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日韓併合は、ロシアの南下を防ぐために、日本が清国を追い出して朝鮮半島を我が物にするためだったとか、様々な論評がなされていますが、全部間違いです。
実はそうではない、真実は別なところにあります。

なぜ日本は日韓併合をしたのか。
このことについては、以前にも何度か書いているのですが、もう一度おさらいの意味で書いてみたいと思います。
初めての方は、目からウロコだと思います。
日本は明治43(1910)年8月29日、「韓国併合に関する条約」に基づいて大韓帝国を併合しました。
これがいわゆる「日韓併合」です。
ちなみに併合直後の明治44(1911)年の大韓帝国の年間総予算は3,565万円です。
このうち大韓帝国内からの税収は1,330万円です。
たったの3分の1です。
足らない分(つまり3分の2)は、全額日本から補充しました。
日露戦争が終わってまだ6年目です。
日本だって予算に余裕があったわけではないのです。
にもかかわらず日本はなぜ韓国に莫大な財政投下をしたのでしょうか。
日韓併合をいくら半島に望まれたといっても、併合するしないを決めるのは、あくまで日本です。
ただ金食い虫になるだけの大韓帝国を「無理をしてまで」日本が併合する必要はありません。
にもかかわらず併合がおこなわれたのには、どのような背景があったのでしょうか。
朝鮮半島は1392年にはじまる李氏朝鮮によって、約500年、Chinaの属国(冊封国)でした。
ただし、気をつけなければならないのは、属国とはいっても、それは現代用語でいう国家とは異なるものであるという点です。
多くの日本人がこの点を誤解しています。
私達日本人は、国というのは
「国境に囲まれた国土の中に住む人々が、
同じ言葉、
同じ歴史、
同じ文化を持ち、
国民として
平等の権利を有している」
それが国家であると思っています。
しかしこれは日本が日本は昔も今も島国で、天皇のシラス国であり、古代からずっと続く国民国家であったから、もうそれが「あたりまえ」となっているだけで、ある意味、日本の特殊事情でしかありません。
陸続きの大陸では、ぜんぜんそうではないのです。
大陸は、ひとことでいえば、
「食えなくなった人が
暴徒となって移動するところ」
です。
そしてChinaやKoreaでは、大昔から軍とヤクザと暴徒は、同じものです。
ですから、おとなしく生活していれば、そこに突然、軍という名のヤクザな暴徒が襲ってきて、何もかも奪い取ってしまう。当然、人も言語も入れ替わる。それがあたりまえに行われてきたところです。
朝鮮半島も、もともとは今の韓国の南半分は倭国(日本)です。
北半分にあたる新羅や百済も、もともと倭人たちの国です。
ですからそこにいた人種も言語も倭人そのものだったわけで、いまでも半島には日本人のような顔立ちの人は多いし、Korea語も、文法は日本語と同じです。
ところがその半島に、北部から濊(わい)という種族が流入してきます。
濊族(わいぞく)は、吊り目でひらべったい顔でエラが張った人たちです。
この人達は、もともと大陸で遊牧生活を送っていたといわれています。
ところがモンゴルや満洲のいわゆる広大な大陸地帯と、朝鮮半島では地理環境が違います。
朝鮮半島の地形は、何百頭もの羊や山羊を飼うには適しません。
にも関わらず朝鮮半島にやってきたということは、要するに、濊族は大陸で食い詰めて流れてきた人たちだったことになります。
食い詰め者ですから、今で言えばホームレスのような人たちで、汚いし、臭い。
そこでChineseが彼らに付けた名前が、糞尿まみれの汚穢(おわい)の意味を持つ「濊(わい)」でした。
その濊族が、清潔好きな倭人たちと接触し、倭人の文明の中に取り込まれ、もっと贅沢をしようと、ついには新羅を乗っ取り、Chinaの兵力を引きずり込んで百済を滅ぼし、ついには倭国の直轄地まで滅ぼして半島を牛耳ってしまいました。
