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鳥居は倒れない

上の写真は、ネットで拾ったものです。
昭和20(1945)年の広島の原爆、2011年の地震後の津波被害の際にも、なぜか神社の鳥居だけが無事だったことを不思議なことととらえた写真で、海外でもだいぶ評判になったようです。
見たところ、立派な基礎があるわけでもないのに、鳥居だけが倒壊せずに生き残っています。
まるで神様のご意思でも会ったかのような、実に不思議な写真です。
鳥居の形から、明神様の鳥居のようです。
明神様といえば国内鎮守の神様です。
その神様の鳥居が、原爆にも未曾有の地震にも津波にも屈せずに凛とした姿を見せている。
まるで明神様がそこにおいでのようにさえ見えます。
素晴らしい写真です。
では、この鳥居はなぜ倒れなかったのでしょうか。
建築設計をしておいでのNさんから教えていただきました。


鳥居の足下には大きな輪になった「沓石」という二重になった大きな石があります。写真にも見えています。
鳥居の柱脚は、その石の穴に差し込んであります。
固定はしません。ただ差し込んであります。自由に動く状態です。
すると地震で地面が揺れ、沓石が一緒に揺れたとしても、柱脚にはその力が伝わらないのです。
つまり沓石と柱脚は、究極の免震構造になっているのです。
だから地震でも倒れない。
爆風がきて横から強い力を受けても、免震構造と同じ理論で力に耐えます。
まさn「柳に風」と受け流してしまうのです。
現代建築を学んだ経験不足の建築家が、神社の鳥居の修復を依頼されると、鳥居の足下をコンクリートでカチカチに固定してしまいます。
そうすると小さな地震でも揺れは柱脚にまるごと伝わりますから、理論的には柱脚の四分の一のところで、斜め45度に割れが入り、その上部が完全倒壊します。
茨城県笠間市にある笠間稲荷神社の新設の鳥居は、東日本大震災で倒壊しました。
施工は大林組で、若い設計者が古くからの石屋さんの忠告を聞かずに足下を固定しました。
震災のとき、この鳥居は、下から四分の一の所でみごとに、教科書通りに45度の角度で、構造理論どおりに、まるで構造の勉強の見本みたいに完全倒壊しました。
鹿島神宮の鳥居も地震で完全倒壊しました。
こちらは鳥居そのものが、鉄筋コンクリート造りでした。
ガチガチに固めて造ったはよいものの、地震の揺れに、柱脚ごと、倒壊してしまいました。
鹿島神宮は昨年6月に大鳥居の再建をしました。
今度は昔ながらの技法で沓石を使った木製の大鳥居で再建しています。
技術というのは、蓄積です。
日本の国土は、寒暖の差が激しく多湿で、地震、台風、水害、雷、土砂災害、などの天災が頻発します。
つまり日本人は、自然災害と常に隣り合わせに暮らしてきました。
そうした国土にあって、古くからある先人の知恵を頭から全否定して、地震もなく寒暖の差もあまりなく乾燥した西欧建築を、ただ模倣したのが戦後の建築です。
西洋の建築物は石造りだから、4〜500年経過した建物がいまだに使われている。
日本の古くからの建築はせいぜい100年、150年だから、西洋建築の方が優れている、などと、私なども学生時代に教わったものです。
けれど日本の木造建築は、たとえば法隆寺五重塔は607年の建造で今年で1408年経過しています。
地震大国日本にあって、木造の塔建築物が1408年です。
そしてこれは世界最古の木造建築物です。
法隆寺五重塔が度重なる地震にあっても、なぜ往時の姿を保っているのかといえば、鳥居と同じ技術で、釘を一本も使わないで木と木を軸で組んで、建物自体が究極の免震構造物となっているからです。
この技術は、そのまま東京スカイツリーに活かされました。
東京タワーは三角形のいわばピラミッド構造です。地震の揺れに三角錐で踏ん張る構造です。
東京スカイツリーは、軸がゆるやかに組まれ、地震の揺れをまるごと吸収する構造です。木と鉄の違いはありますが、その基本となる考え方は、五重塔と同じものです。
だからあの巨大な電信柱が倒れないのです。
さて、法隆寺五重塔が築造された時代、大工道具というのは、「ヤリカンナ」と呼ばれる先の尖ったノミのような道具だけしかありませんでした。
大工さんたちは、ヤリカンナ一本で木を加工し、あの建築物を築いたのです。
そして実は、そのヤリカンナは、赤城で発見された磨製石器とそっくり同じ形をしています。
その磨製石器がいつの時代のものかというと、3万年前です。
これは世界最古の磨製石器です。
世界で二番目に古い磨製石器がオーストリアのヴォレンドルフ遺跡出土の石器で、約2万5000年前のものです。
日本の磨製石器は、それよりも5千年も古いのです。
三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文中期の遺跡です。
そこには有名な、巨大な六本柱の木造建造物があります。
