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戦艦大和は美しい船です。
荒々しい中にも優美さと気品があります。
だから日本そのものを意味する「大和」と命名されました。
「戦いは航空機の時代に入っていたのに
日本は大和を作った。大艦巨砲主義に偏った。
これは間違った選択だった。
だから日本は敗けたのだ」
このような解釈をよく聞きます。
そうであったのかもしれないし、そうではなかったかもしれない、と思います。
すくなくともいけないことは、こうした述べ方をする方々は、傲慢にも過ぎ去った過去を評価をし、またこのたった4行の言葉だけで思考停止に陥ってしまっている点にあると思っています。
戦争は、単に勝ち負けだけで語れるものではないと思うからです。
戦争は「戦闘を含む政治」です。
もちろん戦闘は、勝つに越したことはありません。
しかし、「ただ勝てば良い」という思考からは、悲惨と残虐しか生みません。
逆に戦争を「政治」という面から見れば、政治には必ず目的があり、戦争で行われるすべての行為が、「目的を達成するためにある」と考えるならば、大和という当代無双の船の出撃は、それだけで大きな政治的メッセージを含むものと解するべきなのではないかと思うのです。
なぜなら、ドイツ、プロイセンの軍事学者のクラウゼウィッツ(Carl Philipp Gottlieb von Clausewitz)は、その著書で、
「戦争とは国家が政治目的を達成するための究極の手段である」
と述べています。
戦争はそれ自体が「国家が政治目的を達成するための究極の手段」なのです。
そして、国家の威信をかけた究極のバトルシップ(戦艦)は、戦いに勝つというだけでなく、「国家が政治目的を達成するための大いなる存在」でもあるのです。
大和が沈んだ昭和20年は、すでに日本海軍は燃料も乏しく、全体の戦況が厳しいという状況です。
そうした中にあって、無双の戦艦である大和をどのように使うか。
それは軍事だけではなく、政治そのものでもあります。
そして政治であれば、そこに必ず何らかのメッセージが含まれている。
そのように考えないほうが、逆に「どうかしている」と思うのです。
巨大戦艦は、平時においてさえ政治的メッセージです。
早い話、いまの時代に、米国巨大空母エンタープライズが、Chinaが軍事基地を作りつつある西沙諸島、南沙諸島のある南シナ海、あるいは尖閣諸島のある東シナ海に出撃したとなれば、これは中共政府にとって、劇的に恐ろしいメッセージです。
ただ、軍事的優位性の問題だけではない、国家間の政治問題となるのです。
これと同じです。
帝国政府が、戦況押し迫った昭和20年4月に、その時点で世界最大級の究極のバトルシップであった戦艦大和を、沖縄に向けて出撃させています。
このことを、単に「何々主義」というレッテルだけで思考停止してしまうことのほうが、かえっておかしなことです。
そして、御存知の通り大和の出撃には、航空機の援護がまったく付いていません。
「航空機がなかったから」ではありません。
大和が沈んだ後も、沖縄に向けて特攻機が次々と飛び立っています。
日本にその時点で航空機は「あった」のです。
たとえ十分でないといえども、燃料もありました。
大和の出撃に、航空機の支援がなかったことを、単に「暴挙」という人もいます。
本当にそうでしょうか。それだけでしょうか。
「稼働中の戦艦は航空機では沈めることはできない」という世界の戦争の常識をひっくり返したのは日本海軍です。
開戦当初のマレー沖海戦でのことです。
このとき日本は、世界で最初に、当時世界最強戦艦と呼ばれた英国の旗艦戦艦プリンス・オブ・ウエールズを、出撃わずか85機、実戦ではたった15機で沈めています。
