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20150608 Drスランプ

拙著の『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人 第二巻』の冒頭にも書きましたし、このブログでも繰り返し述べていることですが、日本の漫画が、なぜいま世界でこれほどまでに受け入れられているのか。
たいせつなことなので、今日もこのことを、あらためて(ちょっと切り口を変えて)また書いてみたいと思います。
漫画の歴代発行部数ランキングを発表しているサイトがあります。
http://www.mangazenkan.com/ranking/books-circulation.html
ここを見るとすごいです。


1位 ワンピース 3億2000万部
2位 ゴルゴ13 2億部
3位 ドラゴンボール 1億5700万部
4位 こちら葛飾区亀有公園前派出所  1億5650万部
5位 名探偵コナン 1億4000万部
6位 ナルト NARUTO 1億3500万部
7位 美味しんぼ 1億3000万部
8位 SLAM DUNK 1億2000万部
9位 ドラえもん 1億部
10位 鉄腕アトム [完全復刻版] 1億部
11位 タッチ完全復刻版 1億部
12位 北斗の拳 [新書版] 1億部
13位 金田一少年の事件簿 9000万部
14位 ジョジョの奇妙な冒険セット 9000万部
15位 サザエさん 8600万部
16位 BLEACH 8200万部
17位 キャプテン翼 8200万部
18位 はじめの一歩 7550万部
19位 三国志(横山光輝)7000万部
20位 HUNTER×HUNTER 6500万部
文章で書かれた小説などが100万部も売れたら大ベストセラーとなるわけですから、それを考えるとまさに「漫画恐るべし」ということができます。
なぜこんなにまで日本の漫画が世界中で受け入れられるのでしょうか。
それには3つのファクターがあると思います。
ひとつは共感があること、ふたつめは独創性があること、みっつめが日本的対等観の産物であることに、その理由を求めることができると思います。
共感性、独創性、対等観の3つです。
1 共感性
およそ人々に受け入れられるものというのは、そこに読み手の共感がなければなりません。
読み手が登場人物に感情移入できるから、共感が生まれるわけです。
この点は、みなさまも異論はないと思います。
2 独創性
漫画は、一部例外的に、小説や伝記などを漫画化したものもありますが、ほとんどが作者のオリジナル、つまり独創です。
いま、国内の書店さんは、売り場面積のおよそ4分の1から3分の1は、たいてい漫画コーナーで、売れるから売り場面積が広がります。
書店不況と言われるようになってから久しいですが、売れているものもあるわけです。
しかもとんでもなく売れる。
そして売れてえいる本は、漫画と、本ならダイエット本とか、手作りお弁当のレシピ集、あるいは生き方本です。
そして、それら「売れている本」に共通しているのが、独創性です。
お金を出して本や漫画を買うということは、自己投資だと思うのです。
それを買って読むことで自分のものにしたいと思うから買うのです。
自分のものにしたいとまでは思わない、とりあえず読んでみたいというだけなら、週刊誌や貸本、あるいは安い文庫や新書で十分です。
読むことで感動があったり、ストレスが発散されたり、あるいは共感できたり、自分の肥やしになると思うからお金を出す。
お酒を飲むのに3千円払うのは、気持ちよくなれるから、楽しいから、ウサを晴らせるから。
お金を出してエステサロンやスポーツジムに通うのは、自分のためになると思うから。
運動したいだけなら、お金を出して毎朝マラソンすれば良いのです。
あえてお金を出してジムに通うのは、人々がそこに、それだけの価値を認めるからです。
本も同じです。そこにお金を出すだけの値打ちがあると思うから買います。
お金を出してまで買う値打ちがなければ買いません。
GHQが焚書にした図書ばかりを集めた私設図書館に行ったことがあります。
一歩入った瞬間に感じたことは、本からオーラが出ているように感じたことです。
その中の1冊を手にとってみました。
ある大学教授が書いた本でした。
教授自身が、東南アジアの山中深くに単身分け入って、そこに住む村人たちと起居をともにしながら、彼らの持つ文化や伝統、風習を調査したときのことを記したものでした。
内容は、誰も本にしたことがないことを、本にしていたものです。
内容は、すべて著者の教授の実体験です。
巻末に引用文献一覧などありません。
あるわけありません。
世界ではじめて自主的に行った実態調査なのです。引用のしようがない。
こういう本が、焚書にされたのです。
まさに日本人の汗と涙の血で認められた図書たちです。
この図書館に一歩踏み入れたときの、あの圧倒されるような、ワクワクさせるような、ものすごいオーラと感じたものの正体が、まさにこれでした。
つまり、独創です。
書店さんや図書館に行くことは、とてもワクワクすることでした。
なぜなら、そこは自分の知らない様々な知的な感動にあふれた、まさにアメージングスクエアだったからです。
親からは子供の頃、「本は宝物だから足でまたいでもいけない」と教えられました。
だから『ぼくら』とか『冒険王』とか『少年マガジン』とか、大事にとっておいたら、笑われました。
それは蔵書ではない、と。
大切にしなければならない蔵書というのは、自分のたからものになる本のことだと教えられました。
もっともいまにしてみれば、あの頃の箱に入れた『ぼくら』とか『冒険王』とか『少年マガジン』とかを大事にとっておいたら、高いお金で売れたかもしれません。
けれど、そこが問題なのです。
