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20160331 琵琶湖疏水

田辺朔郎(たなべさくろう)は、琵琶湖疏水(びわこそすい)をつくった人です。
疏水(そすい)というのは運河のことです。
田辺朔郎は、明治のはじめに琵琶湖の湖水を京都まで通す運河を築いた人です。
琵琶湖の湖水は、出て行く川は瀬田川だけです。
その瀬田川が琵琶湖から南下し、京都の南側にある宇治を通って山崎あたりで宇治川に接続しています。
もし京の都に琵琶湖と結ぶ運河があったら、という構想は実は秀吉の時代には提案されていたことなのですが、途中は山です。
たいへんな難工事になる。
いまあるたいがいの一級河川の堤防や土手は、ほぼ江戸時代に出来上がったもので、たとえば関東だと坂東太郎と呼ばれた利根川の水を、東京湾ではなく銚子方面に逃し、代わって江戸には江戸川を人工的につくったりする等、江戸時代の治水事業は、たいへんに高い技術があったのですが、その江戸時代においてさえ、琵琶湖と京都をつなぐ水路づくりは見送られ続けてきていたのです。
ところが、幕末になると、京の都で大阪夏の陣以来249年ぶりに大名同士の戦(いくさ)が起こり(蛤御門の変)、おかげで市街の民家3万戸が焼け出され、さらにその復興もままならないうちに、明治維新が起こって天皇が東京に奠都(てんと)してしまいます。
このため京の都では、さらに人口が減少し、産業も衰退して壊滅的な状況に至るわけです。


