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「女性が輝く時代」という言葉は、よく使われる言葉です。
私もこのタイトルでいくつかの記事を書いたことがあります。
けれど、実はとっても危険な言葉でもあります。
というのは、この手の言葉は、実は、見えない未来をそれぞれに勝手にイメージさせ、人心をたぶらかす用語として用いられることが、多いのです。
わかりやすいのが「ユートピア」です。
共産主義は人類理想の未来社会として、ユートピアを提唱しました。
それは、誰もが支配されることなく、収奪されることなく、みんなが助けあう未来の人類の理想社会です。
だからユートピアです。
ところが共産主義のどの本をひっくり返しても、もともとの提唱者のマルクスの『資本論』をひっくりかえしても、どこにも、そのユートピアなる理想社会が、どのような統治の形態をなし、どのような行政制度、司法制度を持った社会なのかについては、実は一言もかかれていません。
つまり、共産主義に思想におけるユートピアは、個人のそれぞれの頭のなかに勝手にそれぞれのユートピア像を描かせ、あたかもそれが理想の未来社会であるかのように「みせかけて」いるだけなのです。
もっといえば、ユートピアという言葉は、耳障りは良いけれど、実は一人一人に個性があるように、ひとりひとりの個人が思い描くユートピア像というのは、まるでちがうのです。
ところがこうしたまやかしに、人々が騙され扇動される。
その結果誕生した共産主義国家がソ連です。
そのソ連は、帝政ロシアから政権を奪うためだけに数百万人の命を奪い、今度は、国内からの報復を恐れて偽善と暴力によってウクライナをはじめ、そこでもまた数百万人の命を奪っています。
ソ連を主導した用語が「コミュニズム」です。
人と人とのコミュニケーションを図る主義だというのです。
言葉だけは素敵な用語です。
しかしその実態は、施政者の言うことを聞かない、つまり施政者とコミュニケーションがとれない者は死刑だという、とんでもなく乱暴なものでした。
中国も共産党独裁国家です。
これまた政権を奪うためだけでなく、その後の「文化大革命」や、チベット、ウイグル等の「人民解放」のために億単位で人の命を奪っています。
「文化大革命」も「人民解放」も、言葉自体は、たいへん良い言葉です。
けれど、その言葉は、個人に勝手に理想のイメージを抱かせるためだけのもので、実態は文化破壊、人民虐殺でした。
こういう、美化した言葉で人々を操るというところは、新興のインチキ宗教と似ています。
誰だって切実な願い事のひとつやふたつはあるものです。
だから「信仰すれば、あなたの願いは叶いますよ」といいます。
同時に「信仰しなければ、あなたには天罰が下りますよ」という。
飴とムチです。
けれどこれは欺瞞です。
全ての人の願いが同時に叶うということは、絶対にありえないことだからです。
信仰している人が全員宝くじの一等賞が当たることはありません。
カンボジアに共産主義政権であるポルポト政権が誕生したのが1975年です。
その4年後の1979年には、ポルポト派は追い払われます。
そこで発見されたのは、子供にまで自分の墓を掘らせて埋めてしまう残虐な殺戮と、そうした犠牲者の頭蓋骨で作ったカンボジアの国土図です。
この骸骨の世界地図は、トゥール・スレン虐殺博物館(Tuol Sleng Genocide Museum)に展示されているけれど、支那や朝鮮の、反日のためのねつ造博物館と異なり、こちらは本物です。
そのポルポト政権がカンボジアを支配したとき、日本の朝日新聞は、これを手放しで賞賛していました。
その真実が明らかになったときは、朝日は、知らぬ顔を決め込みました。
要するに朝日は、朝日のユートピアを求めているのであって、ポルポトは朝日が思い描いたユートピアと、すこし異なる存在だっただけのことだというわけです。
