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田舎の風景3月

最近、君が代の意味について、「き」が男、「み」が女、という説明をあちこちでみかけるようになりました。
言い出しっぺは、私なのですが、もはや私の手を離れ、大きな拡散がはじまっているようです。
このことが日本の常識となっていくこと。
それは、君が代を左翼の批判から取り返すことでもあるし、私たちの国への愛する思いを大きく広げることにもつながろうかと思います。
もっともネットの拡散記事をみると、その多くがこのブログからの要点コピペですが、それはそれでとても良いことだと思います。
国歌に誇りを持てない国民なんて、塩気の抜けた塩辛みたいなもので、申し訳ないけれど使えない人でしかありません。
たいせつなことは、右だ左だと対立することではなくて、右も左も日本人としてのたいせつな心を取り戻すことです。
日本のもつ懐の深さは、たかだか生まれて200年やそこらの欧米型個人主義などとは歴史の重さがまるで違うのです。


わたしたちは日本を思い出すだけで良いのです。
まっとうな日本人なら、それだけでまたたくまに戦後の洗脳から解き放たれ、目を覚まします。
そして日本が目を覚ますことを、まさに世界が望んでいます。
日本アニメブームは、そのひとつです。
左巻きの人は「君が代は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言います。じつに程度の低い話です。
そもそも「君が代」は、戦前からのわずか7〜80年の歴史の歌ではありません。
いまから千年以上もの歴史のある歌です。
よくもまあ、軍国主義の歌だとか、デタラメなことを言えたものです。
「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
いまから1100年も昔の歌集に登場しているのです。
この年に編纂された『古今和歌集』の巻7に「賀歌」の筆頭歌として納められています。
その『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら政府の公式歌集です。
万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めています。
つまり、最大みつもれば、1250年前に、すでに詠まれたいた歌なのです。昨日今日の話ではない。
『古今和歌集』には有名なカナ序文がありますが、これは紀貫之(きのつらゆき)が書いたものです。
そして『古今和歌集』巻7「賀歌」の筆頭に、「題しらず、読人しらず」として、
 わが君は 千代に八千代に
 さざれ石の巌となりて苔のむすまで
と歌が掲載されています。
この冒頭が「君が代は」ではなく、「わが君は」となっているところは注目です。
「君が代」の初出は、『古今和歌集』ですが、次の『古今和歌六帖』にも、歌い出しは「わが君は」となっています。
ところがその後に編纂された『新撰和歌集』や『和漢朗詠集』では、歌い出しが「君が代は」となり、以降、ずっと君が代のままです。
実はこのことは、日本文化を考えるうえで、とても大切なことなのです。
というのは、時代は異なりますが、戦時歌謡(軍歌)の「同期の桜」は、知らない人がいないくらい有名な歌ですが、この歌も、作詞が誰なのかわかっていません。
昭和13年に西条八十が「少女倶楽部」に発表した詩が元にはなっているようなのですが、ところがその後、歌詞がさまざまに変化し、また3番、4番なども追加されていって、いまのカタチになっています。
つまり、多くの人が歌っているうちに、歌詞がどんどん補強され、追加され、歌いやすいカタチとなって変化していったのです。
「君が代」の場合も同じで、賀歌、つまりお祝いの席での、めでたい歌として、広く貴族から庶民の間にまで普及していた歌であったからこそ、さまざまなバリエーションが生まれ、その歌いだしも「わが君は」であったり、「君が代は」であったりしていったわけです。
このことは「君が代」が「読人しらず」の歌であることに加えて、和歌がひろく一般庶民の間にも普及していたということを示すと同時に、どれだけ千年前の日本人が一般庶民に至るまで高い教養を持っていたかの証拠でもあります。そんな国、世界中、どこを探したってないです。
和歌が庶民の間にまで普及していたということは、『万葉集』にも、また『古今和歌集』にも、一般庶民の歌とされる数多くの歌が掲載されていることからもあきらかです。
そもそも「和歌を詠む」ということは、相当の言語感覚と、文字を扱う能力がなければできることではありません。
そうではないというのなら、いまこの場で、もみじを題材に、歌を一首詠んでくれ、と言ってやったら良いです。
即興ですぐに詠める人など、おそらくごくわずかです。
ちなみに、大学で国文の和歌を教えている多くの教授さんたちは、和歌を詠むのが実に下手くそです。まるで歌になっていない。
