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『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻: 「和」と「結い」の心と対等意識』
■ねずさんの百人一首本は平成27年3月発売予定です。
■【チャンネルAJER】政治経済と人 2 ■【CGS ねずさん】第7話 教育もどき教育を問い質す!
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イスラム国で二人の日本人(湯川遥菜さん、後藤健二さん)が人質となった問題が、大きな問題となっています。
さて、こうした人質事件は、戦後の歴史の中で度々起こっていますが、大事になってから金を出したり、あるいはカンボジアの中田厚仁青年のように殺害されてしまったりというのでは遅い、ということは皆様よくご存知のことと思います。
かつて日本人が拉致され人質にされた事件で、今回のような身代金云々の大事に至る前に見事に解決した事件があります。平成11(1999)年8月の日本人鉱山技師4人の拉致事件です。
この事件は、あまりにも無事に人質が救出されたため、日本国内ではほとんど報道さえされませんでした。
けれど、今回の事件のような出来事のとき、考えなければならない大切なことが、この事件のなかにはたくさん詰まっています。
この年の八月二十三日、キルギスの南西部オシェ州で、日本人の鉱山技師四人を含む七人が、タジキスタンの反政府武装ゲリラに拉致されました。
犯人グループは、イスラム原理主義のグループの過激派です。
反政府ゲリラは、拉致した技師たちを隣国のタジキスタンの山中に連れ込みました。
このとき、ウズベキスタンに常駐し、カザフ、キルギスを含むあたり一帯の日本政府特命全権大使になっていたのが、いま参議院議員の中山恭子先生です。
中山恭子大使(当時)は、事件を知るとすぐに外務省に連絡をとって指示を仰ぎました。
ところが外務省の答えは、
「キルギス政府に交渉を一任せよ」というものでした。
キルギスの国内で作業中に拉致されたのだから、キルギス政府に任せるというのは、一見もっともらしい理屈です。
けれど、犯人グループは国境を越えてタジキスタンに逃げ込んでいるのです。
キルギス政府だって、そうそう簡単には手が出せない。
日本で犯罪を犯した者が韓国に逃げれば日本の警察は動けないし、自衛隊もそうそう簡単には韓国に上陸して勝手な行動はとれない。それと同じことです。
しかし、ほっておけば、拉致された鉱山技師たちは、全員命を失います。
困った中山恭子先生は、夫であり当時自民党の衆議院議員だった中山成彬先生に電話で相談しました。
かくかくしか じかなのだけれど、どうしよう、という恭子先生に、夫の成彬先生は言いました。
「一パーセントでも救出できる可能性があれば、外務省が何と言おうと救出にあたるべきです。それが大使の勤めなのだから」
これは重くて凄みのある言葉です。
相手は武装したテロリスト集団なのです。
そこへ行って人質を取り返してこいというのです。
そうすることが大使の仕事であり、被害者のためであり、 ひいては国のためだというのです。
けれどそのために、愛する妻を、危険なところに赴かせることになるのです。
(おまえなら、ぜったいにそれを成し遂げることができる)
(分かりました。あなたの言葉を信じて、やってみます)
これは、お二人が言葉に出して会話したものではありません。
互いを絶対的に信頼しあった夫婦の「心の会話」であったわけです。
ありとあらゆる情報を集め、中山恭子先生は通訳を連れて、日本人技師を拉致した武装集団を配下に置いていた反政府イスラム復興党の本拠地に向かいました。
相手は重火器で武装しています。
そこに丸腰の日本人女性が乗り込んでいったのです。
途中で男たちは、みんな怖がって帰ってしまいました。
途中の荒涼とした砂漠地帯の真ん中に、中山恭子先生と通訳の女性の二人だけがとりのこされました。
二人は、意を決して、タリバンのもとに向かいました。
ゲリラのところに到着しました。
周囲には、サブマシンガンで武装したゲリラが銃口を向けています。
中山恭子先生は、ボスに会いたいと伝えました。
二人はボスの前に通されました。
中山恭子先生は、筋道をたててボスを説得しました。
このとき、ボスは民族服を着ていたのですが、男たちばかりのところに日本人女性がやってきて、前に座ったものだから、パンツを穿かない前が見えそうになったのをしきりに、恥ずかしがって隠していたそうです。
そんな姿が可愛らしく思えたそうです。
恭子先生は、誠意を込めてボスと話しました。
話し込むと、ボスが日本のドラマ『おしん』の大ファンだということがわかりました。