ですからいまでも朝鮮半島には、元倭人系と、濊族系の人達がいます。
だいぶ血は混じっていますが、日本人とは似ても似つかない平べったい顔でエラが張って目が細い濊族系以外に、日本人とそっくりな顔をした人達がたくさんいるのは、そういう歴史的経緯があったからといわれています。
元遊牧民の食い詰め者である濊族にとって、人は食い物です。
食い物ですから、いきなり皆殺しにはしません。
そんなに殺しても食べきれないからです。
食べられる側の元倭人たちは、農業や漁業で飯を食っていました。古代の話です。
ですからもともとはあまり肉を食べる習慣はなく、食事の味付けも日本食に近いものだったといわれています。
これも朝鮮半島がモンゴルに征服されたときに食文化が変わり、基本食が肉になりました。
半島民がモンゴルに征服されたのは、700年ほどまえですが、以來、朝鮮では肉食が主流になります。
ただ、おもしろいのです。
モンゴル人は、戦に使う馬をとても大切にする民族ですが、朝鮮馬というのはいません。
モンゴルは、ずいぶんたくさんの馬を半島に持ち込んだようなのですけれど、モンゴルが去った後、馬たちはみんな食べられてしまいました。
わずかに済州島だけが、近代まで、モンゴル馬の生息地となっています。
さて、軍という名のヤクザな暴徒たちが、国王や王族、貴族を名乗り、半島内で蹂躙と略奪の限りを尽くし、民衆をヒトモドキとして扱ってきた朝鮮半島に対し、日本は武家政権だった鎌倉、室町、戦国、江戸社会においても、大名たちは領主ではあったけれど、領民たちは大名の所有物ではありません。
知行地内に住む農民をはじめとした人々は、もちろん藩に所属している人々ですけれど、その人々は領主である大名の私物(私有民)ではなく、天子様、天長様(天皇)の「おおみたから」であるとされてきたのが日本です。
日本では、これが古代からの日本のカタチです。
ですからこのことは、日本では「空気のようにあたりまえのもの」になっています。
半島では違います。
西欧でも中世には「妻は夫のものであり、その夫は領主のものだから、妻は領主のもの」とされてきましたが、Koreaの場合、外来の女真族の裏切り者が、面倒を見てくれた高麗王を裏切って明に擦り寄って、権力を奪い取って朝鮮王を名乗っています。
もともと半島人であったわけでもなく、ですから半島に元からいた人たちに何の愛情も愛着もありませんから、とにかく反抗するものは皆殺しにする。残酷な刑罰を加える。殺す。食べる。
挙句の果てが、街を歩いていてきれいな女性がいたら、いくら強姦しても両班なら罪にならないというルールがつくられ(李氏朝鮮3代世宗王)、強姦のために胸を出させて品定めしやすいように民族服まで変えてしまったのが、彼らが伝統服というチマチョゴリです。
ですから、李氏朝鮮の時代、これは大韓帝国になってからも、つまり日韓併合の前まで、朝鮮半島に「国民」はいません。
人として認識されたのは、人口の3%の両班だけで、それ以外の人々は、人ではなく、ヒトモドキという認識です。
人の言葉を話す家畜です。
「女性は人として扱われた。民主的だった」などと最近の韓流時代劇は、お馬鹿なファンタジー史観を広げていますが、全然違います。
半島では、ヒトモドキの女性たちは、あまりに残酷なことですが、ただの性の道具として「使用されてきた」にすぎません。
いささか嫌な書き方をしますけれど、昔の朝鮮では縛り付けた罪人の骨を一本一本折っていったり、木刀のような太くて長い警棒で縛り付けた罪人を散々殴るということが一般に行われていました。
要するに
「縛り付けて抵抗できない者に対して、
酷い暴行を加える」
というのが、彼らの文化となります。
これが性に応用されたのが半島式SMで、最近では日本でもオカマやオネエ同様、だいぶ流行っていると聞きますが、もともとの日本には、昔の吉原や曽根崎町、あるいは円山町などの遊郭においても、女性を縛り付けて行為に及ぶような施設も文化も、存在すらありません。
