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石田梅岩(いしだばいがん)は、江戸中期の人で、日本の「商人道」を打ち立てた人です。
後々にはたいへんな影響力を持ち、この石田梅岩の思想の影響を受けた人に、松下幸之助があることは有名ですが、実はそれだけではありません。
最近「企業の社会的責任」という言葉がよく用いられるようになり、またこのことは国際標準化機構(ISO)の規格番号26000にまで発展しています。
このシステムの元になっているのが、キリスト教のカルバン主義による「商業倫理」です。
そのカルバン主義商業理論をさらに発展させたのが、昭和中期の米国の宗教社会学者のロバート・ニーリー・ベラー(Robert Neelly Bellah)です。
そしてロバート・ニーリー・ベラーの研究成果のもとになったのが、実は石田梅岩の石門心学です。
石田梅岩は、もともとは京都府亀岡市の農家の次男坊です。
家が貧しくて、11歳で呉服屋に丁稚奉公に出ています。
一生懸命に働いて番頭さんにまで出世するのですが、43歳のときに在家の思想家の小栗了雲に出会い、覚醒を得て2年後にお店を辞めて、借家の自宅で私塾を開いています。
そこで教えたのが、「商人道」でした。
享保14(1729)年のことです。
石田梅岩の講義は、毎日休みなく続けられたそうです。
ある日、講義の出席者がたった一人という日があったそうです。
その受講生は、受講者がひとりでは申し訳ないからと、恐れ入って帰ろうとしたそうです。
すると梅岩はそれを押しとどめて、こう言ったそうです。
「私はただ机に向かってひとりで講義することもあります。君が一人がいれば、それだけで十分です」
自分でも講演や講義をするようになってわかるのですが、ひとさまに何かをお話するというのは、事前に相当予習して準備しておかないと、なかなかその場で、いきなりというわけにはいきません。
おそらく石田梅岩にとって、この「何があっても毎日続ける」ということが相当の勉強になったのではないでしょうか。
ところがだんだんに塾生が増えてくるようになると、石田梅岩は、たいへんな中傷を浴びるようになります。
◆たかが元商人の農民ふぜいが人の道を説くとは言語道断
◆石門学は、儒学か朱子学が、陽明学か、仏教か
◆ただのいいとこどりのインチキ学ではないのか
◆ただきれいごとをならべているだけの金儲屋
◆たかがもと百姓
などなどです。
そんな悪質な中傷を誰がしていたのかというと、なんと、同じ時代に名門とされていた私塾からです。
この時代、大人たちを相手にした私塾というのは、人間をつくるために開設されていました。
ところがその「人をつくる」ための有名な名門私塾から、彼はさかんな中傷をあびてしまうのです。
人の世の中というのは、何百年前も今の時代もすこしも変わらない。
要するに、清少納言が言うように、人は噂話好きです。
自分のことは棚に上げて他人のことをとやかくいうのだから、噂ほど楽しいものはない。
だから言うなというのが土台無理な話なのであって、言われるのは仕方のないことです。
そして噂のなかに良い噂があれば、からなず同じくらい悪口もある。
けれどそんな悪口のために、塾生が梅岩のもとを離れてしまう。
そこで石田梅岩がどうしたのかというと、彼はますます努力したのです。
他人が悪口を言いふらすことを止めることはできません。
ならば、彼自身にできることは、ただひたすら精進して、より良い講義を続けるしかない。
石田梅岩は、むしろ悪質なうわさをバネにして、勉強を重ねていくわけです。
そしてそうすることによって、はじめのうちは荒削りだった彼の思想は、どんどん完成形に近づいていきました。
孟子の言葉に「天のまさに大任を是の人に降さんとするや、必ず先づその心志(しんし)を苦しめ云々」という言葉があります。
それは言葉通りに「天から苦しめられる」という受動的な意味によく使われますが、そうではなく、能動的な言葉だとお思います。
「心志(しんし)を苦しめ、筋骨を労し、体膚(たいひ)を餓やし、身を空乏し、行ひ為すところに払乱せしむ」から、人は努力するのです。
スポーツも同じです。
勝てば勝つほど強敵が現れる。
乗り越えるべき難儀がある。
だから楽しい。
石田梅岩の思想です。曰く、
1 学問は、人生を悔いなく生きることを目的として学び修行するものである。
2「学ぶ」ということは、「あるべき」日常生活を知ることである。
3 商家は、家業を続けることで、天下の泰平を助け、万人の福祉に奉仕するものであり、それが商売の本質である。
4 世間の人々は、自分の利益だけを考え行動するのではなく、相互扶助、相互信頼の心をもって暮らさなければならない。
