20161018 ススキとセイタカアワダチソウ
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この「ススキとセイタカアワダチソウのお話」は、ねずブロをはじめた頃から、毎年掲載しているお話です。
ススキは日本古来のイネ科の在来種。
セイタカアワダチソウは、戦後に米国から渡ってきた外来種です。
そのセイタカアワダチソウが、日本の野山を席巻するようになり、20年ほど前には日本の秋の景色をすっかり様変わりさせてしまっていました。
実は今月15日は、旧暦の9月15日でした。
つまり「十五夜お月さま」の日でした。
江戸時代の俳人、加賀の千代女に有名な句があります。
 何着ても 美しうなる 月見かな
江戸時代、庶民の暮らしはお月見だからといって着飾るというものではありませんでした。
けれど、明るい満月のお月さまの光のもとで、普段着のままお月見を祝う女性の姿は、誰もがとても美しく輝いて見えたと、そんな歌です。
そのお月見では、縁側にススキの穂とお団子をお供えして、月見を楽しむというのがならわしでした。
なぜススキなのかというと、それが季節の植物で、十五夜のお月さまに似合うというだけでなく、ススキが根茎穂にいたるまで、そのすべてが人々の生活に役立つものであったからです。
20160810 目からウロコの日本の歴史

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ススキは「茅(かや)」と呼ばれて茅葺(かやぶき)屋根の材料になったし、そのためにススキは栽培されて、その栽培場所が「茅場(かやば)」と呼ばれました。
そう。東京証券取引所のある、あの「茅場町(かやばちょう)」は、もともとは、ススキの栽培が行われていた場所です。
また、穂は家畜の食用になったし、根は解熱、感冒の漢方薬となりました。
それくらい人々と仲良しだったススキなのですが、戦後、穀物と一緒に米国からやってきたセイタカアワダチソウによって、一時は絶滅寸前にまで追い詰められました。
戦後の日本は、極端な食料不足に悩まされたのですが、このとき米国から大量の食料を補充してもらいました。
私たちが子供の頃は、学校給食でコッペパンと脱脂粉乳が定番だったのですが、このパンと粉乳が、いずれもアメリカからの輸入品でした。
こうした食料に混じって、渡来したのが、セイタカアワダチソウです。
セイタカアワダチソウは、北米大陸の大地で進化したキク科の植物です。
北米の痩せて乾燥している厳しい自然の中で生き延びるように、密生し群生し、根から毒物を垂れ流して他の植物を寄せ付けないで、自分たちだけが繁殖できるように進化した強靭な植物です。
そんな強靭な植物が、土地の肥えた日本にやってきたからたまりません。
セイタカアワダチソウは、またたくまに全国を席巻していきました。
ある年セイタカアワダチソウの種が俟(ま)ってきて、空き地にポツンと黄色い花を咲かせたと思ったら、翌年には群生をはじめ、数年経つとその空き地が密生したセイタカアワダチソウに覆われました。
高さは1~2.5メートルほどで、よく肥えた土地だと4メートル近い背丈に成長し、他の日本古来の在来種の秋の草花をことごとく蹴散らしたのです。
セイタカアワダチソウは、密生して他の植物を排除するだけでなく、根から地中に毒素をまき散らすのです。
この毒によって、植物だけでなく、モグラやミミズのような生き物さえも住めなくしてしまいました。
セイタカアワダチソウは、とても排他的でした。
とにかく自分たちだけが繁殖できれば良いのです。
しかも痩せた土地からやってきたセイタカアワダチソウにとって、日本の野山は、栄養が豊富です。
このうえもなく住み良い土地です。
彼らは彼らのコミュニティをつくり、彼らだけの繁栄を謳歌しました。
そしてその分、日本古来の在来種は排除されました。
一方的に土地を奪われ、絶滅の危惧にまでおよぶようになっていったのです。
こうなることを予測した学者もいました。
彼らは論文を発表し、さかんに警鐘を発しました。
いまからもう50年くらいも前のことです。
国にも訴えました。県にも訴えました。
けれど国も県も、行政はまるで動こうとしませんでした。
困った学者さんは、苦肉の策として、なんと当時少年たちに絶大な人気のあった少年マガジンや少年サンデーの巻頭のカラーページでセイタカアワダチソウの脅威を紹介しました。
子供たちに未来を託したのです。
けれど、当時の少年たちに何ができるわけでもありません。
国のお偉いさんになる「できの良い子」は、そもそもマンガ本なんて読まなかったし、学校では日本は良くない国だ。日本なんてオクレタ国だ。日本なんかなくなったほうがいいと教わったし、「できの悪い子」は、ヒッピー、ロックに、ジャズにヘロイン、自由、ドリームなどなど、なんでもかんでもアメリカ第一というアメリカ神話に染まっていきました。
ですから未来を託された少年たちも、大人になってからも何もしませんでした。
国も地方公共団体もまったく動かなかったし、大人になったかつての少年たちも、野山に蔓延するセイタカアワダチソウを見て、「もとからある秋の風物」くらいにしか思わなくなりました。
ようするに、何もしなかったのです。
こうしてセイタカアワダチソウは、日本列島全域を我が物顔に占領していきました。
バブルの頃、日本列島は好景気に湧きました。
大学の卒業コンペがあるというと、企業からポンと200万円くらいの現金が学生たちに与えられ、若い日本人のOLさんたちが、ガラパゴスやアフリカ、エジプトにまで海外旅行のバカンスを楽しみました。
一方で、日本列島の秋の景色は、昔の景色から一変したものとなりました。
野山や河川敷には「セイタカアワダチソウ」があふれ、秋を彩ったススキやコスモスやナデシコたちは、ほんの片隅に追いやられました。
セイタカアワダチソウは、密生して大繁殖し、地下50センチくらいまで深々と丈夫な根を張り、根から大量の毒素を吐き散らしました。
毒素は他の植物を枯らし、土中のモグラやミミズなど、土地を豊かにしてくれる動物や虫たちまで殺しました。
おかげでセイタカアワダチソウが繁殖したところでは、日本古来の草花だけでなく、モグラやミミズまでいなくなりました。
ちょうどその頃のことです。
私は海岸の岩場の近くの砂利道で、迷子になっているモグラを見たことがあります。
セイタカアワダチソウに野原を奪われ、岩場に出てきたのでしょう。
そんなところにモグラの餌などありません。
そのモグラは、おなかを空かせてガリガリになって、それでも一生懸命砂利の中を掘っていました。
近くにはセイタカアワダチソウが群生していました。
セイタカアワダチソウは、先端の密集した黄色い花から、大量の種子を四方八方に飛ばしました。
季節がかわって、ようやくセイタカアワダチソウの地上部分が枯れたと思っても、奴らは、地下の根茎から新らしい芽を湯水のように出しながら越冬しました。
そして翌年になると、その地下茎の芽から続々と発芽し、空き地を我が物顔に占拠しました。
そこから飛んで行った種子で、さらに近隣に領土を広げました。
セイタカアワダチソウには、郷に入って郷に従おうとか、他の草花との共生を図ろうなどという意思が、カケラもありません。
自分たちだけが生き残れれば、それで良いのです。
そのために、日本の在来種がどうなろうが知ったことではなかったのです。
その意味では、セイタカアワダチソウは、かつて北米に800万人いたインデアンを駆逐してしまった白人に似ていました。
あるいは戦後日本を席巻した反日プロパガンタにも似ています。
あるいは一部のChineseやKoreanにみられる傲慢さにも似ています。
そういえば、ロサンジェルスやサンフランシスコ、バンクーバーなどにあったジャパンタウンは、いつの間にかジャパンタウンとは名ばかりで、そこはいかわがしい売春やアダルト販売店ばかりの実質コリアタウンになってしまいました。
これもまたセイタカアワダチソウとよく似ています。
それでも国は何もしない。
地方行政も動かない。
そして野山がセイタカアワダチソウ一色に染まって行くという状態が続きました。
そして少年マガジンに掲載されてから、まる50年が経ちました。
ところが近年になって、不思議なことがおこりはじめました。
なるほどセイタカワダチソウは、我が物顔に日本で繁殖したのです。
ところが彼らが根から出す毒素が地中に溜まり、こんどはその毒素が彼ら自身を滅ぼしはじめたのです。
一方でセイタカアワダチソウに絶滅されたはずのススキは、地中深くにあった根が生き残り、セイタカワダチソウの出す毒素を体内に取り込み、分解しました。
そして自滅をはじめたセイタカワダチソウに替わって、セイタカアワダチソウの群生地に再び芽を出し、繁殖をはじめたのです。
こうして年々勢いの衰えるセイタカアワダチソウに代わって、再びススキが、野原に戻り始めました。
そしてススキが土中の毒素を分解することで、日本古来の秋の草花であるキンモクセイや山茶花、ミセバヤ、そして近代になって日本にやってきたコスモスなどが、再び野原に咲くようになってきたのです。
もちろんその中にはセイタカアワダチソウもあります。
けれど彼らにかつての独占的な勢いはありません。
他の草花たちと、ゆるやかな共存を営むように、彼らも変化したのです。
そして、ミミズも、モグラも再び帰ってきました。
鈴虫も帰ってきました。

