
源頼朝が幕府を、京の都から遠く離れた鎌倉に置いたことはみなさまよくご存知のことと思います。
公家政治から武家政治へと、国家の政治組織の大改革を実現しようとするとき、その経営組織の要員をまるごと入れ替えることができるのなら、場所は京の都でも良かったのです。
けれど天皇を中心とした世の中という本質(国体)を崩すことなく、政治体制(政体)を改めようとするなら、政治の中心となる場所そのものを移動させる、その必要があったからこそ頼朝は幕府を鎌倉に開いています。
こうしたことがなぜ行われたのかを考えるには、まず日本神話が常識として共有されていなければなりません。
日本神話では、もともと大国主神が葦原の中つ国を治めていたとあります。
ところがその統治の在り方が、必ずしも高天原の意向に沿うものでなかった、つまりウシハク統治となり、その結果、狭いところに蝿がブンブンと飛び回るような騒々しさと、まるで悪鬼悪紳がはびこったような享楽社会に陥っていたわけです。
そのために天照大御神は、高天原と同じ統治が中つ国でもなされることを希望され、天孫を中つ国に派遣することを決断されます。
これが「天孫降臨」です。
この「天孫降臨」は、いまでは話がものすごく単純化されていて、「天照大御神によって邇邇芸命(ににぎのみこと)が中つ国に降臨した」とだけしか理解されなくなってしまっていますが、実は全然違います。
どう違うかというと、まず天孫降臨をご決断されたのは、もちろん勅令は天照大御神のお名前によって発せられていますが、その政治的決断をしたのは、天照大御神を輔弼(ほひつ)された高木神と、八百万の神々との共同作業です。
つまり今風にいうなら、高木総理と閣僚たちが国会の承認を得て天孫降臨を決め、天照大御神の御名において、その命を下した、ということになります。
そういうことが明確に区別されるように古事記には書かれています。
そして天孫として、新たな統治者となるべく中つ国に降臨した邇邇芸命は、おひとりで降臨されたのではなくて、五伴緒(いつとものおのかみ)といって、5柱の神々を降臨に際して同行させています。
この五伴緒というのは、「伴」が技術集団、「緒」はその長(おさ)を意味します。
つまり五伴緒とは、「五組の技術集団の長」という意味です。
では、どのような長を同行させたのかというと、
天児屋命 「天児屋」は、天の小屋、つまり大工。
布刀玉命 「布刀玉」は、布(織物)や玉や刀等を製造する職人。
天宇受売命「天宇受」は、天の声を受ける巫女。
伊斯許理度売命 石(いし)の鋳型を用いて鏡を鋳造する職人。
玉祖命 勾玉などの宝玉を加工する職人。
つまり五伴緒のうち、天宇受売を除く4柱が全員「ものつくり」をする神様であり、その天宇受売は神々の命(みこと)を授かる神様ですから、簡単にいえば諸命をもって、「ものをつくる」集団が地上に派遣されて、それまでとはまったく別な政体を作ったということがわかります。
つまり「モノつくり国家」としての日本のカタチは、まさに邇邇芸命の時代に築かれたのですが、これはそれ以前にあった、社会体制とはまるで別なものです。
どういうことかというと、それまでの大国主神の国家では、人々が自己の欲望を満たすことを優先する社会が営まれていたわけです。
民衆がそれぞれに自己の欲望を満たすために努力する社会ですから、経済は発展します。
水上交通が盛んになり、交易圏が広がり、遠く朝鮮半島までが大国主神の版図にはいった様子が、古事記に描かれています。
ところが、人々が個々の欲望を満たすために生きるということは、互いに欲と欲がぶつかり合い、相手よりも少しでも優位に立とうとして、互いに競い合う社会となります。
人の欲望を満たせばカネになるわけですから、人々の欲望があおられ、より欲の深い者が自己の欲望を満たすために人を支配し、収奪します。
結果、交易圏は広がるものの、誰もが少しでも利得を得ようと騒ぎ立てていますから、世の中は騒々しくなるわけです。
そして騙し騙されの欲望や私心といった悪鬼悪神がはびこる世の中となり、その結果、世の景気が成長する一方で、圧倒的大多数の民衆は飢えと貧困下に置かれるわけです。
現在の世界は、おおむねこれに近い社会構造となっています。
そして先日書いたように、世界の人口の70%以上が電話を使ったことがなく、世界で3人に1人は戦時下に暮らし、タイガー・ウッズが帽子をかぶって得るスポンサー料が一日当たり5万5000ドルで、その帽子を作る工場労働者の年収の38年分という世が生まれているわけです。
つまり富がごく一部の人や地域に集中し、それ以外の圧倒的多数は貧困にあえぐ社会となってしまっていたのです。
そこでこれをどのように変えるか、ということで邇邇芸命が五伴緒を連れて派遣されてくるわけです。
邇邇芸命が五伴緒を連れてきたということは、それまで政治の中心にいた人々を、ほぼ全員政治の第一線から引退させ、人事を作新して、まったく新たな政治体制を築いたということをあらわします。
その政治体制が目指した統治が、「高天原」と同じ統治です。
ご存知の通り、高天原は神々のおわすところです。
そこにおわすのは、すべて神々ですから、一部の富者のために他が犠牲になるという社会構造ではありません。
すべての神々が神として尊重されるところです。
つまり、高天原と同じように、すべての民衆が、神と同様にその尊厳が認められる社会を築こうとしているわけです。
そしてそのために必要なことは、誰もが豊かになること。
そのためには、できあがった作物を奪う社会ではなく、「つくること」そのものが大切にされる社会へと変革が行われています。
欲望社会は自分のために「奪う」社会です。
ものつくり社会は、人のために「つくる」社会です。
そして欲望社会における政治は、ウシハク者の収奪のための政治です。
