本日、第8回「ねずさんと学ぶ百人一首」開催日です。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3169.html

20161018 天野康景
(画像はクリックすると当該画像の元ページに飛ぶようにしています)

人気ブログランキング ←いつも応援クリックをありがとうございます。
天野康景は、徳川家康の家臣で、駿河の高国寺に1万石の知行地を与えられていたお殿様です。
その天野康景の領内で、ある日城普請に使うために保存しておいた「竹」を、大勢の農民たちが盗みに来るという事件が起こりました。
番をしていたのは、ひとりの足軽です。
足軽は農民たちを下がらせようとしました。
けれど多勢が相手です。
こちらを守れば反対側から盗まれる。反対側を守ればこちらを盗まれる。
やむなくその足軽は、農民のひとりを斬りました。
びっくりした農民たちは慌てて逃げて行きました。
翌日、農民たちの一部が、代官所に訴えを起こしました。
代官は驚いて、天野康景に取調べのため犯人を引き渡すようにと使いを出しました。
天野康景は答えました。
「城の用材を守ろうとした者に罪はない。
 もし罪があるとしたら、
 その罪は命じた私にある。
 番人の足軽に罪はござらぬ」
20160810 目からウロコの日本の歴史

【倭塾】(江東区文化センター)
第34回 2016/11/12(土)18:30〜20:30 第4/5研修室
第35回 2016/12/24(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
第36回 2017/1/14(土)13:30〜16:30 第4/5研修室

【ねずさんと学ぶ百人一首】(江東区文化センター)
第8回 2016/10/20(木)18:30〜20:30 第三研修室
第9回 2016/11/24(木)18:30〜20:30 第三研修室
第10回 2016/12/8(木)18:30〜20:30 第三研修室
第11回 2017/1/19(木)18:30〜20:30 第三研修室