たった15機で戦艦は沈むのです。
昭和20年4月の段階で、沖縄に向かう大和に米軍数百機の航空機が襲いかかることは、事前に十分予知できることです。
しかも大和の有賀幸作艦長(中将)の甥が、そのプリンス・オブ・ウエールズを沈めたときの航空隊の隊長です。
つまり戦艦は航空兵力による爆撃攻撃に勝てない、ということを最もよく知る人物です。
その有賀艦長は、航空機の援護なく、沖縄までの片道の燃料しか積まないで大和を出撃させています。
このとき大和は、沖縄北部に疎開している沖縄県民の女性たちのための、10万人分の生理帯も積んでいました。
そしてその大和は、昭和20(1945)年4月7日14時23分、坊ノ岬(ぼうのみさき)の沖約90海里の沖合で、米軍航空隊386機による波状攻撃を受けて沈みました。
この大和の出撃を考えるときに、わたしたちは2つの事実を先に知っておく必要があると思います。
ひとつは、いま申し上げましたマレー沖海戦です。
そしてもうひとつは、ニューギニア沖等での米軍との海戦です。
この頃の米軍は、ニューギニア沖等で、日本の非武装の輸送艦に対しても容赦無い攻撃を行っています。
艦が沈んだあと、洋上に避難している、すでに反撃能力を失った、つまりその時点で非武装となった救助を待つ日本人の軍人や民間人を、男女の区別なく、洋上で攻撃し、殺しています。
南方の海ですから、サメも出ます。
洋上の日本人は、空から機銃掃射、海面から艦砲射撃、海中からはサメに襲われ、バタバタと死んで行きました。
「戦争なのだから仕方がない」という人もいます。
しかし非武装の、すでに戦闘能力を失った洋上の難民を、いたずらに屠殺することは、明らかな戦時国際法違反行為です。
では、「大和ならどうなのだ?」
と、当時の日本が、未来の地球人類に働きかけている、問うているように思えてならないのです。
というよりも、大和は、まさにそのために出撃しているだと、確信を持って言えるのです。
大和の乗員は、3,332名でした。
そのうち3,056名の方が、大和沈没のときにお亡くなりになりました。
本来、戦艦の戦いというものは、あまり死者は出ないものです。
もちろん、戦闘中に敵弾が当たったり、艦内の爆発や、船とともに命運を共にする人など、ある程度の戦死者は出ます。
けれど艦が反撃力を失えば、生き残った乗員は、海上に避難します。
そのための避難用の船もちゃんと搭載しています。
海に逃れた乗員たちは、救助を待ちます。
ですから普通は、あまり死ぬことはないのです。
もちろん軍人ですから、戦いに際しては、勇敢に死を恐れずに戦います。
死ぬこともあります。
けれど、海の男達の艦の戦いは、艦が沈めば、それで終わりです。
洋上に避難した人々は、その時点では非武装の難民です。
加えて、戦時中であれ平時であれ、世界の先進国の海軍軍人さんたちというのは、たいていは仲良しです。
それは海で生きる男たちの共感と誇りでもあります。
大東亜戦争開戦の2日後の昭和16(1941)年12月10日に行われた「マレー沖海戦」では、日本軍は航空兵力をもって、英国海軍が東南アジアの制海権確保の為に派遣した戦艦2隻を撃沈しました。
まず戦艦レパルスが沈み、次いで戦艦ウエールズが被弾し、沈没やむなしとなりました。
このときウエールズの艦長のトーマス・フィリップス司令長官は、日本の航空隊に向け、乗員を退官させるので、30分時間をほしい、と信号を送りました。
ウエールズの乗員たちは、巡視船エクスプレスに乗り移りました。
エレクトラとヴァンパイアは、さらに沈没したレパルスの乗組員を捜索し、エレクトラが571名、ヴァンパイアがレパルスの艦長と従軍記者を含む225名を救助、乗船させています。
その間、日本の攻撃隊は、空で待機しました。