ものつくり社会における政治は、つくるためにひとりひとりが大切にされるシラス社会です。
そこでは政治は庶民の生活をサポートするものが政治、という位置関係です。
だからこそ天孫降臨に際して、モノ作りの神様が五伴緒として同行し、政治の中心地も、それまでの出雲ではなく、新たに日向の高千穂に、都が設けられているわけです。
鎌倉幕府も、これとまったく同じことをしたのです。
鎌倉幕府は武家幕府ですが、当時の武家は、ほぼ全員が農耕主でもあります。
わかりやすく言うならば、貴族政治を、農民政治にあらためようとしたのが鎌倉幕府なのであって、その農村の地主さんが御家人と呼ばれたわけです。
モノ作りではない点は、邇邇芸命と異なりますが、すでにこの時代には、政体に関わらずモノ作りは日本に完全に定着していたわけで、だからこそ、あらためて農耕を根底とした政権を、頼朝は誕生させているわけです。
しかもその政治の中心地は、大国主神のいた出雲ではなく宮崎の高千穂に天孫降臨したのと同様、それまでの政治の中心地であった京の都を離れて、鎌倉に幕府が開かれています。
つまり源頼朝の鎌倉幕府の設立は、その原型が神話の世にすでにあったことを、あらためて再現したものということができます。
いまの時代、頼朝が鎌倉幕府を開いたということは学校で教わっても、なぜ鎌倉に幕府を開いたのかについてを教わることはありません。
もちろんそれは諸説あることです。
どれが正しいとはいえないことであることも事実です。
けれど「どれが正しいかわからないから教えずに、そこは避けて通る」ということでは、教育の名に値しないと思います。
そうではなくて、「なぜそうした選択をしたのか」を考えながら、自分なりの答えを見出していくことこそ、新時代を切り開く知恵と勇気を与えることになるのだと思います。
日本は、天皇を中心とし、天皇によってすべての民衆が「おおみたから」とされるという根底があります。
これが日本の国の根幹のカタチで、これを「国体」と言います。
そして政治体制、つまり「政体」は、その国体の中にあります。
ですから、政体が変わっても、国体は変わりません。
むしろ、国体を維持するために、ドラスティックに政体を変えることが可能な組織が、日本という国家の特徴であるということができます。
このことは、たとえばある会社が経営方針の大転換を図ろうとするときに、同じことがいえます。
トップが経営方針を示すだけでは変わらないとき、おもいきった人事の作新によって、その新方針を明確にする。
そうすることで実は企業風土をいっきに変えることができます。
孫子の兵法で言う用兵は、「兵は拙速なるを聞く」「国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ」「十なれば則ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻める」等々がありますが、用兵の迅速攻守において、何より大事なことは人であること、誰を用いるかにかかっていることは、およそ企業戦士であれば、誰でもが知ることです。
要するに人事こそが要諦で、古事記ではその人事については、シラス統治においても、トップである天皇(高天原なら天照大御神)が、絶対に手放してはならないものと書かれています。
そしてその人事は、部門の責任者を変えるだけでなく、方針を大きく変えるときは、その下にいるサブ・リーダーまでも含めて、いっきに作新しなければならないということが、実は古事記の天孫降臨にかかれているわけです。
いま、日本の統治をみると、なるほど国会与党第一党の党首が、行政府である内閣の総理となります。
そして総理は、閣僚(大臣)を任命します。
その総理には、各省庁の次官や、局長、部課長等の任命権はありません。
しかし、そこまで徹底しなければ、政体のカタチを大きく変更することはできません。
つまりいまの日本国憲法下の体制は、占領統治状態を「変えない」ことを前提にした憲法であり体制であるように見受けられます。
ということは、変えるときは天皇を中心とした国体によって、いっきにこれを変える。
いまの体制護持では、実は何も変わらないのです。
このようなことを書くと、過激派扱いされてしまいそうですが、そうではなくて、変えることを急ぐのではなく、まずは日本人が日本人としての文化意識をしっかりと取り戻す。
それだけなら、どういう体制下にあるかを問わず、人々の問題意識だけで実現が可能なことだと思うのです。
そして人事や場所も含めて政体の抜本的な見直しをするのは、次のステップへの準備なのではないかと思います。
言い換えれば、次の体制、求める政体への十分な確信と準備がなく、拙速にそれを求めることは、かえって世を荒らす原因(もと)になってしまうのではないかと思います。
もっとも、現実の問題として、日本人のふりをした日本人でない人たちの排除は、喫緊の課題ですが、これは政体の問題というよりも、むしろ犯罪者撲滅の議論に近いと思っています。


↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
■ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」
http://goo.gl/WicWUi
■「耳で立ち読み、新刊ラジオ」で百人一首が紹介されました。
http://www.sinkan.jp/radio/popup.html?radio=11782
■ねずさんのひとりごとメールマガジン。初月無料
http://www.mag2.com/m/0001335031.html
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

