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20160201 三十石船

讃岐の金毘羅樣へ刀と奉納金を納めた遠州森の石松が、帰り道に大阪から京都に向かって三十石船に乗りました。
船の中で、江戸の神田の生まれという江戸ッ子が、
「清水港に住む山本長五郎、通称清水次郎長が、街道一の親分よ!」と言い出します。
親分のことをを褒められて嬉しく思った森の石松は、その江戸っ子に、
「もっとこっちへ寄んねえ」と声をかけます。
酒を進めて、
「酒を呑みねえ、江戸っ子だってねえ」
「おう、神田の生まれよ」
「そうだってねえ。次郎長にゃいい子分がいるのかい」
「いるかいどころの話じゃねえよ。千人近く子分がいらあ。なかでも貸元をつとめて他人に親分兄貴と言われるような人が28人。これをとなえて清水一家の28人衆でえ。この28人衆のなかに次郎長ぐらい偉いのが、まだ5、6人いるからねえ」
ますます嬉しくなった石松は、
「で、5、6人とは一体誰でえ」
「おうさ。清水一家で強ええと言えば、いちに大政、二に小政、三に大瀬の半五郎、四に増川の仙右衛門・・・」と続きます。ところがなかなか石松の名前が出てこない。


いい加減焦れてきたた石松、
「おめえ、あんまり詳しくねえなあ。次郎長の子分で肝心なのを一人忘れてやしませんかってんだ。こんちくしょう。この船が伏見に着くまででいいから、胸に手え当てて良うく考えてくれ。もっと強いのがいるでしょうが。特別強いのがいるんだよ。お前さんね、何事も心配しねえで気を落ち着けて考えてくれ。もう一人いるんだよ」
「別に心配なんかしてやいねえやい。どう考えたって誰に言わせたって清水一家で一番で強いと言やあ、大政に小政、大瀬半五郎、遠州森のいっ」
石松「うん?」
江戸っ子「大政に小政、大瀬半五郎、遠州森のいっ・・・・うわあ、客人すまねえ。イの一番に言わなきゃならねえ清水一家で一番強いのを一人忘れていたよ」
石松「へえ。で誰だいその一番強えってのは」
江戸っ子「こりゃあ強い。大政だって小政だってかなわねえ!清水一家で離れて強い!遠州森の生まれだあ!」。
石松「へえ。そこのところをもう少し聞かせてくれや、誰が一番強いって?」
江戸っ子「こりゃあ強えぜ。遠州森の福田屋という宿屋のせがれだ」
石松「なるほど」
江戸っ子「森の石松ってんだい。これが一番強え」
石松「おぅ、呑みねえ呑みねえ、寿司食いねえ、もっとこっちへ寄んねえ。江戸っ子だってねえ」
江戸っ子「神田の生まれでえ」
石松「そうだってなあ。そんなに何かい、その石松は強ええかい?」
江戸っ子「強えかいなんてもんじゃねえよ。神武この方、バクチ打ちの数ある中で強いと言ったら石松っつぁんが日本一でしょうなあ!」
石松「へえ、そいつあすげえ」
江戸っ子「強いったって、あんな強いのいないよ。だけど、あいつは人間が馬鹿だからね!」
石松「なにお、このやろう。人の酒を勝手に飲みやがって、こんちくしょう。おい、寿司返せ!」
と、まあ楽しい掛けあいが続きますが、続きはまた今度ということにして、問題はその江戸っ子です。
江戸っ子といえば、三代続けて江戸住まい、キップの良さが自慢で、べらんめい口調と、「ひ」を「し」と発音する独特の訛(なま)りで有名です。
ちなみに、江戸は入鉄砲出女の禁止といって、女性はもともと江戸住まいの女性しかいないのですが、その江戸には地方からたくさんの若侍や職人さんたちなどが集まっていました。
このため男女比率が極端に男性が高く、とにもかくにも、女性たちはみんなモテたのだそうです。

