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20150725 新渡戸記念館

「地方自治体の市長、副市長が共謀して、個人が保有する時価800億円は下らない文化遺産を、一片の正式通達も出さずに、勝手に処分しようとし、御用新聞を利用してその所有者を中傷して個人への人格攻撃をする」
およそ日本人の頭では考えられないような暴挙ですが、こんなことが現実に起きているのが、青森県十和田市であり、その十和田市にある新渡戸記念館です。
この問題に関しては、以下の2つの記事で情況を皆様にお知らせしていますが、今回はその現状視察のときの動画も出来ましたので、合わせて、もう少し掘り下げてみたいと思います。
◆新渡戸記念館を守れ!
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2661.html
◆新渡戸記念館の文化財が霧散の危機に瀕しています
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2716.html
新渡戸記念館廃館問題


まず、青森県の十和田市というのは、もともとは三本木原と呼ばれる荒涼とした大地だったところです。
そこに幕末に近い安政2(1855)年に、盛岡藩士だった新渡戸稲造博士の祖父の新渡戸傳(にとべつとう)氏が、奥入瀬川から水を引けば、この三本木原が肥沃な農地になるとして、近隣の農家の人々と一緒になって開墾したことで、人々が住めるようになったところです。
この開墾時に引水用の河川として築かれたのが稲生川(いなおいがわ)で、これが完成したのが安政6(1859)年のことです。
明治18(1885)年には、新渡戸家の計らいで、陸軍が十和田に軍馬局出張所を設置しています。
明治18年といえば、大国ロシアの脅威が目前に迫っていた時代で、ここで育てられた馬が、その後の日清、日露の戦いで大活躍をし、またノモンハンなど満蒙の地で日本側の戦いを勝利に導いています。
また新渡戸家は、十和田という寒冷地に適した稲の開発のために農事試験場を招致し、そこで開発された「藤坂5号」は、昭和24年から普及がなされ、十和田は一大穀倉地帯へと発展しています。
要するに、十和田市は、新渡戸家の尽力によって、農地ができ、町が育ったわけです。
また新渡戸稲造博士は、米国で「武士道」を著わし、まさに世界に向けて日本文化を発信するという大役を果たされています。
このような経緯から、大正14(1925)年に、新渡戸稲造博士の蔵書約1万冊を収蔵した「私設新渡戸文庫」が、十和田市の真ん中にある、新渡戸家代々の墓所の一角に建てられ、さらに昭和40(1965)年に、十和田市がこの施設文庫を、未来永劫遺すようにと、新渡戸家が保有する
 三本木原開拓の資料、
 新渡戸家伝来の武具、兵法資料
 新渡戸稲造博士の遺品、蔵書
などを、新渡戸家の所有のまま市の文化財に指定するとともに、これを展示する記念館として鉄筋コンクリートで作成したのが、いま、十和田市にある新渡戸記念館です。
そして、十和田の小選挙区で選出された衆議院議員の江渡聡徳(えとあきのり)先生は、衆議院で六期の当選を果たし、第二次安倍改造内閣において、防衛大臣・安全保障法制担当大臣に就任(2014/9)しているのですが、政治資金規正法上のトラブルから、昨年12月に大臣を辞任されたあたりから、実は新渡戸記念館の様子がおかしなものに変わってきたのです。
はじめは、昨年暮れから今年の1月にかけてです。
商工会議所の会頭が記念館にやってきて、記念館の建物を、もっと大きくて立派な建物に改築しようと、話をもちかけてきたのです。
これは、昨今、全国にある縄文時代の遺跡等において、その研究施設や記念館などが次々と大きくて立派な建物にされていっている動きとよく似ています。
箱物行政といいますが、立派な箱物を建設することで、裏で大金が動きます。
新渡戸記念館と江渡議員の関係を指摘する気は、まったくありませんが、こうした箱物建設の資金の一部が政治資金になっていくのは、よく知られた話です。
