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以下のお話は、いまから10年前の2005年に、2ちゃんねるの「既婚男性板」というところで、インド人の友人から聞いた話として紹介されたもので、ねずブロでも、何度がとりあげさせています。
話の内容が事実であるのかどうかは確認がとれていません。
ただ、実際に戦地に赴かれた軍人さんたちの思いと行動を、たいへんよくあらわした一文だと思います。
とても心に沁みるお話です。
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【勇敢で高潔で、誰からも好かれた日本軍人】
2005/07/22(金) 20:10:37 既婚男性板より
昔々、第二次世界大戦の頃、Mさんというインド人の若者がいました。
Mさんは、インド国民軍に参加し、日本軍の新藤(仮)という軍人の下で訓練を受けたそうです。
新藤氏は、日本人にしては色が黒く目鼻立ちが濃かったせいで、日本兵の間で「インド人に 似ているから、お前のあだ名はインドさんだ!」とおもしろがって呼ばれていたそうです。
また、Mさんたちからも、そのあだ名と、名前の発音がインドの古称である「シンド」と 似ているため、「シンドさん、シンドさん」と親しみを込めて呼ばれるようになったそうです。
新藤氏の訓練は厳しく、Mさんたちインドの兵士を怒鳴りつけたり鉄拳制裁を加えたりするのも 日常茶飯事だったそうです。
しかし、訓練が終わると、日本の歌やインドの歌を一緒に歌ったり、言葉を教えあったり、時には 特別配給されたお菓子を分けてくれたりと、日本人、インド人を問わず、兵士たちの誰からも 尊敬され、愛される上官だったそうです。
そして、訓練も終わり、インパール作戦への開始。
その時、Mさんたちは新藤氏の部下(?)として、作戦に参加することになったそうです。
激戦の中、新藤氏の部隊は、強力なイギリス軍の陣地を攻めるため、本隊から大きく迂回して ジャングルの中を進み、イギリス軍の背後を突くように、という命令を与えられました。
しかし、攻撃前にイギリス軍に発見され、ほぼ全滅するほどの被害を受けたそうです。
気づけば、Mさんの周囲で生き残ったのは、同世代の若いインド兵がわずか5名。
みんな恐怖で 逃げ散ったためにかろうじて生き残った者ばかりだったそうです。
イギリス軍に見つかれば殺される、と怯えるMさんたちの元に、片腕を失った新藤氏が合流し、
「作戦は失敗した、本隊と合流しよう」と告げたのだそうです。
ですが、武器も食糧も水もろくになく、本隊がどこにいるのかもわからず、しかも敵兵がうようよ いる中では、夜中にしか移動できません。
そんな中でも、重傷の新藤氏は怯えるMさんたちを 励まし、杖代わりの小銃にすがって山中をさまよったそうです。
数日後、食糧も水も尽き、新藤氏の病状も悪化し、いよいよもうダメだ、とMさんが覚悟した時、最悪なことに10人ほどのイギリス軍の小部隊が近づいてくるのを発見します。
新藤氏は、Mさんたちにこう告げます。
「私は、この怪我ではまもなく死ぬ。
だが、諸君はなんとしても生き延びて、
インドの独立のために戦いなさい」
うなずくMさんたちを地面に伏せさせ、その上に土や落ち葉をかぶせた後、新藤氏は
「ガンバレ!」と叫ぶと、弾の尽きた小銃だけを手に、イギリス軍に向かって駆け出します。
しかし、何歩も行かないうちに、イギリス軍の機関銃に頭を撃たれ、鉄兜をはね飛ばされ、 その場に倒れます。
それでも、新藤氏は跳ね起き、小銃を構えてイギリス兵に襲いかかり、 銃剣で3人を刺し殺したそうです。
なおも片手で血まみれの銃を振り回す新藤氏に恐れをなしたイギリス兵は、武器や荷物を 放り出し、悲鳴を上げて逃げ去っていったそうです。
イギリス人が逃げ去って始めて、新藤氏はその場にばったりと倒れます。
敵兵が去った後、新藤氏に駆け寄ったMさんたちが見たのは、最初の機関銃の弾で頭を撃ち抜かれたため、頭が半分無くなってしまった新藤氏の変わり果てた姿でした。
