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和泉式部は、このブログでも何度もご紹介している中世を、というよりおそらく日本史上最高の女流歌人です。
その和泉式部の歌のひとつをご紹介します。
後拾遺1162番の歌です。
もの思へば 沢の蛍も 我が身より
あくがれいづる 魂(たま)かとぞみる
現代語に訳すと次のようになります。
「夜の暗闇の中でもの思いにふけっていたとき、
沢に舞っている蛍が、
まるで自分の身から抜けだした魂のようにみえました」
現代語にすると、なんだかひどく軽くそっけなくなってしまいます。
やはり音律というか、言葉が五七五七七のリズムに乗ったときに独特の情感が生まれるように思います。
さてこの歌には詞書があります。
そこには「男に忘られて侍りける頃、貴船にまゐりて、御手洗川にほたるの飛び侍りけるを見て詠める」とあります。
何があったのでしょうか。
男というのは、二番目の夫である藤原保昌のことです。
貴船というのは、京都鴨川の水源地にある貴船神社のことで、縁結びの神様としても有名です。
多くの解説書が、夫に忘れられ、貴船神社に詣でたとき、御手洗川にホタルが飛んでいるのを見て詠んだ歌だと解説しています。これまた、ただの直訳です。
肝心なことが伝わらない。
当時は通い婚社会であり、夫がしばらく通ってきてくれないから、なんとか復縁をしたくて、縁結びの貴船神社にお参りに行った。
それはそうでしょう。そのように書いてある。
けれど問題は、なぜそのとき夫が通ってこなかったのかにあるのです。
すこし経緯を振り返ります。
和泉式部は、最初、和泉守となる橘道貞と結婚しました。
そこで一女をもうけています。それが百人一首にも出てくる小式部内侍(こしきぶのないし)です。
和泉式部の子だから小式部です。
この結婚は、和泉式部にとって、あまり幸せな結婚とはいえなかったようです。
二人は別居生活してしまいます。
そんな傷心の和泉式部の前に現れたのが、為尊親王殿下でした。
教養があり、やさしい為尊親王は、和泉式部にとって、まさしく白馬に乗った王子様でした。
二人は大恋愛におちいりました。
けれど、別居中とはいえ、和泉式部は人妻です。為尊親王は、天皇の御子です。
二人の関係を周りが許さない。
けれど許されない恋だからこそ、いっそう式部の心は燃えました。
親から勘当されても、すべてを捨ててさえ、為尊親王殿下との恋を選びました。
ところが大熱愛のさなかに、為尊親王殿下が突然、お亡くなりになってしまうのです。
悲しみに沈む和泉式部の前に現れたのが、為尊親王殿下の弟君である敦道親王殿下です。
いつしか二人は深い仲になりますが、その敦道親王殿下も、若くしてお亡くなりになってしまう。
すこし想像してみてください。
心の底から愛した相手が、突然、死んでしまう。
悲しみに沈む式部の前に、まるでひとすじの光明のように現れた敦道親王までも、死んでしまう。
言葉では言い尽くせないほどの悲しみを、和泉式部は二度までも重ねてしまうのです。
それから十数年、宮中で働く和泉式部の前に、当時50代の藤原保昌が現れます。
とてもやさしい男です。
もともと武人の保昌は、和泉式部の全てを知って、式部を嫁にと求めました。
良い縁談です。
結婚は、周囲も勧めてくれました。
二人は結婚し一男をもうけました。
保昌は良い男です。
和泉式部の連れ子も、まるで我が子のように可愛がりました。
ときどき式部が悲しみに沈む姿を見せると、ただ黙って肩を抱いてくれました。
やさしくておもいやりのある男でした。
和泉式部には、夫・保昌の愛が、痛いほどわかりました。
けれど心のなかには、亡くなった親王殿下がいます。
夫の愛に答えなくてはと思えば思うほど、心が夫を裏切っているような、式部の心には葛藤があります。
保昌は不器用な男です。
妻の苦しみも知っています。
だからこそ、よけいに「俺が守らなければ」と思います。
男として、夫として、妻の全てを受け入れようとします。
けれど、保昌も人間です。
ときには、辛くなることもある。
愛する妻は、自分の腕の中にあるけれど、その妻の心の中に自分がいないのです。
それでも、妻を守らなくてはと思う。
保昌は和泉式部を愛していたからです。
だからこそ、ときには妻をひとりにしておいてあげるべきではないかと思います。
そんなとき、保昌は妻の元に通わず、実家に帰ります。
「俺がいるから、女房は辛いに違いないんだ。しばらくはそっとしておいてあげよう」
そんな思いです。
和泉式部にも、夫の気持ちはわかります。
自分のせいで夫に辛い気持ちを与えてしまっているのです。
和泉式部は生身の人間です。
10年以上も前に亡くなった人のことばかりを思うのではなく、いまの幸せをどうして願わないの?と、まわりの友達もアドバイスしてくれたことでしょう。
それもよくわかります。
だから辛い。
夫が来ないこともまた辛い。
和泉式部には、そういう葛藤があるのです。
だから貴船神社にお参りしました。
貴船神社は縁結びの神様です。
縁結びというのは、普通は、これから結ばれる男女が願いを叶えに行くところです。
けれど和泉式部は、このときすでに保昌と結婚しています。
心の結ばれる夫婦になれる自分にならなければという思いがあるから詣でたのだということを、和泉式部は「貴船にまゐりて」と書いています。
京の都から、鴨川の水源地にある貴船神社までは、結構な距離があります。
神社に着いて、長い階段を登ってお参りを済ませます。
ようやく下まで降りてくると、あたりはもうすっかり暗くなっています。
ふとみると、御手洗川の川面に、ホタルが飛んでいる。
「ああ、私も、魂がこの肉体から飛び出して、あのきままに自由に飛んでいるホタルみたいになれたら良いのに」
そんな気持ちを和泉式部は歌に託しました。
もの思へば 沢の蛍も 我が身より
あくがれいづる 魂(たま)かとぞみる
和泉式部は、川面で舞っているホタルを「憧れ出づる魂」と詠みました。
自分の御霊が、この肉体から離れて、あの無心に舞うホタルのようになれたらどんなに良いだろう。
そんな気持ちです。
何もかも放り出して、死んでしまいたいと思うときというのはあるものです。
*
ところがこの歌には続きがあるのです。
浮かんだ歌を書き留めたとき、和泉式部の頭のなかに、声が聞こえてきたのです。
その声は、次のように言いました。
奥山にたぎりておつる滝つ瀬の
たまちるばかり物な思ひそ
貴船神社の奥にある山で、たぎり落ちている滝の瀬のように、おまえは魂が散ることばかりを思っておるのか?
