことは、すこし別な言い方をしますと、日本は、天つ神が知らしめ、国つ神がウシハク国であるという言い方になります。
ウシハクは、単独で国家等の統治に用いられますが、シラスはウシハクと表裏一体になって、はじめて機能します。
シラスとウシハクは、対立概念と説明したほうが、現代人にはわかりやすいです。
しかし先日も書きましたように、そもそも日本に「対立」という概念はありません。
「対立」は、訓読みしたら「ならびたつ」です。
現代的な意味の「対立」とは意味が違うのです。
シラスとウシハクは、「ならびたつ」ものです。
そこで赤穂浪士です。
ところが、室町幕府の時代、三代将軍足利義満は、明国との交易を開始するにあたり、日本国王を名乗りました。
これはあながち間違いではなく、王は、皇の部下ですから、それ自体は理論上は正しいものです。
ところがこのことが原因となって、国家の秩序が崩壊し、室町幕府はウシハク能力さえも失って戦国時代を招いてしまっています。
吉良家は、その足利将軍家の時代の高官の家柄ですから、もちろん皇室尊崇ではありますけれど、同時に幕府の権威をたいへんに大事にしてきた家柄です。
ですから当然、勅使下向の接待に際しても、将軍の権威を重んじます。
ちなみにこの勅使下向ですが、これは毎年お正月のための挨拶に、幕府が使者を京の都の朝廷に上らせていました。
将軍は天皇の臣ですから、これは当然のことです。
その御礼に、朝廷から勅使が江戸に下向しました。
これが勅使下向です。
浅野内匠頭と吉良上野介は、その勅使下向の接待役を仰せつかったのですが、浅野家は、皇室尊崇論の山鹿流です。
どこまでも天皇と将軍は主従の関係です。
ですから、天皇の遣いである勅使の席は、将軍よりも上です。
ところが、室町以来の伝統では、将軍は天皇の部下ではあっても、勅使という下級廷吏よりは上の存在です。
従って、簡単にいえば、勅使の席次は下位になります。
浅野内匠頭は、若いし、自分が学んできたことに絶対の確信を持っていますから、その室町以来の伝統が許せません。
こうしたことは、実際上の行為はささいなことであっても、思想的な違いが根底にありますから、いきおい感情がエスカレートします。
いってみれば、同じ保守派同士の争いのようなものです。
近いほど、骨肉相食む感情的な争いとなってしまうのです。
それで起きた事件が、松の廊下の刃傷沙汰です。
江戸城内での刃傷沙汰は絶対に禁止です。
けれど、この事件が起きた背景には、権威(シラス)を絶対視するか、権力の集中化(ウシハク)を絶対視するかという思想上の争いがあります。
本当は、両方あってはじめて国の統治は成り立つのですが、両者が争ったら国は割れてしまいます。
ですから幕府は、「刃傷沙汰」という一点をもって、異例の迅速さで浅野内匠頭の即日切腹を命じています。
他に方法がないのです。
ずるずると引き伸ばしてしまえば、幕府の権威に傷がついてしまうからです。
たかが刃傷に、藩主切腹、お家おとりつぶしというのは、極めて厳しい処罰です。
けれどその背景には、シラス国の実現のためには、臣に対する(民衆に対するではありません、臣に対するです)強力なウシハク統治が必要なのです。
幕府はそれを身をもって示したわけです。
ところがここで問題が起きます。
武士ですから切腹とはいっても、辞世の句は当然です。
そして殿様の辞世の句となれば、当然家臣団には知らされます。
その辞世の句です。
風さそふ 花よりもなほ 我はまた
春の名残を いかにとやせん
「風誘ふ花」というのは、桜の花びら(皇室尊崇)を散らす山から吹いてくる風のことです。
それでも「名残をとどめたい」というのです。
つまり殿は、どこまでも皇室尊崇の山鹿流の赤穂の意地を貫き通したいと辞世の句で述べているわけです。
これを聞いたら家臣団は、慄然とします。
亡き殿の意趣返しを何が何でもしなければならなくなります。
本来なら、幕府はこの辞世の句は家臣団には知らせたくないくらいです。
けれど、それが辞世の句となれば、知らせないわけに行かない。
けれど、放置すれば、これは必ず戦(いくさ)になる歌です。
治安を預かる幕府にしてみれば、これは困った自体です。
だからこそ、旧赤穂藩士の暴発を食い止めるために、幕府は徹底して調査や張り込みを行っています。
平和を守るための幕府なのです。
それが戦(いくさ)のタネを放置したとあっては、明察功過になりません。
けれど結果として、討ち入りは起きてしまうわけです。
絶対に起こさせてはならない事件が起きてしまいました。
これが町人たちが起こした討ち入り事件であったのなら、夜間に武力を用いて他人の家に乱入して多くの命を殺生したわけです。
当然に、その町人たちは、打ち首ですし、これだけ大規模な事件が起きることを、前もって予期して防ぐことができなかった江戸の町奉行は切腹です。
そういう事件が起こらないようにするために、奉行職が置かれているのです。
起きてしまったのなら、奉行が責任をとるのはあたりまえです。
ところがこの事件は、町人が起こした事件ではなく、れっきとした武士が起こした事件です。
ということは、武士の行動に最終責任を負っている責任者は誰でしょうか。
答えは、将軍です。
ましてもともとのきっかけは、大名の処分にはじまるのです。
では、将軍が切腹すべきでしょうか。
しかし将軍が切腹したら、国内統治も崩壊します。
国内統治は、ウシハク将軍という一点の重石で統治されているのです。
そこが切腹となったら、国内統治が崩壊します。
こうした局面で知恵を出すのが新井白石のお役目です。
むしろ、浪士たちの討ち入り事件は、義挙である、という評判をたてます。
すると、義挙の最高責任者は将軍です。
それなら将軍は罪に問われることはなく、幕府も安泰、治安も安泰です。
そのうえで、実行犯には武士としての名誉を与える処罰(切腹)を与える。
また、その身内には、諸藩で高禄での雇用を与える。
こうすることで、万事丸く収まるというのが、白石流の筋書きとなりました。
このため、藩主の浅野内匠頭は、即日切腹であったのに対し、すでに武士の身分さえも失っていたはずの浪士たちの切腹までは、およそ3ヶ月の間が置かれています。
たっぷりと、義挙の評判がたつのを待ったのです。
徳川幕府というのは、徹底して皇室尊崇を図り、また戦(いくさ)のない平和な社会の実現を求め続けた政府でした。
そしてこれを実現するために、徳川幕府は国内最強の軍事力と経済力を常に保持し続けました。
幕末に金(Gold)の流出騒動さえなければ、もしかしたらいまも日本は徳川政権のままだったかもしれません。
そのくらい、徳川政権は、力を持った政権だったのです。
そして力を持つということは、ウシハクということです。
ただし、その根底に、シラスを置くのか、そもそもシラスを持たないのか。
この違いは、圧倒的に大きな違いとなります。
徳川幕府は、間違いなく前者であり、それを貫き通した政権であったと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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