20161005 エスニック・ジョーク
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よく知られたジョークです。
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【スムーズに乗客を海に飛び込ませる方法】
イギリス人「紳士はこういうときに飛び込むものです」
アメリカ人「今飛び込めばあなたは英雄ですよ」
ドイツ人「規則で海に飛び込むことになっています」
イタリア人「さっき美女が飛び込みましたよ」
フランス人「決して海には飛び込まないでください」
ロシア人「ウオッカのビンが流されてしまいました、今追えば間に合います」
北朝鮮人「将軍様が飛び込めと仰っています」
Chinese「おいしそうな魚が泳いでますよ」
日本人「みなさん飛び込んでいますよ」
Korean「日本人はもう飛び込んでいますよ」
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大爆笑のジョークですが、こうしたものは「エスニック・ジョーク (英: ethnic joke)」と呼ばれます。
それぞれの民族性や国民性を端的にあらわすジョークで、1970年代に世界的に普及したものなのだそうです。
単なるジョークですから、これを差別的発言だなどと言って目くじらをたてる人も当時はいなくて、誰もが笑って楽しみあったものです。
ジョークに解説というのもおかしな話なのですが、それぞれの国や民族が、ではどうしてこのような特徴を持つのか、少しお話してみたいと思います。
ちょっとおもしろいかもです。
20160810 目からウロコの日本の歴史

【倭塾】(江東区文化センター)
第33回 2016/10/8(土)13:30〜16:30 第1/2研修室
第34回 2016/11/12(土)18:30〜20:30 第4/5研修室
第35回 2016/12/24(土)13:30〜16:30 第4/5研修室

【ねずさんと学ぶ百人一首】(江東区文化センター)
第8回 2016/10/20(木)18:30〜20:30 第三研修室
第9回 2016/11/24(木)18:30〜20:30 第三研修室
第10回 2016/12/8(木)18:30〜20:30 第三研修室


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◆イギリス人「紳士はこういうときに飛び込むものです」
英国は、もともとケルト人の国でした。
ケルトは多神教で、様々な生き物たちに精霊が宿ると考えます。
よく西洋の童話に出てくる黒い服を来て鼻の長い典型的な魔法使いのおばあさんの姿は、そんなケルトの医者の一般的な服装がモチーフになっています。
映画の指輪物語やハリーポッターシリーズなどに描かれた世界が、簡単にいえばケルトの世界観です。
そのケルトの国である英国に、フランスにいたノルマンディ公が上陸し、そこを征服しました。
そしてイギリス王室の開祖となりました。
けれど国内には、もともとの住民たちとの軋轢が残りました。
ところがそのイギリスが、フランスと14世紀から15世紀にかけて百年続く戦争になりました(百年戦争)。
国と国との戦争です。
負ければ、イギリス王だの先住民だのと言っていられません。国自体がなくなるのです。
そこで上陸したノルマンディ公の親族や部下たちで構成するイギリス貴族(公侯伯子男爵)の下に、新たにジェントリィ(gentry)という階級を造りました。
日本語訳は郷紳です。
貴族に準ずる力をもった地主といった地位です。
そして地元民にとって、ジェントリィは、とても価値のある地位とされました。
さらに百年戦争のあと、30年続く薔薇戦争(1455–1485)という大規模な内乱によって、英国貴族の数が大幅に減少しました。
こうなると、英国王室は、その権力を維持するために、むしろ積極的にジェントリィ層を地方のエリート層として扱うようになります。
こうして、英国においては、ジェントリィから転化したジェントルマンとなることが、極めて名誉なこととされるようになるわけです。
そしてジェントルマンは、どんなときでも勇敢で、社会的尊厳があり、地方の名士であり、自分の利益よりも人々の利益を大切にする誇りある存在としての地位を獲得していきました。
ですからいまでも、英国においては、ジェントルマンであることは、イコール、名誉なことという意識が定着しているわけです。