ラブホは、戦前も待合旅館などがありましたけれど、SMルームのような施設を持った待合旅館は、日本中どこを探しても一件もどころか、一部屋もありません。これは断言できることです。
要するに、朝鮮半島では、人をヒトモドキとして扱い、支配するということが、あたりまえの文化であったわけで、当然のことながら、人と人との信頼関係なんて生まれようがありません。
だから朝鮮半島では、製造業も商業も育たちません。
実はここがChinaと大きく違う点です。
Chinaは、遊牧民の文化に倣い、課税対象は商業流通です。
農業や畜産業自体への課税は、もともとはありません。
とりわけ遊牧民王朝下(ほとんどの時代がそうですが)では、人も動物も基本、移動するものですので、当然のことながら、住民台帳も家畜台帳も整備されません。
そのかわり、人や家畜の移動や、流通に課税したのです。日本とは課税文化が全く違います。
ところが半島では流通商業がありません。
なぜなら人の移動は、常に逃散だけだったわけです。
ですから課税は、とにかくそこにいる人から、絞りとる。
言うことを聞かなければ、残酷な刑罰を与える。これしかない。
これでは産業なんて育つわけもなく、だから朝鮮王朝からChina王朝への献上品は、ずっと毎年、性奴隷としての女性の献上だけです。
だから国は貧しく、人々に教育もなく、山々は禿げ山、民家や街中にはトイレさえない。
道には人糞が散乱し、堪え難い臭気が町をおおい、首都ソウルの李氏王宮の正面入り口の南大門の真ん前でさえ、浮浪者がたむろしていた極貧状態です。
あまりの極貧ぶりであるがゆえ、欧米列強による植民地支配の対象さえなりません。
欧米から「不衛生な猿山以下のエリア」と思われていたのが、当時の半島だったのです。
そんなエリアを日本が併合する。
理由として、ロシアやChinaを牽制する軍事的意図があったという人もいます。
それは事態の一面だけしか見ていない間違いです。
歴史は起きた事実を合理的かつ論理的に、再現可能になるように記述したもののことをいいます。
軍事的理由なら、日韓併合の必要はないのです。
現に、日清、日露戦争において、日本は堂々と半島に兵を進めています。
それに抵抗できるだけの武力も資金も兵力も気力も、李氏朝鮮になかったからです。
ですから、仮に韓国に併合を望まれたとしても、日本は軍事的に占領するか、せいぜい保護国、保護領、従属国にすれば足りたのです。
あるいは植民地でも良い。
植民地なら、何の投資も要りません。
対ロシア対策というのなら、半島の原住民を強制徴用して、後ろから銃を突きつけて前線に立たせれば良いだけです。
Chinaの国民党や毛沢東の八路軍、ソ連兵など、みなこのやり方です。
日本はまだこの時期、日露戦争の戦費の償還をしていたのです。
財政に余裕だってありません。
にも関わらず、日本は韓国を「併合」し、さらに巨額の財政投下までしています。
しかも人道的な接し方を彼らにし続けています。
なぜでしょう。
そこには当時の時代ならではの理由があったからです。
当時日本は、明治の開国後、またたく間に国力をつけた日本は、日清、日露の戦争にも勝利し、明治35(1902)年には、世界最強の海軍国である大英帝国と対等な同盟関係まで締結する国家となっていたというのは、みなさまご存知の通りです。
有色人種国家は、欧米列強の前にひれ伏し、植民地支配を受けるしかないという世界の常識の中で、唯一日本は有色人種国家でありながら、名実ともに世界の一等国仲間入りを果たしていました。
果たしただけでなく、当時の世界最強国家であり、七つの海を股にかけた世界の大英帝国と「対等な同盟国」となっていました。
英国が対等同盟を結んだのは、世界のなかで当時は日本だけです。
ちなみにすこし脱線しますが、米国は、西進主義といって、はじめはカリブあたりを支配地におさめ、その次は絵北米大陸の西海岸、それからハワイ、フィリピンへと、当時西へ西へと侵略を進めていました。
要するにカウボーイたちが征服したのは、北米のロッキー山脈のインデアンだけではなくて、それから太平洋、東洋へと、西へ西へと駒を進めていたのです。
