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20161129 昭和天皇
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誇りある日本人を育てよう!
真の国際人を育てよう!
その願いから、子供たちへの教育を見直す運動を展開されているのが、
「授業づくりJAPANの『日本人を育てる授業』」
です。
「授業づくりJAPAN」では、無料メルマガを配信しています。
http://melma.com/backnumber_00198666/
そのメルマガのNO.72(2016/11/29発行)から、ひとつのお話をご紹介してみたいと思います。
***
【安達弘の小学校歴史授業(2)】
「昭和天皇の授業~『ドラマみたい!』と子どもは言った」
http://melma.com/backnumber_00198666/
6年生の戦後学習2時間目に昭和天皇を取り上げました。
メインで扱ったのは有名な昭和天皇とマッカーサーの会見です。今回も授業の一部をご紹介します。
★昭和天皇と終戦
(1)昭和天皇のお人がら
天皇として即位したのちの、1931年11月のことです。天皇は、九州の鹿児島から軍艦に乗って東京に戻るとき、夜になって暗くなっている海に向かって一人、敬礼をしていました。
お付きの者が見つけ不思議に思って海の向こうを見ると遠く暗い薩摩半島の海岸に住民たちがつけた火の列が見えました。
それは天皇の軍艦を見送るためにつけたものでした。
天皇はそれに向けて敬礼していたのです。
20161026 倭塾バナー

【倭塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第35回 2016/12/24(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
第36回 2017/1/14(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
第37回 2017/2/26(日)13:30〜16:30 第4/5研修室
【百人一首塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第10回 2016/12/8(木)18:30〜20:30 第三研修室
第11回 2017/1/19(木)18:30〜20:30 第三研修室
第12回 2017/2/ 9(木)18:30〜20:30 第三研修室


(2)昭和天皇のその時代
昭和天皇が即位された時期、日本は大きな危機を迎えていました。
天皇は各国との友好と親善を心から願っていましたが、時代はそれとは違う方向へと向かっていました。
天皇はたとえそれが自分の考えと違っていても政府が決定したことは認める、という立憲君主制のきまりを固く守っていました。
しかし、昭和天皇がご自身の考えを強く表明したことが2回だけありました。
そのうちの1回が終戦を決めたときのことです。
会議の席で「天皇を守り、本土決戦で最後まで戦いたい」と主張した者に対して昭和天皇は静かに言われました。
「気持ちはよくわかる。
 しかし、わたし自身はいかになろうとも、
 わたくしは国民の生命を助けたいと思う」
戦争で負ければ、昭和天皇は責任を追及されて死刑になる可能性もあったのです。
しかし、昭和天皇のこの決断で日本は降伏を決めました。
(3)日本の降伏
1945年8月15日に日本は連合軍のポツダム宣言を受け入れて降伏しました。
終戦直後の日本は空襲で焼け野原になり、住む家もありませんし、食べるのもままなりません。
寄せ集めの材料で作ったバラック小屋で寝泊まりし、やっと雨つゆをしのいでいました。
天皇が住まわれている皇居も例外ではなく空襲で一部が破壊されていました。
皇居でさえこんな状態でしたから国民の生活の貧困ぶりはひどいものでした。
(4)マッカーサーの来日
こうした中、8月30日にアメリカのマッカーサーが日本にやってきました。
日本を占領する連合国の代表です。マッカーサーはさっそく日本の軍隊を武装解除し、日本の統治を宣言しました。
これから日本はもう自分のことは自分で決められません。
すべて占領軍の言われた通りにしなればならないのです。
日本が他の国に占領されたのはあとにも先にもこのときが初めてです。
こうした占領期間は7年間も続きました。
★マッカーサーと会見した昭和天皇はどんな話をしただろうか?
連合軍は日本人から戦争犯罪人を決めて裁判をしようと考えていました。
戦争の罪をすべて負けた日本に押しつけ、自分たちは正義のために戦ったのだと宣伝しようと考えたのです。
こうして戦争中の日本の首相や軍人を28人も逮捕して東京裁判を開くことを決めました。
さて、このころ連合国ではこんな話が持ち上がっていました。
「われわれと戦争を始めた国のうち、
 ドイツはヒトラーが、
 イタリアではムッソリーニが
 独裁者になって戦争を起こした。
 日本ではきっと
 国の代表である昭和天皇が
 独裁者のようにふるまって
 戦争を起こしたにちがいない。
 日本の昭和天皇を裁判にかけて
 絞首刑にする必要がある。」
この「天皇を死刑にしろ!」という声は日増しに高まっていきました。
こうした中、昭和天皇は自分から出かけてマッカーサーに会うことを決めました。
昭和天皇はマッカーサーに会ってどんな話をしたのでしょうか?