つまり歌の心、言いたいことを隠して、上の句と下の句でその真意を相手に察してもらうという、その文化性を失い、また国文の教授でありながら、日本人としての言語感覚に乏しいからです。日本語は、China語や英語とは段違いの深みをもっている言葉なのです。
そして、もっと大事なことがあります。
それは「君が代の歌詞が変化している」ということです。
そしてその変化をもたらしたのは、「間違いなく」日本人の一般庶民であるということです。
なぜ「間違いなく」といえるかといえば、この歌が施政者である貴族の歌とするならば、「わが君は」で良いからです。ご皇室の弥栄を願って貴族たちが国の体制を寿ぐ歌というののなら、歌い出しは「わが君は」であるべきです。
ところがそれが「君が代は」となっているということは、単に君が「わが君」をあらわすだけでなく、賀歌として、「別な意味」にも歌われていたということを示すのです。
では、その「別な意味」とはいったい何でしょうか。
その意味が実は「きみがよ」の「きみ」にあります。
漢字で書けば「きみ」は「君」です。
これを音読みの「クン」ではなくて、訓読みで「きみ」と読んでいることがポイントです。
もともと漢字はChinaで生まれたものを日本は輸入しているのですけれど、その漢字に、わたしたちの祖先は「訓読み」を充てていたと、私達は教えられています。
けれど、これが実はパラドックスなのです。
そうではなくて、もともと「大和言葉」があったのです。
その「大和言葉」を書きあらわすのに、「あとから」漢字を取り入れたのです。
順番が逆なのです。
訓読みのために漢字を取り入れているのです。
たとえば「田んぼのみんな」という意味で「たみ」という言葉があります。
その「たみ」に、あとから「民(みん)」という漢字を当てたのです。
もともとChina漢字というのは、その字源をたどれば、ろくな意味のないものがほとんどです。
この「民」なども、その筆頭です。
どうことかというと、「民」の文字の上にある長四角のところが、実は人間の目を意味します。
ところが目なのに、長四角の中に目玉がありません。
なぜ目玉がないかの理由が、下にある「十」の部分で、これは古代のChinaにあった、人の黒目を突いて目を見えなくするための道具です。
針で刺されて目を見えなくされているから、上の長四角の中に目玉がないのです。
そして「民」の字の左側にある「|」は、城塞都市の塀です。
城塞の塀の内側で、民衆の目を針で突いてつぶして、民衆に無理やり言うことをきかせる。
目の見えない人々は上の人の言うことを聞かなければなりませんから、無理やり服従させられる。つまり隷属させられる。その隷属民のことを「民」という漢字であらわしたのです。
つまりChina漢字でいう「民」とは、隷民、つまり奴隷のことを指します。
奴隷というのは、古今東西、人ではありません。豪族や権力者の持ちモノです。
モノですから、売っても捨てても殺しても、罪になりません。
目を潰しても罪になりません。
「人」ではないからです。
ですから中国漢字の「民」は、もともとは、モノである隷民のことを指します。
彼らにとっての「人民共和」は、ですから語感としては、人である支配層が、隷民と共に和することという語感がついてまわります。
このとき「民」は、ただのモノですから、支配層である「人」は、モノが人に従わないなら平気でモノたちを殺処分します。
ウイグルやチベットで起こっていること、あるいは天安門事件で起きたことは、そういうことです。
「君(くん)」もひどいものです。
「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を組み合わせた文字です。
「尹(イン)」は、上の横棒のところが人間の「手」です。
その手に、縦の棒(ノ)が組み合わさっています。
その棒がよく見ると、斜めに湾曲しています。
ものの本では、これを体裁よく、また子供達への教育的配慮から、手に杖を持って口を開けている姿が「君」だから、これはもともとは「聖職者」をあらわした漢字です、などと「美しく」書かれていますが、現実はもっと残酷です。
「ノ」は、しなった笞(ムチ)です。
つまり、手にムチを持った人が、口を大きく開けて何かを叫んでいる姿が、「君」という漢字です。
何を叫んでいるのでしょうか。
「オラオラ、お前ら、働け働け〜」と叫んで、「民」をしばきあげているのです。
奴隷(民)たちが強制労働させられている横で、ムチをもってしばきあげている人がいる。
それが「君」です。
Chinaの漢字というのは、ほんとうに、ろくな意味がありません。
その「民」や「君」を私達の祖先は、ただ取り入れたのではなくて、簡単にいえば、大和言葉を表記するための絵文字として、取り入れています。
それが「訓読み」です。
わたしたちの祖先は、漢字をただ輸入したのではなくて、わたしたちの国の文化に、漢字を染めなおして輸入したのです。
ですからたとえば「民(みん)」は、China漢字では、目を見えなくされた隷民という意味ですが、わたしたちの祖先はこれに「たみ」という和語(大和言葉)を充てました。