ところが米国のカウボーイは、東にも南にも駒を進めていません。
つまり、北米から、南米やヨーロッパ、アフリカに、アメリカの殖民地支配は行われていません。
どうしてそれができなかったのかというと、米国の北も南も東も、大英帝国が領有していたからです。
米国は国力を付けましたが、まだこの時代、英国に勝利できるだけの実力がない。
だから、東南北を塞がれた米国は、西へ進むしかなかったのです。
その西に、強大な帝国として立ちふさがったのが、日本です。
ですから日米が戦って、米国が勝利すると、その勢力圏を、日本から朝鮮半島、インドネシア、インド、そしていまでは中東まで、すっかり征服圏におさめています。
もし、大東亜の戦いのときに、日英が協力体制にあったのなら、おそらく世界の勢力地図は、いまとまったく違ったものになっていたことでしょう。
それだけ米国にとって日英の存在は大きなものだったのです。
そんな世界最強の大英帝国と日本が「対等」な同盟関係を結んだ、という事実に、当時の韓国の知識人たちがびっくり仰天するわけです。
ちなみに、この「韓国知識人」というのが、むつかしい存在です。
両班は、基本的に両班と結婚して子をもうけます。
両班と両班が結婚して子が生まれれば、その子は、もちろん両班です。
ところが両班たちは、朝鮮のヒトモドキとされた隷民の女性も興味本位に強姦します。
すると子が生まれます。
こうして生れた両班と隷民階層との間に生まれた子供は、両班と区別して「中人」と呼ばれました。
人とヒトモドキの中間という意味です。
そして両班は、箸の上げ下げも、タバコを吸う時もキセルを自分で持たず、また儒者として漢文を読む素養も、漢詩を書く教養もありません。
ただ尊大ぶっているだけです。
そして、そんな両班達のために、文字を書いたり、両班の代作で漢詩を書いたり、書を書いたりしていたのが、中人階層です。
ですから、中人階層は、教養がありました。
けれど、自分たちがどんなに教養を得ても、どこまで行っても、一生、明らかにアホとしか言い様がない両班のために働き続けなければならない。
ですから日本の半島への影響力が強くなってきた時、一番反応したのが、この中人階層でした。
福沢諭吉の弟子になった金玉均なども、みんなこの中人層の出です。
彼ら中人にとっては、勉強をして正しい知識を得たものが、世の中を動かせる日本の社会こそが、まさに理想国家だったのです。
李氏朝鮮は、カタチだけは大韓帝国として、近代国家の体裁をとりましたが、そこにおいても、人間は両班だけです。民衆は隷民だし、中人は補助的仕事しか与えられません。
ですから中人たちは、必死に両班を説得し、日本との合邦を工作しました。
そして日韓併合に、断固として反対の姿勢を貫く伊藤博文を、明治42(1909)年10月に暗殺しました。
当時の韓国は、「日本の初代総理を暗殺してまで」、日本との併合を望んでいたからです。
ですから伊藤博文暗殺の一ヶ月後、喪が明けるのを見計らって、韓国国内に当時あった最大与党の一進会が、「韓日合邦を要求する声明書」を出しました。
この声明は、「日本と韓国が対等な立場で合併することで、新たにひとつの大帝国を作るべきである」というものです。
中人たちからすれば、両班を説得するためにはそのような理由付けは必要なことであったことでしょう。
けれどもその声明は、世界の嘲笑をかいました。
なぜなら当時の日本と韓国は、国力に雲泥の差があるからです。
そもそも日本と対等に合邦するということは、日本と同盟関係にある英国とも「対等な関係」になるということです。
文化もない、教育もない、産業もない、道端は人糞で足の踏み場もないような極貧のヒトモドキ国が、いきなり「英国と対等な国?」
これを、「悪い冗談だ」と、笑わないほうがどうかしています。
けれども、当時の大韓帝国の中人たちにしてみれば、それは必死の苦肉の選択です。
上に立つ、頭の空っぽの両班たちには、何を言っても意味が通じません。
