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道中で見えた富士山
道中で見えた富士山

今日の記事は、完全に私的な日記です。
4月16日、17日と、これから発売となる本・『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』の奉献と御神楽奉納に、近江神宮、伊勢神宮、熱田神宮に行ってきました。
とっても不思議な体験をしましたので、今日は、そのご報告をしたいと思います。
私の住まいは千葉県(駅は埼玉の春日部)ですが、本をそれぞれの神社に各10冊奉献のため、荷物があまりに重く(本自体が1冊が厚くて重い)なるため、今回、車で滋賀、三重、愛知にでかけることにしました。
朝、3時に起きて4時に出発。
道中は空も晴れ、富士山がくっきりと見え、気持ちのよいドライブとなりました。


滋賀県の近江神宮に到着したのが13時。
お昼をとっていなかったのですが、ここには境内に「宮そば」という十割そばのお店があり、なにせ「国産最高級の会津産のそば粉を六分挽きにして、つなぎを一切使わずに、そば粉と水だけで打ち上げる本格手打ちの蕎麦」というわけで、さっそく、これをいただきました。
お蕎麦大好き人間で、お蕎麦の味には結構うるさい方なのですが、ここのお蕎麦には一本取られた感じでした。
まじで、美味い!!

近江神宮「宮そば」
近江神宮「宮そば」

近江神宮の御祭神は天智天皇です。
天智天皇は、日本のカタチを築き上げた偉大な天皇で、中大兄皇子時代に、ウシハク権力者であった蘇我入鹿を打ち倒すために、剣を持って立ち上がられました。
これが「乙巳の変(おつみのへん)」なのですが、いまどきのどの教科書を見ても、この「乙巳の変」は、中大兄皇子の「クーデター」だと書いてあります。
これは実にとんでもないことです。
世界中、どこでもクーデターというのは、「身分の低い者が、身分の高い権力者を打ち倒して、その地位に就くこと」をいいます。
ところが「乙巳の変」では、蘇我入鹿は朝廷における役席者でもなんでもありません。
いわば一民間人でありながら、大金持ちで権力者となり、天皇の地位や権威までをも脅かす存在となっていたのです。
だからこれを中大兄皇子が誅殺しました。
つまり「乙巳の変」では、身分の高い者が、身分が低いのに権力を横取しようとした者を倒した事件であって、これは単に「誅殺」もしくは「懲罰」であって、こういうことを世界中どこでもクーデターとは言いません。
では何というかというと、「当然のこと」です。
そして蘇我入鹿を倒した中大兄皇子は、のちの藤原氏の祖となる中臣鎌足とともに、「大化改新」を断行(645年)し、公地公民制を公布(646年)しています。
これは実は、ありえないような凄いことなのです。
公地公民というのは、身近な貴族たちや、全国の豪族が持つ私有地、私有民を、全部根こそぎ天皇のものにしてしまう、ということです。
これがいかにものすごいことななのか。
いまの日本では、たとえば土地には私有地としての「所有権」が認められていますが、この「所有権」を一切剥奪して、すべてを天皇のものとする、というのです。
いまの時代に同じことをやろうとすれば、野党や民間団体から、どれだけの反発があるか、それを実現できるだけの与党の総理総裁がたとえば昭和、平成の世にに果たしているか、と考えたら、これがいかに凄いことなのか、ちょっと想像力を働かせればわかることです。
けれど中大兄皇子(天智天皇)は、それをやってしまったのです。
実はこの公地公民制は、いまの私達の生活にも深く関連しています。
いまの日本では、全国の都道府県、市町村の名前や、個人の姓は、たいてい漢字二文字です。
これは、公地公民制を敷く際に、「名前は原則として漢字二文字で表記すること」とされたことがきっかけです。
また天智天皇は、時計を開発した天皇でもあります。
これは「水時計」といって、サイフォンの原理を応用した時計で、水圧によって水が次々と下の水槽に移り、最下段の水槽に浮かぶ「浮き」を浮き上がらせる。
その時間を利用して、正確な時を刻む施設をお造りになられています。
世界中で、比較的時間にルーズな国が多い中、日本人がやたらと時間に正確なのは、実はいまから1400年もの昔、天智天皇が「時」についてこだわってくださったことが原因なのです。
そんなことから、近江神宮には、時計博物館が常設されています。
見学させていただいたのですが、ここには、セイコーやシチズンが、毎年新製品の時計が出ると、その一式を奉納されているのだそうです。
そういう意味で、実は天智天皇というのは、たいへんにアグレッシブな天皇でおいでになりました。
そしてその天智天皇が、百人一首の一番歌を飾っているわけです。
ちなみにマンガの『ちはやぶる』も、舞台は近江神宮、というわけで今回の百人一首本の奉献は、真っ先に近江神宮と思った次第なのですが、今回のお参りを仲介してくださった権宮司様と、宮司様にお会いしてご挨拶のあと、拝殿へと伺い神前に本をお供えし、お神楽の奉納をさせていただきました。
このとき、ありがたいことに、なんと宮司様が直々に笛を吹いてくださいました。
近江神宮
近江神宮0416

