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満開の桜0405

いまの台湾を漠然と独立国と思っておいでの方は多いと思います。
実は、違います。
そこにはたいへん複雑な台湾の情況があります。
台湾は、大東亜戦争の終結まで日本の領土でした。
昭和20年(1945年)8月15日の終戦までではありません。
昭和27年(1952年)4月28日のサンフランシスコ講話条約の発効の日までです。
では、終戦から講和条約までの7年間、台湾はどうなっていたかというと、China大陸にあった「中華民国」を名乗るChina国民党が占領統治していました。
日本本土は、米軍が占領統治しました。
同様に台湾は、中華民国が占領統治しました。
日本は、サンフランシスコ講和条約によって、占領が解かれました。
そのサンフランシスコ講和条約に、台湾の処遇のことが書いてあります。
台湾の処分については、連合国に一任する、というのがその趣旨です。
ですから連合国によって台湾の処分先が決まるまで(台湾の主権先が決まるまで)、日本は台湾への主権を留保するということになります。
その意味では、台湾は日本の一部のままなのです。
さらに厳密にいうと、このことは、戦後日本という政治権力のもとにある日本の一部を意味しません。
戦後日本は、日本国憲法下の日本ですが、その日本国憲法は、厳密にいえば憲法の名を借りた「占領統治下の日本人服務規程」です。
そして占領軍は、いまだ日本から去っていません。
つまり戦後日本というのは、独立国の形をとっているようでいて、実のところ、連合国の保護国の状態にあるということになります。
保護国ですから、日本単独で政治的意思決定ができません。
その意味では、日本と同様に保護国の地位にありながら、自ら核武装を実現して世界を相手に堂々と自己主張をする北朝鮮や、同様に保護国の地位にありながら、排他的種族主義を貫こうとする韓国は、そのやり方の是非は別として、日本よりはるかに独立国でいようとしているということになります。
むしろその意味においては、戦後の日本は骨なしのぐにゃぐにゃ国家になっています。
骨なしのぐにゃぐにゃといえば、古事記に描かれたヒルコを思い出しますが、古事記においてヒルコは、魂のない肉体だけの存在として描かれています。
つまり、いまの日本は、魂のない保護国であるということです。
では台湾の主権を留保しているのは、どこなのかといえば、それは天皇です。
そもそも主権者というのは、法人のことではなく、法人の代表者のことを言います。
従って「日本に主権がある」という言い方は、厳密には間違っています。
日本の誰かに主権があるのです。
そして日本が保護国というのなら、その日本の主権者は、保護国となる以前の状態における主権者を意味します。
いうまでもなく、それは日本国天皇です。
こうしたことが明確になると困るのが、当時China大陸を追われ、占領下の台湾に亡命していた蒋介石政権です。
そこで彼が何をしたかというと、台湾に「戒厳令」を敷きました。
「戒厳令」というのは、あらゆる法の執行を停止して、すべてを軍の支配下に置く、というものです。
蒋介石のこの「戒厳令」には、国際法上の根拠がありません。
戒厳の名を借りた明らかに国際法を逸脱した暴力行為です。


もういちどサンフランシスコ講和条約を見てみます。
==========
第一章第二章第二条
(b)日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

