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『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻: 「和」と「結い」の心と対等意識』
■ねずさんの百人一首本は平成27年3月発売予定です。
■【CGS ねずさん】第7話 教育もどき教育を問い質す!
■【チャンネルAJER】国連秩序と日本①

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実は、日米の先の大戦は、回避できたのかもしれない。
また、仮に戦争に至ったとしても、あそこまで両国に多数の死者を招くような悲惨な戦争にまではならずに済んだかもしれない、というお話しです。
そこから、外交についての日本の明治以来の間違いを見直す必要があるのではないかというのが今日のテーマです。
大東亜戦争は、結果としてみれば、約500年続いた欧米列強による世界の殖民地支配の野望を打ち砕き、有色人種に民族の独立と、努力することで結果を変えることができる社会の実現をもたらしたという意味において、人類史上記録すべき偉大な戦いであったと思います。
ですから、あたりまえのことですが、戦いで散っていかれた英霊の皆様、そして戦禍に巻き込まれて尊い命を犠牲にされたみなさま、戦災によってたいへんなご苦労をされた先輩方に、心からの感謝を捧げます。
ただ、だからといっあれだけたくさんの命を失うような、大きな戦いにまで発展する必要が、そもそもあったのだろうか。
また、そもそも開戦前の米国が、日本に原爆まで落としてジェノサイトを図るまでの憎悪を、米国民が抱いていたのか、すくなくともあんなに激しい戦争をしなければならない対立が、日本とアメリカの間にもともとあったのか、という点になると、実は、そこに大きな疑問があります。
日本にしても、陛下の大御心がまったく開戦など望んでいなかったということは、すでに公知の事実です。
ということは、日本も、米国民も、まったく戦争など望んでいなかった。
では、どうして戦争に至ってしまったのでしょうか。
実はこのことについて、新しい歴史教科書をつくる会の杉原誠四郎会長が、たいへん貴重な本を書いておいでになります。
『日米開戦以降の日本外交の研究』と、『外務省の罪を問う』です。
先日、この本の内容に関して、日本史検定講座で杉原会長が強烈なパンチのある講義を行われました。
以下は、その講義内容の要約と私の意見です。
実は外務省は、日米の戦争に関する関係史書について、データベースをもっていて、そこには国の内外で論考された、あらゆる日米戦争に関する書籍が収蔵されています。
収蔵された本の中には、かなり「どうでも良い本」もあります。
ところが、不思議なことに杉原会長の上の二つの著書だけは、そのリストにありません。
どれだけ外務省の痛いところを突いた本か、ということです。
まず、杉原会長の講義の要点からです。
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ルーズベルトが米国民主党の大統領選に立候補したのは、昭和15(1940)年のことですが、このときルーズベルトは、対立する共和党から、
「ルーズベルトは戦争を好んでいるから彼を大統領にすべきでない」と攻撃されています。
これを痛手としたルーズベルトはラジオに出演し、そこで、
「私は、あなたがたの子供を戦場に絶対に送りません。
このことを繰り返し、繰り返し、繰り返し誓います」と、
「繰り返し」という言葉を3回言って、米国民に「不戦の誓い」をしています。3度も繰り返して、です。
だから米国民は、安心してルーズベルトを大統領に認めたのです。
実はこのことは、ものすごく重大なことです。
つまりルーズベルトは、米国民への約束上「米国から戦争を仕掛けることが絶対にできない」情況にあったということだからです。
ということは、もし戦争をするならば、必ず戦争を「仕掛けられる」ようにもっていかなければならない。
そうであれば、日本は米国を参戦させないために、どこまでも「日本から米国に戦闘を仕掛けない」という選択をすることができたはずです。
