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←いつも応援クリックをありがとうございます。本論に入ります前に、一部の方にはお知らせしていましたが、15日未明から17日夜に至るまで、尿管結石でウンウン唸っていました。
このためまる3日間、ほとんど仕事が手に付かない状況でした。
おかげさまで、昨夜遅くに、ようやく回復し、今朝から復帰です。
ご心配をいただいた皆様、ありがとうございました。
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さて、ここからが今日のテーマです。
日本史には、二つのターニングポイントがあります。
それが「7世紀」と「19世紀」です。
「7世紀」には、Chinaからの外圧によって国内が統一されました。
そして「大化の改新」が行われて日本が天皇のもとに統一されています。
「19世紀」には欧米列強からの外圧があって、日本が再び天皇のもとに統一されて、明治に至っています。
これが「明治維新」ですが、これは実は7世紀の大和朝廷の仕組みを、形を変えて復元したものということができます。
「7世紀」の大化の改新で、もっとも大きな出来事は、天皇を国家最高の権威とし、政治権力との切り離しを行ったことです。
このことは、実はもっと古い時代にも同じことが起きたのかもしれません。
たとえば、天照大御神様の時代、あるいは大国主神の時代、迩々芸命の時代等、もしそれが1200〜1300年おきに繰り返されている出来事だとしたら・・・などと考えると、日本は本当に、なんと奥行きの深い国なのだろうかなどと思ってしまいます。
さて、この権威と権力の分化ということは、たとえば、Chinaの皇帝を考えると、たいへんにわかりやすいものです。
Chinaの皇帝は、権威と権力の両方を併せ持つ絶対的支配者です。
皇帝が世の頂点にあり、そこから世の中の全てが上下と支配と隷属の関係におかれます。
Chinaにはもともと「天帝思想」があって、その天帝は、天を司る絶対的支配神です。
皇帝は、その天帝から地上世界における絶対的支配権を与えられた人です。
この絶対的支配権のことを「天命(てんめい)」といいます。
Chinaの皇帝には名字、つまり姓がありますが、天命を受けた皇帝が世に厄災を振りまくようになると、天命が別な姓を持つ他の者に革(あらた)まります。
天命が与えられる者の姓が易(か)わることを「易姓」といいます。
天命が革(あらた)まることを「革命」といいます。
この二つの語が並ぶと「易姓革命」になります。

【倭塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第35回 2016/12/24(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
第36回 2017/1/14(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
第37回 2017/2/26(日)13:30〜16:30 第4/5研修室
【ねずさんと学ぶ百人一首】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第 9回 2016/11/24(木)18:30〜20:30 第三研修室
第10回 2016/12/8(木)18:30〜20:30 第三研修室
第11回 2017/1/19(木)18:30〜20:30 第三研修室
第12回 2017/2/ 9(木)18:30〜20:30 第三研修室
易姓革命によって天命を得た者は、天帝のこの世における代理人です。
ですから天帝の名のもとに、この世の支配者となります。
その支配者は、各地の「王」よりも上位の存在ですから、「王」とは区別して「皇帝」と呼びます。
「皇帝」のもとに、王侯貴族兵庶民がいます。
それらのすべては、上下関係で構成されます。
そして上に立つ者は、下の者に対して、常に生殺与奪の権を持ちます。
皇帝は世界の中心ですから、世界の全ては、皇帝ひとりのためだけに存在し、その皇帝のもとに、世界のあらゆるものはかし付かなければならないとされます。
これが中華思想です。
中華のもとでは、皇帝は、地上における美女を独占し、その美女たちの面倒を見る官僚の睾丸を抜き、さらに美女たちの足に幼いころから木型を嵌めて、自立歩行することができないようにします。
私物なのですから、歩けようが歩けまいが関係ないのです。
古代における東洋社会では、Chinaの周辺国は、すべてその中華皇帝から冊封を受けました。
周辺国は、China皇帝の冊封下に入ることで、自国の王としての権威権力を保持しようとしたのです。
ところが日本は、607年の第二回遣隋使において、
日出處天子致書日沒處天子無恙云云
(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)
と国書を送りました。
現代語訳したら、「こっちも天子、あんたも天子、元気ですか?」といった意味の国書です。
日本は、その強大な軍事大国であるChinaに対して、堂々と対等を宣言したのです。
もちろん隋の皇帝(煬帝)は激怒しました。
