
今日は、満州国で建国宣言が行われた日(昭和7年(1932))です。
満州国は、平たく言えば清王朝です。
もともと満州地方出身の遊牧民王朝である清王朝は、長く北京に本拠を置いていましたが、欧米列強に国土を蚕食され、辛亥革命によって北京を追われます。
そして半ば流亡政権になっていたのですけれど、チベットやウイグル、モンゴルなどは、そのまま継続して清王朝への朝貢を継続していました。
China国土が国民党と共産党、軍閥が入り混じった内乱状態に陥っていたとき、清朝政権をあらためて、その出身地である満州で王朝復興を図ったのが満州国です。
満州国は、日本の援助もあって大豆の栽培高世界一となり、建国からわずか12年で首都新京などの大都市は、東洋のパリと呼ばれるほどの美しい街になりました。
当時の満州には、ロシア革命で国土を追われた旧ロシア貴族たちもたくさん住んでいたのです。
日本は彼らのために、旧ロシア市街そのものといえるロシア人街を築き、そこをロシア人たちの専用居住区にもしていました。
そしてロシア貴族の子女たちを、満鉄で大量に雇用し、彼らの生活も支えたのです。
ところが昭和20年に、日本が敗戦。
ソ連共産党がそこにやってきました。
ソ連共産党(スラブ系)にとっては、ノルマン系のロシア貴族は、まさにブルジョアジーであり、敵です。
彼らがその後どうなったのかは歴史の闇です。
そしていま、Chinaの東北省となった旧満州に、ノルマン系のロシア人は誰もいません。
満州が、ただの日本の傀儡政権にすぎなかったというのは、China共産党や旧ソ連の側のくだらない宣伝工作にすぎません。
彼らは、満州にいた旧ロシア貴族たち全員をなぶり殺し、国土を奪い、その罪を日本に着せて頬かむりしているだけのことです。
そしてこのことは、国を失うということが、どういうことが起きることかを学ぶ上でも、とってもたいせつなことを私たちに教えてくれていると思います。
反日が良いことと思っている人は、いわば満州国内にいて、ソ連軍やChina共産党軍を引き込んだ裏切り者たちと、実は、同じことをしているのです。
残念なことです。
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