昭和天皇になって、あなたの予想を書いてみましょう。
子どもたちからは以下のような意見が出てきました。
「自分はどうなってもいいから28人を解放してくれ。その28人に罪はない」
「私はこの国の天皇です。すべての責任はわたしにあります。私はどうなっても構いませんが、国民には罪はありません。国民は助けて下さい」
「確かに、こうなる前に戦争をやめなかったのは私の責任だ。しかし私は独裁者ではない。罪は受けるが死刑になるつもりはない」
「死刑になる覚悟はできている。責任は取るが戦争に耐えてきた国民は自由にして欲しい」
「昭和天皇は国民を愛する人だから自分はどうなってもいいから国民だけは攻撃や苦労をさせないでほしい」
「自分を殺す代わりに、この国から出ていってくれ」
★昭和天皇とマッカーサー
昭和天皇はマッカーサーに会うと次のように話したと言われています。
「私はこの日本を代表する者としてあなたに会いに来た。
 今度の戦争についての責任はすべて私にある。
 私は死刑になってもかまわない。
 ほかの者たちに責任はないのでゆるしてほしい。
 そして、どうか国民が生活に困らぬように
 連合国から援助をお願いしたい。」
マッカーサーは昭和天皇のこの言葉を聞いて驚き、そして感動しました。
なぜなら、「死刑にすべし」の声まで出ている今、きっと「命を助けてほしい」と自分に頼みに来るにちがいない、と思っていたからです。
ふつうはどの国でも戦争に負ければその国の代表者は「命を助けてほしい」と命乞いをしたり、国民を放り出してあわてて他の国へ逃げ出したりすることが多いものなのです。
ですから、マッカーサーは昭和天皇もそうするにちがいないと思っていました。
ところが昭和天皇は「自分のことはどうなってもいい。国民を助けてほしい」と言うのです。
これを聞いて、マッカーサーは「なんとりっぱな人物なのだろう」とその天皇の勇気ある言葉に感動したと言っています。
さらに、昭和天皇は大きな風呂敷包を取りだして、こう言いました。
「わずかばかりだがここに皇室の財産の一部を持参した。国民の援助のために使ってほしい。」
マッカーサーはこれを見ると突然立ち上がり、昭和天皇の前に進み出て手を握り、
「私はあなたのような人を初めて見た。」
と述べたと言われています。
その後、マッカーサーは「このようなりっぱな人を死刑になどするわけにはいかない」と考えました。
また、死刑にすべしと言う人たちには「もし昭和天皇を殺したりすれば天皇を慕う日本人は黙ってはいない。
ゲリラ戦がはじまり、少なくともあと100万人のアメリカ兵が死ぬことになるかもしれない」と警告しました。
こうして昭和天皇を「裁判にかけろ」という声はなくなっていきました。
ここまで読むと子どもから「ドラマみたい!」というの声が上がりました。
5ヶ月後の昭和21年(1946年)2月。
昭和天皇は苦しんでいる国民を少しでも励ましたいと考えて全国をまわることを決めました。
このご巡幸は2月の川崎・横浜・三浦半島・東京都内、3月に群馬・埼玉、6月千葉、10月に愛知・岐阜、11月に茨城と続きました。
ご巡幸の旅は昭和26年の秋まで続けられ日本のほとんどをまわりました。
授業後の子どもたちの感想文の一部を紹介します。
*昭和天皇は自分ではなく国民を第一に考える天皇としての責任感の強い方だということがわかりました。
全国をまわり、国民を励まそうとした優しさのある方でもあることもわかりました。
*昭和天皇は優しすぎる。もう神みたいな存在。そんな人を「死刑にしろ」なんて言う人はこの事実を知ったらひざまづいて謝ると思う。
*昭和天皇がどれだけ国民を愛しているかわかりました。「自分の命はどうなってもいい、国民を助けてあげて」という言葉を聞いて、この人はすごいと思いました。
*私は最初は「さすがに最初から自分はどうなってもいい、なんて言うのは人がよすぎるだろう」と思っていたのですが、昭和天皇はすごいですね。
いい人です。
だから昭和は60何年も長く続いたんですね。そして、マッカーサーも感動して死刑をやめたっていうなら本当はいい人なんじゃないかと思います。
*昭和天皇ってすげー!
*私は今日の勉強をして昭和天皇はとても器が大きいと思いました。自分の命まで捨てて国民を助けてほしいと言いに行ったと知ってびっくりしました。そして、全国を回ることが今の日本にも受け継がれていると知ってうれしかったです。
*今日の学習では昭和天皇の人柄や国民をどれだけ愛しているかなど、いろいろなことがわかり楽しかったです。昭和天皇はとても勇気があり、とても国民のことが好きだったことがわかりました。漫画みたいな話が本当にあっ
た事だと思うととても誇りに思います。
ちなみにこの会見時のエピソードはマッカーサー自身が自分の著書『マッカーサー回想録』で語っています。
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■発行者:授業づくりJAPAN(日本の誇りと歴史を伝える授業づくりの会)
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 ***
いかがでしたか?
小学校6年生の授業です。
いまどきの小学校は、ある意味多国籍になっていて、肌の色の白い子や黒い子、あるいは、あきらかに東南アジア系、大陸系などとわかる子たちが集っています。
その子供たち全員が、こうした授業を受けることによって、自分の両親(もしくは片親)は、外国籍にあっても、自分自身が日本に生まれたこと、日本人であることに感激し、感動し、親元の祖国と同様に、心から日本を愛するように育ちます。
そのことは、子供たちが、素直な心で書いた感想文に、毎度、よく現れています。
子供たちに反日や侮日、あるいは過去の歴史への恨みつらみを教えたり、
外国を讃え、日本を貶める、という比較や差別心を植え込んだりする教育と、
愛すること、人として大切なこと、行われた真実を心を込めて教えることと、
結果として子供たちには、どのような未来が待っているといえるのでしょうか。
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お読みいただき、ありがとうございました。
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