拙記事「トランプ外交に打ち勝つ日本人とは」がView Pointに掲載されました。
http://vpoint.jp/column/76905.html

20161112 皇帝ダリア_th
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先日、日本史検定講座で、加瀬英明先生のご講演をいただいのですが、そのなかで先生が、
「句読点(、。)は、明治以降に西洋の文章のピリオド(,)やカンマ(.)の代用として輸入されたもので、それ以前の日本には存在していなかったものです」
というお話をされていました。
主題は「大東亜戦争は世界をどう変えたか」で、このお話も、別な内容のお話の中で出てきた事柄のひとつなのですが、この「、。」がなかったという点について、すこしお話をしてみたいと思います。
加瀬先生がご指摘の通り、江戸期から、明治中期くらいまでの日本文学(記録を含む)には、かな書き文であっても、句読点がありません。
たとえば樋口一葉の『たけくらべ』ですと、
 ***
廻れば大門の見返り柳いと長けれどお齒ぐろ溝に燈火ともしびうつる三階の騷ぎも手に取る如く明けくれなしの車の行來ゝにはかり知られぬ全盛をうらなひて大音寺前と名はくさけれどさりとは陽気の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦もなくかたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や商ひはかつふつ利かぬ處とて半たる雨戸の外にあやしき形なりに紙を切りなして胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし・・・
 ***
といった具合に、文中に句読点がありません。
20161026 倭塾バナー

【倭塾】(江東区文化センター)
第34回 2016/11/12(土)18:30〜20:30 第4/5研修室
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【ねずさんと学ぶ百人一首】(江東区文化センター)
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第11回 2017/1/19(木)18:30〜20:30 第三研修室