この記念館に建て替えの話があったのですが、不思議なことに、地元選出の国会議員が現職の閣僚ポストを離れると、この話が突然、風向きが変わりました。
いきなり、建物を取り壊すから、展示物を「よこせ」に変わったのです。
いうまでもないことですが、記念館を「建て変える」よりも、記念館を取り壊し、収蔵品そのものを海外で現金化した方が、はるかに早く、しかも大金を手に入れることができます。
なにせ時価総額800億円、しかも新渡戸稲造博士は世界的に有名な人物です。
けれど、本来なら、建て替えにしても、取り壊しにしても、そこには正式な市の決定と、その決定についての正式通達が必要です。いやしくも地方自治体なのですから、当然のことです。
ところが、十和田市の市長、副市長、担当課長等は、十和田記念館を管理し、その記念館に新渡戸家が所蔵する所蔵品を提供している新渡戸家に対して、いま、この時点になっても、いまだ正式通達書面の一枚も発行していません。
それでいて、記念館の取り壊しは、いつの間にか既成事実とし、所蔵されている展示品は、はっきりと「よこせ」と言ってきているのです。これはあまりにも、怪しすぎます。
しかも、そもそもの「耐震性に問題があるから、建て替える(今年2月以降は取り壊す)」と言ってきているその耐震性診断にしても、コンクリート強度をちゃんと調べたのかさえ疑念があるうえに、さらにコンクリート強度だけでなく建物の構造上に欠陥があると口頭で言っていながら、その実、建物の設計図面さえ、市は所持していないのです。(図面は新渡戸家が保管していて、市当局に見せていないし、見せることを求められてもいない)。
十和田市は、「取り壊しが決定しているから、最早、市が保有する建物の電気、ガス、水道代の負担もできない」と、7月にはそれら公共料金の支給も打ち切ってしまいました。
これまた不思議なことです。
古い財物を展示しているから「展示館」なのです。
全国どこでもそうですが、展示館というのは、展示館の「ハコモノ(建物)」に値打ちがあるのではなくて、あたりまえのことですが、そこに「展示されているモノ」に値打ちがあるのです。
そして、古い遺物を展示している記念館には共通することですが、展示物の空調管理は、とても大切なことです。
たとえばこの記念館には、先日も書きましたが、室町時代の新渡戸家のご先祖の甲冑(かっちゅう、ヨロイ、カブトのこと)があります。
この甲冑は、一見すると黒ずんでいて古びた品ですけれど、よく見ると、全身に金箔を張り巡らせた黄金の甲冑です。
もともとこのあたり一帯は、盛岡藩(南部藩)の所轄地ですが、千葉出身の新渡戸の一族がこのあたりまでやってきたのは、おそらくは、金の鉱脈を探しにやってきたのであろうと、私は思っています。
もともと東北は金の産地で、とりわけこの十和田の一帯は、昔は一大金鉱床があったところです。
そして豊富な金鉱脈を探りあてたからこそ、まさに甲冑も黄金の甲冑であったのであろうと思います。
まあ、このことは、証拠となるのは、十和田一帯が、いまは枯れてしまっているけれど、もともとは一大金鉱床であったという事実と、新渡戸記念館に所蔵されている戦国時代の甲冑が総金箔貼り制であること、そして新渡戸家が、それ以前は千葉氏の一族であったという歴史からの、私の勝手な想像ですけれど、いずれにせよ、そうした貴重な遺物が、空調の整わない蒸し風呂状態の施設内に置かれたりすれば、またたく間に腐食し、傷んでしまうのです。
だからこそ空調管理は、記念館にとっては、まさに生命線ともいえる重要事項なのですが、それを十和田市は「建物の取り壊しが決まったから、電気は停めます」と、さっさと、電気の供給を打ち切ってしまったわけです。
しかも、そのような横暴ともいえる措置をするにあたり、十和田市は、一片の通達も出していない。
およそ、文化財の保護をすべき行政には、これは「ありえないこと」といえると思います。
当然のことながら、記念館を管理する新渡戸家側では、ボランティアの人達と私費で電気を接続し(いまはそのようになっています)、空調を維持するとともに、そのような現状について、これを新渡戸記念館のホームページに館長の名入りで情況を掲載しました。
すると十和田市は、なんと、そのホームページを抹消し、市のホームページからもリンクを削除してしまったのです。
