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今日から、やまと新聞社文化部主催で、Youtubeで百人一首の動画を、毎週木金で公開します。
1本はだいたい2〜4分と短めなのでご視聴いただきやすいかと思います。
これからシリーズで、百首全部やります。ご視聴は無料です。

いまでは、誰もがあたりまえのように使っている電気ですが、かつては「危険で恐ろしいもの」だから「使わない方がいい」とされた時代もあったのです。
明治の中頃のことです。
当時の新聞を見るとおもしろいです。
「電気は危ない」、「電気は危険」、「電気は人々の生活を破壊する」、「電気のない安全な生活を」、「電気は大災害をもたらす」、「電気は経済的に非効率だ」、「電気は明かりの灯る者と灯らない者との間に差別をつくる」等と書かれています。
理由もおもしろいです。
当時の発電は、火力発電でした。
熱でタービンをまわし、電力を生み出します。
いかにも恐ろしげな猛火です。
そのような施設の猛火が、もし燃え広がったら、大火災になる・・・と、このあたりまでは、なるほどとうなづけます。
ところが電気に対する恐怖は、そこでとどまらないのです。
電気は、発電所から送電線で、供給されますが、そのための送電線は、電信柱の上を伝います。
ものめずらしさもあったのでしょう。
なんとかと阿呆は高い所が好きとばかり、その電柱に登って電線に触って、感電して落下して大怪我する人が後を絶たなかったのです。
木登りや、ハシゴ昇りなど、高いところに登ったって、これまで怪我ひとつしたことがない抜群の運動神経を持った人でさえ、電信柱からは落ちるわけです。
なんのことはない、感電しただけのことなのですが、これが理解できない。
なぜなら電線には、スズメはちゃんと停まっているわけです。
ですから「スズメが感電しないのに、人間だけが電信柱から落ちるのは、きっとあの柱の上には、人々に災いをもたらす魔物が住んでいるに違いない」とこういうわけで、電信柱の魔除けのお札が、大真面目に売られたとか。
私たち日本人がはじめて電気を見たのが、明治15(1882)年のことです。
この年の11月1日に、銀座2丁目に、アーク灯が点灯しました。
この街灯は、それまで行燈(あんどん)や提灯(ちょうちん)しか夜の照明がなかった日本で、はじめて灯された電気灯だったわけです。
明るさは、ローソク4000本分です。
おかげで銀座の町は、連日、見物客で大にぎわいになりました。
この電気街灯は、翌年には京都の祇園に、翌々年には大阪の道頓堀にも設置されました。
女性は光り輝くものが大好きです。
そこで男性が、
「オイ、今度出来た新型行燈を見に連れてってやるよ」と女性を口説くと、たいへんにモテたのだとか。
もっともこの電気灯は、送電線で電力が供給されるタイプではなくて、その場に据え付けたバッテリーから電力を供給していたものです。
バッテリーではなく、電力会社から電力の供給が始まったのは、明治19(1886)年です。
鹿鳴館に、日本で初めての「室内の電灯」が灯されました。
これが明治20(1887)年1月のことです。
次いで皇居に電灯が灯されました。
明治22(1889)年1月6日です。
さらに営業用に電灯がつかわれるようになったのが明治23(1890)年11月で、浅草/凌雲閣です。
その後、朝日新聞や、時事新報といった新聞社が電力の供給を受けるようになっていきました。
こうして電力の普及とともに電信柱も増えてくるのですが、それとともに上に述べた「スズメは落ちないのに人は落ちる恐怖の電信柱神話」が、口裂け女の都市伝説よろしく全国に拡大します。
これに当時の新聞が悪乗りして便乗しました。
電信柱の事故が絶えないところへもってきて、明治政府への反発もあったのかもしれませんが、おもしろいことに、その最大反対キャンペーンを張った朝日新聞や時事新報などは、自分たちがその電力で会社の夜の照明を得ていながら、一方では電力反対の大合唱をしていたのです。
こうしたなかに、明治24(1889)年1月、最大の電力事件が起こりました。
新しく築造したばかりの国会議事堂が、漏電による出火で全焼してしまったのです。
当時の国会議事堂は、いまの永田町ではなく、いま経済産業省がある東京の霞ヶ関にありました。