こうした窮状の中で、明治14年に第三代京都府知事に就任したのが、北垣国道(きたがきくにみち)です。
たいへんに人望のあった人で、府会や府民と膝を交えて話し込みながら府政を推進し、おかげで明治25年に退任したときは、送別会に1200人も出席したという逸話の残っている人です。
ちなみに、いまある京都商工会議所を創設したのも、この北垣知事です。
この北垣知事は、就任時に京都の町が衰退している姿に、なんとしても産業を興さなければならないと、琵琶湖疏水の建設を決断しました。
その決断を促したのが、23歳の田辺朔郎です。
田辺朔郎は、それまで何百年も不可能とされていた琵琶湖疏水建設計画を「実現できます」と論文にしました。
田辺朔郎は、このとき東京工部大学校(現・東京大学工学部)を卒業したばかりです。
計画は、その卒業論文です。
もちろん書いた田辺も命がけで、彼はこの計画を書くために、江戸(彼はもともと江戸の出身です)から京都まで、わらじを履いて、東海道を10日もかけて歩き、現場をつぶさに視察したうえで、この計画書を書いているのですが、それでも23歳です。
ところがこの卒論を読んだ北垣府知事は、その論の正確な内容と、誠実な記述に惚れ込み、なんと、その若い田辺を、工事の総責任者に任じてしまうのです。
この琵琶湖疏水建設計画は、総工費は第一期工事だけで125万円です。
125万円なら、軽自動車1台分かと思うのは現代の話で、明治のはじめの125万円というのは、当時の国の土木建設費の総額を上回る金額です。
米の価格から現在のお金に直すと、だいたい1000億円という巨額事業です。
もちろん実現すれば、膨大な量の水道用水、農業用水、工業用水の確保をはじめ、営業用として日本初となる水力発電が京都府内の産業を潤し、さらに水路を使った産業運輸が確保されます。
そのためには、総延長12kmのアップダウンの激しい山中を、高低差わずか4メートルで、疏水を開通させなければならない。
しかも、それまで約400年間にわたり、度々計画されては断念している難工事です。
これを、北垣府知事は、23歳の田辺に、「責任はワシが負う。君の思う存分やってくれ」と、彼に全幅の信頼をおいて、任せたわけです。
並の肚(はら)では、できないことです。
決断の背景には、ひとつには北垣府知事の度量の大きさがあります。
けれど、それだけの大工事となれば、府知事ひとりの決断でできることではありません。
周囲みんなの理解と協力が要ります。
つまり、みんなが納得した、わけです。
しかし、それでも弱冠23歳の若者の大学の卒論に、なぜそれだけの信頼が集まったのでしょうか。
もちろん内容の精緻さもあったろうと思います。
けれど内容が良ければ、多くの人の理解を得れるかといえば、世の中はそんなに甘くありません。
では何が、この決断を促したのか。
実は、これが日本人の、かつてあった日本社会なのです。
年齢の問題ではないのです。
国家国民を背負って立つという責任感とやり遂げる情熱、内容の良さがあれば、年齢や性別に関わりなく、良いものは良いとして、全幅の信頼をおいてそれを任せる。
そしてその責任は、年寄りが持つ。
それが日本社会の在り方だったのです。
白虎隊などもそうですが、たとえ14〜5歳の若者でも、一命を賭けるときには、それを賭け、使命を全うする。
それが日本社会の姿であったわけです。
北垣知事は、府会に図り、建設費用の捻出のために、産業基立金をはじめ、全国に寄付を呼びかけ、さらに市債を発行し、疏水建設のための目的税までも導入して、その資金の捻出をしています。
それぞれがそれぞれの役割をまっとうし、そうすることでみんなで力を合わせ、未来のための建設をする。
能書きと反対ばかりの昨今の政情とは、まるで異なる明治の気風が、ここにあります。
琵琶湖疏水は、大津の水門を出ると、はじめに第一トンネルをくぐります。
このトンネルは、全長がなんと2436mです。
実は、それまで日本にこうした長いトンネルを掘るという技術はありませんでした。
田辺は、これをトンネル掘削の途中に、掘った土砂を運び出したり、空気を取り入れるシャフトを設けることで解決しています。
そして、この技術が後に東海道本線をはじめとした日本国中の多くのトンネル掘削に役立てられています。
さらに田辺は、明治24年には蹴上(けあげ)に、日本初の水力発電所も建設しました。
この発電所の稼働によって、京都の西陣織などの機業の電力化が促進されています。
そしてこの電力は、京都市内に我が国初の路面電車を走らせました。
このことは、いかに産業維持に電力が大事かということでもあります。
もし、蹴上の水力発電所が誕生していなければ、京都の産業は廃れ、人口は減少し、その後の京都の発展はなかったということでもあるからです。
原発云々や、電力の民営化が取り沙汰されていますが、我が国の産業の維持発展に電力は欠かせないことです。
このことを、もうすこし真面目に考えてもらいたいものだと思います。
また、琵琶湖疏水では、我が国ではじめての鉄筋コンクリートつくりの橋が建造されました。
さらに水運の確保のために、運河は閘門式(こうもんしき)となり、水位を変えて運搬船の通行も可能にしています。
そして現在でも、琵琶湖疏水は、年間2億トンの湖水を、京都に供給し続けています。
田辺朔郎は、この疏水構築の才能が買われて、明治24(1891)年には東大の教授に就任し、さらに明治29(1896)年には、北海道における官営鉄道の建設を行っています。
いま北海道にある旧国鉄の線路は、このときに田辺朔郎によって設計されたものが土台になっています。
そして田辺は、晩年には大阪市市営地下鉄の建設にも携わりました。
たしか司馬遼太郎だったか、「日本社会はキラキラした才能を疎んじる傾向がある」と昔、書いていたような記憶があります。
けれど、実際に江戸時代をみると、たとえば幕末の志士たちは、みんな10代後半から20代前半の若者たちです。
織田信長が桶狭間で戦ったのが26歳、そのとき信長の仲間になった家康が17歳です。
幕末に高杉晋作が奇兵隊を組成したのが24歳、勝海舟が長崎で幕府の海軍伝習所の軍監になったのが30歳、坂本龍馬が船中八策を書いたのが31歳です。
年齢の問題ではないのです。
日本社会は1400年の昔から、国民は天皇の民、公民(皇民)として尊重される社会を構築してきました。
そういう社会制度のもとで熟成されたのが、日本人の対等観です。
「あの人は将軍様で偉い人かもしれねえが、寿司を握らせたら俺が天下一よ」というのが対等観です。
対等観は、互いの違いを認めた上で、より優れたものに自分を昇華させようとします。
ですから才能があり、対等かそれ以上とみなされれば、門閥や年齢、身分に関わりなく、どんどん取り立てられたのが、かつての日本社会です。
また、若年であったとしても、明確な国家観とアイデンティティに基づく責任感があれば、要職に就くことも、ごく普通のことでした。
逆に才能がなければ武家に生まれても名字を捨て、農家の下働きで生計を立てたりもしています。
福沢諭吉は、その著書の中で江戸身分制をずいぶんと呪う文を書いています。
ところが、その福沢諭吉は、自分の才能と学問によって、日本を代表して咸臨丸に乗って、国費で海外視察に同行させてもらっています。
要するに、日本人が年齢や入社年次、あるいは肩書きなどの上下関係だけで人を見るようになり、対等観を失ったのは戦後のことです。
そしてそうした社会風潮の中にあって、逆に若者達の才能の芽を潰してしまっているのも、戦後の悪弊といえるかもしれません。
※この記事は2013年3月のリニューアルです。

20151208 倭塾・動画配信サービス2

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琵琶湖疏水


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