そのお神楽のときです。
とても不思議な感じがありました。
はじめは感激で、すこしウルっとしていたのですが、途中から、何やら言い知れないような力が腹の底から肩にかけて沸き上がってきて、頭のなかで、
「雄々しく」
という言葉がぐるんぐるんしました。
拝殿が終わって、そのことをよく考えてみました。
ねず本もそうですし、ブログもそうなのですが、自分の書いたものへの反省として、わかりやすさと感動を重視するために、全体に、やさしい表現にするように心がけているのですが、よくよく考えてみれば、それだけでは日本精神を取戻したとはいえない。
やはり、いざというときには決然と揺るがない行動を示す「雄々しさ」が、日本精神の要であるということを、もう一度自覚していく必要があるのだなという気づきを与えてくださったのかもしれない。
そんなふうに「感じ」ました。
このようなことを書くと、また私のことを「カルトだ」とか悪口を言う人がいるかもしれませんが、でも、自分が「感じ」たからそのようにいま書いています。
だいたいブログというものは、そもそもが私的なものなのですから、私が感じたことを、そのまま正直に「感じました」と書いて、何が悪いのか、と、先に書いておきます(笑)
拝殿が終わって宮司様と二時間ほど、四方山話をさせていただきました。
宮司様いわく、「神様って間違いなくおいでになりますね」
「人生に起こる様々な出来事は、全部つながっています。どれも意味があって起きることなのですよ」
「たしかにそうだ!と感じた一日でした。
帰り際に、山門の下で、写真を一枚撮りました。
何やら写真の左側に、白いものが写りました。
近江神宮2
近江神宮0774


この日は、移動と近江神宮奉献の後、伊勢まで移動し、そこで一泊。
翌17日の朝、ホテルを出て伊勢神宮へと向かいました。
ここでも不思議なことがありました。
朝、目覚めた時、伊勢は大雨だったのです。
私は日頃、晴れ男で、どこかに行ったり人と会ったりするとき、雨にたたられることがまずありません。
ところがお伊勢様に、さあこれから訪問という段になって、大雨だったわけです。
荷物もあるし、いったいどうなることやらと心配していたのですが、着替えを済ませ、チェックアウトして表に出ると、先程までの大雨がまるで嘘のように、止んでいる。
「お、やった!。ついてる」と思いながら、伊勢神宮の内宮の、待ち合わせ場所の宇治橋へと向かいました。
そこで宮掌様とお会いし、ご挨拶をして、一緒に鳥居をくぐっていざ神宮へ。
宮掌様は、もう20年以上、お伊勢様に奉職されているのだそうです。
その宮掌様のおっしゃるには、
「伊勢神宮は、参道が砂利道なのですが、毎日数万人の方が参拝されるため、晴れた日だとものすごく埃が立ち上る」のだそうです。
ですからお伊勢様参拝は、「雨上がりが一番良くて、軽塵が潤い、空気が澄んで、緑もくっきり見えて、気持よく参拝できる」のだそうです。
お伊勢様では、普通ではなかなか入れない、内宮の中まで入れていただき、そこで参拝をさせていただきました。
私は、神社への参拝の際は、「お願い」は一切しないことにしています。
とにかく「感謝」だけ。それも「何々に感謝する」ではなく、頭も意識も空っぽにして、ただ感謝する。そのようにしています。だいたい私などが神様に何かお願いをする、ということ自体、私には生意気に思えて仕方がないからです。
ですからこのときも、頭を空っぽにして、拝礼させてたいだいたのですが、最初の二礼をしたとき、下げた頭のなかに、突然、
「安らけき世を」という、昭和天皇の辞世の歌の初句が、ガツンと降ってきました。
昭和天皇のご辞世は、
 やすらけき 世を祈りしも いまだならず
 くやしくもあるか きざしみゆれど
です。
この初句の「やすらけき世を」という言葉が、頭の中でぐるんぐるんしたわけです。
お伊勢様のご祭神は天照大御神です。
そして伊勢神宮というのは、たとえば、榊(さかき)が、柱などのあちこちに飾ってあるのですが、その榊は、毎週入れ替えるのだけれど、一回につき、トラック一杯分もの榊が使用されるのだそうです。
お祓いの際に用いる塩も、榊も、また柱やお米も、そのすべては、伊勢神宮の中で栽培されたり収穫されたものが用いられます。
そこで思ったのです。
考えてみると、もともとの日本人は、すべてを自給自足できるようにしながら国を営んできました。
いまは、米でも野菜でも果物でも、海外からどんどん輸入しています。
輸入をするなということではありません。
ただ、日本人がそうして輸入し、飽食の時代などと浮かれている一方で、そうした穀物を輸出している国では、多くの人が飢えに苦しんでいるわけです。
地球上に住んでいる人類は、地球上で生産される食べ物の収量以上には生息することができません。
つまり、誰かが贅沢をすれば、その分、どこかで誰かが飢えに苦しむことになるのです。
「それで良い」としてきたのが、戦後の日本です。
けれど、それって、本当に人として良いことなのか。
みんなが安心して安全に、お腹いっぱいご飯を食べれる。
そういう社会や、そういう世界をこそ、神々はお望みなのかもしれません。
「やすらけき世」というお言葉は、ひとりが贅沢をする、そういう社会では決してないと思います。
世界中の誰もが、やすらかに、安心して安全に、幸せに暮らせるように。
伊勢神宮は、まさにそれを地で行っているわけです。
そのお伊勢様で、拝殿の際に感じたのが「やすらけき世を」という言葉でした。
百人一首の本当のを通じて、そういう深いところまで多くの日本人が目覚めて行く。
そういうきっかけつくりに、この本が役にたったら、どんなに素晴らしいことなのでしょう。
内宮の参拝が終わり、神楽殿へと向かいました。
そこでお神楽の奉納をさせていただいたのですが、ここでもびっくりしました。
神殿に『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』10冊を捧げ、お祓いのあと、お神楽となったのですが、おどろいたことん、なんと、多い時には500人は入るという神楽殿で、なんとこのとき、神楽殿にいたのは私ひとりでした。
神楽殿は、常時、たくさんの方が同時に入ってお神楽の奉納をするところです。宮掌さんによると、
「こんなこと(ひとりだけ)というのは、長年奉職していて初めてのこと」なのだそうです。
お神楽が終わり、神楽殿から外に出ました。
びっくりしました。
さきほどまでの曇り空が、まるで嘘のように、太陽の光が、さんさんと差していたのです。
目の前にありながら、誰もその意味を説くことができなかった百人一首を、今回はじめて本にして世に送り出す。
そのことを、神々がたいへんお慶びになられている。
とってもありがたいことと感じました。
宮掌さんに送られて、宇治橋まで来ました。
晴れてきたので、風が出てきました。
大勢の人で、埃も立ち始めました。
「ああ、これがいつもの姿なのですね」
とてもありがたいことに感じました。
お伊勢様の境内の中は、写真撮影禁止です。
表に出て、参道の商店街で、一枚、何の気なしに写真を撮りました。
そこには、左下に「てこ ねず し」の看板が、偶然映り込んでいました。
「てこ」は、小さな力で、大きな力を生むものです。
まあ、ただの偶然なのでしょうし、看板はあくまで「手こね寿司」でしかないのですが、「世の中に偶然はない」とするなら、これまたとってもありがたいことだと感じました。
伊勢神宮参道
お伊勢様参道_th