20151208 倭塾・動画配信サービス2

と、今日、申し上げたいのはそういうことではなくて、江戸っ子と同様、全国には会津っぽとか、薩摩気質だとか、それぞれの地域ごとに、それぞれ異なった方言もあり、また文化もありました。
早い話、お祭りにおいても、関東系はお神輿(みこし)ですが、関西系は屋台を曳きます。
関東文化、関西文化とか、江戸文化、上方文化などという言い方もあります。
また、ほんの3〜40年前くらいまでは、方言が強くて、言葉が通じないということも良くありました。
中山成彬先生は宮崎のご出身ですが、東大を主席で卒業し、大蔵省にこれまた首席で入省していながら、宮崎なまりが強くて、標準語を話す周囲の同僚たちとうまく話が通じない。
そのため、男おいどんで、無口を決め込んでいたところを、美人で才媛で、これまた東大をトップで卒業し、いったんは外交官を目指して外務省に入省したものの、女性は外交官になれないとわかって、あらためて大蔵省に移籍した中山恭子先生が、「この人は他の男性とちょっと違う」と、気がついたら、お二人は晴れてご結婚に至ったと、これまた地方文化というか、地方方言がとりもったご縁といえそうなお話も、以前、ご紹介させていただきました。
地方そぞれぞれが、特徴を持ち、それが郷土愛となり、その郷土愛がまた、家族愛や国家そのものへの愛となっていくというのは、とても良いことであろうと思います。
ところが、そうした郷土愛が、民族意識にすり替わると、これはたいへんな問題になります。
早い話、江戸っ子意識や上方意識が、江戸民族、関西民族という民族の違いであると解され、それぞれの民族は自立して国家を営むべきだなどと言い出したら、はっきり言って、馬鹿です。
だいたいどこからどこまでを江戸っ子、浪速っ子として定義するのか。
三代続けて江戸住まいと言ったって、二代目が浪速の嫁さんをもらったらどうするのか。
三代続けて江戸に住んでいたって、関西弁を話し、浪速っ子としての気概と誇りを失わない人はどうするのか。
要するに、江戸っ子だの浪速っ子だのと言ったところで、実はその定義はきわめて曖昧なものでしかないのです。
にも関わらず、たとえばいま私が、「関東と関西は歴史も文化も違うから、それぞれは異なる民族というべきである。民族は自決すべきだから、関東と関西は、それぞれ独立国家となるべきである」などと言い出したら、おそらく、日本人どころか世界中の、たぶん、99.999%の人は、「気が触れたか」と思うと思います。
先日「エスニック(Ethnic=民族)」のお話をしましたが、実はこのエスニックという概念もまた、きわめて曖昧です。
たとえば、アジアには様々な国や文化がありますけれど、アメリカから見た場合、アジア人の全部はエスニックです。
そのアジア・エスニックの中で、それぞれの国はエスニックです。
それぞれの国の中でも、たとえばフィリピンは島国で、島ごとに習俗習慣が異なっていたりしますが、それぞれの島ごとに異なるエスニックが存在します。
日本では、沖縄の翁長知事が国連にまでわざわざ出かけて行って、琉球エスニックは日本エスニックとは別なエスニックだと述べてきたといいます。
しかし、ほんのわずかでも伝統文化に違いがあれば異なるエスニックといえるわけですから、それを言い出したら江戸エスニックと、関西エスニックは違うし、その関西エスニックの中でも、大阪のキタとミナミでは、気質が異なります。
東京なら、銀座と新宿、渋谷、池袋、浅草、上野、みんなそれぞれの街の個性を持っています。それぞれが異なるエスニックです。
沖縄なら、沖縄本島の隣にある与論島は鹿児島県に所属しますが、そうなると、沖縄と与論島では、エスニックが異なるし、沖縄県内でも、島ごとにエスニックが異なることになってしまいます。
つまり、エスニック(民族)という概念は、きわめて曖昧なものでしかないのです。
ですから、どこかで誰かがエスニックの独立(民族自決)を言い出すと、具体的な線引が不可能ですから、結局は血で争うことになります。
世界の紛争の9割以上が、実際、エスニック紛争です。
冒頭に、広沢虎造の浪曲『次郎長三国志』の、「石松の三十石船」のやりとりをご紹介しました。
エスニックは、誇りを形成するものではありますけれど、せいぜい「江戸っ子だってねえ。寿司くいねえ」くらのお楽しみの世界にとどめ、エスニックで紛争や政争など、絶対にしてほしくはありません。
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「石松三十石船道中」広沢虎造


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