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桜sn3d0061

世界史では、19世紀に成立した国民国家化の運動によって、軍隊が正式に国有化されるようになりました。
これが常備軍の誕生です。
では、それまではどうだったのかというと、欧州の王たちにとって、戦争の担い手は常に傭兵(ようへい)たちでした。
私たち日本人は、海で囲まれた島国にいて、民衆がおおみたからとされ、領主などの権力の担い手は天皇から民(たみ)を預かっていると規定されてきた国に住んでいます。
これが日本で、いったいいつ頃から始まった仕組みなのかといえば、それさえもわからない。
わからないから、お馬鹿な国だという人がいますが、全然違います。
わからないくらい「古い昔からある」ということが肝心なのです。
それだけ古くて長い、世界史的にも稀有な国であるということだからです。
成文化されたのは、公地公民制が敷かれた西暦646年です。
けれど、その思想ないしは世の中の仕組み自体が成立したのは、神話の時代です。
どの神話かといえば、大国主神話で、そこに「シラス、ウシハク」の概念がちゃんと登場しています。
大国主神話は、物語のはじめのところが因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)ですが、その白ウサギは、隠岐の島から出雲に向けて、海上にワニに並んでもらって、その上をピョンピョンと飛び跳ねてきた、とされています。
戦前の古典学者さんたちは、ワニは熱帯、亜熱帯地方に生息する生き物で日本にはワニはいないので、おそらく「大昔の日本人はサメのことをワニと読んだのだろう」と推測しています。
けれど、ワニなら背中がタイラでゴツゴツしていますから、並んだ上をウサギが跳ねるというのは、なんとなく想像がつきますが、サメの背中は丸いし滑ります。
その上をウサギが跳ねたというのは、どうにも考えにくいし、いくら神話でも、あまりに描写が妙ちきりんです。


ところが昭和39(1964)年に、大阪府豊中市柴原の待兼山丘陵に位置する大阪大学豊中キャンパスの理学部で、新校舎を建設中に、なんとワニの化石が出土してしまったのです。
しかも体長約7メートルの大型のワニです。
このワニの化石には、地名をとって「待兼鰐(マチカネワニ)」という名が付けられました。
いったいいつ頃のワニかというと、発掘された地層から、約30万年前のものであることがわかりました。
ということは、大国主が生きた時代は、30万年前?。
そうかもしれませんが、すくなくとも日本にワニが生息していたことが、一般に知られ、まだ伝承されていた時代のできごとであったかもしれないし、あるいは、それほど古い時代のことだよ、ということを言うがために、古事記の伝承者たちは、あえて「ワニ」という表現を使ったのかもしれません。
いずれにせよ、日本という国は、そして日本人は、歴史が文字として記録されるようになる有史時代よりも、はるかに昔から、天皇のもとで、民(たみ)こそが国の宝という治世を敷いてきたということが、この一事からも知ることができます。
つまり日本は、史書に記録されないはるか太古の昔から、国民国家でありつづけたわけです。
これに対し、一般に先進国と呼ばれる欧州でさえも、国民国家という概念が登場するのは、19世紀のナポレオンが登場してから以降のことです。
ではそれまではどうだったのかというと、王による支配と隷属しかありません。
王にとって、民衆はただの私物です。
その王の権力が及ぶ範囲が王国の版図です。
その版図を守るために、王たちは用いたのが傭兵軍です。
当時の戦(いくさ)は、傭兵たちがしていたのです。
誤解していただきたくないのは、「国家があるから国民がある」ということです。
国家という概念が成立していない時代には、国民もいないのです。
ここを日本人は間違えます。
日本人にとっては、まさに太古の昔から国家が国民国家だったからです。
大陸での現実は、洋の東西に関わらず、日本とはまるで違います。
王がエリアと民衆を私的に支配しているというだけの環境においては、王は単なる収奪者です。
そこには強制や強要はあっても、愛国心も祖国愛も存在しません。