Mさんたちは、新藤氏の遺体を囲んで泣き、日本人がこんなに勇敢に戦ったのに、私たちは 怯えて見ているだけだった。
情けない。
これからは勇敢に戦い、新藤氏が願ったように、 生き延びてインドのために命がけで働こう、と誓ったそうです。
そして、新藤氏の遺品である銃やお守りを手に、イギリス軍の残していった武器や食料を みんなで分け合い、その場を離れます。
新藤氏の死から、10日以上も山中をさまよった後、一行は小さな集落にたどり着き、その 住民に助けてもらってようやく日本軍(当初属していた本隊ではない部隊)と合流できた のだそうです。
形見のお守りは合流した日本軍の士官に渡したそうですから、おそらく遺族の元に戻った ことでしょう。
そうそう、士官が確認のために開けた時、中には小さな木の板と、折りたたんだ写真・・・
新藤氏が奥さんの隣で、小さな女の子を抱いて微笑んでいる写真が入っていたそうです。
小さなお子さんのためにも、なんとしても日本に帰りたかっただろうに、命がけで自分たちを 守ってくれた新藤氏の勇気に、Mさんたちは再び声を上げて泣いたそうです。
そして、終戦。
最後までMさんたちの面倒を見てくれた日本軍の士官は
「私たちと一緒にいると、イギリス軍に捕まってしまうから、身分を隠して故郷に帰りなさい」 といって、わずかながらお金や食料、衣服などを分け与えてくれたそうです。
そして、「インド独立の約束を果たせなくてすまない」と涙を流して頭を下げたそうです。
戦争の後、故郷に帰ったMさんたちは協力し合い、新藤氏の最後の言葉「ガンバレ!」を 合い言葉に、インドの独立と発展のために必死で働いたそうです。
そして、Mさんは軍人と して大成し、仲間たちもお互いに力を合わせて、政治家や実業家、学者として同様に成功を 修めたそうです。
勇敢で、高潔で、誰からも好かれた日本人。そんな日本人は今どこかにいるのだろうか。
でも、ほんの60年前。
私の両親や祖父母の時代に、この国には確かにそんな立派な人間が いたという事実は、私にとって小さな誇りと、負けないように自分も頑張らないと、という 目標を与えてくれたような気がします。
最後に。
今回の話は、もともとが古い時代の聞き語り。
話した本人も、聞き覚えた人々も幼い頃の記憶に 頼っていますし、歴史や軍事に詳しい訳でもありません。
また、この話をまとめた私自身も第二次大戦に関する知識に乏しいので、戦史に詳しい方から 見れば首をかしげるような部分もあるかも知れません。
その点をご理解頂ければ幸いです。
そうそう、この話にはちょっとオカルチック(?)な余談があります。
新藤氏が死んでMさんたちが山中をさまよっている時のこと。
疲労で見張りを立てる余裕もなく眠ってしまった5人全員の夢の中、新藤氏が出てきて
「敵襲!」と叫んだそうです。
そして、はっとして目覚め、跳ね起きて藪の中に身を潜めたMさんたちのすぐ近くを、 イギリス兵の偵察部隊が通り過ぎていったそうです。
その後も何度か、Mさんたちの夢に新藤氏が現れて、敵が近くにいることを教えてくれたそうです。
Mさんたちは、死んで霊になった新藤氏が自分たちを守ってくれていると信じ、夢の警告に従って、 ひとりの死者を出すことなく生き延びることができたのだそうです。
しかも、戦後の独立運動の間も、その後の軍務の中でも、新藤氏は何度もMさんたちの夢に現れ、 様々な危険を教えてくれたそうです。
霊のお告げ、ってのは「Mさんたちの、疲労状態でも極限まで緊張しきった神経が、敵兵の 近づくのに気づき、無意識のうちに便りにしていた新藤氏の姿を借りて警告を発した」合理的に考えることも出来ますが、やっぱり、これだけは、死者の魂が最後まで守っていてくれた、という説明の方がしっくりするような気がします。
さて、以上、インド人の知り合いから聞いた、昔々の英雄譚でございました。
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集団的自衛権に関する法案がようやく衆院を通過しましたが、この議論に際して、野党は口をそろえて「戦争反対、徴兵制反対」と、まるで見当違いな議論をしていました。