というより「たみ」という大和言葉に、あとから「民」という漢字を充てています。
そして「たみ」というのは何を意味するかといえば、「田んぼではたらくみんな」です。だから「たみ」です。
そこに上下関係や支配と隷属の関係はありません。
みんなが共同する仲間たちです。
そして私達は、いまでも、「民」といえば「田んぼではたらく仲間たち」を語彙としてイメージしています。
ですけれど同じ漢字でも、渡来系の方は、そこに見る文字の意味は被支配層としての「隷民」です。
帰化系といわれる議員のセンセイと、国会でのやりとりをみても、どうにも会話になっていないという印象を強く受けることが多々ありますが、それもそのはずです。彼らは、もとからの日本人と言語感覚が異なるのです。
ちなみに、民主という言葉がありますが、China文化、あるいはそのChina文化だけに染まっていて訓読みをもたないKorea文化では、「民」の意味は上にお示しした通りで、「主」は、下の「王」の部分がろうそくの燭台です。そして上にある「丶」が、ろうそくの炎です。
燭台やロウソクは、明るいところでは役に立ちません。
部屋の奥まった暗いところにあって、じっと動かずに、人に「ああせい、こうせい」と命令する。それが「主」です。
つまりChinaやKorea文化では、「民主」とは、「自分は部屋の奥にいて何も動かず、他人に命令ばかりする人が、民衆から教育や視力を奪い、民衆にものを見えないようにしたうえで、民衆から収奪すること」、それが「民主」の意味になります。
一方、日本人は「民主」と聞けば、「田んぼではたらく仲間たち(たみ)が主(あるじ)となる社会の仕組み」、
「田んぼではたらくみんなが、その田んぼの主(あるじ)となる社会体制」をイメージします。
これは日本語に「訓読み」がある、つまり漢字を輸入する以前から、固有の日本文化が根っこにあることに由来します。
同じ「民主」という言葉を口にしていても、その語彙は、ChinaやKoreaの文化圏の人たちと、古来からの日本人では、まるで受け取る感じが違います。
ですから、少年時代に、ChinaやKoreaの文化で育ち、後に帰化した人や、在日となった人達からすれば、「君が代」と聞けば、「民衆をムチでしばきあげて言うことを聞かせる時代」に見えるし、そういうことと戦争を結びつければ、彼らの言語感覚としては、「君が代」の意味は、「民衆が奴隷としてムチでしばかれながら戦場に送られた時代」にしか見えないわけです。
同じ日本語を話し、同じ漢字を使っていても、元になる文化が異なれば、そこから受けるイメージも、まるで違うのです。
これでは会話になるはずがありません。
現実の問題として、
「民主主義」と聞けば「田んぼの仲間たちが主(あるじ)となって主役となる思想や体制」という語感にとらえる日本人と、
「隷民たちの目を潰し、自分はロウソクの燭台のように屋敷の中の奥まったところににて、自分ではなにもしないで、人に指図しながら、人々から収奪する主義」と捉える人々が、同じ国会の中で「民主主義」をめぐって議論しているわけです。議論が噛み合うはずがないのです。
さて、では日本人にとっての「君が代」とは、どういう意味なのでしょうか。
発音は「きみがよ」です。「君」という文字は使っていますが、読みはあくまで和語(大和言葉)の「きみ」です。
この「きみ」の「き」と「み」は、実は、男女を表します。
「き」が男、「み」が女です。
ですから、「おきな(翁)」、「おみな(嫗=女)」と言います。
その男女のいちばん最初の神様が、イザナキ、イザナミの二神です。
ちなみに、イザナキ、イザナミのお二柱の神様の前の神様には、性別がありません。
ですから、最初の男女が、このお二柱の神様となります。
そして「イザナキ」とは、「いざなう男」、「イザナミ」は「いざなう女」という意味の大和言葉です。
そしてこの二柱の神様が結ばれて、日本の国土を産み、そしてさらに風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々が産まれ、最後にお生まれになられたのが、天照大神、月読命神、須佐之男神の三貴神です。
天照大神は太陽の恵みの神様、月読命神は農業に必要な暦の神様、須佐之男神は眠りと育ちの夜の神様です。
そしてこの天照大御神様からの直系のご子孫が、代々の天皇のお血筋です。これを万世一系といいます。
万世一系の神様のお血筋にある方が、代々天皇となり、そしてその天皇から分かれて派生した血縁者が、日本人、つまり日本の民衆です。
ちなみに、現代人ひとりが誕生するためには、父と母の二人が必要ですが、その父と母が誕生するためには、さらに4人の祖父母が必要です。さらにその祖父母の誕生のためには、8人の曾祖父母が必要になります。
こうして数えますと、700年前(それは鎌倉時代頃ですけれど)には、現代人一人が生まれるために、1億2600万人のご先祖が必要になります。これはいまの日本の人口と同じです。
現代人ひとりが産まれるのに、鎌倉時代に1億2600万人が必要なのです。