愛国心がなければ、志願兵もありません。
戦いをするには、兵が要ります。
その兵を、近隣の農家から強制徴用してきて、後ろから武器を突きつけて「お前たち戦え!」と放り出しても、使い物になりません。
愛国心がないのです。
強制的に徴発されて戦いに出されても、最後には接近戦となる剣と弓の時代には、兵として機能しないのです。
民間からの徴兵が意味を持つようになるのは、戦いに炸裂弾の大砲が用いられるようになってからです。
遠くから飛んでくる炸裂弾の大砲弾の前に、腕は関係ないからです。
ですから炸裂弾大砲が登場するまでは、王たちは戦いのために、戦いでしか生きることができない地上のあらゆる国からやってきた堕落した野蛮人を、カネで傭兵として用いられました。
この「堕落した野蛮人」がどういう連中かといえば、零落した者、さすらい人、犯罪者たちが織りなす地下世界の男どもです。
ちなみに徴兵について、いまの内閣のもとで「自衛隊が強化されると徴兵が行われるのではないか」と心配する人がいるようです。
言わせていただくと、「何十年前の話をしているの?」と聞きたくなります。
いまはハイテクミサイルの時代です。
訓練されたプロでなければ、戦いなどできないのです。
そこに素人(しとうろ)が徴兵されてやってきても、まるで役に立たない。
戦いの邪魔になるだけです。
ですから、軍隊がカタチと見栄だけのもので、いざというときに敵兵と戦おうとしないで、武器を持たない民間人を襲撃しては民間人の殺戮と強姦ばかりしていた、どこかの国ならいざしらず、日本の最先端防衛隊に素人は不要です。
話が脱線しましたが、王たちが傭兵を用いていた時代、その傭兵たちが戦いに突き動かされる動機は、掠奪の望みだけです。
なぜなら彼らは欲望のはけ口としての掠奪や暴行が給与の中に含まれていたし、法的にも是認されていたからです。
ドイツで昔、三十年戦争という戦争がありました。
日本で言ったら江戸時代のはじめ頃にあたる、1618年から1648年に戦われた戦争です。
この戦争をテーマとした本に、グリンメルスハウゼンの『阿呆物語』(岩波文庫)があります。
戦災孤児となった主人公の半生を描いた小説ですが、その中に、まさに三十年戦争の時代の傭兵たちの様子が詳細に描かれています。
引用してみます。

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Jacques Callot 0310

それからはどの兵隊もそれぞれとんちんかんなことをやり始めたが、そのどれもが落花狼藉といった感じを与えた。
これからはすばらしい酒宴を始めるかと思われるほど何頭もの家畜を刺し殺し、それを煮たり焼いたりする兵隊があるかと思うと、1階から2階を風のように駆けめぐって、便所のなかまで探しまわり、コルキスの金羊皮でも捜し出そうとするような兵隊もあった。
一部の兵隊は布地や衣類やさまざまな家具を包みこんで大きな包みをつくり、どこかで古物市でもひらこうとするつもりに見えた。
失敬して行くほどのものでないと考えたものは、たたき壊し、ばらばらにした。
一部の兵隊は敷布団から羽根をふるい出し、そのあとへベーコンをつめこんだりしたが、そのほうが羽根布団で寝るよりも寝心地がよいとでもいうようだった。
また、これからは常夏がつづくとでもいうように、ストーブと窓をたたき壊す兵隊もあった。
銅の器物や銀の器物を打ち砕いて、折れ曲がった器物を包み込む者もあった。
寝台やテーブルや椅子やベンチを燃やす者もあった。
とにかく最後には鍋と皿が一つのこらず割られてしまった。
私たちの下婢(かひ)のアンは厩でさんざんな目にあい、厩から出る気力もないほどであった。
それをここで語ることさえ恥ずかしいほどである。
下男は手足を縛られて地面にころがされ、口へ木片を立てられて口をふさがらなくされ、臭い水肥(みずごえ)を乳搾りの桶から口へ注ぎこまれた。
兵隊たちはそれをスウェーデン・ビールと称したが、下男にとってはありがたくないビールであったらしく、百面相をしてもがいた。
それから兵隊どもは短銃の撃鉄から燧石(ひうちいし)を取り外し、そこへ百姓たちの手の拇指をはさんで締めつけ、憐れな百姓たちを魔女でも焼き殺すかのように責めたて、捕えてきた百姓の一人などは、まだなんにも白状しないうちからパン焼き竃の中へ放りこまれ、火をつけられようとしていた。