採決の日、国会周辺には主催とテレビ局の発表では10万人の反対デモがあったと言われますが、警察の発表では4〜5千人、実際に当日国会前に行った方のお話ですと、「え、そんなのどこにいたの?」という程度の人しか集まっていなかったそうです。
実際にプラカードを手にしている人に近づいて「暑い中ご苦労さまです」と声をかけた方のお話によると、そのプラカードを持った方は、「はい。アルバイトですから」と、元気よく答えたとか。
要するに、お金を払っての動員でしかない、ということです。
その資金の出処も、いまや閉ざされていますから、今回、10万人を動員と鼻息を荒くしても、現実問題として資金の都合上、2〜3千人の動員しかできなかったのでしょう。
あわれなものです。
ちなみに「徴兵反対」ですが、安保法案が通過しても、徴兵はありません。
すでにハイテク戦となったいまの國際戦争に、素人の徴兵兵が出る幕はないのです。
必要なのは、最先端を走れるプロなのであって、素人ではありません。
東日本大震災の際に、自衛隊が活躍しましたけれど、津波等で瓦礫の山となった被災地の最前線で、道を造ったり、救助活動に従事したりは、素人にも、警察や消防にさえも、無理なことでした。
そういう現場で活躍できるのは、ひとえに訓練された自衛隊だからこそです。
砲弾も飛んでこなければ空襲もない、国内の、陸上の、戦地でもなんでもない、震災の被災地でさえ、そのような状況なのです。
まして公海上であったり、外地であったり、戦地であったりすれば、そこに素人の入り込める隙はありません。
ですから自衛隊の増強は必要ですけれど、国民の徴兵は、我が国防衛に関しては必要がありません。
つまり、野党の議論は、単に議論のためにする議論にほかならないということです。
おとなりの韓国は徴兵制を敷いています。
当然です。
陸続きの北朝鮮とまだ戦争中なのです。
昭和25年に始まった朝鮮戦争は、あくまで38度線で休戦しているのであって、戦時体制であることに変わりありません。
そして陸続きであるということは、国土そのものが戦場であるということです。
それならば国民皆兵が当然です。
一方日本は、戦時中ではありません。
とっくの昔に大東亜戦争は終結させいているし、戦後70年、世界の先進諸国の中でただ一国、戦争をしないできていますし、これからも戦争をする気はありません。
だからこそ、戦争抑止のための安保や集団的自衛権が必要になるのです。
世界には、庶民からみたときに、軍隊とヤクザと暴徒は同じもの、という国が、いまだに存在します。
とりわけChinaやKoreaでは、まさに国軍は国民にとっての恐怖の対象です。
中共は、戦後およそ1億人を人民解放軍によって殺害しているといわれているし、韓国はまさに朝鮮戦争の際に、韓国大統領が韓国軍を動員して韓国民を殺しまくっていました。
そういう国の出身者からみたとき、日本が軍事を強化するというのは、まさに恐怖の対象なのかもしれません。
実際韓国軍では、戦闘行為がない平時においては、専業軍人が徴兵兵にウ◯コを食べさせたり、兵同士の肛門を舐めさせたり等、国民を虐殺する代わりに徴兵兵に対して徹底的なイジメを行っています。
繰り返しますが、彼の国では、庶民からみたときに、軍隊とヤクザと暴徒は、まったく同じものです。
一緒にしないでもらいたい!と強く思います。
けれど日本の軍は、大昔からシラス国の軍です。
シラス国で、いちばんの宝物は民衆です。
そして武は、どこまでも国の宝である民衆を護るために用いられてきました。
震災の際に、自衛官が見せてくれた行動は、70年前の戦時中の日本軍の行動と変わりありません。
日本人はどこまでも日本人なのです。
勇敢で高潔で、誰からも好かれた日本軍人。
もう戦後の茶番は終わりにし、誇り高い日本の心と日本軍を、わたしたちはもう一度取り戻したいと思います。

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