けれどそのときの隋には、高句麗という強大な軍事国家がありました。
日本の国力をもって、高句麗を包囲しなければならない煬帝は、やむなく次の国書を日本に送りました。
「皇帝、倭王に問う。
朕は天命を受けて天下を統治し、
みずからの徳をすべてのものに及ぼしたいと思っている。
人びとを愛育したというこころに遠い近いの区別はない。
倭王は海のかなたにいてよく人民を治め、
国内は安楽で風俗はおだやかだと知った。
こころばえを至誠に
遠く朝献してきたねんごろなこころを朕はうれしく思う。」
(原文:皇帝問倭皇 使人長吏大禮 蘇因高等至具懷 朕欽承寶命 臨養區宇 思弘德化 覃被含靈 愛育之情 無隔遐邇 知皇介居海表 撫寧民庶 境內安樂 風俗融合 深氣至誠 遠脩朝貢 丹款之美 朕有嘉焉 稍暄 比如常也 故遣鴻臚寺掌客裴世清等 旨宣往意 并送物如別。)『日本書紀』
文で煬帝は、対等な天子と呼びかけた日本の天皇に対して、「倭皇」と呼びかけています。
どれだけ日本の国力を重くみていたかということです。
これに対して日本が煬帝に送った国書の書き出しが、次の言葉です。
東の天皇、敬いて西の皇帝に白す
(原文:東天皇敬白西皇帝)『日本書紀』
現代語に訳せば、「こっち天皇、あんた皇帝」です。
あんたが皇帝というなら、こっちは天皇だぜ、というわけです。
やはりここでも日本は堂々と「対等」を主張しています。
そしてこれが、我が国の外交文書に「天皇」の文字が使われた最初の出来事とされています。
日本は、古来「易姓革命」の国ではありません。
神話の昔から続く万世一系の天皇が、民衆を「おほみたから」とすることを国是とする国です。
ですから「易姓」の必要もなく、「易姓」の必要がないから、日本の天皇には、今も昔も「姓」がありません。
そして日本の天皇は、神話の時代に高天原の天照大御神から、
「高天原と同じ統治をせよ」
と詔されて地上に降臨した迩々芸命を祖先とします。
その迩々芸命は、天照大御神の孫にあたります。
つまり、天照大御神から綿々と続く血統そのものが、天皇の権威です。
そして天皇は、天皇の祭祀を通じて民衆を代表して、神界と人界をつなぎます。
これを「シラス」といいます。
天皇は、国をシラス(知国)ために、その「田から(田んぼで働く天皇のはらから)」である民衆が、豊かに安全に安心して暮らせるようにするために、人々のなかから、臣を選び、親任します。
ですから臣は、政治を司るのに必要な権力を持ちますが、その権力を行使する相手は、「自分の私有民」ではなく、あくまでも「天皇のたから」です。
古代から続くこの日本の形を、あらためて制度として明確にしたのが、大化の改新(645年)です。
大化の改新で敷かれた「公地公民制」は、こうした神代の昔からの日本の形を、あらためて、土地登記と戸籍台帳の作成で明確にしました。
この公地公民制の施行の際に、日本の各地方の土地の名、人々の姓は、漢字二字で書き表すようにとお触れされました。
ですから、いまも、ほとんどの日本人の名字や、地方の市町村の名前は、漢字二字で書かれています。
鹿児島県の志布志市のように、まれに三文字の名称もありますが、これは天智天皇から特別に許された栄えある名称です。
また、8世紀以降に開かれた新田では、「五右衛門新田」のように、漢字1文字〜6文字の様々な名称がありますが、これらは、大化の改新よりも、ずっと後の時代になって開かれた土地であり、名字です。
こうして日本人には、基本的に漢字二字で構成される様々な地名や名字が生まれました。
ですから日本の民衆には、それぞれに姓があります。
そしてその姓の種類は、いまや30万種類もあります。
つまり「数え切れないくらいたくさんの姓」があるわけで、これを「百姓(ひゃくせい)」と言いました。
最近では「百姓」を差別用語だとかいう、お馬鹿な学者や評論家がいますが、それらは日本の歴史をわきまえないか、知らないか、知っていていて嘘を宣伝する狂信者です。
もともと日本では、「八」というのは神数で、「たくさんの」を意味する言葉です。
その「八」よりも、さらに数が多いものを「百」と言い表しました。
ですからここでいう「百」は、文武百官の「百」です。
つまり「百姓」というのは、「数え切れないくらいたくさんの姓」という意味です。
そしてその「数え切れないくらいたくさんの姓」のひとつひとつは、天智天皇によって与えられた栄えある姓です。
だから日本人の名前は、「鈴木一郎」というように、姓が先、名が後になっています。
姓に誇りがあるのです。
そしてその「姓」を代々世襲し、父祖や先祖の御魂のもとに恥じない生き方をする、ということが、日本人の基本的アイデンティティを形成しています。
この考え方は、19世紀の幕末までしっかりと受け継がれました。
ですから江戸時代の武家の領地は、知行地と呼ばれています。
これは「シラス(知らす)を行う地」です。
つまり「知行」というのは、天皇からの預かり物である土地や民衆を、慈しみ守るということです。
ですから大名も、基本、守護大名です。
大名が守護するのは、自分の財産としての土地や人々ではなく、どこまでも天皇の土地であり天皇の民です。
ですから、日本における領主は、私有地私有民を持ちません。
領主が私有地私有民を持たないということは、いわゆる豪農と呼ばれた人たちも同じです。