英国軍の救助活動の間、いっさいの攻撃行動をしていないのですが、当時の飛行機は、いまの時代にあるようなハイブリットでも省エネでもありません。
燃費がよくないのです。
30分の上空待機というのは、帰還するのに必要なギリギリの燃料しか残らないということです。
もしその間に英国の航空隊が急襲してきたら、日本の航空隊は帰還するための燃料を使い果たし、全機、墜落のリスクを負っています。
それでも日本の攻撃隊長は、戦闘を休止して、空で待機を指示しました。
ウエールズの乗員が全員退艦しました。
そのウエールズのデッキには、ひとり、トーマス司令長官が残りました。
船と命をともにするためです。
このとき日本の航空隊は、全機整列し、一機ずつデッキ前を通過して、トーマス長官に最敬礼を送ったと伝えられています。
トーマス長官は、その間、ブリッジから挙手敬礼をもって答えた。
そして日本の航空機との挨拶の交換後、トーマス司令はデッキに体を縛りつけ、艦とともに沈んでいます。
これが海に生きる男たちの戦いです。
ですからマレー沖海戦におけるプリンスオブウェールズの戦死者は、艦が轟沈していながら、総員の20%です。
戦闘中の死亡者以外、全員が助かっています。
さらにマレー沖海戦の翌日には、日本軍機が、再度戦闘海域に飛来し、機上から沈没現場の海面に花束を投下して英海軍将兵の敢闘に対する敬意と、鎮魂を行っています。
では、マレー沖海戦の三年半後に行われた「戦艦大和」のときはどうだったでしょうか。
この海戦では、戦艦大和が沈み、乗員3,332名のうち、90%以上にあたる3,063名が死亡しました。
なぜそんなに多くの将兵が死んでしまったのかというと、米軍が、残存艦隊に対して、日没近くまで攻撃をかけ、さらに大和が沈没後に海上に避難した大和の乗組員たちに対して、上空から機銃掃射を浴びせて、殺戮を行ったからです。
先程も書きましたが、明らかな国際法違反行為です。
世界の海軍は、ごく一部の極悪非道な海軍を除いて「海軍精神」を共有しています。
これは万国共通の「海の男」の誇りと矜持です。
艦隊の力を駆使して戦うのです。
戦いが済んだら、兵士たちにまで罪はない。
だから、戦いが済めば、たがいに仲良く裸になって酒を酌み交わす。
それが世界の海の男たちです。
普通ならそうです。
ところが、日米戦争の後期には、まるで様子が違っていたのです。
日本は、明治の開闢以降、世界のどこの国の民族よりも、勇敢で高潔で誰からも好かれる民族となろうと努力してきました。
その精神は国民のひとりひとりにまで深く浸透しています。
ですから日本軍は、Chinaの戦線においても、米国その他の国々との戦闘においても、ハーグ陸戦条約を守り、無法な振る舞いは厳に慎んできました。
あのB29でさえ、日本本土を空襲するに際して、墜落したら日本の捕虜になれ、日本人は乱暴な真似はしないから、と訓示がされています。
(米軍兵士で処刑された者もいましたが、これは戦うことのできない庶民に対する国際法で禁止された無差別殺戮を行ったからであり、むしろ処刑が当然の世界の常識です)
ところが、大東亜戦争の後期になると、サイパン戦、沖縄戦等において、米軍は度重なる日本人への蛮行を働いています。
なぜでしょう。
すこし余計なことを書きます。
日米が戦争となり、米国政府が「ジャップを倒せ!」という世論操作をしなければならなくなったとき、「実は日本人は、世界に名だたる残虐な民族なのだ」と宣伝しまくった者があらわれました。
当時アメリカに住んでいた李承晩です。
こういう意見は、日本との戦いに「勝たなければならない」、そのために全米から「兵と戦費を集めなければならない」、しかも、戦争が長引き、戦費の調達に苦心していた大東亜戦争後期の米国(財政はほとんど破産状態)にとって、こうした「日本人悪玉説」は、米国内世論をつくるためにたいへん便利なものでした
