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「主権者」という言葉は、もともとはイタリア語の「Sovranità」やフランス語の 「souveraineté」を指す言葉です。
日本語に訳せば「超法規的な最高にして至高な存在」です。
ですから
「国家主権者」ならば「国家における超法規的な最高にして至高な存在」となるし、
「領土主権者」ならば「国家の領土における超法規的な最高にして至高な存在」ですし、
「国民主権者」ならば「国民が国家における超法規的な最高にして至高な存在」という意味になります。
これが「主権者」に関する国際標準(Global Standard)の考え方です。
「国家における超法規的」ということは、当該国の国法にさえ縛られません。
ですから「国民主権」であれば、交通違反で捕まっても、逆に捕まえた警察官の処罰を命ずることが(権利としては)可能です。
そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、国民が超法規的絶対権を持つ存在なのですから、そうなります。
ではなぜ「国民主権」なる概念が生じるかといえば、占領統治だからです。
占領統治は、当該国の国法から国の体制の一切を軍政下に置きます。
この場合、本来の当該国の主権者の持つ主権は否定されますから、当該国の国家主権が当該国民に分散された状態となります。
それが「国民主権」です。
従って「国民主権」というのは、占領統治下における極めて特殊な状態ということができます。
占領統治下に施行された日本国憲法が国民主権を謳うのは、ですから当然のことといえます。
*
さて、「主権」という言葉は、もともとヨーロッパで生まれた概念です。
英語なら「Sovereignty」、
フランス語なら「Souveraineté」、
ドイツ語なら「Souveränität」です。
どれも似ていますが、もともとは中世ローマの法学者ウルピアヌスが「元首は法に拘束されず(princeps legibus solutus est)」とか、あるいは「元首の意思は法律としての効力を有する」(Quod principi placuit、legis habet vigorem)」と唱えたことが主権という概念のはじまりです。
ここから、「国家元首は Sovranità である」という概念が生まれています。
国家元首は、超法規的な最高にして至高な存在であるということが、主権「Sovranità」の語源となっています。
ではなぜ国家元首が超法規的な最高にして至高な存在なのかというと、これには理由があります。
ヨーロッパの社会というのは、古代ギリシャの時代から、「全てが競われる社会」という基本構造を持っています。
目の前にお酒があれば、それをどちらが先に飲み干すかで競う。
力自慢がいれば、誰が一番力持ちか競う。
歩いていれば、誰が一番早く歩けるかを競う等々、とにかくありとあらゆることが常に競われます。
これが良い意味で進化した最大の競い合いがオリンピックです。
悪い意味での最大の競い合いが戦争です。
戦争では競い合いの勝者が支配層となり、敗れた者は奴隷となります。
奴隷制度は、古代〜中世と、近世以降の奴隷の概念がまったく異なっていて、古代から中世の奴隷は、白人が白人を奴隷にするものでした。
ですから敗者復活戦も当然そこにあったわけです。
ところが近世以降の奴隷は、人種民族による差別によって構成されるようになりました。
これは、彼らの国から同じ人種内での奴隷化を消し去った一方で、肌の色の違いによって、いわば絶対的奴隷を誕生させるという事態を招きました。
ですから奴隷という制度は、すくなくとも古代から中世までのヨーロッパにおいては、黒人を民族的に差別すといった趣旨のものではなくて、もともとは、白人同士の競い合いで、勝ったとか負けたということが、奴隷とそうでない者を建て分ける理由になっていたわけです。
そして近世以降の新しい概念として、人種差別による絶対的奴隷、つまり生まれた時から奴隷、競争や戦いの勝者となっても支配層になることができない奴隷というものが誕生しています。
実はこうしたマインドは今も濃厚に続いています。
このことから、実は日本の戦後は、二重の意味で奴隷国家であったわけです。
ひとつは、戦争敗者として。
もうひとつは、有色人種として。
簡単に言うと、それが西欧社会における「国家秩序」です。
そして彼らには、戦争敗者として、有色人種として日本を徹底的にいたぶったという記憶がありますから、日本が強国になれば「報復されるのではないか」という恐怖に怯えます。
怯えは恐怖になり、ならば敵の敵は味方だということになって、日本の向う側にある中共と手を結び、日本を押さえつけようとするマインドが生まれます。
これは主義主張の問題ではなくて、実は恐怖心と序列の問題です。
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そこですこし、西欧における序列について簡単に掘り下げてみたいと思います。
西欧社会というのは、世の中のあらゆるものが、常に競い合う競争社会です。
ですから、強い者が常に上位に立ちます。
このため争いと暴力が、世の中の隅々にまで浸透します。
ということは、すべての人が、常に生命と安全の危険に晒されている社会環境となります。