米国の参戦を食い止め得るということは、緊迫した開戦前の日米関係において、ものすごく重要な「外交カード」です。ルーズベルトは大統領選のにおいて、それだけ大切なことを国民に約束しているのです。
始まった戦争で、全力をあげて戦うのは、軍隊の仕事です。
けれど開戦前の緊迫する情勢の中で、戦争を避けるために最大限の努力をするのは、本来、外務省の仕事です。
国民の生命と財産の安全を図ること、そのためにこそ、現地に高い費用を払って大使館を置いているのです。
ところが日本の外務省は、このことをまったく「外交カード」として用いていません。
それだけではありません。
日本は開戦の年である昭和16(1941)年4月に「日ソ中立条約」を結びました。
この条約が後年裏切られて、ソ連が一方的に参戦し、多くの一般市民の日本人が犠牲になり、日本の兵隊さん達がシベリアで抑留され、多くがお亡くなりになったことは、みなさまご存知のとおりです。
ところが昭和16年の6月の時点で、独ソ戦争が始まってしまうのです。
ここからが大事です。
当時日本は、日独伊三国同盟を結んでいました。
つまり、ドイツとは同盟関係がありました。
もし、日本がドイツ、イタリアとの三国同盟に基いてソ連と戦うと宣言すれば、これは米国にとって脅威です。
なぜなら、当時のドイツは、たいへんな勢いがあったし、ソ連がドイツとの戦いで追い詰められているときに、日本がシベリアに軍を進めたら、ソ連は東西からの挟み撃ちにあって沈没します。
もしかすると、その後の冷戦も、ソ連による大量虐殺も、中華人民共和国も成立しなかったかもしれないのです。
この時点で、米国は「日本がシベリアに出兵すること」を阻止することはできません。
そしてソ連が消滅し、広大なシベリアが日本領、もしくは日本の影響下になり、東欧からロシアにかけてがドイツ領になることは、そのまま米国の西進の野望を完膚なきまでに打ち砕くことになります。
実際にドイツと呼応してシベリアに派兵したほうが良かったと言っているのではありません。
そういうことを、どうして米国との外交交渉のカードに使わなかったのか、という問題提起です。
日本は、日米外交においてドイツとの同盟関係を守ってシベリアに派兵するかもしれないと匂わすだけで良いのです。
そうすると米国は、おいそれとは日本をいじめられなくなる。日本を日米開戦に追い込めれなくなる。
むしろ日本を懐柔し、日本と仲良くしなければならない情況に至るのです。
外交というのは、そういう状況を「つくりだす」ためのものです。
米国が日本をいじめられなくなるということは、米国は日本を挑発して日本に日米開戦に踏み切らせることができない、ということです。
米国にとって、この日本の対ソ戦参戦がどれだけ脅威だったかというと、昭和16年の7月に、ルーズベルトは「日本がソ連を攻めないことを文書で回答してもらいたい」と言ってきていることでもわかります。
ところが時の近衛内閣は、外務省の勧めに従って、この米国の要求に、易易と従っています。
外交のカードに使おうとした形跡さえありません。
日本がソ連を攻めないなら、米国は安心して日本を追い詰めることができます。
そして実際、歴史はその通りの展開となりました。
もし日本の外務省がが、ソ連戦参戦を匂わせながら、「自分からは戦争を仕掛けられないルーズベルト」を懐柔し、真珠湾攻撃計画をあと一週間遅らせていたらどうなったでしょうか。
真珠湾攻撃の当日というのは、ドイツ軍のモスクワでの敗退が決定的になった日です。
ということは、ドイツはソ連に勝てない、ということです。
そしてこの時点で日本はソ連と戦争をしていません。
それどころか不可侵条約があります。
つまり米国には、日本を責める理由がないのです。
加えて真珠湾攻撃の3日前の昭和16年12月4日には、「ルーズベルトは反戦の誓いをして大統領になりながら、1千万人を動員して半数は海外の戦場へ送るという戦争計画を作っていた」ということが、米国の新聞にすっぱ抜かれています。
ルーズベルトはこのときパニックになり、大慌てになり、記者会見さえ開けませんでした。
つまりルーズベルトはこの段階で、日本に一日でも早くアメリカを攻めてくれないか、日本が攻めてくれれば、この窮地から脱出できるのに、という切羽詰まった情況にあったわけです。