==========
この条文が何を意味するかというと、いささかやっかいな表現なのですが、ひとことでいうなら「日本は、台湾に関する領土主権の帰属を連合国に一任する」という意味です。
もっというなら、台湾の主権先(台湾独立を含む)が「定まるまで」、日本は台湾に関する主権の行使を一時的に留保したということです。
要するに台湾の主権の帰属先が定まるまでは、台湾の主権はそのまま日本にあることになります。
ただし、条約によって、「日本はその行使をしない」。
原文ですと、「Japan renounces all right, title and claim to Formosa and the Pescadores.」です。
つまり日本が「renounces(放棄)」したのは「all right, title and claim(full right)」であって、「full sovereignty(すべての領土主権)」ではないことがわかります。
なぜなら「full sovereignty(すべての領土主権)」というのは、「right,title,claim」だけでなく「responsibility、duty、obligation、power、allegiance」等を含む言葉だからです。
領土主権というのは、領土に対する国家の排他的支配権を言います。
そして領土主権は、割譲、譲渡、交換、併合、先占等によってしか移転しないことになっています。
つまり、サンフランシスコ講和条約で日本は、台湾に関する領土としての処分権は放棄したけれど、領土主権は(連合国が具体的に領土主権者を定めるまで)その主権が留保されているのです。
サンフランシスコ講和条約発効の時点で、台湾はChina国民党軍による占領統治下にありました。
終戦からそれまでの間、日本本土をGHQが占領統治していたのと同様、台湾は蒋介石率いるChina国民党軍が占領していたのです。
国民党軍は、China本土にいるはずの中華民国の軍隊です。
China大陸にいるはずの中華民国が、台湾に国民党軍を派遣して、終戦後から台湾を占領していたのです。
ところがその台湾に、中華民国の本体が、China本土でChina共産党に追い詰められて台湾に亡命してきてしまっていたのです。
そしてChina大陸には、中華人民共和国が成立しました。
つまり台湾は、軍事占領されていながら、そこに占領軍の本体が逃げ込んでくるという、世界史的にみて「きわめてめずらしい状態」に置かれたわけです。
これは本当にめずらしいことです。
まさに世界史上に現れた珍事です。
普通は、戦争に勝った国が敗けた国を軍事占領するのです。
ところが、そもそも日本と戦って負け続けた国民党が、今度は自国内にいる別な政権にも負けて国土を奪われてしまったわけです。
それで台湾に亡命しています。
つまり、戦争に敗けた国が、戦争に勝った国を占領し、そこに敗けた国の本体までもが亡命してきてしまったわけです。
ややこしい話ですが、普通ならありえないことです。
ですからサンフランシスコ講和条約の時点で、台湾はおかしなことになりました。
サンフランシスコ講和条約によって、戦争は終わったのです。
戦争が終わったということは、台湾の軍事占領は、当然、解かれなくてはなりません。
つまり、台湾に国民党軍がいることができる法的根拠が、この時点で消滅しています。
ということは、本来であれば、この時点で蒋介石率いる国民党は、台湾から引揚げなければならないのです。
ところが蒋介石には帰るところがない。
それでそのまま台湾に居座ってしまったのです。
何度も言いますが、これは違法行為です。
居直り強盗です。
当然、台湾内部からも反発が起こりました。
それで蒋介石は「戒厳令」を敷いたのです。
この「戒厳令」は、昭和62(1987)年7月15日まで、なんと35年間も続きました。35年間です。
こんなに長い戒厳令も世界に類例がありません。
蒋介石は、すでに占領権のなくなった台湾を、暴力行為によって占拠し続けたのです。
繰り返しますが、これは居直り強盗みたいなものです。
この間に、日中国交正常化も行われました。
昭和47(1972)年のことです。
9月29日に締結された「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」には、次のように書かれています。
=========
2 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
3 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。