(下にリンクを張っている新渡戸記念館のホームページは、ホームページを閉じられてしまったあと、記念館側が独自にスタートさせたホームページです)
不思議なことはさらにあります。
この記念館は、新渡戸家の私有地に建てられています。
そして、記念館の所蔵品の所有権は新渡戸家にあります。
市が所有権を持つのは、記念館の建物だけです。
市は、その建物を取り壊すと言っているのですが、そうなれば、一番の問題になるのは、記念館に所蔵されている展示物です。
時価総額800億円は下らないとされている、貴重な品々です。
当然のことながら、建物がなくなったとき、その展示物をどうするのかは、最大の懸案事項です。
これについて市は、これまた正式通達ではなく、非公式に口頭で、
「こちらで処分するから、全部、よこせ」
と言ってきているのです。
館からの搬出についても、室町時代の物品もあり、外気に触れたらそれだけで腐食したりボロボロになってしまうものもあります。
それらについて、どうするのかという記念館側の問いに対しても、
「そんなものは、専門の業者にコチラで依頼するから、あんたたちは心配する必要はない。とにかく建物は取り壊すから、出て行け。展示品はよこせ!」というのです。
これは、ますます不思議なことです。
記念館の所蔵品は、すべて新渡戸家の財産です。
しかも、骨董品として市場に出せば、時価総額は800億円は下らないという貴重品です。
先般、日本の縄文時代の土器が、外国でオークションにかかったとき1億8千万円の価格がついたそうですが、新渡戸稲造博士といえば、世界的に高名な人物です。
その新渡戸博士の遺品、さらには、新渡戸博士が5千円札になったときの肖像画の原本、そしてまた新渡戸家に代々伝わる戦国時代の黄金の甲冑など、値段の付けられないような貴重な品々なのです。
それをただ「建物を取り壊すから」という名目で、「無償でよこせ」と言ってきているのです。
およそ、公的機関である市が言うこととは思えないことです。
しかもその「よこせ」は、寄贈しろ、ということでもないのです。
寄贈なら、それなりに寄贈品のリストを用意しなければなりません。
なぜなら寄贈には、贈与の問題が発生するからです。
贈与になれば、贈与税が発生します。
ですから、寄贈するならするで、それぞれの品目についてのリストと、評価額の算定が必要になります(そうでなければ贈与税額が出ません)。
これは譲渡であっても同じです。
巨額の資産が、AからBに渡るとなれば、当然そこに、贈与税、譲渡税の問題が発生しますし、売却であれば、売却代金の算定も必要です。
ところが市が言ってきているのは、贈与でもなければ、譲渡でも売買でもありません。
ただ「よこせ」なのです。
しかもその展示品を、「誰に渡すのか」さえ、あきらかにしていません。
譲渡人はあきらかです。新渡戸家です。
では、品物を受け取るのは、いったい誰なのか。
その点について、市はこれまでまったく、「公式な回答」をしていないのです。
こうなると、疑いたくはないですが、誰かがそこにある「展示物を不当に騙取し横領しようとしているのではないか」という疑念が生じても仕方がないことです。
なにせ時価総額800億円は下らない、貴重な品々なのです。
そんな、まさか行政府がそのようなデタラメなことをするわけがない、と思うのは、日本人が築いてきた日本の社会が、歴史的にもおカミがどこまでも、「天子様からお預かりしたおおみたからを、預かる立場」という一線を守り通してきたからです。
けれど、China、朝鮮半島では、これが「あたりまえ」のことです。
つまり、おカミは、庶民から自己の利益のために、ひたすら収奪をする。
マンガ『北斗の拳』のザコキャラそのものの生態が、ChinaやKoreaでは、おカミそのものなのです。
以前にもご紹介しましたが、辛亥革命のとき、蒋介石率いる国民党は、清王朝の居城である紫禁城内に侵入して、そこにある値段のつけられないような高価な品々のすべてを全部持ち去りました。
時の皇帝だった愛新覚羅溥儀には、このとき、英国人家庭教師からプレゼントされた自転車1台と、いま着ている着衣、それとカビ臭い皇帝の椅子だけしか残されていません。