もし、日本が真珠湾攻撃を、あと1週間遅らせていたら、ルーズベルトはその陰謀を衆目に晒され、退陣もしくは戦争参戦を、さらに「しない」と米国民に向かって宣言させられた可能性のほうが高いのです。
ということは、日米の戦争を回避できた可能性が高いということです。
そうであれば、戦域は極東から東南アジア方面に限られます。
もしそうであったなら、どれだけ多くの命が救われたことでしょうか。
要するに、戦争回避のための日米交渉を外務省がしっかりとやっていれば、日米戦争は回避できた可能性が高いのです。
外務省の不実は、単に戦争回避だけの問題ではなくて、戦争そのものにも重大な影響をもたらしました。
その典型が、真珠湾攻撃の際に、宣戦布告文書の手交を、1時間半も送らせたという駐米大使たちの軽挙です。
彼らは事前に日本政府(東條英機内閣)から、「重大指令があるので、非常体制で待機するように」と指示されていたにも関わらず、非常体制を採らず、ようやく受電した電報も、英文タイプが打てる大使館職員が丸一日、外に遊びに行き、帰ってきてからノロノロと一本指打法で英文タイプを打ち、それからのんびりと布告文書を米当局に渡したのです。
このため宣戦布告分を米国に手渡すのが遅れ、日本は真珠湾で騙し討ちをしたということにされました。
その結果、リメンバー・パールハーバーが米国の合言葉になり、徹底した殺戮が日本人に対して行われました。
そもそも真珠湾前まで、米国民の多くは日本が好きだったし、英国のチャーチルからの参戦の要求を受けたうルーズベルト以外、誰も日米戦争など望んでいません。
真珠湾が、「リメンバー・パールハーバー」という米国世論を形作ったのです。
このことは、終戦の直前に亡くなったルーズベルトに変わり、次の大統領になったトルーマンが象徴しています。
トルーマンは、ルーズベルトの敷いた路線に従い、「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に日本に二発の原爆を落としました。
それによって広島では12万人の尊い命が奪われ、長崎では7万4千人が亡くなりました。
ところがトルーマンは、真珠湾の前に、日米で戦争回避のための努力が行われていたことも、攻撃が「突然の騙し討ち」ではなくて、日本の大使館のミスであったことも知らされていなかったのです。
ーーーーーーーーーーー
杉原会長は言います。
「真珠湾攻撃の当日、米国にある日本大使館の前には、大勢の新聞記者が詰めかけていました。
もしこのとき、日本の大使が、大使館前に居並ぶ新聞記者達の前で、宣戦布告文書の手交が遅れたのは、大使館の事務処理によるミスであり、その全責任は自分にある。
よってこの場で腹を切ってお詫びしますと切腹のひとつでもしてくれていたら、全米の同情が日本に集まり、すくなくとも原爆を落とそうというまでの冷酷さが日本に対して与えられるようなことはなかったのではないか。」
たしかにその通りであったろうと思います。
他にも杉原会長のお話しはまだまだ続くのですが、考えるべき問題は、日米開戦外交にかぎらず、終戦時の不手際、あるいは目下進行しているISの問題にしても、拉致問題にしても、竹島問題、日本海呼称の問題、慰安婦問題、南京問題等々の諸問題が起こった時に、なぜ外務省は、国民の期待に応えうる活動ができないのかということです。
このことについて、杉原会長の本にも詳しく問題提起がされているのですが、さらに加えて思ったことは、戦前も戦後も外務省は「行政機関のひとつ」として政府内に設置されているということです。
そこに務省の最大の問題があるのではないでしょうか。
ご存知の通り、国家権力には、行政、司法、立法があります。
立法府が決めた法に基いて、行政府はそれを忠実に行います。
ですから行政府は、国内法の範囲内でしか活動できません。
ところが外交というのは、国内法が適用されない外国との折衝です。
相手国の国情を詳細に分析し、自国の立場を有利に運ぶことが仕事です。
そしてその最大の目的は、国内法が適用されない世界で、自国を戦禍にさらさないこと、戦争を回避すること、もし戦争が起きたならば、その戦争を早期に自国に有利に終わらせることです。あたりまえです。自国民の生命と財産の安全がかかっているのです。
