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猫の事務所

宮沢賢治といえば「雨にもマケズ」の詩や「銀河鉄道の夜」が有名ですが、あまり知られていない短編童話の中にも長編と同じように素晴らしいお話がいくつもあります。
そこで今日は、その中からひとつ、『猫の事務所』をご紹介してみたいと思います。
この物語は、猫の事務所の書記の中で一匹だけ、8月生まれなので皮膚が薄く、カマドの中で眠るために煤けてしまっている竃猫(かまねこ)が、同じ猫仲間たちから馬鹿にされ、ひどいいじめにあいながらも頑張る物語です。
いかにいじめが人の心を傷つけるか、読んだ子供たちの心に沁み入るお話です。
宮沢賢治の小説は、旧仮名遣なので、いつものようにねずさん流で現代語にしてみます。
感想は末尾に書いておきました。


========
【猫の事務所】
〜ある小さな官衙(*1)に関する幻想〜
宮沢賢治
 (*1) 官衙=かんが、お役所のこと
軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。
ここは主に、猫の歴史と地理をしらべるところでした。
書記はみな、短い黒の繻子(しゅす)織りの着物を着ていて、それにたいへんみんなに尊敬されましたから、何かの都合で書記を辞める者があると、そこらの若い猫は、どれもどれも、みんなそのあとへ入りたがってばたばたしました。
けれども、この事務所の書記の数はいつもただ四人と決まっていましたから、その沢山の中で一番字がうまく詩の読めるものが、一人やっと選ばれるだけでした。
事務長は大きな黒猫で、少しもうろくしてはいましたが、眼などは中に銅線が幾重も張つてあるかのように、実に立派にできていました。
さてその部下の
  一番書記は白猫(しろねこ)でした、
  二番書記は虎猫(とらねこ)でした、
  三番書記は三毛猫(みけねこ)でした、
  四番書記は竃猫(かまねこ)でした。
竃猫(かまねこ)というのは、これは生れ付きではありません。
生れ付きは何猫でもいいのですが、夜、カマドの中に入って眠る癖があるために、いつでもからだが煤(すす)で汚く、ことに鼻と耳には真っ黒に炭(すみ)が付いて、何だか狸(たぬき)のような猫のことを云うのです。
ですから、かま猫は、他の猫には嫌われます。
けれどもこの事務所では、何せ事務長が黒猫なもんですから、このかま猫も、あたり前ならいくら勉強ができても、とても書記なんかになれないはずのを、四十人の中から選び出されたのです。
大きな事務所のまん中に、事務長の黒猫が、まつ赤な羅紗(らしや)をかけたテーブルを控えてどっかり腰かけ、その右側に一番の白猫と三番の三毛猫、左側に二番の虎猫と四番のかま猫が、めいめい小さなテーブルを前にして、きちんと椅子にかけていました。
ところで猫に、地理だの歴史だの何になるかと云いますと、まあこんな風です。
事務所の扉をこつこつ叩(たた)く者があります。
「入れっ!」事務長の黒猫が、ポケツトに手を入れてふんぞりかえって怒鳴りました。
四人の書記は下を向いて忙しそうに帳面を調べています。
ぜいたく猫が入って来ました。
「何の用だ。」事務長が云います。
「わしは氷河鼠(ひようがねずみ)を食いにベーリング地方へ行きたいのだが、どこらが一番いいだろう。」
「うん、一番書記、氷河鼠の産地を云え。」
一番書記は、青い表紙の大きな帳面をひらいて答えました。
「ウステラゴメナ、ノバスカイヤ、フサ河流域であります。」
事務長はぜいたく猫に云ひました。
「ウステラゴメナ、ノバ………何と云ったかな。」
「ノバスカイヤ。」一番書記とぜいたく猫が一緒に言いました。
「そう、ノバスカイヤ、それから何!?」
「フサ川。」またぜいたく猫が一番書記といつしよに言ったので、事務長は少しきまり悪そうでした。
「さうさう、フサ川。まああそこらがいいだらうな。」
「で旅行についての注意はどんなものだらう。」
「うん、二番書記、ベーリング地方旅行の注意を述べよ。」
「はっ。」二番書記はじぶんの帳面を繰りました。「夏猫は全然旅行に適しません」
するとどういふわけか、この時みんながかま猫の方をじろっと見ました。
「冬猫もまた細心の注意を要します。函館(はこだて)付近、馬肉で釣られる危険があります。特に黒猫は充分に猫であることを表示しつつ旅行しなければ、応々にして黒狐(くろぎつね)と間違われ、本気で追跡されることがあります。」