この柱は直径1メートルもある大木を伐り出したものですが、まだ鉄器がなかった時代に、どうやって当時の人たちがこのような大木を伐採していたかというと、木の根元を火で焦がし、焦げたところを磨製石器で削りとり、また焦がし、また削りを繰り返すことで、あれだけの大木を伐り倒し、枝を払い、巨大柱にしつらえたのです。
つまり、それらの技術は、日本では、すくなくとも磨製石器が発見された3万年前にまで遡ることができるわけです。
いま、まだ西暦2015年です。千年前なら紫式部の時代です。その30倍も古い大昔から、様々な工夫と失敗の繰り返しの中で蓄積された技術の集大成が、実は日本建築なのです。
そうした技術を頭から否定し、外来の技術だけが「進んだ技術なのだ」と信じこみ、日本の古くからの技術を「遅れている」と決めつけてきたのが戦後建築です。
けれど、戦後の建築物は地震でたいへんな被害に遭いました。
建物は全壊したものも半壊したものも、瓦礫を撤去して、また一から建て替えるしかありませんでした。
古民家も半壊しました。
けれど古民家は、はじめから壊れることを前提に造られています。
ですから建物を持ち上げて、沓石をはめれば、もとの状態に瞬く間に戻りました。
はじめから壊れることを前提に、修理しやすく作られていたからです。
技術だけではありません。
用材の問題もあります。
最近では、輸入木材が、安いからと多用されていますが、日本は高温多湿です。
外国産は、乾燥地帯の木材なら、日本にくれば湿気をおもいきり吸い込みます。
するとすぐにグズグズに腐ってしまいます。
熱帯雨林の木材なら、日本の温暖な気候のもとで、元気のよい木食い虫たちの格好の餌食です。
だから湿気を吸わないように、防湿剤を巡らせる。
虫がつかないように駆除剤を塗布しています。
建物を機密化するのですが、そうすると木材が早く痛みます。
そして防腐剤も、防虫剤も10年もすると効き目が落ちます。
すると、湿気を吸い、虫が付くようになります。
おもしろいのは、日本の古民家建築が行った裏庭の破風林です。
いまでも、古い農家などでは、家の周囲が林になっている住居を見かけます。
何のためかというと、家を建てる。すると木を伐ることになる。
だから、木を植えたのです。
次の建て替えのときは、その木を使います。
そうすれば、余計に木を伐らなくて済むからです。
だから裏庭に植樹しました。
木は、育つまでに150年〜200年かかります。
ということは、世代でいったら7〜10世代先のことになります。
そのときまで、1軒の家でみんなが住めるように、余分に木を伐らなくて済むように、そのときまでちゃんと家が持つように、はじめから200年単位で長持ちするように、家を建てたのです。
これって、究極のエコです。
そして200年先となれば、その間に、地震もあるだろう、水害もあるだろう、火山の爆発によって火山灰が降ることもあるだろう、地すべりが起きることもあるだろう、家が古くなり、基礎が傾くこともあるだろう。
それら全てに対処し、手軽に修復もできるように、実は、日本人は家を作っていたわけです。
ちなみにそれらは、家と家が離れて建っている田舎の建築の場合のことです。
江戸や大阪の町のように、民家が密集しているところでは、最大の心配事は、地震よりも火災です。
ですから、火災発生時に、できるだけ延焼を食い止めるために、花釘一本をトンカチで抜いたら、簡単に家を(人の力で)倒せるように、家を造りました。
ですから江戸の火消しは、バケツや桶を持たずに、引掛け棒や、燃えている家が倒壊したときに吹き出す火の粉を散らすための「まとい」を手にしています。
彼らは水をかけて火を消すのではなく、家を潰して延焼を防いで町を守ろうとしたのです。
要するに、建築物というのは、その国の風土にあった材料、その国の風土にあった技術の集大成なのです。
冒頭の鳥居も同じで、何があっても倒れないようにと、構造そのものを工夫して、免震構造で建てていたのです。
そしてそうした技術は、日本では「万年単位」の遠くて古い昔から、様々な災害を経験しながら徐々に積み重ねられてきた技術です。
そしてその技術は、わたしたちの祖先が蓄積してくれた知恵でもあるわけです。
日本では、人は死んだら神様です。
そしていまはもう神となった、その先人たちの万年単位で積み重ねられた知恵の集大成こそ、まさに今を生きる私達にとっての「神様の知恵」であり、それこそが神様なのではないかという気がします。
そういうことに、まず感謝する。
そこにこそ、出発点があるのではないでしょうか。
戦後の私達は、いたずらに過去の日本を否定することで、結果として、自然を破壊し、建造物の老朽化を早め、住みにくい日本を作ってしまってはいないでしょうか。
※鳥居建築について教えてくださったTさんに感謝です。



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