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爾霊山慰霊塔
20160125 爾霊山慰霊塔

アーサー・マッカーサー・ジュニア(Arthur MacArthur, Jr)という人がいます。
米国の陸軍軍人で、もともとは一兵卒として南北戦争に従軍したのですが、勇敢そのものの活躍をしたことから、若干19歳で名誉大佐の地位を与えられています。
南北戦争におけるアーサー・マッカーサーの活躍は、いまではウィスコンシン州の州歌にまで歌い継がれ、またウィスコンシン大学マディソン校の校歌にもなっています。
インデアンの「アパッチ族」といえば、勇猛果敢で有名ですが、このアパッチ族と戦い、ジェロニモ以下アパッチ全員を殲滅したのも、このアーサー・マッカーサーです。
彼は、その功績で1897年には、陸軍中佐に昇進しています。
さらに米国のフィリピン戦争に参加して、初代フィリピン大統領であるエミリオ・アギナルドを捕縛し、現地の先住民を絶滅させる戦いをし、この功績によって米国の実質的フィリピン植民地総督に栄達しています。これが1898年のことです。
その後、米陸軍中将にまで栄達したアーサー・マッカーサーは、1904年の日露戦争における旅順要塞戦に、米国の駐日米国大使館付き駐在武官として、乃木大将のすぐそばで、旅順要塞線を観戦しています。
この観戦のときに、アーサー・マッカーサーは、息子を同行させていました。
その息子が、後年、連合国軍最高司令官として日本に赴任したダグラス・マッカーサーです。
父のアーサーは、旅順要塞戦を観戦しながら、息子のダグラスに、
「お前は大人になったら乃木希典将軍のような立派な人になれ」と何度も話したそうです。


アーサー・マッカーサー・ジュニア(Arthur MacArthur, Jr)
20160125 Arthur MacArthur, Jr

この旅順要塞戦というのは、実はその前の戦闘があります。
それがロシアが黒海に築いたセパストポリ要塞戦です。
この要塞は、ロシアが黒海艦隊を守備するために築いた難攻不落の要塞で、要塞そのものが堅牢であることに加えて、周囲には数千のトーチカが張り巡らされ、万一敵がそのトーチカ群を突破したとしても、要塞周囲には幾重にもトラップが仕掛けられ、さらに塀が破られたとしても、内部には二重に堀がめぐらされていて、その掘には上向きの槍を連ねた落とし穴まで用意されているという、まさに、人智の限りを尽くした最強要塞といえるものでした。
ついでに申し上げると、要塞の内部も迷路のようになっており、そこを通った敵兵は、壁から繰り出される銃弾で、全滅させられるという仕様です。
要するに、セパストポリは、難攻不落を絵に描いたような要塞だったのです。
1854年、この要塞に英・仏・オスマン帝国の連合軍17万5千が襲いかかりました。
迎え撃つロシア軍の要塞守備隊は8万5千です。
ほぼ1年にわたって続いたこの戦いで、最終的に要塞は陥落したのですが、この要塞戦による連合軍側の死者12万8千です。
さらにロシア側の死者は助成に加わった部隊も含めて10万2千です。
つまりこのセパストポリ要塞の攻略戦は、両軍合わせて23万人もの死者を出したのです。
ひとくちに23万といいますが、これは青年期の男たちです。
つまり、実際には、100万人の都市ひとつが壊滅したに等しい損害なのです。
要するに、それほどまでに、守備のためにあらゆる装備を施した戦略要塞を攻めるというのは、過酷な戦いなのです。
20151208 倭塾・動画配信サービス2