「よし、いまの通りだ。貴殿は我輩のように黒猫ではないから、まあ大した心配はあるまい。函館で馬肉を警戒するぐらいのところだ。」
「そう。で、向うでの有力者はどんなものだろう。」
「三番書記、ベーリング地方有力者の名称を挙げよ。」
「はい、えゝと、ベーリング地方と、はい、トバスキー、ゲンゾスキー、二名であります。」
「トバスキーとゲンゾスキーといふのは、どういうようなやつらかな。」
「四番書記、トバスキーとゲンゾスキーについて大略を述べよ。」
「はい。」
四番書記のかま猫は、もう原簿のトバスキーとゲンゾスキーとのところに、短い手を一本づつ入れて待っていました。
そこで事務長もぜいたく猫も、大へん感服したらしいのでした。
ところがほかの三人の書記は、いかにも馬鹿にしたやうに横目で見て、ヘツと笑っていました。
かま猫は一生懸命帳面を読みあげました。
「トバスキー酋長(しゅうちょう)徳望あり。眼光炯々(がんこうけいけい)で、物を言うこと少しく遅い。ゲンゾスキーは財産家で、物を言うこと少し遅いけれど、眼光炯々とあります。」
「いや、それでわかりました。ありがたう。」
ぜいたく猫は出て行きました。
こんな具合で、猫にはまあ便利なものでした。
ところが今のお話からちょうど半年ばかり経ったとき、とうとうこの第六事務所が廃止になってしまいました。
といふわけは、もうみなさんもお気づきでしょうが、四番書記のかま猫は、上の方の三人の書記からひどく憎まれていましたし、ことに三番書記の三毛猫は、このかま猫の仕事を自分がやってみたくてたまらなくなったのです。
かま猫は、何とかみんなによく思はれようと色々工夫をしましたが、どうもかえっていけませんでした。
たとへばある日、となりの虎猫(とらねこ)が、昼の弁当を机の上に出して食べはじめようとしたときに、急にあくびに襲われました。
そこで虎猫は、みじかい両手をあらんかぎり高く延ばして、ずいぶん大きなあくびをやりました。
これは猫仲間では、目上の人にも無礼なことでも何でもなく、人ならばまづ鬚(ひげ)でもひねるぐらいのところですから、それはかまいませんけれども、いけないことは、足をふんばつたために、テーブルが少し坂になつて、弁当箱がするするっと滑って、とうとうガタッと事務長の前の床に落ちてしまったのです。
それはでこぼこではありましたが、アルミニユームでできていましたから、大丈夫壊れませんでした。
そこで虎猫は急いであくびを切り上げて、机の上から手をのばして、それを取ろうとしましたが、やっと手がかかるかかからないかくらいなので、弁当箱は、あっちへ行ったりこっちへ寄ったり、なかなかうまくつかまりませんでした。
「君、だめだよ。とどかないよ。」と事務長の黒猫が、もしゃもしゃパンを喰べながら笑って云いました。
その時四番書記のかま猫も、ちょうど弁当のフタを開いたところでしたが、それを見てすばやく立って、弁当を拾つて虎猫に渡そうとしました。
ところが虎猫は急にひどく怒り出して、折角かま猫の出した弁当も受け取らず、手を後ろにまわして、自暴(やけ)にからだを振りながら怒鳴りました。
「何だい。君は僕にこの弁当を喰べろというのかい。机から床の上へ落ちた弁当を君は僕に喰へというのかい。」
「いいえ、あなたが拾おうとなさるもんですから、拾ってあげただけでございます。」
「いつ僕が拾おうとしたんだ。うん。僕はただそれが事務長さんの前に落ちてあんまり失礼なもんだから、僕の机の下へ押し込もうと思ったんだ。」
「そうですか。私はまた、あんまり弁当があっちこっち動くもんですから…………」
「何だと失敬な。決闘を………」
「ジャラジャラジャラジャラン。」事務長が高く怒鳴りました。
これは決闘をしろと云ってしまわせないために、わざと邪魔をしたのです。
「いや、喧嘩するのはよしたまえ。かま猫君も虎猫君に喰べさせようと言うんで拾ったんじゃなかろう。それから今朝言うのを忘れたが、虎猫君は月給が十銭上がったよ。」
虎猫は、はじめは恐い顔をしてそれでも頭を下げて聴いていましたが、とうとう、よろこんで笑い出しました。
「どうもお騒わがせいたしまして申しわけございません。」
それから隣のかま猫をジロッと見て腰掛けました。
みなさんぼくは、かま猫に同情します。
それからまた五〜六日経って、丁度これに似たことが起ったのです。
こんなことがたびたび起るわけは、ひとつは猫どもの無精なたちと、もひとつは猫の前あし、すなはち手が、あんまり短いためです。
