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←いつも応援クリックをありがとうございます。東京五輪施設や、東京卸売市場のことが問題になっています。
こうした問題が何故起こるのか、私たちはもう一度根幹に帰って考え直してみなければならないと思います。
問題が次から次へと出るということは、モグラたたきと同じです。
ひとつのモグラを叩いても、また次が出る。
問題の本質を捉えて根治に向かわなければ、どこまでいっても同じことの繰り返しです。
大規模施設の移転や新築には、莫大な予算がかかります。
すると、いまの世の中では、それがどんなに良い提案であったとしても、というよりも良い提案であって実現可能性が高ければ高いほど、文句を付け、強硬に反対する人が必ず出ます。
そしてその反対する場所が議会であり、議員という肩書を持った人たちであれば、その影響はものすごく大きなものになります。
彼らはどうして良い案でも反対するのでしょうか。
理由は3つあります。
ひとつはその案に問題があるからです。
もうひとつは、責任がないからです。
みっつめはカネになるからです。

【倭塾】(江東区文化センター)
第34回 2016/11/12(土)18:30〜20:30 第4/5研修室
第35回 2016/12/24(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
【ねずさんと学ぶ百人一首】(江東区文化センター)
第9回 2016/11/24(木)18:30〜20:30 第三研修室
第10回 2016/12/8(木)18:30〜20:30 第三研修室
問題があって指摘をし、改善を要求するのはあたりまえのことです。
そのために議論があるし、議論によってより良い結果を得ようとすることは、とても良いことです。
けれど、その根幹に、民を代表する議員として、民が豊かに安心して安全に暮らせるようにしていくことという根っこがあれば、何かと反対意見があったとしても、議論をつくし、決まればそれに従って全力をあげてその達成を目指すというのが、あたりまえの姿です。
ところが現状では、反対する人は、決議後も反対し続けます。
いつまでも対立をあおります。
みんなが一致団結して、というのは、何事かをなすときには必ず必要になることですが、この団結がない。
どこまでも反対し、分裂を誘い、対決し、対立することだけを求め続けます。
なぜそうなるのでしょうか。
大きなお金が動くときに反対すれば、黙らせるために、そこでまたお金が動くからです。
多数決の決定だから従うということにはなりません。
その多数派工作のために納得してもらうためのお金が動きます。
またいちど決まったとしても、実際に工事が始まるとなれば、用地の適性の問題や日照権、あるいは公害、交通の問題等、難癖をつけようと思えば、いくらでも難癖のチャンスはあります。
これはそういうものです。
そして調査のためと称して、また経費が使われます。
この調査というのがまたクセモノで、調査費用というのは、値段があってないようなものです。
無償でもできるし、有償となれば、数万円から数百億円まで、値段は「付け方次第」でどうにでもなるものです。
ではこうした難癖は、何故起きるのでしょうか。
責任がないのです。
物事を決める役割を担っているということは、決めたことへの責任が伴うのが普通です。
国会が政府を厳しく追求する。
政府に責任を追求する。
そこまでは良いです。
けれど、それによって結果として国益が大きく損なわれたというとき、誰が責任をとるのでしょうか。
誰からも責任を問われることがない安全な場所にいて、他人の責任の追求ばかりをする。
それではマスメディアの評論家と何も変わりません。
その無責任な追求権と、カネが結びつくと、問題は飛躍的に大きくなります。
少し考えたらわかることですが、反対意見を黙らせる方法は3つしかありません。
1 良識に訴えて納得してもらう。
2 お金を払う。
3 力に訴える。
新幹線を含めて、いまある鉄道網の多くは戦前の計画であり、戦前に用地の買収が行われたものです。
当時は、陸軍の兵隊さんたちが突然やってきて、地面の上に標識となる棒をどんどん突き刺して行きました。
地主さんが「何をしているのですか?」と問うと、
「ここに鉄道を敷くんです。そうですか。お宅の土地ですか。良かったですね。」
「そうですか。ありがとうございます。我が家の土地に鉄道が! それはとても名誉なことです。ありがたいことです。」
以上、おしまいです。
もちろん、用地の収用費用として、時価の地代は払われました。
けれどそれは、官庁の評価額に基づくものでしたから、市販の相場のだいたい6掛け程度のものにすぎませんでした。
それでも、地主さんたちは道路や鉄道が敷かれることを、みんなのためになるからと、とても喜んだし、近隣の人たちも、生活が便利になるからと、それを好感を持って受け入れていました。
都市部の場合ですと、たとえばそれまで長屋だったところに、道路や鉄道が敷かれることになると、やはりお役所による用地の買収と長屋住まいの人たちの立ち退き問題が発生しました。