5 相互信頼の心がけは、心学社中の相互間だけでは駄目で、その思想を社会のありとあらゆる人々にたいして働きかけなければならない。それが行動であり、その行動は勤勉、倹約、布施という形をとる、
梅岩の著書の『都鄙問答』です。
彼がこの著書を出すことができるようになったのは、元文4(1739)年、梅岩55歳のときです。
つまり梅岩は、私塾をはじめて本が出せるようになるまでに、まる10年を要しています。
要するに石田梅岩は、10年かけてその思想を完成させ、その完成した思想を語り広げ、わずか5年後にこの世を去ったのです。
けれど彼の著書と思想は、弟子たちによって受け継がれ、それから明治維新まで、なんと130年間にわたって版を重ねていきます。
明治時代にも、14版を数えています。
そして昭和になったとき、冒頭にお伝えした米国の宗教社会学者のロバート・ベラーが日本を研究した著書「Tokugawa Religion」の中で、有色人種国家で唯一近代化に成功した日本を分析して、その要素が石田梅岩の石門心学による影響であったことを世界に向けて発信しました。
その著書からの石門心学の引用です。
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商売の始まりは、余りある品と不足な品とを交換して、互いに融通しあうのがものです。
そのためには、正確な勘定と正直な取引が必要です。
良い品を、適正な値段で売れば、買い手も安心し、売り手と買い手の相互の信頼が生まれますから、それだけでも住みよい世の中になります。
だから正確、正直な商売をして大いに儲けることは、欲心とばかりはいえないのです。
(中略)
人を騙して儲けるのが商人ではありません。
商人は、右のものを左に移しただけで利を取る者でもありません。
商人が利益を得るのは、武士が禄をうけるのと同じで、「売利ナクバ、士ノ禄ナクシテ事フルガ如シ」なのです。
ですから売利を得るには、心構えと基準が大切になるのです。
心構えとは、品物の品質と値段に「真実」を尽くすことです。
買い手の身になって売る思いやりが、商人にとっての真実であり、この「真実」こそが商人の生命です。
商人が悪いというならば、百姓か職人に転業する他なくなるけれど、
それでは財宝を通わすものがなくなってしまい、天下万民が難儀してしまいます。
ということは、一家を治めるのも、一国を治めるのも、仁をもととし義を重んじなければならない点ではおなじだということです。
ですから商人も、ささやかな仁愛を捧げ、国の役に立つことが本義です。
飢えた人を救うのは人の道であるけれど、商人もまた、その心がけがなくてはなりません。
商人に俸禄を下さるのは、買い手であるお得意様です。
ですから商人はお得意先のために真実を尽くします。
真実を尽くすためには、「倹約を守って、これまで一貫目かかった生活費を七百目で賄い、これまで一貫目あった利益を九百目に減らすよう努めることが肝要です。
贅沢をやめ、普請好みや遊興好みを止めれば、一貫目の利益を九百目に減らしても、家は立派に立っていくのです。
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昨今、論説というのは、別な書物からの引用が示されなければ、論説の名に値しないといわれます。
けれど、これには大きなパラドックスがあります。
どういうことかというと、日本の真実を書いた戦前からの書籍は、GHQの焚書によって、世の中から姿を消しているからです。
つまり、左翼版の本しかない中で、引用文献が明示されなければ論に値しないと言うのなら、左翼に偏向した論説しか世の中に出まわらない、という筋書きができてしまっています。
けれど本当に価値があるのは、オリジナルです。
引用が大事なのではなくて、その人の論考が大事なのだと思います。
石田梅岩は生前、「石門学は、儒学か朱子学が、陽明学か、仏教か。ただのいいとこ取りではないのか」と馬鹿にされましたが、上にある「Tokugawa Religion」からの引用をみれば、梅岩の著書が、既存のさまざまな学問や世間の常識などを組み合わせ、そこに梅岩としての論考を加えた、梅岩オリジナルのものであったことは一目瞭然です。
日本はいま、完全に貨幣経済下にありますが、ところがその貨幣経済下にあって、唯一有色人種として世界に冠たる地歩を築けたのは、こうした梅岩のような社会道徳概念をしっかりと打ち立てていたからなのではないかと思います。
とかく「儲かれば良い」とされる世の中ですが、たいせつなことは、もっと他にあるということを、私達はもう一度考えてみる必要があるといえるのではないでしょうか。

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