今度は向うの三番書記の三毛猫が、朝仕事を始める前に、筆がポロポロころがつて、とうとう床に落ちました。
三毛猫はすぐ立てばいいのを、骨惜みして早速前に虎猫のやった通り、両手を机越しに延ばして、それを拾い上げようとしました。
今度もやっぱり届きません。
三毛猫はことに背が低かったので、だんだん乗り出して、たうとう足が腰掛けから離れてしまいました。
かま猫は拾ってやろうかやるまいか、この前のこともありますので、しばらくためらって眼をパチパチさせていましたが、とうとう見るに見かねて、立ちあがりました。
ところが丁度この時に、三毛猫はあんまり乗り出し過ぎて、ガタンとひっくり返って、ひどく頭を突いて机から落ちました。
それが大分ひどい音でしたから、事務長の黒猫もびっくりして立ちあがって、うしろの棚から、気付けのアンモニア水の瓶(びん)を取りました。
ところが三毛猫はすぐ起き上って、かんしやくまぎれにいきなり、
「かま猫、きさまはよくも僕を押しのめしたな。」と怒鳴りました。
今度はしかし、事務長がすぐ三毛猫をなだめました。
「いや、三毛君。それは君の間違いだよ。かま猫君は好意でちょっと立っただけだ。君に触りも何もしない。しかしまあ、こんな小さなことは、なんでもありやしないじゃないか。さあ、えーっと、サントンタンの転居届けと。えー。」
事務長はさっさと仕事にかかりました。
そこで三毛猫も、仕方なく、仕事にかかりはじめましたが、やっぱりたびたび怖い目をしてかま猫を見ていました。
こんな具合ですから、かま猫は実につらいのでした。
かま猫は、あたりまえの猫になろうと何べん窓の外に寝て見ましたが、どうしても夜中に寒くてくしやみが出てたまらないので、やっぱり仕方なくカマドの中に入るのでした。
なぜそんなに寒くなるかというのに、皮が薄いためで、なぜ皮が薄いかというのに、それは土用に生れたからです。
やつぱり僕が悪いんだ、仕方ないなぁと、かま猫は考えて、涙をまんまるな眼一杯にためました。
けれども事務長さんがあんなに親切にして下さる。
それにかま猫仲間のみんながあんなに僕の事務所に居るのを名誉に思って喜ぶのだ。
どんなにつらくても、ぼくは辞めないぞ、きっとこらえるぞ、と、かま猫は泣きながら、にぎりこぶしを握りました。
ところがその事務長も、あてにならなくなりました。
それは猫なんていふものは、賢いやうでばかなものです。
ある時、かま猫は運わるく風邪を引いて、足の付け根を椀(わん)のように腫(は)らし、どうしても歩けませんでしたから、とうとう一日、休んでしまいました。
かま猫のもがきようといったらありません。
泣いて泣いて泣きました。
納屋の小さな窓から射(さ)し込んで来る黄色な光をながめながら、一日一杯、眼をこすって泣いていました。
その間に事務所では、こういう風でした。
「はてな、今日はかま猫君がまだ来んね。遅いね。」と事務長が、仕事のたえ間に言いました。
「なあに、海岸へでも遊びに行ったんでしょう。」白猫が言いました。
「いゝや、どこかの宴会にでも呼ばれて行ったろう」虎猫(とらねこ)が言いました。
「今日どこかに宴会があるか。」事務長はびっくりして尋(たず)ねました。
猫の宴会に自分の呼ばれないものなどあるはずはないと思ったのです。
「何でも北の方で開校式があるとかいいましたよ。」
「そうか。」黒猫は黙って考え込みました。
「どうしてどうしてかま猫は、」三毛猫が言い出しました。「この頃はあちこちへ呼ばれているよ。何でも今度は、俺が事務長になるとか言ってるそうだ。だから馬鹿な奴らが怖がってあらんかぎりご機嫌(きげん)をとるのだ。」
「ほんとうかい、それは。」黒猫が怒鳴りました。
「ほんとうですとも。お調べになってごらんなさい。」三毛猫が口を尖(とがら)せて言いました。
「けしからん。あいつは俺はよほど目をかけてやってあるのだ。よし。俺にも考えがある。」
そして事務所はしばらくしんとしました。
さて次の日です。
かま猫は、やっと足の腫れがひいたので、よろこんで朝早く、ごうごう風の吹くなかを事務所へ来ました。
するといつも来るとすぐ表紙を撫(な)でて見るほど大切な自分の原簿が、自分の机の上からなくなって、向う隣り三つの机に分けてあります。
「ああ、昨日は忙がしかつたんだな、」
かま猫は、なぜか胸をどきどきさせながら、かすれた声で独りごとしました。
ガタツ。
扉が開いて三毛猫が入って来ました。