あとは全部、ただ「よこせ」と言って奪われました。
このとき、後宮の女性たちの汚れた下着まで持ち去られたといいますから、すさまじいです。どんな趣味をしてるんだ、と言いたくなります。
国民党は、その奪った財物を、ではどうしたのかというと、党の対外的宣伝工作に用いました。
国民党に都合の良い記事を書いてくれたChina駐屯の外国人新聞記者や、領事、あるいは西欧まで出張して、欧州の貴族や政治家たちに大量にこれをバラまいたのです。
その蒋介石の、宝物ばら撒き型の宣伝工作にすっかり騙された人たちが、結果として米英の反日論者に力を与え、その結果日華事変や大東亜戦争が起きています。
また、以前にも指摘させていただきましたが、こうして宣伝工作のために、スッカラカンになったChinaで、新たに政権を取ったChina共産党は、ソ連やChina国内の軍閥への支払いのための経費不足に陥りましたが、その不足金を補うために行われたのがチベット侵攻です。
チベットは千年以上続く敬虔な仏教国であり、そこには値段の付けられないような宝物が山のように眠っていたからです。
そして昨今、日本国内に、そうしたChinaやKoreaからの移民が増え、このため全国の古い神社や、個人記念館などが、いつの間にか、何の正式書面もなく取り壊されたり、所蔵されていた物品が飛散するという事件が全国的に起きています。
新渡戸記念館をめぐる問題は、そんな頻発する日本の財産遺失の、氷山の一角の問題でもあるようにも見えます。
もちろん、市側が展示品類を受け取らず、もともと新渡戸家のものなのだから、新渡戸家に以後の管理を委ねるという選択肢もあろうかと思います。
けれど、その管理するための建物施設を市は「取り壊す」と言っているのです。
ならば、どのようにして以後の管理をするのか。
そのあたりについての「話し合いさえも市は拒否」し続けているのです。
まったくもって理解できない不思議な話です。
新渡戸稲造博士の遺品というのは、単に新渡戸家の財産、十和田市の財産というだけでなく、日本の財産でもあります。
その大切な財産について、それが誰かの欲望の餌食になるのではなく、ちゃんとした保護が図られ、ちゃんとした運営がこれからもなされていくことを希望します。
また、すくなくとも、十和田市を故郷とする人たちは、その全員が、三本木原を開墾した新渡戸傳、その子で十和田の都市計画を推進し、軍馬育成施設を誘致した新渡戸十次郎、十和田で収穫できるお米の開発に力を尽くし、日本の武士道を世界に広めた新渡戸稲造博士という三代の遺徳によって、十和田の地で産まれ育ったわけです。
そうした故郷を大切にする心を無駄にしないためにも、この新渡戸記念館問題が、誰もが納得できる、ちゃんとした決着に至ることを心から希望します。
PS:この新渡戸記念館問題について、日本弥栄の会の中矢代表が、今月号の「玉響」に詳しい解説記事を載せています。
http://www.nihoniyasaka.com/contpgm2/w_magintro.php
◆十和田市の新渡戸家記念館HPが削除されたため、新渡戸家の有志たちがあらためて作成した新渡戸記念館のホームページ
http://www.nitobe.jp/
◆新渡戸記念館の保護について↓からネット署名ができます。
https://www.change.org/p/%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%AB%E9%81%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E-%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8%E3%82%92%E5%BB%83%E9%A4%A8-%E5%8F%96%E3%82%8A%E5%A3%8A%E3%81%97%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7
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