◆アメリカ人「今飛び込めばあなたは英雄ですよ」
米国は移民の国です。
インデアンを倒して大陸を征服した白人たちは、相次ぐインデアンとの闘争の中で、不条理を銃で言うことをきかせる暴れ者たちをたくさん生みました。
これは日本でも同じで、関ヶ原のあとに、戦い、生き残った若者たちが、傾奇者と呼ばれる乱暴者集団となっていったこと、戦後の荒廃した時代に、愚連隊と呼ばれる伝統的仁義を持たない新式ヤクザ(暴力団)が生まれたことと同じです。
米国においても、ベトナム戦争後に、こうした荒廃した若者たちが社会問題化しています。
開拓時代の米国は、相次ぐインデアンたちとの戦いの中で、やはり同様な無頼の輩を生みましたが、そうした無頼漢から市民を銃で護ったのが、シェリフなどのヒーロー(英雄)であったわけです。
ヒーローは、必ず強大な敵を必要とします。
恐ろしくて強大な敵を倒すからヒーローなのです。
これが米国の伝統となり、いまも、ヒーローであることは、米国人にとっての名誉となっています。
そしてこの「常にヒーローは、強大な悪を必要とする」という意識が、戦後においては、日本を悪玉に据え置くという展開にも繋がっています。
日本におけるGHQの行動原理も同じです。
旧帝国陸海軍や、特高警察を所轄した内務省を日本国民にとっても「強大な敵」という認識を、米国内だけでなく、日本国民にさえ刷り込むことで、その「強大な敵から平和を愛する日本国民を守るヒーロー」の地位にGHQが就こうとしています。
先の英国における紳士もそうですが、米国にとっての英雄も、ひとことでいうなら、その国の国民の基本的な認識方法であり、国民性を育むものととなっているということができるわけです。
◆ドイツ人「規則で海に飛び込むことになっています」
ドイツは、ゲルマン民族が、もともとそこに住んでいたケルト民を追い払い、また混血してできた民族で、中世においては、小さな農場主が各地で領邦国家を名乗る地域となっていました。
ところが17世紀の三十年戦争(カトリックと新教の宗教戦争)で、その領邦国家が互いに争ったために、国土が徹底的に破壊され、1600万人いた人口が、この戦争で600万人にまで減少するという事態を招きました。
そうした中にあって、三十年戦争終結後である1667年に、プーフェンドルフ (Samuel von Pufendorf) が『ドイツ帝国憲法について』という書を著し、これに基づいて18世紀にはプロイセンがドイツに一大王国を形成します。
つまりドイツ民族は、もともとの出発点が、宗教ではなくて、法と理論によって国民の安全と安心を形成してきたという誇りと自負を持ちます。
だからこそ、法に殉ずることは、彼らにとっては、宗教以上に大切なこととして扱われるという民族性(国民性)となり、このことが、上のジョークになっているわけです。
◆イタリア人「さっき美女が飛び込みましたよ」
イタリアは、もともと古代ローマ帝国があった国で、何世紀にもわたって西洋文明の中心をなした地域で、もともとこの発展の基礎を築いたのはラテン系の人々です。
古代のイタリアは、西洋世界の中心となり、商業資本主義やこれを支える銀行業、物流を担う海運業が大発展するヨーロッパ産業の一大中心地として、またその財力を背景に建築や絵画、あるいは音楽等の芸術分野でも、大発展を遂げました。
ところが、6世紀に、ゲルマン系の「長いあごひげの人々」と呼ばれるランゴバルド人たちが、ローマに進行し、もともといたラテン人の先住民達をイタリア半島の南端部や、東ヨーロッパなどに追い払ってしまいます。
彼らは簡単に言えば、未開の荒くれ者たちで、その荒くれ者たちが、何百年も続いた芸術性あふれるローマを征服したわけです。
すると、生まれてきた子供たちは、身の回りにあるすべての建築物も、巷にあふれる彫刻品も、それらは自分たちの民族のものではなく、先住民の開発したものだということになるわけです。
そこれランゴバルト人達が行ったことが、もともとのローマを築いたラテン系の女性たちとの積極的混血です。
ただこれは、どこかの国のギャング達がいまも行っている民族浄化と称する強姦ではなく、ランゴバルトの男たちが、積極的にラテン系の女性たちを口説くというカタチで展開されました。
その意味では、全体としてはきわめて平和的に混血が進められて行ったわけです。
そしてこのことがイタリアの伝統となり、いまもイタリアの男性は、女性と見るやすぐに口説くというのが、ほとんど社会慣習のようにさえなっています。
◆フランス人「決して海には飛び込まないでください」