コスモス1025

日本はとても不思議な国です。
人気のない場所に設置された自動販売機が、壊されずに営業を続けることができるのは、世界で日本だけなのだそうですが、日本という不思議な環境に、様々な外来の植物や文化がはいってくると、最初のうちは、地味の肥えた日本で、まさにセイタカアワダチソウと同じように、傍若無人に、我が物顔に世の中を席巻するのです。
ところが傍若無人であり、自己中であり、自分さえ良ければという我欲は、日本という国の風土のなかで、不思議なことにいつのまにか自滅していきます。
そして気がつけば、それらが日本の一部となって、日本の文化の担い手のひとつとして同化していきます。
日本人は、過去に固執せず、いまある状態を素直に受け入れて、そこに過去の素晴らしいものを取り入れることで、未来に活かして行くと言われています。
それは、ススキが野山を追われながらも地中に根を残し、セイタカアワダチソウの毒素を吸収して、なおもそこから立ち上がった姿に似ています。
おそらく、現状を憂いたり否定したりするだけでは、何も生まれないのです。
あらゆることは神々の思し召しと考え、そこからさらに立ち上がっていく、よりよい状態を築いていく。
それが日本的笑顔の精神なのではないかと、そのようなことをススキとセイタカアワダチソウの戦いを通して、学ばせていただいたような気がします。
お読みいただき、ありがとうございました。
20151208 倭塾・動画配信サービス2

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