人は、いつかは死ぬものじゃぞ。
毎日、滝のように多くの人が様々な事由で亡くなっていることをお前も存じておろう。
人は生きれば、いずれは死ぬのじゃ。
おまえはまだ生きている。
生きているじゃないか。
生きていればこそ、ものも思えるのじゃぞ。
なのになぜ、お前は魂の散ることばかりを思うのじゃ。
それは貴船の御祭神の声だったかもしれないし、あるいは亡くなった二人の殿下の声だったのかもしれない。
和泉式部の心が生んだ幻聴だったのかもしれません。
ともあれ式部には、その声が聞こえました。
そして彼女は歌を短冊に書き留めました。
これが、いまに伝えられている、二つの歌です。
貴船神社というのは、神武天皇の母となるタマヨリヒメのご神託によって水源の神様をお祀りする神社です。
水はすべての生命の源です。
つまり命の源をお祀りしています。
その神社で、和泉式部は「なぜ魂の散ることばかりを思うのじゃ」という声を聞いています。
式部はその声を、「貴船の神の声」ではなく、単に「神の声」と書き留めています。
古代において、神とは御霊を意味する言葉です。
本音で言えば死んでしまいたいと思ったときに、この声が聞こえました。
和泉式部の目から涙が一筋こぼれ落ち、それはいつしか嗚咽となりました。
*
今日、申し上げたいのは、式部の貴船神社参拝と冒頭の歌は、「女性の気持ちや思いが、とことん大切にされた時代」だからこそ詠まれた歌である、ということです。
それが日本が飛鳥、奈良、平安の昔に確立した、女性が輝く時代に、現実に「あった」というこを申し上げたいのです。
和泉式部の人生は、決して幸せなものではなかったかもしれません。
だからこそ彼女は歴史に残る素晴らしい歌の数々を遺したのだともいえます。
けれどそれは、式部の気持ちや心がとても大切にされた、そういう世であったからこそ和泉式部のようなすごい歌人を誕生させることができた。
日本はそういう歴史を築いてきた国なのだということを申し上げたいのです。
世界には、女性の気持ちや思いなどに関係なく、暴力によって女性を奪い、蹂躙してきた長い歴史があります。
世界の民族の歴史、戦乱の歴史というものは、すべてそういう歴史です。
ほとんど、「こんな人類に誰がした!」と言いたくなるほど、情けない歴史を営んできたのが、実は世界の人類史です。
けれど日本は、こうした心を大切にする文化をずっとずっと古い昔から育んできたのです。
もし保昌が、自分勝手にただ思いを遂げるタイプの、よくある外国人のような男であったのなら、彼が和泉式部の気持ちを大切に思うことはありません。
なぜなら女性は戦利品であり、モノだからです。
そういう世界や時代や世の中なら、女性の気持ちが斟酌されることはありません。
先の大戦が終わり、外地から朝鮮半島を経由して祖国に帰ろうと逃げ落ちてきた女性たちがどれだけ犠牲になったことか。
あるいはベトナム戦争で、どれだけ多くの女性達が犠牲になったことか。
そのような世界にあって、日本では、男たちが女性の微妙な心をおもいやり、不器用ながらも女性の心を大切にしてきたという歴史を紡いできました。
そのことが、女性の側の歌にも、こうしてくっきりと描かれているのです。
それが日本です。
世界中どこの国にあっても、自国にPRIDEを持ったり、誇りを持つことは、胸を張ることにつながります。
一方、日本の歴史や文化は、歴史を学べば学ぶほど、文化を知れば知るほど、頭が下がり、謙虚な気持ちにさせてくれるのだと思います。
それを貶めたり、学ばせなかったりすることは、逆にいえば、日本人から謙虚さを失わせ、学ぶ心を失わせる、それこそ、たいへんな暴力行為だと思います。
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