そしてそれらは、常に国内法の適用されないところでの活動になります。
にも関わらず、戦前も戦中も今も、外務省は国内法の監理下に置かれているのです。
ということは、いわゆる役所と同じで、法で決められたことしかしない。失敗をしない。
これが何を意味するかというと、外務省も外交官も、国内法に書かれていること以上も以下も「することができない」ということです。
そして余計なことをしなければ、彼らは順調に出世して、定年後は豊かな年金暮らしが待っているのです。
要するに、行政府と外務省の違いは、警察と軍隊の違いと同じなのです。
警察は、国内法の及ばない外国での活動はできません。
軍隊は、国内法の適用されないところで活動します。軍が守るべきは軍法であって、他の国内法は適用外です。
軍は、軍隊自体がひとつの国家なのです。だから国内法が及ばない任地で戦うことができる。
外務省も同じです。
外務省は、国法の外で合法、非合法に関わらず機能できる権限が必要です。
ところが日本の外務省には、その権限がないのです。
平和時にはそれでも良いのです。
外国の賓客を招いて、ニコニコしながらパーティをする。
それだけなら、国内法に基いてでも、一向にかまいません。
けれど、紛争が起これば、その紛争を戦争を未然に防ぎながら紛争を有利に解決する機能と役割が必要になるのです。
そもそも目下進行しているISの問題、拉致問題、竹島問題、日本海呼称問題、慰安婦問題、南京問題等々の日本外交の諸問題について、これを起こさせない、起こったら解決する機能と権限と責任は、いったい日本のどこの省庁が担っているのでしょうか。
そして国際社会においては、、オフィシャルな話し合いでの解決ができなければ、あとは実力をもって、という解決方法しか解決の手段がないのです。
日本の政府は戦争をしたいのでしょうか。
日本政府の指揮下にある日本人は、戦争を求めているのでしょうか。
日本ほど戦争を嫌い、平和を愛して紛争を避けようとする民族は、世界中どこを探したってないくらいです。
ならば、と思うのです。
外務省が、いつまでもただの政府の内省であってはならない。
ただの行政機関であってはならない。
外務省は、国法の適用さえ超えて、武力行使以外の戦争や紛争を避けるためのあらゆる活動ができる機能を与えなければならない。
そのように思うのです。
国民に対する国家権力は、なるほど立法、行政、司法で間に合うことでしょう。
けれど、日本は鎖国している国ではないのですから、外国との折衝は常に発生します。
そしてその外国は、日本の立法府が定め、日本の司法機関が裁判できる国法の及ばない外国との間の折衝です。
ですから私は、外務省は行政府の一員ではなく、総理直轄の独立した政治機構でなければならないと思います。
そして外交官は、お役人でも名誉職でもなく、情報と交渉のエキスパートとしての役割を担うものでなければならないと思います。
そういう意味において、現下の外務省は、宮内省の管轄下の単なる外国の賓客の接待掛の役所に格下げしていまの建物から出て行ってもらい、新たにそこに外交省を設置して、外交交渉のみならず、情報収集のための諜報活動、潜入活動、工作活動もできる、強力な権能を持った省を、新たに発足すべきと思います。
だって、日本を守れない、戦争を避けれないただのお役所としての外務省なら、そんなものは国家として、不要だからです。
日本は、いまだ、先の大戦の総括ができていないと思います。
陛下の大御心さえも理解せず、ただお役所仕事をしていた、それさえも本国の命令を無視して開戦前に大使館内の非常体制さえとれなかったような大使館機能が、そのまま維持されているのです。
そのようなことは、おそらく日本人の誰ひとりとして望んでなどいないと思います。
戦争を絶対に起こさない。
そのために世界最強の軍隊を持ち、世界最強の諜報機関を持ち、世界最強の経済力を持つ。
日本にはそれができる力があります。
そして平和を愛するにほんだからこそ、それを成し遂げなければならないのだと私は思います。

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