
田母神先生とチャンネル桜とのことがいろいろと議論されています。
私は、どこまでも、何があっても田母神先生応援です。
この世のすべての出来事は、なにか意味があって起きます。
八百万の神々のご意思がそこには必ずあるものと信じています。
ですから今回の事務所の問題も、日本の保守の在り方についての大きなメッセージなのかもしれないと思っています。
日本を取り戻したい。それは目覚めた人たちの共通の思いであろうと思います。
神々の御意思もきっと同じだと思います。
その「取り戻そうとする日本」は、どのような日本でしょうか。
政治経済教育環境道徳すべてにおいて、人々が批判し、対立し、敵対し、人が人を私的に支配するウシハク日本でしょうか。
それとも、天皇のおおみたからとされた人々が対等な自分として立派に生き、互いに和をもって貴しとなし、明察功過によって良いことも悪いことも、事前に察して手を打つことで、誰もが安心して安全に暮らすことのできる共和なシラス国でしょうか。
日本が2675年という、途方もない世界最古の歴史を刻むことができたのは、シラス国だったからです。
そのシラス国を取り戻す。
それが保守であるとするならば、その保守が批判対立敵対保守に陥ってしまったら、何の意味もありません。
日本を滅ぼそうとしている人たちはどうでしょうか。
大小様々な対立軸を見つけては、その対立を煽って日本を破壊しようとする、そういう人たちなのではないでしょうか。
Chinaがなぜ共産主義国になったのか。
清朝末期、欧米列強に国土を食い荒らされた清国では、昔から官吏と民衆、あるいは多数の民族ごとの対立と闘争など、国内に多くの矛盾と対立を抱えていました。
そしてヨーロッパに進出しようとしていたコミンテルンは、欧州諸国が意外と結束が硬いことに驚き、新たな世界共産主義革命戦略として、Chinaへの進出を図りました。
China国内が、軍閥と政府、民間それぞれが極めて深刻に対立し、しかもそこに日本の軍の駐屯などもあって、まさに国内が紛争のまっただ中にあったからです。
そして共産主義者たちは、社会の対立や不満を煽り、結果として清國を崩壊させ、中華民国国民党軍まで崩壊させて、ついに築いたのが中華人民共和国です。
ですから中共は、国内のあらゆる階層内に対立と闘争を抱えたウシハク国です。
対立を煽り、敵対させ、互いに叩き合いを行わせる。
その争いは、どちらにも「正義」を吹き込むことで、より激しい敵対関係が構築されます。
敵対関係が爆発したのが、戦争です。
私たちは戦争を望んでいるのでしょうか。
日本の保守の本当の敵は、Chinaでも、韓国でも北朝鮮でも反日左翼でも在日でさえもありません。
常に敵対し闘争し、いがみあい、どちらが上か決着をつけたがる戦後教育の申し子の私たちの心の中にあるウシハク心こそ、真の敵とはいえないでしょうか。
隣の家の旦那が、ウチの車庫の前に車を停めた。
おかげで、出かけたいのに、ウチの車を車庫から出すことができない。
どうしますか?
家の中で隣の旦那の悪口を女房に延々と愚痴ったところで、何の解決にもなりません。
停まっている車をどかしてもらうために、ハンドマイクを持ってご近所さんに隣の旦那の非道を大音声で訴えたところで、車はその場所から動きません。
腹いせに車のボディに10円パンチをくらわせたところで、何の解決にもなりません。
「車両移動命令の仮処分」を裁判所に訴えますか。
駐車違反として、警察に通報しますか。
それらは対立にさらに拍車をかけるだけです。
普通の日本人は、こんな場合でも、ごく自然に問題を解決してしまいます。
隣の家の玄関のチャイムをピンポンと鳴らし、
「すみません。ちょっと車を出したいので、お車を移動させていただけませんか?」と、謝っています。
悪いのは、どうみても隣の旦那なのに、日本人は自分が先に謝っています。
なぜそんなことをするのか。
隣の家との諍いを起こし、和を乱したくないからです。
言われた隣の奥さんも、日本なら
「あらあら、すみまん。ほんとにウチのが。あーた、お隣さんお出かけになるんだって。車どかしてちょーだい」
と、これまた謝っています。
出てきた隣の旦那も、
「いやいや、すみません。すぐどかします」と、またまた謝っています。
みんな、たとえ失敗や失敬があったとしても、和を乱すまいと、こうして互いに気を使い合うことで、無駄な対立をしないのが日本人だし、日本の心です。
ところが、昨今の現実はどうでしょう。
保守と言いながら、左翼や反日国などの悪口を並べ、共産はダメ、民主もダメ、自民もダメ、安倍内閣もダメ、で、何が正しくて良いのかといえば、「俺の言っていることが正しい」。
それでは社会全体を敵に回して、天上天下唯我独尊と言っているようなものです。
もちろん、反日国や反日左翼、あるいは保守に巣食うシロアリなどについて、彼らはこういうことをしているということを、しっかりと把握し、多くの人に報道することは大切なことです。日本はシラス国だからです。
けれど、もっと大切なことは、そういう左巻きの人でさえも、なるほどと納得し、みんなが一致協力できるような世間を築いていくことです。
田母神先生を私が応援するのも、そのためです。
田母神先生は、講演においても、その後の懇親会の酒の席でも、およそ他人や他国、あるいは政敵と呼ばれるような人たちの悪口をいいません。
言うのは、ただ「こうしたい」、「ここをこのように治したい」ということばかりです。
そしてそのために、立候補もするし、必要な相手とは堂々と対決もしています。
それらを支持者のみなさんとともに行っています。
まさに、平成の武士、ここにありです。
天上天下唯我独尊は、お釈迦様なら、それも許されるのかもしれません。
しかし、神や仏とは程遠い我々凡人が、天上天下唯我独尊というなら、それはその時点で茶番です。
誰もが間違うし、誰もが間違いながら、失敗しながら成長しているのが、世間というものです。
先日、自民党の某議員が、共産党の志位書記長の演説中に「テロ政党」というヤジを飛ばしました。
言っていることは、私はその自民党の某議員のおっしゃる通りだと思います。
私ももしその議場にいたら、思わず同じヤジを飛ばしたかもしれません。
けれど、このヤジについて、自民党の谷垣さんは、「ヤジにも限度がある」とおっしゃり、当該議員の先生に謝罪を要求しました。
これが日本だと思うのです。
良いとか悪いという次元の問題ではなく、たとえ政治的に対立する相手であっても、どこまでも相手を人として尊重し、対等な存在として扱う。
そういう姿勢があればこそ、自民党は大きな政党であり続けるけれど、保守はなかなかそこまで伸び切れない。
厳しいようですが、日本にはどこかの国のような「愛国無罪」という概念はないのです。
そういう意味で私は、「対立こそが忌むべき観念」と申し上げたいのです。
どこまでも和、たとえ損であっても、たとえ失敗しても、それが日本人としての生き方だし、遠回りに見えながら、もっとも早く日本を取り戻す近道なのではないかと思う次第です。
チャンネル桜も、田母神さんも、どちらも日本に必要な存在です。
どなたかが書いてられましたが、どちらも日本を取り戻すための竜虎です。大切な存在です。
対立ではなく、宥和の道を築き、見出して行っていただきたいと切望します。

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