ここに明治23年11月に国会(仮)議事堂が建設されたのです。
この議事堂が、我が国で初の国会である「第一回帝国議会」が開催された場所です。

「国会議事堂燃ゆ」・・この事件は、日本中に衝撃を与えました。
国策に沿って、夜間の業務の遂行のために市町村役場への電灯の導入を検討していた多くの市町村でも、この事件をきっかけに、一気に電気の供給拒否へと向かいます。
日露戦争(明治37ー38年)で捕虜になって日本に連れてこられたロシア人が、日本の街並の夜が暗いことに驚き「日本はなんと貧しい国だろう」と書き遺していますが、これは単に日本が貧しかったということだけではなくて(もちろんそれもありますが)、それだけ多くの市町村が、当時、電力や電灯の導入を拒んでいたことによります。
その一方で、電力を受け入れ、これを積極的に活用しようという動きもありました。
そのひとつが江の電であり、路面電車であり、街灯であり、商店などの夜間の店内照明でした。
要するに、電力は危険なものとする人々がいる一方で、たとえ少々の危険があってもそれを積極的に活用しようという人たちもいたのです。
けれど、そういう人たちは欲に目がくらんだ頭のおかしい人たちだと誹られる。
電力反対派=やさしい人たち、電気推進派=欲ボケ、そんな二者択一のような色分けが続いたわけです。
そんなツマラナイ意見の対立が、どのくらい続いたと思いますか?
なんと40年です。
その40年後に何があったかというと、大正11(1922)年の関東大震災です。
大震災前までに、関東一円では、徐々にではありますが、猛烈な反対運動を押し切って、道路に電柱が建てられ、街灯が設置されだしていたのです。
おかげで、夜道も(それは裸電球の灯りではあるけれど)、それなりに照らされるようになっていったのです。
電力反対派の声を押し切ってです。
さんざん罵声を浴びながら、暗い夜道に灯りが灯るだけで、多くの人の夜の通行が安全になる。
だからみんなのためにと、黙々と電灯の推進をしてくれた人たちがいたのです。
ところが関東大震災は、そんな電柱をなぎ倒してしまったわけです。
当時の人々は、ふたたび電気のない、真っ暗な生活に引き戻されました。
その暗さに、多くの人々がおびえたのです。
これが、「電気に反対し続けた左巻きの人々」が「文明」に負けた瞬間です。
なにせ朝日新聞も、この頃には電力で動く輪転機を使って新聞を印刷していたのです。
彼らは、それでいて電力反対キャンペーンを貼り続けていたのです。
*
時代が変わって、現代です。
現代日本では、日本人の生活や日本の産業に、電力は欠かせません。
鉄鋼から日用品や、食品加工から、日常生活までも、すべて電力頼みです。
いまだに諸外国では、停電があたりまえ、電圧も安定しません。
やはり日本人による日本人のための安定的電力供給は、これからの時代、もっと不可欠の要素となります。
そしてそのためには、原発の存在は、実は日本にとって欠かせないものです。
ところが日本には、原発=放射能汚染という恐怖心が根強くあります。
現実の問題として、福島の原発事故のあと、放射線による死亡者は、ゼロであり、お亡くなりになったのは、むしろ強制的な退去命令によって、無理をさせた結果、お年寄りなどの多数の死亡が確認されています。
放射線ではなく、むしろ現場においては政治災害の様相になっています。
このことは、動物においてはいっそう明らかです。
福島で、放射能汚染されているからと、殺処分させられた牛馬豚鳥は、44万頭にのぼります。
ところが、たまたま何らかの事情で殺処分を免れた動物たちは、みんな元気一杯なのです。
ここまでくると、政治災害というよりも、もはや殺人(動物なので殺動?)です。
電気にせよ、電信柱にせよ、送電線にせよ、自動車、火力発電、水力発電、いずれも何かを得ようとすれば、何らかのリスクは発生するものです。
そのリスクを、いかに減少させ、上手にエネルギーを得るかは、これは私達日本人の生活を守るために常に必要なことです。
そういう努力そのものを、ただイメージだけの危険や、いたずらに恐怖心を煽ることで全否定するのは、それは大人のすることではありません。
ましてや、日本で原発をつくれないようにして、その分、技術力の劣る韓国に技術者を招き、韓国に原発を大量に設置して、日本は、そこから電力を買えば良いなどという議論は、もってのほかです。