このため西欧では、つい近世まで平均寿命が20歳代半ばでした。
それほどまでに過酷な社会環境ですから、人々は誰か「特別に強い人」を選んで、進んでその庇護下に入りました。
人々は、その強い人にお金や穀物を支払い、強い者が、あたり一帯の「KING」として君臨しました。
これが西欧社会における「王」または「領主」の存在です。
ちなみに日本の場合は、豪族や武士たちの誕生は、「みんなが食える」ようになるために、人々から担がれてみんなで土地を開墾する際のリーダーとなり、広大な土地を開いたときのリーダーが、その新たに開梱された田畑の「名主」となりました。名主というのは「領主」のことです。
1万石以上の石高の名主が「大名主」、以下が「小名主」です。
つまり、言葉は同じ「領主」でも、西洋と日本では、その発生の経緯がまったく異なるのです。
そのようなわけで、西欧社会では、人々が暴力から身を守るために、すすんで領主の庇護下に入り、領主は傭兵を雇って、周辺の領主から攻められることを防ぐ。
あるいは、逆に積極的に周辺の領主を攻めて併呑し、国土を強大な王国に仕立てていく。
こうして生まれたのが、西欧社会における「王と王国」の存在です。
それら王国が、一時的に「力」ではなくて「富」によって統合された時代がありました。
それが古代ローマ帝国です。
ローマ帝国も、そのはじめは「力」の支配による王国でしたが、カエサルがガリア(フランスからスペイン地方)を制圧した際に、スペインで大金鉱を発見します。
ローマ帝国は、その「金(Gold)」の持つ富の力によって近隣諸国を従え、力ではなく富で諸国を取りまとめるという体制を実現します。
けれど、そのローマ帝国も、無尽蔵と思われた金(Gold)の大鉱脈が枯渇することによって財力を失うと東西に分裂し、さらに元の「力」による競争の時代が復活し、結果として力が支配する「王と王国」の社会へと戻ってしまいました。
こうした「王と王国」を打ち破る者が現れました。
それがナポレオンで、ナポレオンは、もともとフランス革命において、ルイ王朝が持っていた財宝を、パリ市民だけで分け合うということに異を唱え、フランスの財産(王様の財産)は、フランス全土の国民のためのものだと主張して兵をあげました。
ナポレオンの軍は強く、どの戦いにおいても破竹の進撃をしました。
そしてついには、ヨーロッパ全土を手中におさめ、王よりも偉い存在として、皇帝の地位に上り詰めています。
なぜナポレオンが強かったには理由があります。
彼が西欧社会ではじめて、「国民国家」という概念を打ち立てたのです。
それは「国家は国民のものである」という概念です。
王のために戦うというのは、いわば他人のための戦いですが、給料をもらって生活している王国の兵士にしてみれば、兵士は公務員であったり、傭兵であったりするわけですから、死んだら給料がもらえなくなります。
ですから王の命令で戦場に臨んでも、死なない程度に戦い、負けそうになったらすぐ逃げるのが常識です。
ところが「国民としての戦い」は、自分たちのための戦いです。
だから兵はいつまでも戦うし、どこまでも戦います。
このためナポレオンの軍は、ヨーロッパの諸国の王の軍隊と較べて圧倒的に強く、これに危機感を募らせた諸国の王は、むしろ積極的に王国を、国民国家にしようとしました。
そうしなければ、自分たちの国が滅ぼされてしまうからです。
こうして生まれたのが立憲君主制で、王が進んで憲法をつくり、法のもとに王も国民も平等であるとしたのです。
ただし国政は、法で予定したことだけが起きるわけではありません。
法が想定しない天災や戦争などの非常事態もあります。
ですから国家の非常時に、超法規的に活動できる存在が必要になります。
これが主権者で、だからこそ主権者は「超法規的な最高にして至高な存在」という位置づけになります。
要するに主権者というのは、西欧の歴史からいえば、領民を守るための超法規的な最高にして至高な存在ということになるわけです。

*
この点、支那社会における現実は、中世までの西欧社会となんら変わるところがありません。
中共はいまだに国民国家ではなく、一党独裁、実質的には書記長という名の共産党党首を事実上の「王」とする独裁国家です。
力によって政権を奪った中共が、力によって国中を支配するという体制がいまも続いています。
西欧社会と支那社会を大きく分けたのは、実は奴隷です。
西欧社会は、肌の色の違う有色人種をまるごと奴隷とし、それら有色人種の住む国を、国ごと奴隷支配することによって、少なくとも西欧諸国に住む白人たちは、上質な生活ができる社会を築きました。
もっともそのことが結果として市民革命を生む原因となったという歴史の皮肉を生んでいますが、すくなくとも、ヨーロッパの人々が有色人種の奴隷支配によって、歴史上かつてない繁栄を謳歌し、誰もが一定の文明生活を送ることができるようになったことは事実であるわけです。
一方、支那社会は、古代からずっと、ウイグルや女真族やモンゴルなど、遊牧民たちによって征服された外来王朝によって収奪をされ続けた社会です。
つまり端的にいえば、漢族というのは、すなわち隷民を指す言葉であるわけです。
ですから世界で最も古くから奴隷支配され、国のすべてを収奪されるという憂き目に遭ってきた国は、アフリカのコンゴでもリビアでもなく、南アフリカ共和国でさえなく、実は支那における漢族であったということになります。このことは韓族も同じです。