立ち退きを要求された人たちは、思わぬ立ち退き料が支払われて、みんなそれで大喜びしたものです。
これは、上に述べた反対意見を黙らせる方法のなかの、1〜3が戦前は機能していたことによります。
直接用地の摂取に来るのが世界最強の名高い陸軍では、誰も逆らえません。
また、用地の供出が、国のため、地域のみんなのためということを、自分の利益よりも優先するという姿勢が、国民の中に広く浸透していたことが、結果として、公共の福祉のための用地買収を容易にしていました。
また、実際に建物を立てる段階になると、それこそ工事請負の誰もが気合を入れて、どこよりも良い工事をしようと、精一杯の努力をしました。
こうしたことが相俟って、用地買収を容易にしていたし、できあがった施設も、まさに世界に冠たる素晴らしいものが出来上がっていってたわけです。
ところが戦後の日本では、1と3が否定されるようになりました。
国民は、みんなのためという公共の福祉よりも、自分の利益を先行させて考えるようになりました。
また自衛隊そのものの存在が否定されており、用地の摂取に軍隊が動員されることもなくなりました。
さらに警察は、民事不介入が大原則となり、たとえお役所の用地買収であっても、刑事事件ではないので、警察の関与もできないこととなりました。
つまり人々から道徳観が失われ、国家による力の行使も否定されているわけです。
こうなると、欲得だけが残ることになります。
とにかく地主さんが嫌だと言えば、納得してもらうためには札束を積み上げるしか他に方法がないのです。
また、政治家が介入して、何らかの形でケチをつければ、カネで納得してもらうしかないし、それが買収等で規制されれば、値段のない調査等の名目でお役所からカネを引き出し、水面下でキックバックをもらう。
すると、買収費用や調査費用は無限に膨れ上がっていきますが、それらは民衆の払う税金と、国が発行する国債によって、資金調達されるわけです。
要するに国民がそのツケを払わせられるわけですが、さりとて国民が直接カネを取られるわけでもなく、国民はその他大勢となって、道徳観のない愚民化していれば、文句を言う人がまれにあっても、それはごくわずかだし、無視できる存在だし、「おかしい」などと騒いでいる人こそが、「おかしな人」というレッテルを貼れば、そういう人たちは社会から排除されていくわけです。
権力をもって流れに竿をさし、そのことでカネを得ている人たちには、結果として権力にプラスしてカネが手に入ります。
そしてカネと権力の両方を手に入れれば、そこに群がる人たちを使って、今度は情報の操作ができるようになります。
こうしてカネのある人には、うなるほどのカネがあり、真面目にコツコツ働いて家族を養い、税を収めている一般の民衆は、愚民化政策によって、ますます民度を下げていき、自分たちがムシられていることにさえ気が付かない、茹でカエルになっていくわけです。
こうした現実に目をつぶって、ただ表面化した買収事件や、都議連のような利権団体を叩いたとしても、実は、何の解決にもなりません。
要するにそれらは、表面化した事案への対処療法でしかないからです。
では、根治療法とは、どのようなものでしょうか。
答は、1と3、つまり「道徳と力の復活」以外にありません。
「力」だけでは困ります。
なぜなら、それではどこぞの国の人民解放軍や軍閥と同じになってしまうからです。
大切なのは、まずは徳義、つまり道徳観の復活です。
道徳というのは、集団を保持するためのものです。
国家最大の集団は、国です。
その集団に所属する誰もが豊かに安心して安全に暮らせるようにしていくに際して必要なことが道徳です。
つまり、道徳の復活のためには、国家観ないし、人々の国家意識の復活がなければならないのです。
いまどきは、東京五輪の用地買収や、東京築地市場の移転問題について、メディアに様々なコメンテーターが出演して、意見を述べていますが、正義を貫くために、1と3の必要性を述べる人は皆無です。
これは、木を見て森を見ない、あるいは木を見せて森を見せないに等しいことです。
欲望を押さえるものは、正義です。
そして正義の実現のためには、武力が要ります。
そして武力の行使には、その前提としての徳義が必要です。
これは現実です。
そして日本は、これを実現するために、天皇のシラス国という国体を築き、幼い頃から無私であること、いざとなったら責任をとって腹を切ることを覚悟の人生を歩む武士の存在を築きました。
そして明治以降は、その武士道は、国民共通の観念にまで高まっていきました。
けれど、戦後、この大切な根幹が失われ、戦後70年を経て、その失われたことによる弊害が、あまりにも目立つようになってきました。
いまこそ、「では、どうしたら良いのか」を、国民自身がしっかりと自覚すべきときがやってきたように思います。
日本人は、目覚めるまでは時間がかかる民族です。
けれど、一度目覚めたら、あっという間の大逆転をなしうる民族でもあります。
なぜなら、日本人にはその根幹に日本人としての魂が宿っているからです。
お読みいただき、ありがとうございました。


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