そもそも私は、日頃信心が薄い方ですが、こういうことは、ただ非科学的だと一笑に付すものではなく、わからないことは「わからない」として、ただ記憶にとどめておくことだと思っています。
偶然かもしれないし、そうでないかもしれない。
それは、凡夫の私達にはわからないことです。
わからないから否定する、というのではなく、わからないけれど、そういうことがあったと記憶しておく。
それは大事なことだと思います。

伊勢を出て、今度は名古屋の熱田神宮に向かいました。
到着したのが待ち合わせの15分前です。
本当に、良い具合に着くことができました。
熱田神宮では、権禰宜様に、境内をご案内いただき、また文化部長様にもご挨拶させていただくことができました。
そして本殿まで入らせていただき、そこで参拝をし、神楽殿でお神楽の奉納をさせていただきました。
ここでは、複数の方とご一緒にお神楽の奉納となりました。
参拝のときに感じたのは、「よしっ!」という言葉でした。
御祭神は大和武尊と草薙神剣です。
男性の神様らしく、細かなことは言わない。
ただひとこと、「よしっ!」でした。
とてもありがたいことに感じました。
不思議だったのはお神楽のときです。
そこで感じたのは、「ああ、ここは御神域なんだ」というものでした。
目の前で行われているお神楽のことではありません。
体と目は、熱田神宮の神楽殿にいて、目の前のお神楽を見ているのですが、感じたのは、そこで舞われているお神楽ではなくて、なんというか、魂だけが別なところで舞われているお神楽を見ていて、ふと気がついたら、「あ、ここは御神域なんだ」と感じた、というようなそんな感じです。
「招いていただいた?、えっ、自分が?、えっ?!」
そう思ったとき、気がついたらお神楽は終わっていて、隣に権禰宜さんが立っていて、榊を手渡してくださいました。
とても不思議な体験でした。

三箇所への『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』の奉献と参拝、お神楽奉納が終わり、一路、車で帰宅しました。
これまた不思議なことに、帰り道は、いちばん疲れているはずなのに運転中に眠くもならず、また、名古屋から埼玉まで、これまた不思議なことにまったく渋滞がなく、常に自分の車の前後は、何故かガラガラの高速を走ることができました。

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』は、今日、書店さんに配本になります。
早いお店では、今日から店頭に並ぶかもしれません。
百人一首の中には、百人の百通りの人生のドラマと、取り戻すべき日本の姿がくっきりと描かれています。
百人一首は、百首で一首の一大叙情詩なのです。
そして私達は、百人一首を通じて、本当の日本を、感動をもって学ぶことができます。
とても読みやすい本です。
どうかみなさまにおかれましては、ひとりでも多くの方に、この本を拡散いただければと思います。
きっと、一生の宝となる本になろうかと思います。
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