李承晩は、米国の新聞に「日本に統治される前の李氏朝鮮こそ東洋の理想国家であった」と書き連ね、日本人はその理想国家を破壊し、占領し、文化を破壊した極悪非道の悪の化身、悪魔の使いだとする、おもしろおかしい投稿記事をさかんに書いています。
戦時下にあって、こうした日本人悪玉論は、対日感情を貶め、戦意を煽るにはちょうど良く「使える」ものでした。
そもそも日米戦争は、ルーズベルト大統領によって、無理矢理米国の対日世論が「つくられた」戦争です。
そして真珠湾以降は、「真珠湾に卑劣な攻撃をしたジャップを殺せ」が米国の合言葉になりました。
しかし当時の米国にあって、そもそも日米戦争を望む者など、すくなくとも米国人の中にはほぼ皆無だったのです。
そもそも日米は、戦争をする必要があったのでしょうか。
日米戦争は、両国に大きな傷跡を遺していますが、あそこまで凄惨な戦いを日米が行う必要が、そもそもあったのでしょうか。
すくなくともルーズベルトは、「私は米国民を絶対に戦禍に遭わせない」ということを選挙公約にして大統領選を戦い、その約束のもとに、米国大統領に就任した人物です。
そのルーズベルトは、実はとんでもない米国民に対する欺瞞を働いていたということが、フーバー元大統領の回顧録などに、明確に描かれています。
ところが真珠湾後には、日本悪玉論が、米国大統領府による米国内の「つくられた世論」になります。
李承晩の言説によって、全米の新聞を通じて「日本人悪玉論」の世論が形成され、なにも知らない米国の若者たちが、「日本人=極悪非道な悪猿ジャップ」と考えるようになっていきました。
そして、戦闘終了後に、すでに抵抗力がなくなった兵であっても、日本人なら片端から殺して良いということが、米軍の常識になっていきました。
だから戦争の後半になりますと、日本人なら軍人であろうがなかろうが、戦闘であってもなくても、誰でも何人でも殺して良いのだという風潮が米国内に現れました。
こまでの行為が、戦争に必要であったことなのか。
そのような問いかけを、大和は、後世の私たち、あるいは世界に向けて、投げかけています。
大和の乗組員が落さなくても良い命を落としたのです。
その背景には(大和だけでなくニューギニア沖海戦なども同様)、あるいはサイパンで、あるいは沖縄で、あるいは広島、長崎、その他全国の大都市で、多くの日本人民間人が殺害されたということの背景には、ルーズベルトと李承晩という二人のキチガイによる情報の捏造操作が、明らかに原因をなしていたと思っています。
悪は、ほっておけば、その被害は巨大な被害を、まっとうな多くの人にもたらします。
気違いによって命を奪われた人の数は、日本人だけでなく、その後に行われた朝鮮戦争だけで500万人に達します。
大和は、沖縄に向けて航行しました。
沖縄は南北に細長い島です。
当時の沖縄では、上陸した米軍と、沖縄を守ろうとする守備隊が激しい戦いを繰り広げていました。
その戦いは、沖縄の中央部から始まり、日本側守備隊は戦線を南へ南へと戦場を移していました。
ですから沖縄での戦いが始まる前に日本本土や台湾などに疎開できなかった沖縄県民の多くが、沖縄本島の北側に集まっていました。
その沖縄県民のために大和は、補給物資を満載して、沖縄に向けて最後の航海に出ました。
さきほども書きましたが、大和の艦内には、沖縄県民に届けるための食料や衣服、あるいは10万人分の女性用生理帯などが積んでありました。
それは、びっしりと海上を埋め尽くした米艦隊が囲む沖縄への出撃です。
日本はすでにニューギニア海戦などで、抵抗できない輸送船を沈められ、海上に避難した兵士達を航空機によって大量に虐殺されていました。
では大和ではどうなのか。
大和にも、アメリカはそれと同じことをするのか?