単純な話、いくら日本の優れた技術者が行ったところで、公示そのものが常に手抜きで行われるような国に、原発が設置されることの方が、はるかに恐怖です。
東日本大震災から4年間が経過しました。
もうまる4年です。
昭和20年の8月の終戦のとき、日本は焼け野原でした。
けれど、それから4年経った昭和24年には、もう焼け跡など、まるでなかったかのように、街は復興していました。
その頃は人力だけです。
いまは、あらゆる道具が揃っています。
にもかかわらず、被災地は、ほぼ当時のままです。
これはいったいどういうことでしょうか。
とりわけ福島においては、震災や津波被害だけでなく、原発事故の問題から、いまだに被災地の復興が進んでいません。
そしてその最大の理由が、放射線に対する科学的な知識が不足と、現実とはかけ離れたマスコミの誘導による風評被害がです。
●放射線はどんな微量でも健康に被害を起こす
●被災地では今後癌患者が増える
●もう軽水炉事故現場半径20キロ圏内には帰還できない・・・
これらの言説に科学的な根拠はありません。
あまりのことに、渡部昇一先生や高田純先生をはじめ、各界の有志たちが集まって昨年、
『一般社団法人 放射線の正しい知識を普及する会』
が結成されました。
この会では、放射線についての正しい知識を学び、普及する事を通じて、
○福島をはじめ被災地の復興は充分可能であり
○今後も健康被害などは起こらないこと、
○適切な処置をとれば被災者は帰還できること
を訴えています。
これは、平成27年3月24日に東京で行われた研究会にて内外の放射線問題の専門家の方々が証明して下さった結論に基づいています。
『放射線の正しい知識を普及する会』の活動は、誤解を受ける事の無いよう特定の団体の支援を一切受けていません。
運営費は、すべて寄付および皆様の自発的なご支援のみで成り立っています。
役員構成は↓のとおりです。
http://s-radiation.info/?page_id=8
できれば、是非みなさまにも、この会にご参加いただければと思います。
正会員が年会費1口、1万円
賛助会員が年会費1口、5万円
法人会員が年会費1口、10万円
他に特別寄付があります。
入会申し込みは、以下をご記入の上、メールで『放射線の正しい知識を普及する会』にお申込みいただくことになります。
メールアドレス
tohgo-sri@sdh-fact.com
tohgo-sri@sdh-fact.com
(クリックすると、メールが立ち上がります)
ご記入内容
1 お名前/会社名
2 担当者(会社の場合)
3 ご住所
4 電話番号
5 E−mail
『一般社団法人 放射線の正しい知識を普及する会』様からのメッセージです。
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日本の未来のためにも、被災地の復興のためにも、
私たちの会に是非皆様のお力をお貸しください。
何卒よろしくお願いします。
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私たちが明るい光のある生活、モノ作り大国日本の維持発展ができる国を支えるためには、莫大な量の電力が必要になるし、その需要は高まるばかりです。
そしてその需要を満たすためには、太陽光発電や、風力発電程度では、とても賄いきれません。
原子力による電力の安定供給が不可欠です。
そしてそのためにも、放射線に関する正しい知識は不可欠です。
どうか、みなさまの温かいご支援をよろしくお願いします。
■『一般社団法人 放射線の正しい知識を普及する会』ホームページ
http://s-radiation.info/
ちなみに私のことを、団体を作って金儲けをしているヤツ、みたいな中傷をしているお馬鹿がいるそうですが、この『放射線の正しい知識を普及する会』は、私の主催でもなければ理事でもありません。私はただのひとりの会員です。
『放射線の正しい知識を普及する会』の趣旨に賛同したので、このようにご紹介をさせていただいています。

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