豪農は、広大な土地を持ちましたが、それは私有田、私有畑としてではなく、どこまでも占有権として、これを保持したにすぎません。
なぜならすべては、天皇からの預かり物だからです。
その預かり物である民が、誰もが豊かに安心して安全に暮らせるように、全力をもって知行にあたることが、人の上に立つ者の役割とされてきたのです。
いまでも、すこしお歳を召された社長さんや、何代目かの世襲の社長さんなどで、「会社はみんなのものだ」と口癖のように仰る方がいます。
誰が見てもオーナー社長なのに、そのように仰るのは、そこに古くからの日本人の知恵があるからです。
そしてその背景をなしているものは、会社は社会の公器であり、社員は天皇からの預かり物だという考え方です。
7世紀の「公地公民」の思想は、こうして1200年の長きにわたって、ずっと受け継がれてきたのです。
ところが、幕末の黒船来航によって、日本は再び、政治面における挙国一致体制が必要となりました。
そこで行われたことが、あらためて天皇のもとに日本を統一するということでした。
これが明治維新です。
ですから「攘夷」も「開国」も、いずれも「尊王」を前提としています。
「尊王」を保持するための手段方法が「攘夷」か「開国」です。
明治政府を、「攘夷」から「開国」に変わったことは、あたかも変節であったかのように解説する人がいますが、これまた不勉強です。
目的はどこまでも「尊王」にあります。
「攘夷」か「開国」かは、現実に即した手段でしかありません。
さて私は、明治維新を振り返ったとき、結果として、天皇の存在を、あたかも「現人神」にしてしまったこと、これは、あってはならなかったことではないかと思っています。
天皇は、どこまでも、神界と人間界をつなぐ、シラス存在です。
このことは「四方拝(しほうはい、よほうはい)」にもあきらかです。
「四方拝」は、毎年元旦に天皇が行われる行事ですが、このとき天皇はまだ夜が明けない早朝に特別の建物に入られ、四方の神々をお招きし、
「国家国民のありとあらゆる厄災は、
すべて私に先にお与えください」
と祈られます。
知らす国において、天皇は臣民を代表して神々と繋がる御役目です。
ですから天皇は、年の初めに神々に、
「ありとあらゆる厄災は、すべて我が身を通してください」
と祈られるのです。
→(参考)天皇の四方拝
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3126.html
ですからどこまでも、神々は神々です。
天皇は、人の身です。
そこを履き違えて、天皇=神としてしまうことは、China皇帝が天帝の代理人(=神)ということと同じになってしまいます。
その意味では、19世紀にはじまる明治の御維新は、実はいまなお現在進行系であるのかもしれません。
というよりも、明治以降に歪んだ天皇現人神論(これではChina皇帝と同じ)や、占領統治によって歪んだ私たちの国の国体を、いまいちど整備し直して、本来のシラス国日本に戻るための大改革が必要ではないかと思います。
では、その大改革とは、どのようなものでしょうか。
もともと日本は、土地も建物も人も、すべては、政治権力の行使をしない天皇のものです。
天皇が「政治権力の行使をしない」ということは、独裁を防ぐために、これは必要な、古代からの日本の知恵です。
ただし、すべてのものは、天皇のものという、これは私権の制限です。
戦後の日本は、個人主義の蔓延で、欲をかいた者が得をするという、欲望社会になっています。
これを根幹から覆すのは、すべては天皇のものとする、つまり日本人は、私権のすべてを天皇にお返しする。
これは、日本の民衆による「私権奉還」です。
この「私権奉還」を実現すると、土地所有などの私権は制限され、公共の福祉が常に優先されることになります。
私権奉還しても、誰も困ることはありません。
所有権が、占有権と名前が変わるだけです。
現に英国ではいまでも、所有権を持つのは英国王だけです。
本来のシラス国日本を取り戻すため、
天上に神々がおわし、
天皇が民を代表して天皇の民を慈しみ、
その天皇に親任された臣が、天皇の民への政治を司り、
民が豊かに安心して安全に暮らせる世の中にしていく。
そこにすこしでも歪みや間違いがあれば、神々は国に天罰を下します。
ところがその間違いを訂正しようとするならば、悪鬼悪神がそれに抵抗します。
その悪鬼悪神とは、人々の私的な欲望のことをいいます。
私的な欲望よりも、私心を持たずに公益を優先する社会にすることが、結果としては人々に幸せを招きます。
そしてそれを実現してきたからこそ、日本は、民度の高い、平和な国家を保持してきたのです。
だいたい、今生限りの命しか持たない人間が、私的利益の独占のために土地や人を私有するという考え方自体が、すこし考えたら誰にでもわかることですが、横暴です。
このことに目覚めることが、実は、「おほみたから」が目覚めるということであり、日本が目覚めるということなのではなかろうかと思います。
日本の神々は、そのことに日本の民衆が気付く日を、ずっと待ち望んでおいでなのではないかと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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