「お早うございます。」かま猫は立つて挨拶しましたが、三毛猫は黙って腰かけて、あとはいかにも忙がしそうに帳面を繰つてゐいます。
ガタン。ピシャン。虎猫が入って来ました。
「お早うございます。」かま猫は立って挨拶しましたが、虎猫は見向きもしません。
「お早うございます。」三毛猫が言いました。
「お早う、どうもひどい風だね。」虎猫もすぐ帳面を繰りはじめました。
ガタツ、ピシャーン。白猫(しろねこ)が入って来ました。
「お早うございます。」虎猫と三毛猫が一緒に挨拶しました。
「いや、お早う、ひどい風だね。」
白猫も忙がしさうに仕事にかかりました。
そのとき、かま猫は力なく立って黙ってお辞儀をしましたが、白猫はまるで知らないふりをしています。
ガタン、ピシヤリ。
「ふう、ずゐぶんひどい風だね。」事務長の黒猫が入って来ました。
「お早うございます。」三人はすばやく立つておじぎをしました。
かま猫もぼんやり立つて、下を向いたまゝおじぎをしました。
「まるで暴風だね、えゝ。」黒猫は、かま猫を見ないでこう言いながら、もうすぐ仕事をはじめました。
「さあ、今日は昨日のつづきのアンモニアツクの兄弟を調べて回答しなければならん。二番書記、アンモニアツク兄弟の中で、南極へ行つたのは誰だ。」
仕事がはじまりました。
かま猫は、黙ってうつむいていました。
原簿がないのです。
それを何とか言いたくっても、もう声が出ませんでした。
「パン、ポラリスであります。」虎猫が答えました。
「よろしい、パン、ポラリスを詳述せよ。」と黒猫が言います。
ああ、これはぼくの仕事だ、原簿、原簿、とかま猫はまるで泣くように思いました。
「パン、ポラリス、南極探険の帰途、ヤツプ島沖にて死亡、遺骸は水葬せらる。」
一番書記の白猫が、かま猫の原簿で読んでいます。
かま猫はもう悲しくて悲しくて、頬(ほほ)のあたりが酸っぱくなり、そこらがきいんと鳴ったりするのをじっとこらえてうつむいて居りました。
事務所の中は、だんだん忙しく湯の様になって、仕事はずんずん進みました。
みんな、ほんの時々、ちらつとこつちを見るだけで、ただひとことも言いません。
そしてお昼になりました。
かま猫は、持って来た弁当も喰べず、じっと膝(ひざ)に手を置いてうつむいておりました。
とうとう昼過ぎの1時から、かま猫はしくしく泣きはじめました。
そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたりまた泣きだしたりしたのです。
それでもみんなはそんなこと、一向知らないといふやうに面白さうに仕事をしていました。
その時です。
猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向うに、いかめしい獅子(しし)の金色の頭が見えました。
獅子は不審そうに、しばらく中を見ていましたが、いきなり戸口を叩(たた)いて入って来ました。
猫どもの驚きようといつたらありません。
ウロウロウロウロ、そこらを歩きまわるだけです。
かま猫だけが泣くのをやめて、まっすぐに立ちました。
獅子が大きなしっかりした声で言いました。
「お前たちは何をしているか。そんなことでは、地理も歴史も要った話ではない。やめてしまえ。えい。解散を命ずる」
こうして事務所は廃止になりました。
ボクは半分獅子に同感です。
============
最後に出てくる獅子は、動物の王様のことです。
この物語には、イジメを受けた「かま猫」が、たいへんに心を傷つけられたこと、そしてイジメる側の陰湿さ、そして、そのような陰湿なイジメを見抜けなかった上司の無能、さらには結果として、イジメが行われた組織そのものの崩壊が描かれています。
宮沢賢治はこの物語を、猫の物語として描いていますが、描かれていることは、そのままイジメや中傷が行われている学校や職場、あるいはネットなどにおける現場そのものです。
宮沢賢治は、大正から昭和初期に活躍した人ですが、この『猫の事務所』に描かれたイジメ問題について、いまの日本と、当時の日本では、その背景となっている社会認識が大きく異なっている点は、まず先に把握して読まなければならないと思います。
というのは、この時代は、まだ日本的な思考や思想が色濃く存在した時代だということです。
日本的思想、日本的思考というのは、これまでにも何度もご紹介した「察する」という文化のことです。
聖徳太子の十七条憲法第11条に書かれた「明察功過」のこと、と言っても良いです。