売れるから値打ちがあるのではないのです。
そこに込められた知的財産というカタチのないものに、値打ちがあるのです。
最近の評論家や大学教授などが出す本の多くは、この知的財産性がありません。
あるのは「模倣」です。
「独創」があるから、知的財産性があり、値打ちがあるのです。
誰かの図書を引用し、あれこれと評釈を加えているだけなら、それは教授ではなく、生徒が書いたノートに過ぎません。
そしてノートなら、どの先生の講義録なのかが大事であって、独創が発揮されているのは、せいぜいノートの取り方にすぎません。
ダイエット本や手作りお弁当の本や漫画がなぜ売れるのかといえば、それらはまさに、その内容に「独創性」があるからです。
3 対等観
ヒットしている漫画に共通していることが、この対等観です。
ほぼすべてのヒット漫画が、対等な仲間たちの主人公のグループ(シラス仲間たち)が、上下と支配のウシハク悪者グループと対決し、勝利する物語になっています。
このことは、私達の世代が子供だった時代の、黄金バットや鉄腕アトムや鉄人28号、あるいは8マンにはなかった傾向です。
黄金バットやアトムや28号の時代には、日本社会には、まだまだ社会に日本的対等観が残っていました。
ですから、誰もがヒーローに憧れましたし、自分がヒーローになろうとしていました。
誰もが一緒、みんな一緒ではなくて、
「あいつは勉強はできるけれど、駈けっこだったら俺が一番だい!」として、自分のいる場、自分のいる分を築こうとしました。
先生は師匠ではあるけれど、人としては対等でした。
会社の上司や先輩たちは、尊敬する人たちでしたけれど、背広を脱いだら人として対等な仲間でした。
釣りバカ日誌の浜ちゃんは、会社ではドジばかりしている下っ端だけれど、釣りの世界では、浜ちゃんは会社のオーナーの師匠です。
そういう根底に人は対等であるという認識が、日本社会の根底にかつてはしっかりと根を降ろしていました。
だからこそ、駆けっこで1番になれないし、漫画を書くこともできないけれど、漫画のストーリーについては、誰より知っているという奴が、みんなから尊敬されたりもしていました。
彼らは、まさにヒーローでした。
様子が変わったのは、バブル頃からです。
学校では内申書をひけらかす教師の前で、生徒は奴隷になりました。
会社でも、上司は支配者、部下は奴隷になりました。
日本的対等観が崩れて、なんと上下と支配のウシハク世の中に日本社会が変わって行ってしまったのです。
そのストレスが、日本の漫画の主人公に、「対等な仲間たち」という概念を備えさせました。
アニメは、人々の期待や願望の表現です。
その期待や願望が、情報の送り手と受けての間に一致を見たとき、そのアニメは大ヒットとなります。
ウルトラマンは、単独で戦ったけれど、セーラームーンやポケモンは、対等な仲間たちで戦いました。
そこに、実は失われようとしている日本文化が、漫画やアニメというカタチで表現され、世界に広がって行ったのです。
そしてその人気ではっきりとしたのは、世界中の多くの民衆が真に待ち望む社会は、まさに上下と支配の構図ではなく、人と人とが対等に生きることができる社会であったということでした。
たとえば英語には、平等と対等という言葉の区別がありません。
どちらも「イコール(equal)」です。
言葉がないということは、概念もないのです。
だから力の強い者が上に立って支配する。
支配者を選び間違えると、生活までおびやかされかねないから、彼らは支配者の選択に実に熱心です。
ところが日本では、大昔から、すべての人は、偉い人もそうでない人も、みんな天子様の「おおみたから」です。
誰もが「氏素性のしっかりとした人」です。
そして天子様によって任命された権力者は、天子様のたからを預かる立場です。
権限や権力を持ちますが、人としては、民衆も権力者も等しく「おおみたから」です。
だから、人と人とが「人として対等」であることが、日本ではあたりまえだったのです。
お隣の韓国の人が、従軍慰安婦とか性奴隷といって騒ぎますが、日本では大昔から、売春婦であっても人として対等です。
ですから見眼麗しく情あり、教養があって立ち振舞が優雅、つまり女性としての魅力次第では、彼女たちは武家の妻になったり、あるいは商家の旦那の妻になったりしました。
妻にならない女性も、売春宿を卒業(退職)したあとは、お華や三味線、長唄、お琴、和裁や着付けなどの師匠となって、一生安泰に、しかも人々から尊敬されて暮らすことができました。
そういう「人として互いを尊敬し認め合う」という文化が彼らにはないから、性奴隷にしか見えない。情けないことです。
何年か前、パリのアニメ博覧会で、韓国がセックス・スレイブをことさらに描いた作品をゴリ押し出品しました。
けれど、漫画もアニメも、人々の期待や願望が、絵になったものです。
ですから日本の漫画やアニメは、どれも対等な仲間たちが、ウシハク敵と勇敢に戦う物語ですけれど、彼らは、性奴隷や被害者をひたすら強調した作品を出品しました。
これはつまり、情報の発信者や受け手のその国の国民たちが、性奴隷を求めているということの証にしかなりません。
哀れなことです。
そういうことを、堂々とアニメフェアで主張していれば、二度と彼らはアホな真似はできなくなったであろうかと思います。
喧嘩をするとかではありません。
日本文化のどこが凄いのか、その凄みの原点をしっかりと踏まえて、そのことを堂々と主張することこそが、世界の人々を、日本ファンにしていく要諦であると思うのです。
喧嘩をするとかではありません。
日本文化のどこが凄いのか、その凄みの原点をしっかりと踏まえて、そのことを堂々と主張することこそが、世界の人々を、日本ファンにしていく要諦であると思います。
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