その『おしん』のビデオは、なんとその何年か前に、中山恭子、中山成彬ご夫妻で、大量に購入してバラまいていたもののひとつでした。
ボスは、そのビデオを観て感激していたのです。
そしてその日本の女性が、拉致被害者を救出するために遠路はるばる、しかも「何の武器も持たずにやって来た」ことに感動してくれました。
そしてなんと、拉致された被害者全員を、その場で無傷で返してくれただけでなく、国境まで安全に帰れるよう、途中の警備までつけてくれたのです。
おそらく、武装ゲリラを前に、こんなことをやってのけた女性というのは、人類史上はじめてのことではないでしょうか。
丸腰で護衛もつけずに反政府勢力の本拠地に行くこと自体、たいへん勇気のいることです。
しかもそこで敵対する相手を逆に虜にしてしまうなど、普通はできることではありません。
まさに、中山恭子先生の人間力のなせる技であろうと思いますし、その恭子先生を信頼し、すべてをわかったうえで、そっと背中を押してくれた夫の成彬先生の勇気でもあろうかと思います。

中山恭子先生はおっしゃいます。
「あのとき、夫がやるべしと言ってくれたことは、日本で一人でも自分の行動を理解してくれている人がいるという安心感を与えてくれました。私は何のためらいもなく救出に当たることができたのです」
戦前は「夫婦」のことを「めおと」と言いました。、漢字で書いたら「妻夫」です。妻が先です。
日本の最高神の天照大神をもちだすまでもなく、日本では古来女性差別という概念そのものがありません。
人と人との関係を「対立的」に捉えるのではなく、互いに相手を尊重し、互いの良さを出し合う「対等な関係」こそが、日本にもとからある考え方です。
そういう日本だからこそ、できる拉致被害者の方の救出があるのだろうと思います。
ちなみに、上に述べたようなことは、中山恭子先生のご著書には、何も書かれていません。
4人の鉱山技師救出のことは書いてありますが、あのときはどこそこの国のなんという人に助けていただき、またどこそこの誰それから情報をいただき等々、そこに書かれているのは、関係者となったおひとりおひとりへの感謝だけです。
そのどこにも、途中で男の人は逃げてしまっただの、通訳の女性と二人だけで、武装タリバンのもとに乗り込んだだのということは書かれていません。
そういう自分の手柄を誇らない、ひけらかさない方だからこそ、みんなが協力し、助けてくれたのだと思います。
けれど自動小銃で武装したタリバンのもとに、乗り込んで鉱山技師たちを救出してきたのは、間違いなく中山恭子、中山成彬というご夫妻がいたからであることは、間違いのない事実です。
いま、イスラムの事件で世間が大騒ぎになっていますが、国内の野党やメディアの人達はこれを政争の具にしたいようです。
しかし「そんなに言うなら、あなたが身代わりに行って、二人を救出してきなさい」と言いたくなります。
特に日頃から九条信者の方は、イスラムの過激派の前で、九条の理念を述べ、人質を奪還してきていただきたいものだと思います。
加えてところが後藤健二さんが、彼らに拿捕される直前に、パクさんという通訳と深く接していたことは、あまり報道されません。
また同じ時期に、韓国の大学に留学中の日本人女性が、「ソウルに行って来る」と言い残したまま行方不明になっている事件は、不思議なほど報道されません。
中山恭子先生が、なぜ人質救出に成功したのか。
拉致が身代金云々の大事に至る前に、拉致後すぐに迅速に動いたこと。
(今回のイスラムの事件では、行方不明になってからすでに2ヶ月経過しています)
2つ目に、責任ある者が最後まできちんと責任を果たしたこと。
3つ目に、中山恭子先生が周辺国やタリバンにまで声がけをし、情報の収集に積極的に努めたこと。そしてすべての機関の協力を得ることができたこと。
4つ目に、国家観をちゃんと抱いた人が、人質奪還にあたったこと。
(悪いけれど、自国を愛せない人は、世界中どこに行っても相手にされません)
そして5つ目に、奪還の総責任者に、相手の本陣にまで単身乗り込む覚悟があったことではないかと思います。
ちなみに、中山ご夫妻は、保守系の政治家として知られていますが、ご夫妻の政治信念の根幹にあるのは、「日本を二度と戦争に巻き込まない」です。
国をおもい、国を愛し、亡くなった英霊に感謝するがゆえに、絶対に過去の悲惨を繰り返してはいけない。それがご夫妻の根幹にあります。
そしてそれは、国を否定し、国を嫌い、英霊への感謝を忘れ、口先だけで九条信奉を説く無責任の対極にあるものです。
ちなみに恭子先生、夫の成彬先生がおいでになるときは、どんなにお忙しくても、絶対にご主人の食事の仕度をなされるのだそうです。
素晴らしいじゃないですか。

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