他のひとりの百姓は頭のまわりに綱を巻きつけられ、その綱を棒切れで絞られ、口や鼻や耳から血が流れ出た。
要するにどの兵隊もそれぞれ新工夫の手段で百姓を痛めつけ、どの百姓もそれぞれお抱えの拷問者に傷めつけられた。
しかし当時の私の眼に誰よりも運がよいと考えられた百姓は、私のちゃんであった。
他の百姓たちは痛めつけられ、ひいひいと悲鳴をあげて白状しなければならなかったが、ちゃんはげらげら笑いこけて白状させられたからである。
ちゃんがその家の主人であったので、そのように敬意を表されたのにちがいない。
兵隊どもはちゃんを火のそばへ坐らせ、手も足も動かせないように縛り上げ、水でぬらした塩を足の裏へすりこみ、私たちの年取った山羊にそれを舐めさせたので、ちゃんはくすぐったがって、身をもがいて笑いつづけた。
私はちゃんがそのように長く笑いつづけるのを見たり聞いたりするのは初めてだったので、それがとても楽しい結構なことにちがいないと考え、お相伴するつもりで、もしくはほかに知恵も浮かばなかったので、一緒にげらげら笑いつづけた。
ちゃんは口を割り、隠してあった虎の子を取り出してきたが、それは百姓などには身分不相応なたくさんの黄金や真珠や宝石であった。
連れてこられた女や下婢や娘がどうされたかは、兵隊どもが私にそれを見せようとしなかったから、私にもよくわからない。
しかし、あちらの隅やこちらの隅から悲鳴がきこえたことは、今もよく覚えている。
【望月市恵訳『阿呆物語』岩波文庫・上巻】
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同じ時代、というか、この時代よりも少し前の戦国時代においてさえも、日本では、武士は戦をするに際して民家を襲うことは著しく卑怯な振る舞いとされました。
それどころが、合戦のために田畑が荒れるとわかれば、その会戦予定地に、あらかじめ両軍から使節を送り、付近の作物を高値で買い集め、近隣のお百姓さんに、戦のあとの遺体の始末や遺物の身内への送付などを依頼するまでしていたのです。
そうやって「民のために」戦っていた日本と、「王のために」戦っていた西洋との現実の違いがここに、明確に出ています。
それでも西洋では、19世紀の国民国家の成立から、こうした地下世界の極道者たちによる傭兵制度が徐々に姿を消し、軍は正規兵の時代へと変わっていきました。
ところが東洋の一部の国では、これが近現代に至ってもまだ続いているし、それどころかチベットやウイグルの弾圧に見られるように、傭兵どころか国軍によって、まさに阿呆物語に描写されているのと、まったく同様な掠奪や拷問、強姦、殺人が続けられています。
そして、そのような国に共通しているのが、「反日である」ということです。
これはいったい何を意味しているのでしょうか。
私たちは、もういちど日本という国を考えなおすべきときにきていると思うのです。
先日、愛知県一宮市の学校長が、神話のことを書いたら教育委員会から処分を受けたという報道がありましたが、神話は歴史でないといいながら、史料の整った三十年戦争は教えない。『阿呆物語』も教えない。
それは教育のダブルスタンダードです。
そして教育がダブルスタンダードなら、そんな教育は、その時点で、もはや教育の名に値しません。
わたしたちは、ちゃんとした「国民教育」を取り戻すべきだと思います。
国家あっての国民です。
国家があるから国民があります。
ウシハク国の民は、国民ではなく領民です。
そして国民としての教育ならば、わたしたちの国の国家としてのなりたちから、たとえそれが神話であっても、そこからちゃんと教育するのは、あたりまえのことです。
なぜなら、神話があるということは、神話でしか語れないほど古い昔から、わたしたちの国が民族が存在し続けてきているという、世界に類例のない素晴らしい誇りあることだからです。
【参考文献】
『初期近代ヨーロッパにおける掠奪とその法理』山内進著
『国民の歴史』西尾幹二著
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