支那では、役人に任命されて村邑に赴任すると、役人はまずその村の金持ちたちを集めて上納金を要求します。
前の村長によって収奪され尽くしていて、もうこれ以上は何もないと答えると、金持ちたちを拷問して、持っている全てを吐き出させます。
農民も同じで、収穫物はすべて取り上げます。
すべて取り上げられたら生きていけないので、農民たちは猫のひたいくらいの、自分たちが食べる分だけの作物をつくり、完熟を待たずにまだ実の青い内に収穫して、その作物を持って逃げます。
ですから彼らの国に、年貢という制度は定着しませんでした。
これはいまでもそうなのですが、税の多くは通行税です。
農作物ができてから税を取ることができない(逃げてしまう)ので、逃げる途中を捕まえて、全部取り上げる。
ですから人の移動=通行税です。
こうなると、たとえばシルクロードを旅するアラビア商人などにとっては、行く先々の都市国家や、街道筋で常に税の取り立てをくらうわけです。
これでは商売にならない。
実は、これを全廃して、一定料率の税だけにしたのがモンゴル帝国で、だからまたたく間にモンゴルは世界帝国になりました。
なにより商人たち、逃げ出した農民たちが、モンゴル帝国を歓迎したのです。
このような次第ですから、大陸における民衆は、歴史上常に極貧状態にありましたし、教育を受けるなどということさえもありません。
常に生きるための食い扶持を得るためにあらゆる努力を惜しまない。
他人のことなどかまってなどいられないというワガママさが、国の伝統となり民族性となっています。
*
では日本はどうなのでしょうか。
日本は上古の昔から、天皇が神に連なる国家の最高権威となり、領土領民はことごとく天皇のものと規定してきた国柄です。
ただし・・・ここが西欧社会と大きく異なる点ですが、すべての民衆は「天皇のおおみたから」と規定されました。
これは隷民とは真逆の発想で、日本における「民(たみ)」は、「田んぼで働くみんな」の意です。
その「みんな」が天皇のたからです。
そして天皇は政治権力を持たず、政治権力者を親任する立場です。
ですから政治権力者は、天皇の民を豊かにすることが仕事となります。
これが「おおやけ」です。
いつの時代にあっても、民というのは、頭数が多い分、勝手なものです。
誰もが自分勝手に、口々に言いたい放題です。
それだけに、こうした体制の持つありがたさを、誰もがきちんと認識するようにしなければならない。
そこで教育が国の柱とされました。
天皇の存在のありがたさを、誰もが知る国だから、これを「知国」と書いて「しらすくに」と読みます。
この考え方は、上古の昔から近代にいたるまでの日本の伝統的思考です。
ですから大日本帝国憲法も、第一条は、
「大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治(すめらひしら)す」と書かれています。
「統治」と書いて「すめらひ、しらす」と読みます。
「すめらふ」は、漢字で書いたら「統めらふ」です。
天皇のもとに、すべてを統合するということです。
その天皇は神々に連なります。
従って日本は、神々の坐(ま)します国ということになります。
そして神々というくらいですから、神様はどこにでもいて、いつも私たちを見ています。
いつも神々に見られているのだということを自覚して、ひとりひとりが立派に生きる。
そういうことを知る。
だから「知(しらす)」国です。
ところが戦前にもあり、戦後は特に顕著になったのが、この「統治(すめらひしらす)」を、「とうち」と漢語で読む人が増えたことです。
漢語における統治は、糸を結ぶように人々を統合して支配することです。
人々は「支配される存在」となりますから、これは隷民です。
そのような日本的精神を理解しない、どこまでも西欧的、あるいは支那や朝鮮的にしか読めないお馬鹿な人たちが、戦後は特に公職追放による敗戦利得者として国の中枢や大学の教授職に就きました。
しかしはっきりといえることは、そうした隷民思想では、民衆の幸せは絶対にやってこない。
やってくるとするならば、それは海外のどこかに別な隷民をつくったときだけ、ということになります。
そしてそのような選択は、日本の八百万の神々は、絶対にお望みにならないし、ほとんどの日本人の望むものではないということは、はっきりといえようかと思います。
先日、ある講演会で、「ねずさんが考える日本を取り戻すは、ひとことにまとめたらどのような言葉になりますか」というご質問をいただきました。
「天皇のシラス国を取り戻すことです」と即答させていただきました。
主権者とは、「超法規的な最高にして至高な存在」です。
そして日本における主権者は、占領憲法になんと書いてあるかが問題なのではなく、上古の昔から天皇です。
ただし天皇が、その主権を行使することはなく、行使は常に天皇に親任された国家最高の政治権力者によって、国家最高の政治権力者の責任において行われるというのが、日本の国のカタチです。
そういう日本を取り戻すということが、私たちが、これからの未来の日本に残すべき最大にして最高の使命なのだと思います。

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