報告を受けた代官は、家康に上奏して判断を仰ぎました。
家康は「罪は足軽にある」と言いました。
トップである家康の判断を得た代官は、天野康景に、
「君命である」
と、あらためて足軽引き渡しを求めました。
天野康景は、
「どのように言われても足軽に罪はない。
 家臣だから君命に従えというのなら、
 私が家臣でなくなれば良いのであろう。
 1万石はご返上申し上げる」
と言って、高国寺を去って浪人になりました。
家康はこの報告を聞いて、失ってはならない家臣を失なったことに気付きました。
代官は、処分され、更迭されました。
さて、この話には、いくつかのポイントがあります。
そのことについて、触れてみたいと思います。
まず、農民たちがなぜこのとき竹を集団で盗みにきたのかです。
その事情は、この話に伝わっていません。
ただ、そこまでの行動に農民たち踏み切らせたには、それなりの事情があったであろうことは、容易に想像がつくことです。
なぜなら「竹」がなければ困ったからこそ、農民たちは城にやってきたからです。
そしてもし、農民たちが冷静に「竹を少し分けてもらえないか」と城に申し出、それなりに彼らの事情が明らかになれば、殿様である天野康景は竹を分けたかもしれません。
ところがそこが門番の哀しさです。
警固をしていた足軽に与えられていた任務は、あくまでも保存していた竹の警固です。
竹を分け与えるという権限は与えられていません。
話を上につなげば、という見方もあろうかと思いますが、それは警固の足軽にすることではなくて、別の窓口に申請すべきことです。
ところが集団でやってきた農民たちは、そこがわからない。
目の前に積み上げられた竹があり、頑として竹の引き渡しを拒否する足軽という現実しか見えていません。
だからこそ勢を頼みに、つい手が出てしまったことは、十分にありえることと思います。
それでもみ合いになる。
結果、足軽はひとりの農民を斬ってしまう。
すると、事情の如何を問わず、「斬った」という結果だけが残ります。
このことをもとに、人殺しだ、と代官所に訴える者が出てくるわけです。
いまでもよくある話です。
もともとの原因をたどれば、ちゃんとした窓口に事情を話して、普通に竹を分けてもらおうとしないで、いきなり目の前の竹を奪おうとした一部の農民たちの行動に問題があります。
ところが、そういう経緯を一切無視して、ただ「殺されました」と被害者を装う。
こうして加害者と被害者が入れ替わる。
日華事変や満洲事変、あるいは大東亜戦争、あるいは近年のイジメ問題等々、似たような事例はいつの世にもあります。
もとの事情がわからない代官は、目の前にある「人殺しがあった」という事実だけをみて、その者の処罰をしようとしました。
事情を知らず、結果だけを見て判断しようとする。
代官は、事件を単なる「警備の足軽による農民殺害事件」としてしか捉えていません。
一方の天野康景は、この事件を施政の責任とわきまえています。
なぜ施政の責任かというと、農民たちが大量の竹材を必要としているということは、そこに何か窮状があったということです。
それを事前に察して、揉め事が起こらないようにするのが、殿様の努めです。
それが不十分だったから、揉め事が起きたという反省が天野康景にはあります。
反省があって責任を負おうとする天野康景、単に斬死という事実の前に法に基づきただ反応しただけの代官、両者の器には、大きな違いがあります。
足軽の引き渡しに応じない天野康景について、代官は家康に「どのようにいたしましょうか」と判断を仰いでいます。
これは代官云々よりも、家康の偉いところです。
家康は、「みずからに不都合なことであっても、包み隠さず、ちゃんと報告できる」という家風を、日頃からちゃんと築いていたということだからです。
だからこそ家康は、誰もが納得する天下取りになれたのだと思います。
ところが、代官の報告は、事の経緯を仔細につかまずに、ただ「足軽が人を斬った」という事実だけに反応しています。
それで天野康景に足軽の引き渡しを断られたからと、家康にお伺いをたてるという反応をしています。
これではパブロフの犬と同じです。
斬ったという刺激があって、犯人を引き渡せと反応する。
引き渡しを断られるという刺激を受けて、家康に報告と反応する。
刺激を受けて反応しているだけで、刺激と反応の間に、代官としてなすべき事実関係の正確な確認とそれについての判断が抜けています。
これを「小役人」といいます。
マニュアル通り。わからなかったら上に聞く。
行ったジャッジは、マニュアルに従い、上に判断を仰いだものだから、自分は一切の結果責任を負わない。
これをのさばらせたら、徳川の治世は、無責任役人がのさばる治世となり、民衆には不満が生まれ、不満は民のストレスとなり、それはやがて大きな力となって、国内的な力学で徳川政権は崩壊し、世は再び戦国の世に戻ってしまうことでしょう。
ところが一方で、仔細なことでも相談してくる部下というのは可愛いものです。
家康でさえも、その可愛さから、「罪は足軽にある」とミス・ジャッジをしてしまいました。
そしてそのミス・ジャッジを引き出した代官は、天野康景に対して高圧的に足軽の引き渡しを命じてしまいました。
その結果、天野康景は、一万石を返還し、浪人しています。
さて、一万石の大名が、碌(ろく)を返上したとなれば、これは一大事ですから、当然、先ほどの代官とは別なルートから、家康に報告があがります。
その結果、家康は、自分が代官の片務的な報告によってミス・ジャッジをしたことに気付きます。
そこで、みなさまに質問です。
「気付いた時点で、どうして家康は天野康景を呼び戻そうとしなかったのでしょうか」
答えは、「できない」です。
なぜなら、足軽が刃傷沙汰を起こしてしまう原因を作ったのは、まさに天野康景の責任です。
そもそも農民たちが竹を盗みに来なければならない情況を作ってしまったことは天野康景の責任であるし、その窮状に気づかずに、農民たちがくるかもしれないということを予測せず、番人をひとりだけにしておいたということもまた、天野康景の責任です。
家康としては、これを見過ごすことはできません。
これを赦したら、家康は施政の甘えや身勝手を容認したことになります。
けれど、一方において、部下の行動の責任を一身に背負って出奔した天野康景の、その決断力と、責任感は、とても立派なものです。
戦乱の世を終わらせ、これから新しく安定した治世を築こうとする家康にとって、必要なことは、権力を与えたときに、その責任をしっかりとまっとうできる人材と、それを可能にする体制です。
小役人は、役所の兵卒にはなれても、奉行や代官にすることはできないのです。
奉行や代官は、権力を持ちます。
権力を持つものは、しっかりとした責任感を持ち、その責任を自覚して行使できる者でなければならないし、それを求める体制を築かなければ、徳川の体制は盤石とならないのです。
天野康景は浪人し、その年のうちに神奈川県足柄の西念寺にはいって出家し、6年後に死去しました。77歳でした。
けれど息子の康宗は、あらためて千石取の旗本として起用されました。
そして家は幕末まで、存続しています。
同級生に、その子孫となる天野君がいました。
彼はとっても体格の良い好男子で、ご先祖が鎧武者となって戦国時代を駆け抜けたであろうことが容易に想像できるような男でした。
一方、ちゃんとした調べもせずに、ただ法を額面通りにしか解釈できなかった代官は、家康に目通りが許される直参旗本から、非直参の御家人へと降格されました。
彼は、御定法を守ったし、家康への報告もきちんとしたけれど、額面通りに処罰するだけなら、代官の任には不適格とみなされたのです。
現代社会も同じです。
犯罪を犯した者を逮捕し、法で定めた通りに処罰するだけなら、教師も警察も要りません。
なぜならそれは、どんなに法や規則を破っても「捕まりさえしなければ構わない」という世相を生み、人の上に立つ者であっても、マニュアル通りにしさえすれば責任を負わなくても良いという世相を生むからです。
必要なことは、権力と責任の両立。
そして、民の情況を察し、事前に手を打って問題そのものが起こらないように察する能力です。
そのためにこそ、政治も行政も司法もあります。
どこかの市のように、賞を取り消しておいて見苦しい言い訳をしているような小役人では市長は務まらないのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
※この記事は2014年10月の記事のリニューアルです。

20151208 倭塾・動画配信サービス2

人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」
 http://goo.gl/WicWUi
「耳で立ち読み、新刊ラジオ」で百人一首が紹介されました。
 http://www.sinkan.jp/radio/popup.html?radio=11782
ねずさんのひとりごとメールマガジン。初月無料
 http://www.mag2.com/m/0001335031.html


【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓  ↓
ねずブロメルマガ

コメントは受け付けていません。