ということは、現代人二人のためには、鎌倉時代に2億5200万人の人口が必要になります。
現代人100人のためには、鎌倉時代に100億の人口が必要になります。現代の世界の人口さえも超えてしまいます。
それにそもそも、鎌倉時代の人口は700万人しかいません。
これが何を意味しているかというと、日本人は、誰もが「ご先祖がかぶっている」ということです。どっかで血がつながっているのです。
しかも日本の歴史は、有史以来でも2700年、縄文時代から起算すれば2万年の歴史があります。
日本人は誰もが、ちょっとご先祖をたどれば、必ず親戚同士なのです。
そしてその血筋は、かならず歴代の天皇とつながります。
そしてその天皇は、天照大御神からの直系の血筋として、日本の最高権威にあります。
そしてその最高権威が、日本の民衆を、天皇の宝物、としてくれたのが、日本の国のカタチです。
これを昔は「国体」と言いました。
よく戦時中の書物などに、「国体を守れ」という言葉が出てきますが、その意味は、「天皇が最高権威であり、その最高権威によって民衆が宝物とされる体制を守れ」という意味なのです。
そしてそのために、多くの先輩達が、戦地で尊い命を犠牲にしてくれたし、そのおかげで、いまの私達の命があります。
わが国最高権威の天皇が、わたしたちを「おおみたから」としてくださっている。
そのおかげで、わたしたちは豪族や権力者たちの隷民にならずに済んでいます。
それがわたしたちの国のカタチです。
だからこそ、わたしたちは、わたしたち自身の自由のためにも、わたしたち自身が目を潰されてムチでしばかれる隷民とならずにいるためにも、そういう国のカタチの中心核におわす天皇の存在をありがたく思い感謝する。
天皇がわたしたちを「おおみたから」とし、わたしたちが天皇に感謝する。
それが昔の言い方をしますと「君民一体」の意味です。
そしてその「君民一体」の世を、「千代に八千代」に、つまり千年も万年も未来永劫、さざれ石の巌となって苔のむすまで、みんなで守りぬいていこうじゃないか、それが君が代の歌の意味です。
そして君(きみ)は、男と女でもあります。
その男女が結ばれて、子が産まれ、孫が産まれ、曾孫が産まれ、子孫が繁栄する。
だから「君が代」は、おめでたい賀歌なのです。
「君が代」が戦争の象徴だとか、そんな意味にしか受け取れないというのは、日本に住みながら、日本語の意味を解することができない、哀れな痴れ者でしかありません。
そういう人には、もういちど小学校から勉強をしなおしてきなさいと言いたい。
まして、そのような人に日本の国政を云々するような資格は、まったくありません。
「君が代」は、そういうおめでたい歌であるからこそ、明治時代に国歌として採用になる前までは、一般的な結婚式でのお祝いの定番曲でした。
結婚式の歌としては、「♬高砂やぁ〜、この浦、船に帆をあげてぇ〜」という「高砂」が有名ですが、昔は「君が代」もそれと同じくらい歌われたのです。
そういう歌が、千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれている。
そこに、日本の計り知れない文化の深さがあります。
そしてそういう歌を国歌としているということ自体、すごいことですし、もっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。
さて、このお話をFacebookにシェアしたところ、友人のTさんから、おもしろいコメントをいただきましたので、以下に転載します。
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今回取り上げられている「君が代」で、今東光著「最後の極道辻説法」の記述を思い出しましたので、以下に紹介致します。
今東光著「最後の極道辻説法(1977年初版発行。集英社) 」141ペ-ジより。
質問:(「君が代」について)どう考えても、おれは今の日本の国歌にはふさわしくないと思う。
この「君が代」は、昔、皇室の歌だったと何かの本で読んだことがある。
戦前ならともかく、いちおう民主主義の世の中であるのに、何で国家が天皇の歌にならなければいけないのか不思議である。
和尚はどう思うか?」
今東光和尚の回答:「それはだな、てめえが学がないからで、「君が代」は、大昔から天皇の歌でも皇室の歌でもないんだ。
これは古今集の歌でな。たしか“読み人知らず”だったと思う。
それをたまたま採用したんだ。
もし民主主義に合わないというんなら、「君が代」という言葉だけを別な言葉で言えばいい。
「我が代」とでも何とでも変えれば、いいじゃねか。
何も騒ぐほどのことじゃありゃしねえ。
あの曲は今様(いまよう)で、大昔の日本の曲だ。
てめえみたいなバカが、なにをグダグダ騒ぎやがる!」



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君が代の本当の意味

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