まさに見えない未来をそれぞれに勝手にイメージしているだけです。
これこそ欺瞞です。
実は「女性が輝く時代」という用語も、最近、共産主義のユートピアと似たように使われています。
一人一人に個性があるように、ひとりひとりの個人が思い描く「女性が輝く時代」像は異なるのに、それをまるで理想の未来像として人々に「言葉だけの理想未来」を提供しています。
実際、いま「女性が輝く時代」を標榜する団体や政党等に、その輝く理想の未来像を具体的に提示しているところはありません。
「女性が輝く時代」と言いながら、その実は、理想的な言葉だけを独り歩きさせて、多くの人びとにそれぞれ勝手に理想イメージを抱かせているだけで、具体的なものは何一つ明らかにしていないのです。
これこそ、欺瞞です。
先日も書きましたが、政治は「線引」です。
ですからたとえば「女性が輝く時代」を築くためにとたとえば「45歳以上の女性には、一律1000万円を支給する」と決めるとします。あくまでたとえ話です。
このとき、45歳以上が良いのか、20歳以上が良いのか、65歳以上が良いのか、それが「線引」です。
支給額を1千万にするのか、百万にするのかも「線引」です。
線引をすれば、必ず線から外れた人から苦情が出ます。
その苦情を拾い上げて、政府に文句を付けるのが野党の仕事です。
多少の不平が出ても、それを実行するのが与党であり政府の仕事です。
要するに政治は「線引」です。
政治が「線引」である限り、必ずそこに不平不満が生じます。
では「女性が輝く時代」のために、どこにどのように線を引くのか。
ひとつでも具体案を出せば、必ずそこに反対意見が出ます。
さらに「経済至上主義」の問題があります。
経済にしか価値基準を持たない社会においては、線引は、必ずカネのある者の利権と結びつきます。
なぜなら、意思決定する者もカネが欲しいのです。
それしか価値観がないのだから当然です。
だからカネをくれるスポンサーの意見に左右されます。
圧倒的大多数の民衆よりも、一部の利権者だけの意見が、こうして優先されます。
つまり圧倒的多数の女性よりも、一部の女性の利権が優先されます。
それが女性が輝く時代なら、ろくなものではありません。
線に漏れた利権者は、反対意見を吸い上げて、自分もおこぼれにあずかろうとします。
結果、どこまでいっても、政治は対立と闘争となり、はなはだしきものは、ISのパリのテロに至ります。
根っこにあるのは、常に利権と、利権に結びついた架空の絵空事です。
つまり、「カネと絵空事」です。
その絵空事が、ユートピアであったり、女性が輝く時代であったりしています。
人類も、日本も、いつまで、そんな馬鹿げたものに、惑わされ続けるのでしょうか。
日本では、そうしたお馬鹿な理想社会のことを、昔から「絵空事を描いても、何の役にも立たない」といいました。
空気に絵を描いても、誰にも見えません。何の役にもたちません。
だからこれを絵空事といいます。
では、昔の日本人は、どのように現実の世を満たしていこうとしたのでしょうか。
その答えが、「過去に学べ」です。
その過去というのは、ほんの5〜60年前のことや、数百年単位のことではありません。
神々の時代からの何千年の歴史の中に、いま起きている問題と共通の問題を抱えた時の解放を求めよとしたのです。
これを道にしたのが「惟神(かんながら)の道」です。
人々の理想社会を、架空の絵空事に求めるのではなく、過去の長い歴史の中で得た知識経験に求めようとしたのです。
過去に起きたことは、現実です。
そこには成功もあり、失敗もあります。
そこから学ぶ。
そこから知恵を得る。
そうすることで今を生き、未来を築こうとしたのです。
これは、単なる前例主義とは異なります。
ですから昔の寺子屋や、江戸の塾、あるいは諸藩の藩校では、たとえば信長の比叡山焼き討ちのことを学ぶときは、「では、焼き討ちをしなかったらどうなったのか」や、「そもそも信長は何を目的に焼き討ちをしたのか」、「戦法、戦術は、果たしてそれで良かったのか」、「そのとき信長を諌めるとしたら、どのようにしたらよかったのか」等を考えました。