また、弥次さん喜多さんで有名な江戸文学の『東海道中膝栗毛』ですと、
 ***
武蔵野の尾花がすゑにかゝる白雲と詠しはむかしむかし浦の苫屋鴫たつ沢の夕暮に愛て仲の町の夕景色をしらざる時のことなりし今は井の内に鮎を汲む水道の水長にして土蔵造の白壁建つゞき香の物桶明俵破れ傘の置所まで地主唯は通さぬ大江戸の繁昌他国の目よりは大道に金銀も蒔ちらしあるやうにおもはれ・・・・
 ***
といった具合です。
平安文学で有名な『枕草子』なら、
 ***
春は曙やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて紫だちたる雲の細くたなびきたる夏は夜月の頃はさらなり闇もなほ螢(ほたる)飛びちがひたる雨など降るもをかし秋は夕暮夕日のさして・・・
 ***
となっています。
ですからもちろん古事記や日本書紀にしても、たとえば古事記なら
「於是天神諸命以詔伊耶那岐命伊耶那美命二柱神修理固成是多陀用幣流之国・・・」
となっています。
文に切れ目がないのです。
では、どうして文に切れ目がないのでしょうか。
たとえば上にご紹介した『古事記』の書き出しなら、
「於是、天神、諸命以」
(ここにおいて、天つ神、もろもろのミコトもちて)
なのか、
(ここにおいて、もろもろの天つ神の、ミコトもちて)
と読み下すのか、これは読む側が一語一語、考えて読まなければなりません。
『枕草子』も同じです。
たとえば「春は曙やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて」の「白くなりゆく」は、曙が白くなりゆくのか、山際が白くなっていくのか、そこをちゃんと考えながら、頭の中で自分で構造を組み立てながら、やはり一語一語をしっかりと読んでいくことになります。
では句読点に相当するものが昔はなかったのかというと、そんなことはなくて、たとえば仮名文字文学であれば、草書体で筆字が連なる(文字が続く)わけです。
その文字の切れ目が、いわば句読点にあたったし、
あるいは、改行によって、事実上の句読点の役割を担わせたりもしています。
つまり、句読点に相当するような「やり方」や方法は、実はあったわけです。
にも関わらず、私たちの祖先は、文章を書くときに、意図的に句読点や、改行、文字開けなどを「使わないで」文章を書きました。
なぜでしょうか。
明らかに読点があったほうが文章が読みやすいであろうに、どうして、そうはしなかったのでしょうか。
実はこのことには、明らかな理由があるのです。
文は、縦横斜の三次元の立体構造に、さらに時間軸を加えた四次元世界を、一次元の文章で説明しようとするものです。
つまり、文で何もかも説明したり、伝えたりすることは、不可能なことです。
ですから同じ「愛してる」でも、
「愛してるよ(怒)」
「愛してるよw」
「愛してるよ?」
では全然意味が違うし、現実の世界では、その言葉がどういう表情で、あるいはどういう雰囲気の中で伝えられたかによって、与える印象はまるで異なったものになります。
加えて、「書けること」というのは、多くの場合「建前」であって、いわゆる「ホンネ」というのは、書けない場合が、多々あります。
つまり、真実を知るためには、読み手に「行間を読む」という力がなければ、本当のことは伝わらないのです。
これが東洋の古典文学全般に共通する事柄ですし、特に日本語の古典においては、その「行間を読む」ということが、とっても、というよりは行間を読むことそのものが「ものすごく」大事にされてきたのです。
これはすこし考えたら、誰にでもわかることです。
書かれたものが常に真実であるなら、捏造慰安婦問題や、ありもしない南京虐殺のことを「あった」として書いているものは、たくさんあるのです。
「書かれたものが真実」であり、
「書かれたものを引用して出典を明らかにすることこそが大事なこと」
とするならば、慰安婦も南京も、「あった」と書いているものがあり、そしてそれを引用したことが根拠となって、それらは、「真実」ということになってしまいます。
これはトラップです。
そういうウソを、行間をしっかり読むことで、ウソの記述はウソの記述としてしっかり見抜く力を身につけることこそが、人が生きる上において、大切なことということができます。
書いて有ることを鵜呑みにするだけなら、何の役にも立たないのです。
たとえば実語教にしても、その出だしは、
「山高きが故に貴(たつと)からず」
ですけれど、文字通り(額面通り)の「書いてあること」だけが大事なら、そこに見えている山は、家の屋根より高いけれど、別段貴いものじゃない、というだけのツマラナイ意味にしかなりません。
けれどここで伝えようとしている事柄は、「身分が高いからといって偉いわけじゃない」とか、「お金持ちだから」、あるいは「権限や権力を持っているから」、偉いわけじゃないし、貴いわけでもない。
人の貴さというものは、もっと別なところにある、ということを言っているわけです。
一語一語について、そのような言葉の背景や意味を深く考えて読む。
そこを大事にしようじゃないか、ということが「行間を読む」ということの意味ですし、また、そうすることによって、自分自身が生きる上においてたいせつな情報を、そこから得ることこそが大事にされてきたのです。
そもそも「何のために読むのか」といえば、もちろん「楽しみのため」とか、「読むことが好きだから」といったこともあるでしょうが、それ以上におそらく多くの人は、
「何かを得るために」
読んでいるのだと思います。
読むことは学ぶことであり、何のために学ぶのかといえば、学びを通して世間のお役に立てるように自分自身が成長していくためです。
そしてそのことは、普通に考えたら誰でもわかることですが、書いてあることを額面通りに受け取ったり、丸暗記することではないはずです。
お経の読み方に、「口読(くどく)、心読(しんどく)、色読(しきどく)」というものがあります。
口読は、ただ声に出して唱えること。
心読は、経を心に刻んで読むこと。
色読は、それを身に付け、実際に自分で体現しながら読むこと、です。
文学を読むということも、記録を読むこともまた同じです。
和泉式部の有名な歌
 あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな
これを、ただ丸暗記するだけではなく、この一首の歌を通じて、和泉式部の人生そのものにまで立ち至って、そこから感動とともに学びを得る。
その時代を知り、人として大切なことは何かを学び、それを自分の人生の中で、誰かのために活かしていく。
そこが大事なのであって、ただ「読んだ、暗記した」というだけでは、それは学んだことにも、勉強したことにもならないと考えられてきたのが、実は、日本という国家の文学そのものであったわけです。
そして、そういうことを大切に育もうとしてきた社会であったからこそ、文章には、あえて「句読点を入れない」という書き方が、標準とされてきたのです。
加瀬先生が、その講義の中でおっしゃっていたことがあります。
「江戸時代まで、日本には文部省というものはなかった。」
教育というものは、国が人々に与えるものではなくて、国(当時は幕府やお大名)は、育った人や学問を採用するだけでした。
一定の学がなければ、採用しないだけです。
どこそこの有名学問所を出たといっても、使い物にならなければ採用されないだけです。
採用されないような学問所は、行っても仕方のない学問所ですから、そういうところは廃れます。
それだけのことです。
だからこそ、学問所は、出来得る限り生徒たちを使える人材に育てようとしました。
その評価は、社会が行うのです。
それがいまでは、有名大学に入るためにすることが勉強になっています。
入れたら、それで学問の目的が達成されたことになってしまっています。
これはおかしなはなしです。
なぜなら学問は、より多くの人々の役にたてるように使われて、はじめて「役にたった」ことになるからです。
東南アジアの貧しい国々では、雨漏りのする粗末な掘っ立て小屋の中で、ノートや鉛筆を買うことさえもできない子どもたちが、姿勢をただし、背筋を伸ばして真剣に先生の言うことを聞き、学び、覚えようとしています。
勉強することが、楽しくて仕方がないし、先生は、親と同様に尊敬される人です。
なぜそうなるのか。
国定教科書なんてありません。
先生は、子どもたちが、凛々しく行きていけるように、そして大人になって立派な社会人となって、いまある貧困からひとりでも、一歩でも抜け出てもらえるようにと、真剣になって子どもたちを育てている。
ただそれだけです。
そして子どもたちも、その先生の期待に答えようとしているから、授業が、もう白刃を交えるような真剣勝負になっています。
貧しいからそうなるのではありません。
いまでも、世界における教育とは、日本を含む特定アジアの一部の国以外は、みんなそうしているのです。
戦後生まれの私たちは、
教育は、国が行ってあたりまえ。
文字は、句読点があってあたりまえ。
行間を読むなんて必要ない。書いてあることを正確に覚えることがあたりまえ。
等々と考えています。
けれど本当にそうなのでしょうか。
「あたりまえ」の反対語は、「ありがとう」です。
「ありがとう」と感謝し、「ありがとう」と言われる自分に、一生をかけて成長を続けていきたい。
そんなふうに思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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