心ない非礼を行う者は、何時の時代にもいるものです。
かま猫がイジメられているとき、事務長である黒猫は、そのかま猫と同じ小さな事務所の空間を共有していながら、かま猫の悲しみや苦しみを察することができていません。
自分のことしか頭に無い。
だから、自分の地位を脅かすという扇動に、簡単に乗せられ、結果として事務所そのものを崩壊に導いています。
つまり、人の上に立つ者として、失格なのです。
ラストに出てくる獅子は、その意味では真のリーダー、昔でいえば師範学校の卒業生など、リーダー教育を受けた真の将でもあり、また大御宝である民衆の声そのものでもあったかもしれません。
察して読む。
そして獅子は、察することができない事務長と、組織内を脅かす偽善やイジメの蔓延に対して、もののみごとに解散を命じています。
このことは、実は、昔ならあたりまえのことでもありました。
たとえば江戸の昔なら、川崎中1児童殺害事件のような事件が起これば、世間を騒がせたということで学校長も、市長も、神奈川県知事も更迭です。
江戸の昔なら、川崎の町奉行は、切腹ものであったことでしょう。
なぜなら、そうした事件や事故を「未然に防ぐ」のが、行いを奉ずるもの、つまりお奉行の仕事とされたからです。
事件が起きてから慌てるのではなく、事件そのものが起きないように日頃から努力する。
それが日本の古代から続く治世のならわしです。
猫の事務所でまじめに働くかま猫を抹殺し、この「察せない事務長」と、その事務長を利用する猫達が、このまま放置、容認されたらどうなることでしょう。
事務所は、大きな組織の中の一部です。
そしてここで生まれた組織の歪みは、時とともに拡大し、この事務長の出世に合わせて、組織内でどんどん権力が増していきます。
その結果は、何が起きるのか。
自分のことしか頭にない事務長が、出世して町長になったら、その役所は、その町はどうなってしまうのか。
実は、ここに、この当時から日本にたくさんやってきていた、あやしげな日本語をあやつる日本人のような顔をした日本人でない人たち、古くからの日本人とは、まったく価値観の異なる人達の非道が目立つようになってきていました。
実は、「猫の事務所」そんな時代背景のもとに書かれた物語です。
そして戦後はどうでしょう。
お役所に限らず、いまでは会社組織内においてさえ、この物語の事務長のような人しか人の上に立っていない。
そんな時代になってはいないでしょうか。
そういう意味においては、この宮沢賢治の物語は、単なる童話の域を超えて、ある意味預言書になってしまっています。
これを取り戻すのは、いまを生きる私達です。
そして、このことは、いわゆる保守活動を行う活動家にも、まったくそのままあてはまるものといえます。
同じ保守同士での批判や中傷、果ては言葉の暴力ともいえる態度は、結果として「保守活動そのものを崩壊させる」ということです。
わたしたちの活動は、日本を取り戻そうとする、もっというなら日本の国体を取り戻そうとする神々の御神意に沿ったものであると思います。
もしその活動が、ただの批判や中傷合戦にとどまるならば、宮沢賢治の童話の獅子さながらに、いまの保守活動そのものが神々のご意思によって、「要らない」とされてしまいかねない。
八百万の神々のご意思というのは、それほどまでに厳しいものだと思うのです。
もしかすると、反日左翼の保守活動への内部崩壊工作は、まさにそれを意図して狙ったものといえるかもしれません。
八百万の神々のご意思に、どこかの国のようなご都合主義の「愛国無罪」はありません。
「人」という字は、支えあうカタチをしています。
支えあってこその人です。
完璧な人なんていう人はいません。
誰もが「足らない」のです。「足らない」から人なのです。
だからこそ、互いが自分にできる誠実をもって、自分にできることで「足りない」ところを支えあう。
それが日本的な姿勢であると思います。
保守同士の潰し合い、叩き合い。
それは、私は、厳に慎むべきことと思います。
そのうえで、「察する文化」をしっかりと取り戻す。
私達には、取り戻すべき日本があるのです。
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【CGS ねずさん】第11話 日本人とキムチのルーツ

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