だから、そこから種々の教訓を得ることができたし、いざというときの人生の指針を、かつて受けた教育の中から得ることができる人材が育ちました。
ひるがえっていまの日本の歴史教育は、ただ試験のために年号や事件名を暗記するだけ。
社会人になって、実際に現場を任されるようになっても、「歴史にIFは禁物です」などと、わかったようなわからないような嘘に、騙され続けています。
もし本気で「女性が輝く時代」を考えるなら、私たちはむしろ過去にそれを学ぶべきです。
早い話が、紫式部は10世紀の女性です。千年前の女性です。
けれど紫式部は、21世紀となったいまの日本で、知らない人はいない有名人です。
それどころか世界中で名の通った著名人です。
果たしていまの日本に、千年後の世界に名を残す女性がいるでしょうか。
現代日本にもしいるとしたら、ウズベキスタンで拉致された日本人鉱山技師を救いだした中山恭子先生くらいかもしれません。
紫式部の時代、和泉式部や清少納言、赤染衛門、相模など、まさにこの時代、輝く女性が次々と誕生しました。
なぜ、この時代の女性たちが、千年たっても光彩を放っているのでしょう。
それだけではありません。
神話の時代に登場する、アメノウズメ、海の宮殿にいたトヨタマヒメなど、日本神話には輝く女性たちが数多く登場します。
そういえば、夫を追いかけ、千引岩に隔たれて、もう二度と夫と会うことができなくなったイザナミは、最後に夫に「吾が愛する夫よ」と呼びかけています。
神話の女性たちも輝いているのです
時代が下れば、鎌倉御家人をたったひとりでまとめあげた北条政子。
たったひとりで敵方の武将たちの前で堂々と「愛する夫が恋しい」と唄い上げた静御前。
日本の歴史には、まさに何百年経っても、何千年経っても光彩を放ち続ける女性がいます。
もし本気で女性が輝く時代を未来に向けて切り拓きたいなら、そういう女性たちが、なぜ輝くことができたのか。
そういう女性たちを輩出できた社会背景とは、どのようなものであったのか。
そこをまず学ぶということが第一歩だと思います。
なぜなら、未来のユートピアや、未来の女性が輝く時代という標語は「絵空事」ですが、過去は「現実」だからです。
未来に夢を託することはたいせつなことです。
しかし、人はいまいる世間という横糸の中だけでなく、過去、現在、未来と繋がる縦糸の中にもいるのです。
せっかくの先人たちの苦労を、どうして学び、活かそうとしないのでしょう。
縦糸と横糸をつむぐことで生地ができるのです。未来が拓けるのです。
夢ばかり見て、過去を忘れ、現在の利得や利権ばかりを追いかけたら、未来はどうなるのでしょうか。
「女性が輝く時代」にしても、人類社会の「ユートピア」にしても、私達がまずすべきことは、個人個人が勝手な絵空事のイメージを抱くことではなく、その実例を過去の日本に学んでいくことなのではないでしょうか。
これができるのは、実は、日本だけです。
なぜなら、日本だけが、世界の中で女性たちが燦然と輝く時代を築いた実績があるからです。
共産主義は、ユートピア思想です。見えない未来をそれぞれに勝手にイメージさせ、人心をたぶらかし、多くの人命を奪いました。
それぞれが勝手にイメージする未来像というのは、空気に描いた絵と同じです。これを絵空事といいます。
同じようなものを、最近の政治における「女性が輝く時代」という言葉に感じます。
ただ美辞麗句を並べて、人々に勝手な未来像を抱かせ、世を混乱に貶める。
良い未来は、絵空事によって生まれることは絶対にありません。
過去に学び、現在に活かし、少しでもよい未来を築くこと。
そこにこそ、本当に輝く未来があるのだと思います。

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