これは、長くフランスで暮らした関野通夫先生(WGIPの本を書いた先生)から伺った話ですが、フランス人は、何を言っても、どんな話をしていても、あるいは買い物をするときでさえも、常に先ず相手の話に対して「NO」というのだそうです。
フランスは18世紀のフランス革命以降、恐怖政治、ナポレオン戦争、アロー戦争、コーチシナ戦争、メキシコ出兵、普仏戦争、トンキン戦争、清仏戦争、仏泰戦争等々、戦乱につぐ戦乱の連続となりました。
そして権力を握った者は、すぐに糾弾されてその座から引きずり降ろされ死刑になる、そんなことを繰り返してきた歴史があるわけです。
つまり、人の言うことをハイハイ聞いていたら、命がいくつあっても足りないわけで、ですからとにもかくにも、相手の言うことには「NO」と言う。
まずは、人の言うことを聞かない。人の言うことを真に受けたら、ろくなことにならないのです。
ですから、「飛び込め」と言われれば、絶対に飛び込まない。
「飛び込むな」と言われたら飛び込むわけです。
◆ロシア人「ウオッカのビンが流されてしまいました、今追えば間に合います」
ロシアは伝統的に、ロシア正教の国です。
この宗教では、敬虔な信仰を行えば、死ねばユートピアに行くことができます。
ロシアは寒いし、あたたまるにはお酒が一番だし、呑んで酔っ払えば、そこはユートピアです。
◆北朝鮮人「将軍様が飛び込めと仰っています」
将軍様に逆らえば殺されます。
◆Chinese「おいしそうな魚が泳いでますよ」
Chinaでは食に対する禁忌がないことに加え、伝統的にあらゆるものが搾取され続けたChinaでは、食べれるということこそが幸せなことという価値観があります。
ですから伝統的なChinaの接待は、5時間でも6時間でも食べ続ける。
私の知り合いで、大メシ食いのChineseがいて、彼はお腹がいっぱいになったら、トイレにいって胃の中のものを吐き出して、それからまた食べ始めるという男でした。
吐いたあとは、胃が気持ち悪くて食べれないだろうと思うのは日本人の体で、彼の体は違うようでした。
吐いたらすっきりで、また食べれるのです。
DNAの違いってすごいです。
◆日本人「みなさん飛び込んでいますよ」
日本は、ユーラシア大陸の東のはずれの島国です。
世界中のいろいろな国から東へ東へと流れ流れてきた人が、最後にたどり着くのが日本列島であり、そこから先はもう太平洋ですから、もう、どこへも行くことができません。
ですからそこで、なんとなくもとからいる日本人と結婚して結ばれ、なんとなく血がまじり、もうここで互いに助け合って生きて行かなければ、もうどこへも逃げ場がないのです。
しかも日本は地震や台風、干ばつ、大雨、土砂災害、火山の噴火等、自然災害が豊富な国です。
何かあったとき、互いに助け合わなければ、生きていけない。
自分さえ良ければなんて思っていても、大災害がやってきたら、全部失うのです。
復興する力は、周囲のみんなとの協調だけです。
そうした伝統を持つ日本人は、だから「みなさん飛び込んでいますよ」と言われると、「はい、わかりました」と飛び込むわけです。
ちなみに最近は、そうした日本人の共助の精神が失われてきているといわれています。
取り返すのは簡単なことです。
神々が温暖化を誘い、海面を縄文時代と同じ、海面をいまより7メートル上昇させるだけで良いのです。(すでに昭和40年代と比べると、約1メートル上昇していると言われています)
すると、いま平野部とされているところは、全部、海に沈みます。
土地の所有権がどうのこうのと欲をかいている場合ではなくなるのです。
食料自給率も40%を割っていると言われていますが、超高齢化社会が終結する2060年には、日本の人口は8700万人にまで減少すると言われています。
80年後となる2100年には、推計人口は4500万人です。
食料自給はイーブンです。
自然災害も、おそらくは向こう80年の間に大規模地震が大都市を襲うことは確実視されています。
結局助け合いの精神を発揮できる日本人だけしか日本では生き残れないのです。
◆韓国人「日本人はもう飛び込んでいますよ」
韓国は複雑な事情のある国です。
自助努力がまったくないままに、内部の権力闘争に明け暮れて庶民の生活など、ついぞ顧みられることのなかった国です。
わかりやすくいうなら、ギャングの一味が、ずっと王朝を名乗って仕切ってきた国、というより地域です。
それが日本によって近代化がもたらされ、戦後も日本によって先進国の仲間入りを果たせました。
けれど、その本質であるギャング政権という仕組みは、何も変わっていません。