=========
この声明をもって、「日本は台湾を中共政府の領有であると認めた」などと書いている人もいるようですが、全然違います。
文を読んだらわかります。
日本が承認したのは、「中華人民共和国をChina大陸の合法政権であると認めます」ということだけです。
台湾については、「中華人民共和国が自国の領土だと意思表明した」というだけです。
日本が台湾の領土主権者が中共政府であると認めたことにはなっていません。
なぜなら日本は、認めることができないのです。
どういうことかというと、日中共同声明以前にサンフランシスコ講和条約があるからです。
そこでは台湾の領土主権者は、連合国の判断に委ねるとしています。
他の人にすでに委ねたのに、委任主が勝手に他と契約したら重婚みたいなものです。
要するに日中共同声明の時点で、日本が中共政府が台湾の領土主権者であることを認めたら、それはサンフランシスコ講和条約違反の行為となるのです。
もっというと、この日中共同声明は、日本の田中内閣とChina共産党とが共同して行った声明です。
台湾の領土主権者は、大日本帝国憲法に従えば、日本国天皇です。
そしてこの日中共同声明は、天皇の詔ではありません。
だから「声明」であって、「条約」ではないのです。
私は個人的には豪腕の田中角栄さんは好きな政治家ですが、この日中共同声明は残念と思っています。
なぜなら、これは足利幕府三代将軍の足利義満が、明国皇帝から「日本国王」として勝手に柵封を受けたことと同じ、政府の暴走行為だからです。
足利義満のこの行為が、何を招いたかというと、応仁の乱に始まる戦国の世です。
日本中が大混乱に陥ってしまったのです。
日本は天皇を中心とした国なのです。
日の丸には円が描かれていますが、円には必ず中心があります。それが天皇です。
ですから民◯党のように、円が二つ重なっている党旗は、それ自体が日本を否定したものとわかります。
つまりそれは国を分かつ行為なのです。
円の中心点はひとつだから、円になります。
二つあったら、円はおかなしなカタチに歪みます。
つまり国の価値観、道徳観、倫理観が歪み、国中が荒れて内乱状態になるのです。
足利政権下のときには、日本は国が荒れに荒れて、ついには応仁の乱、そして戦国時代へと突入しています。
応仁の乱頃の戦国時代というのは、たとえば、細川家の家人たちが、公家である西園寺家の屋敷を襲って、西園寺家の息女達の来ている衣類まではぎとって持って行ってしまったりしています。
細川家といえば、当時の超名門です。
いまで言ったら、トヨタの部長さんが部下を引き連れて総理府に行って、そこにいる女性たちの来ている衣類まで剥ぎ取って持って行ってしまう。そんな事態なのです。
応仁の乱頃の日本は、そこまで落ちぶれたのです。
そういう意味で日本の中心点を二つにした日中共同声明は、やはりその後の混乱を招きました。
日中共同声明によって、日本国政府の台湾国民党政府(中華民国)との国交もなくなりました。
あるわけありません。
日本は台湾を「国」として承認していないのです。
「国」でないなら、「国交」もありません。
占領は、その国の主権を奪うものではありません。
その国を一時的に統制するものです。
占領統治中、その国の主権がどこにあるかといえば、その国を代表する政府があれば、その政府が、なければ、その国の国民が主権者となります。
イラク戦争において、フセイン政権は崩壊しました。
だからといってイラクがアメリカ領になったわけではありません。
あくまでもイラクはイラクであり、その主権はイラク国民が持っている、それと同じです。
いまの台湾は複雑です。
台湾の主たる言語は、台湾語(福建語)ですが、標準語は国民党政府の北京語となっています。
福建語も北京語も、たいした違いがないのではないかと思う人がいるかもしれません。
けれどその違いは、英語とフランス語くらいの違いがあります。
そして9部族の共通語は、日本語のままです。
また政治体制も、占領政権である国民党体制のままになっています。
もちろん、国民党も民主化路線を打ち出し、選挙によって台湾総統や議員を選ぶ体裁はとっていますが、それがあくまで、占領政権であることに違いはありません。
現在、台湾を中共とは別な国家として承認している国は、ソロモン、マーシャル、パラオ、キリバスなど、かつて日本領だった諸国と、平和を願うバチカンをはじめとした、総計23カ国だけす。
残念ながら日本国政府は、戦後もずっと陛下から親任を受けながら、大事な陛下の「おおみたから」である台湾を放置したままにしています。
台湾出身の鄭春河さんのご遺稿をこのブログでご紹介したとき、南星会の居候さんから、次のコメントをいただきました。
「鄭春河さんね。
台湾歩兵第一第二連隊戦友会は最後の最後まで日本の正義を信じて笑って死にましたわ。
もうほとんど生きてませんけど、10年も前に台北で最後の師団単位の集まりがあって、従軍看護婦だった人も来て、みんなで恩賜のたばこ吸って笑ってお別れしましたのよ。
鄭さんは代理神主の資格があってね、台南の鄭成功神社で正式の神主の恰好で神式の儀式最期にやりましたよ。みんな普通のまともな日本人でした。
台湾はね、待ってるんですよ。
聯合艦隊は必ず来る。
日本は必ず立ち直って台湾を助けに来る。
信じてるんです。
日本を信じて戦った台湾臣民を、祖国日本が見殺しにするはずがないでしょうが。
違うとでもおっしゃるんですか。
あんたらそれでも人間のつもりですか。」

私には、返す言葉がありませんでした。
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