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20150529 田植え

政治やメディアの諸問題等、糾弾しなければならないことはたくさんあります。
日本では、どのような意見を言うのも自由です。
しかし、です。
言論には言論をもって抗すれば良いのであって、そこに暴力などの物理的攻撃や、人格攻撃などの加虐行為が加われば、それはもはや言論の自由の範疇を越えるものとなります。
ここを間違えると、保守も右翼も、左翼の過激派やどこかの国が行う反日工作と同じレベルになってしまいます。
安倍総理は、先般の米国議会での演説で、「かつて敵味方に別れて戦った日米は、その後の東西冷戦を共に戦い、そして勝利しました」と高らかに宣言し、米国国会議員総立ちの拍手を受けました。
中韓に配慮とか、戦争のお詫びとか、そういう敵対的レベルではなくて、日米の輪を築く、これは歴史に残る名演説であったと思います。
いつまでも過去の対立にとらわれず、むしろその後に仲良く同盟して勝利したことに目を向けて和を築く。
これこそ日本的精神であり、日本的行動であろうと思います。
戦うときは勇気を持って戦うが、戦いが終われば互いを讃え、互いを認め合う。
おもしろいのですが、日本が大好きで日本にやってきて、日本語を学ぶ外国人の多くが「強敵」と書いて「とも」と呼ぶのだそうです。
日本アニメの影響らしいですが、強敵こそが最大の友というのは、世界が希求する日本の武士道精神です。


4月29日の安倍総理の米議会演説は、第二次世界大戦によるこれまでの世界秩序から、新たに東西冷戦に勝利した国同士が対等な関係を築き、新たな世界秩序を構築しようというものです。
そしてその提案は、米国上下院の国会議員全員総立ちの拍手の中で、支持され、確定しました。
このことは、総理の演説が終わり、議会が終了した時点から、世界の潮流の変化として明確に現れています。
米国国会議事堂の前には、いつものように「Remember Perl Haber」と書いたプレートを掲げた在米韓国人団体が陣取っていました。
例年なら、議会のあと、議事堂から出てくる議員たちは、そのプレートを持った人々に明るく笑顔で手を降っていたはずです。
ところが今回議事堂から出てきた米国の国会議員たちは、全員が、そのプレートを掲げた人達を、まるで醜いものでも見るかのように、露骨に顔をしかめるか、彼らに冷たい一瞥を加えただけでした。
それは、これまでの世界秩序が瓦解し、新たな世界秩序が誕生したことを、見事に証明した瞬間でした。
このことは、とても大事な出来事です。
単に「日本が国連(連合国)の敵国である」というこれまでの立場から、「東西冷戦に勝利した戦勝国の一員」という立場に変わったということも大事なら、それだけでなくて、日米がかつての第二次世界大戦の勝敗の枠組みを越え、かつての「強敵」が「とも」となって、まったく新たな世界新秩序に向けて大きく足を踏み出したということだからです。
世界の風向きが変わったのです。
この変化が読めず、いつまでも過去のお詫び大国日本、被占領国日本にしがみつき、反日的であることを正義と考え行動することは、もはや世界にとっての敵になったのです。
東西冷戦に勝利した日米は、これから新たな世界新秩序の構築に向けて、すでに一歩を踏み出しているのです。
残念なことに、日本国内では、左翼はもちろんのこと、保守と言われる人達でも、かような「第二次世界大戦の世界の枠組みを越えて、新たに東西冷静に勝利した戦勝国同士の固い絆の構築」といった切り口で、日米関係や世界新秩序を語る人は、ほぼ皆無に等しかったし、さらに残念なことには、いまだにこの事態の変化に気付かずに、相変わらず安倍政権批判を繰り返している人もいるようです。
いろいろな意見はあって良いと思います。
ただ、ひとついえることは、ただ敵対し、対立し、相手を毀損するだけの発想からは、今回の安倍総理の演説は絶対に出てこなかったし、新たな世界新秩序に向けての世界の動きは発生し得なかった、ということ、この点だけは、しっかりと踏まえていかなければならないことと思います。