ですから日本がうらやましくて仕方がない。
ところが、国民の意識が、「日本がうらやましい」と正直になると、ギャング政権は崩壊します。
ですから政権を崩壊させたくないギャングたちは「日本は悪い国だ」と宣伝します。
そして最近のギャングたちは、「日本は悪い国だ」と宣伝すると、困った日本国政府が莫大なカネをタダでくれるということを覚えました。
それが、「日本人はもう飛び込んでいますよ」の示す意味であろうと思います。
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重ね重ね申し上げますが、外国人だからと民族ごと差別するのは間違いです。
昨日も書きましたが、どこの国にもギャングはいます。
ギャングの手先となることで利益を得る不埒なヤカラもいます。
そのことと民族の歴史伝統文化は、また異なるものです。
その意味での区別は必要なことです。
同じではないのです。
そうでなければ、我々がフランス人と話す時、何を言っても彼らが「No」ということに、日本人は拒否されたと思ってびっくりしてしてしまいます。
けれどフランス人は、興味をもっていても口先だけは、まず「NO」というのです。
そこをちゃんと理解すれば、人間関係が円滑になります。
それが「区別する」ということです。
これは差別とは異なります。
韓国の場合、これはChinaも共通なのですが、やはり民族が違うのです。
違うということに区別は必要なのです。
民族には民族の文化があります。
それがわたしたち日本人から見て、どんなに不合理であったとしても、それはそれで尊重すべきです。
あまりにも見苦しいから直してやろうなどとは考えないほうが良いのです。
その意味で、日本の朝鮮半島統治は、ハード・ソフトの両面で日本が半島に大変な貢献をしながら禍根を残しました。
残すわけです。日本はトイレを持たない半島で、彼らの古くからの慣習である路上脱糞を否定してしました。
朝になれば誰しももよおします。
それが否定されれば、どんなに素晴らしい清潔を提供されても、根底のところで恨みを買います。あたりまえです。
また、長男を生んだ女性が生涯両の乳を露出して過ごす権利も風紀上好ましくないからと禁止しました。
けれどそのことは、もともと路上強姦があたりまえだった彼らの社会において、その女性が両班の長男を生んだ名誉ある女性であり、他の男性がその女性を強姦することを防ぐ意味もあったのです。
逆に海外の人達から見ると、たとえば日本人の毎日風呂に入るという習慣や、温泉などで知らない人の前でまる裸になって湯船に浸かるという習慣は異様です。
特に西洋には肉体は穢れたものであり、その肉体を痛めつけることが神に近づく道であるという信仰があります。
ですからイザベラ女王でさえ生涯に3度しか風呂に入らなかったことが名誉でした。
つまり日本人が毎日風呂に入ることは、肉体の穢を否定する悪魔の所業ということになるわけです。
また最近でこそ生の魚介類は「SUSI」として世界的な市民権を得ましたが、ほんの半世紀前までは、魚の生肉を食べることは残酷なこととされたし、いまでも日本人が豚肉や貝やエビ、カニなどを食べることが、神々への冒涜行為と考える国や民族は多いです。
日本人は大豆を発酵させた納豆を食べるし(私も大好きです)、調味料に味の素を使いますが、納豆は人糞の味なのだそうで、味の素は人肉の味なのだそうです。
ですからこれを食べることは日本人の異常性、獣性を示すものと言われた時代もありました。
要するに、国や民族が違えば、生活習慣も違うし、歴史も文化も違うわけです。
そしてそれを尊重することが、区別する、ということです。
私たち日本人からみたら不条理なことでも、その国の民族からしたら、それが文化であったりするわけです。
だからこそ文化の違いは笑って済ませ、きちんと区別することが必要なのです。
ちなみに、エスニック・ジョークの韓国には、別バージョンがあるのだそうです。
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船員「船長!まだ韓国人が残っていますが!」
船長「ほっておけ。」
船員「なぜですか!」
船長「生き残られると迷惑だ。服が濡れたと賠償請求されてしまう。
 ***
お読みいただき、ありがとうございました。

20151208 倭塾・動画配信サービス2

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