ところが日露戦争の直前、ロシアが旅順港にあるロシア太平洋艦隊を守るために築いた旅順要塞は、「セヴァストポリ要塞を6つ合わせたほど」と評されるほどの堅牢な要塞でした。
ロシア軍にしてみれば、セパストポリの経験も活かして、ありとあらゆる知恵を絞って、最強要塞を築き上げたのです。それが旅順要塞です。
ですから、旅順要塞戦が始まったとき、世界の軍事の専門家の意見は、「旅順要塞は日本人には絶対に落とせない。仮に落とすとしても、日本陸軍は、この要塞戦だけで兵力の全てを失うであろう」というものでした。
だからこそ、アーサー・マッカーサーは、駐日武官として、まさに興味津々で旅順要塞戦を視察に行ったし、その要塞戦に息子を同行したわけです。
ところが、その難攻不落のはずの旅順要塞は、わずか4ヶ月半、しかも日本軍の死者わずか1万5千という、およそ近代の要塞戦では考えられないほど少数の被害で、陥落してしまいました。
これを目の当たりにしたアーサー・マッカーサーは、なぜ日本軍が強かったのかについて、これを「乃木将軍の人徳が極めて高く、全ての日本兵にその忠義心が広がっている」と分析しました。
だからこそ、彼は息子に、「お前も乃木将軍のような立派な将軍になれ」と命じたのです。
その息子のダグラス・マッカーサーに、日本は戦後、占領統治を受けました。
このときにマッカーサーが組織したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の影響は、昭和27年のサンフランシスコ講和条約後も、日本国内に色濃く残りました。
そして戦後左翼が一様に非難したのが、乃木将軍でした。
理由は、「乃木将軍は旅順要塞戦において、ただやみくもに日本兵を殺害したアホな将軍である」です。
このような描写は、戦後の日露戦争や旅順要塞線を描いた小説やドラマ、映画など、ほとんど全てに共通するものとなりました。
というより、そのような解釈一色に塗りつぶされていたのが戦後日本で、陸戦等に詳しい人が、「いやいやそんなことはない。乃木将軍は立派な人だったし、旅順要塞が4ヶ月で陥落したのは、世界から見たらまさに奇跡としか言いようがない戦いだったのだ」などと言おうものなら、まさに世間から袋叩きに遭うか、無視されるか、あの人は右翼だ、戦争ボケだと揶揄されたものです。
挙げ句の果てが、乃木大将は最後、明治天皇の崩御に際して、奥さんの静子さんとともに自決されておいでなのですが、その自決は、当時の検死結果の証拠から、明らかに静子夫人が自分で三度にわたって胸部を突き、そこで力尽きて死にきれなかったために、夫の乃木大将が短刀を畳に突きたる手伝いをして、これが心臓を貫いて致命傷となって、死亡。
残った乃木大将は、古式に従って腹を十字に切り裂き、さらにズボンのボタンを丁寧にかけた後に、刃を上に軍刀の柄を膝の間に立てて、その上に身を投げかけ、刃が頭部を貫いて絶命したことが、これは検死結果から、明確に情況がわかっています。
ところがこの夫婦二人の自決についてまで、悪乗りをした一部の学者なのか評論家なのかは知りませんが、「乃木大将の自刃は諸説あって真相はわからない」とか、とにかく人の死をなんだと思っているのかと言いたくなるような貶めがさかんに行われていました。
乃木大将の自刃は、まさに古式に則った壮絶なものです。
しかも63歳という年齢を考えれば、そこまでの自刃ができた強靭な体力というのは、体力というよりも、まさに気迫そのものです。
そういう意味からしても、いまの私たちの目からしてみれば、戦後の論壇というのは、およそ非人間的で人道さえも踏みにじる、およそ人としてこれ以上恥ずかしいことはない、歴史に残る大逆であり恥知らずであると申し上げたい。
このような恥知らずな左翼が、戦後にどうして力を得たのかといえば、それは戦後のGHQによる日本解体工作によるものです。
ところがそのGHQの最高司令官であったダグラス・マッカーサーが、人生を通じて尊敬した人というのは、
1に父のアーサー・マッカーサー、
2に日本の陸軍大将で、日露戦争を指揮した大山巌
3に日本の陸軍大将で、旅順要塞戦を指揮した乃木希典、であったのです。
ちなみに、その旅順要塞攻城戦のあった203高地に、いま中共政府が、碑文を立てています。
その碑文の写真を掲示します。
それが下のものです。
20150125 旅順にある碑文

そこに書かれている文章をテキストにします。
********
203高地は、1904年日露戦争時の主要戦場のひとつであった。
日露両軍はこの高地を争奪するため殺しあっていた。
その結果、ロシア軍は5000人以上、日本軍は1万人以上死傷した。
戦後、旧日本第三軍司令官である乃木希典は死亡将士を記念するため、砲弾の破片から10.3メートル高さの銃弾のような形の党を鋳造し、自らが「爾霊山」という名を書いた。
これは日本軍国主義が外国を侵略した犯罪の証拠と恥辱柱となっている。
********
この文にある塔が、冒頭の「爾霊山慰霊塔」の写真です。
それにしても、中共政府、まったく「よく言うよ」です。
ちなみに文中の「ロシア軍は5000人以上」という記述ですが、これもインチキです。
ロシア軍側の戦死は16000名です。
日本側の戦死は15400名です。
中共にとって、歴史は史実ではなく、政治であるという、これもまたひとつの証拠です。
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