これからの日本の進むべき道は、暴力に暴力を持って立ち向かうという道ではありません。
もちろんいわれなき暴力に備えることは必要です。
「いわれなき暴力」というのは、ドンパチの戦争もさりながら、中傷や毀損などの情報戦争をも含みます。
そして情報戦争を含む「いわれなき暴力」との戦いに際して、もっとも必要なことは信頼です。
そしてその信頼は、かつて勇敢に戦った者、真に勇気ある者、真の勇気ある国家同士でなければ築けないものです。
そしてそれは、人類と悪鬼達との、実は最後の大きな戦いでもあります。
未来は常に現在の延長線上にあります。
わたしたちが、どういう未来を望むのか。
それはいまのチベットのように、若い女性がチベット民族への虐待や虐殺を訴えるために、次々と焼身自殺しなければならないような未来なのか。
あるいは子供達が外国人によって集団リンチを受けたり、あるいは若い女性たちが民族浄化と称して集団で拉致され強姦されて他民族の子を強制的に妊娠させられ出産させられているウイグルのような未来なのか。
それとも、誰もが安心して暮らすことのできる安定した治安の良い国なのか。
その選択は、私達自身の今日の行動が決めることなのです。
先日、テレビのバラエティ番組で「感動広告」の特集をやっていました。
その中の一つに、とても感動的なCMがありました。
下にその動画を貼ります。
あとでご覧いただきたいのですが、驚いたのは、このCMが番組で紹介されたあと、その番組のキャスターが、ひとこと、
「このどこが感動的なのですか?意味がわかりません」
と鼻で笑って言ったことです。
いかにも、どこかの国の人のような目つきと顔立ちの人でしたから、それが彼らの感覚なのでしょう。
私達からすれば、彼の発言や彼の思考自体が理解不能です。
ただ言えることは、根底に「人としての文化の共有化」がなければ、泣けるように作った感動CMでさえ、まるで何も感じられない、ということです。
人間のカタチをしているから人間ではないのです。
日本語を話すから日本人ではないのです。
人間のカタチをしていて日本語を流暢に操っていたとしても、悪鬼は悪鬼なのです。
残念なことに、かつて勇敢に戦い世界からウシハク植民地を一掃した勇気ある大天使は、その戦いで受けた満身創痍の傷から、70年の間、長く続く療養生活の中で、体中を悪鬼が放った毒に侵されてしまっています。
大天使が再び立ち上がるためには、体に仕組まれた毒を抜かなければなりません。
そしてそれだけではなく、療養生活から社会生活に戻るためには、ちょっとしんどいくらいのリハビリも必要です。
体に仕組まれた毒というのは、メディアや大学、行政などに仕組まれた反日という毒です。
リハビリは、日本人が日本人がもともと持っていた文化性、精神性を取り戻すことです。
これには右も左もありません。
マザー・テレサは、「愛の反対は憎しみではなく無関心」と説きました。
これから世界は、これまでの「戦後」とはまったく違った、新しい世界秩序のもとに進み始めます。
そしてこの動きは、もはや誰にも止めることはできません。
どんな相手であっても、100%意見が一致するなどということはありません。
どこかに必ず意見の違いがあります。
そのわずかな意見の違いをもとに、相手を敵として糾弾し、対立し闘争したとしても、何も産み出すことはありません。
あるのは破壊だけです。
では破壊から身を護り、日本社会にもともとあった愛を取り戻すにはどうしたら良いのか。
答えは、「無関心をなくす」ことです。
つまり、人々に関心を持ってもらうことです。
そのためには、街宣車の上から気合を入れて怒鳴ることも必要でしょう。
けれどそれだけではなくて、そもそも日本がどういうカタチをした国なのか。
その原点に帰ってもういちど、みんなが国を見直す。
そういう地道な努力が必要なのではないかと思います。
ひとりひとりにできることは小さいです。
けれど、そのたったひとりの蟻の一穴が、巨大なダムを崩壊させ、怒涛のように日本人の意識を変える。
新しい未来は、すでに始まっています。
勇気をもって邁進したいと思います。
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