米国軍人に、人間としての誇りを、大和は問いかけています。
マレー沖海戦で、英国王太子の名を冠した戦艦に対し、明確な武士道精神を示した日本、
その日本が坊ノ岬沖海戦で、日本の国号である「大和」の名を冠した戦艦を、沈められる。
そして乗員を虐殺されました。
世界は、決して馬鹿ばかりではありません。
世の中の様々な利害の衝突や野望が風化し、世界の人々が、ウエールズの沈没のときと、大和の沈没のときを較べ、人として本当に大切なことは何か、人道とは何か、勇気とは、愛とは、戦いとは何かについて、冷静に思いを馳せるようになる時代は、いつの日か、必ずやってきます。
それは500年後のことかもしれない。
千年後のことかもしれない。
世界に冷静さが戻ったとき、
必ず何を感じ、何を学びとる時代がやってくる。
なぜなら人類には良心があるからです。
そして軍事は、必ず専門家によって何度もトレースされ研究されるものだからです。
大和は沈みました。
一時的には、もちろん米軍は、勝った勝ったと大喜びすることでしょう。
世界最大級の戦艦を沈めたとなれば、沈めた側は嬉しかったことでしょう。
けれど、倒した者の熱に浮かされたような狂喜が過ぎ去り、
破れた者の悲しみにも、ある一定の時が経ち、
両当事者が、互いに事実を冷静にみたり考えたりできるようになり、
世界が冷静な思考を取り戻したとき、
果たして、勝者はどちらだったと、人々は考えるでしょうか。
大和を沈めた側でしょうか。
沈めたあとの虐殺は、どのように捉えるのでしょうか。
一方において、英国最大の旗艦を葬りながら、乗員の命を守り、海の男としての尊厳と誇りを守った日本。
一方において、大和を沈めながら、一部のバカ者の扇動と、政府の都合によって、海上にいる無抵抗の日本人を虐殺した米国。
そして、そうなることを十分にわかって出撃した大和。
このことが問いかけるメッセージを、私たちはしっかりと捉えていかなければならないと思うのです。
そして、それ以外に、大和が航空機の支援なしで沖縄に向かった理由の説明はできません。
大和は、
正義とは何なのか。
人道とは何なのか。
戦争とは何なのか。
という問いかけを、未来を生きる人類社会に投げたのです。
軍事というものは、何百年経っても、そのときの戦いが何度もトレースされるものです。
そしてすべてが風化して、人々に冷静さが戻ったとき、大和出撃の意味や意図を必ず考える人というものは、必ず出て来ます。
だから、「大和は、その日のために出撃した」と、私は自信を持って述べることができます。
日本国がその威信をかけて育成した軍事の超人集団が、当時の日本の将校たちです。
名人の碁や将棋に、素人のわたしたちが束になっても敵わないのと同じです。
彼らは、先の先を読んで行動します。
そしてこれが日本の武道の精神であり行動です。
戦いに負けても、その戦いの目的は達成する。
これを「負けて勝つ」と云います。
なるほど日本は、大東亜の戦いに敗れました。
大和も沈みました。
けれど、大東亜の戦いが目的とした世界からの植民地支配の排除、人種の平等という政治目的は、戦後において完全に達成されています。
日本経済は、終戦直後こそ世界の最貧国のひとつという状況でしたが、またたくまに世界5大強国のひとつになり、日本人の生活は戦後、劇的に向上しました。
そして戦いに勝ったはずの米国は、戦後70年の中で、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争等、数々の戦争で多くの命を失い、また冷戦は大事に世界大戦以上の死者を人類社会にもたらしています。
戦後70年を振り返るとき、敗けたはずの日本は、人口も増え、70年の平和と繁栄を享受したのに、勝ったはずの米国は、多くの米国民の命を危険に晒し、国民は借金まみれになり、いまでは国自体が、世界中からの借金大国となっています。
人としての誇りを失えば、結果は必ず現れるのです。
いま、大統領選挙の最中ですが、米国民が、戦後の米国大統領府にあった「〜主義」や、思想によって現実を測るという従来型の政治を行おうとするクリントン女史に対し、思想や主義主張にとらわれず、どこまでも現実を見つめて米国民の利益を追求しようとするトランプを両手をあげて支持しています。
これは、ある意味、歴史の当然の帰結なのではないかと思います。
アメリカの市民には、ちゃんと誇りと矜持があるのです。
戦艦大和は、ただ生理用ナプキンを届けるためだけに出撃したのではないのです。
そしてオバマ大統領は、広島を訪問しました。


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