ただ尊大でいるだけで、現実の朝鮮半島は驚くほど貧しいのに、「自分は貧しくない」からと、何の問題意識もない。
だから中人たちは、そんな両班たちを、「世界を支配する大英帝国とも対等になれるのです!」と説得したのです。
おかげで、大韓帝国としての公式の声明は、「日本と対等な合邦」となりました。
しかしこのことは、諸外国からみれば爆笑モノです。
日本は、人種の平等を主張する国です。
この部分は、植民地支配が富の源泉になっている欧米列強からすれば、日本の邪魔なところです。
そして、日本に朝鮮半島の面倒を見させることは、長い目で見れば、日本の国力を削ぐことになります。
どんな時代にあっても、自国以外の競争相手国の力を削ぐことは、外交の要諦です。
加えて日本には、「人種は平等」であると主張した責任があります。
欧米列強は、殖民地の現地人は人ではなくて牛馬と同じただのヒトモドキにすぎない、という解釈です。
欧米列強は500年にわたってアジアを支配してきた結果として、アジア人は人ではないという結論に達していたのです。
ところが、そのヒトモドキを、日本人は「同じ人間だ」と言い張るのです。
「ヒトモドキが人間だというのなら、
日本は朝鮮半島で実際にそれを証明してみせろ」
これが、日本が日韓併合に踏み切ることになった最大の理由です。
欧米人の視点で書いてみます。
「日本猿は人間です!」と言い張っていた生真面目な日本猿がいて、その猿は努力して人と対等な言語を話し、人として対等な衣類を着て、人と対等な文化を共有しています。
生真面目で可愛いから、日本猿を人として処遇していたら、その猿にまったく文化性を持たない薄汚れた半島猿が、結婚してくれと言い寄ってきたわけです。
猿同士の結婚です。
周囲の人間たちからすれば、むしろ歓迎です。
ところが日本猿からしてみれば、半島猿と結婚することは、自分が猿であると認めることになる。
それならば、半島猿も猿でないことを日本猿は証明していかなければならないわけです。
本によっては「韓国から合邦を望まれた日本が、諸外国にお伺いをたて、諸国の了解のもとに日韓併合を行った」というような記述をしているものがありますが、事実関係はまったく逆です。
そもそも当時の世界は、欧米の白人国家が有色人種を支配するのが「常識」とされいた時代です。
国力のある国家が、そうでない国家を支配するというのも、違います。
白人社会の伝統的価値観(宗教観)においては、この世は「神」と「人」と「獣」によって構成されています。
「神」は唯一絶対の存在であり、「人」は神の子です。
神の子である「人」は、神との間に交されたルールを守らなければなりません。
ルールを守るから「人」なのです。
ルールを知らない、あるいはルールを守れない異教徒は「人」ではないヒトモドキです。
「ヒトモドキ」は「獣」でしかありませんから、人の姿カタチをしていても「獣」です。
バンパイヤ(吸血鬼)やリカント(狼男)は、人の形をしていますが、人の勇者によって片端から殺されます。
バンパイヤやリカントは、いくら殺しても罪にはなりません。
なぜなら人の姿をしていても「人」ではないからです。
「人」は、牛や豚を殺して食べます。
それは牛や豚が「人」ではなく「ケモノ」だからです。
「人」を殺せば殺人罪ですが、「ケモノ」を殺した「殺ケモノ罪」は、世界中、どこの国にもありません。
「ケモノ」は、飼いならして「家畜」にします。
そして使役して果実を作らせる。
できあがった果実は「人」のものです。
だから殖民地の生産物は、すべて「人」のものです。
これが古代フェキニア時代からの西洋の常識であり、奴隷に対する考え方です。
奴隷は家畜であって、人ではないのです。
日本人は、自分たちは「人」であると信じて疑いませんので、このような説明をしてもわかりにくいかもしれません。
そんな日本人でも魚は食べます。
人が魚を殺して食べても「殺魚罪」になりません。
要するに人でないということは、その魚と同じという認識です。
こうした有色人種を「獣」として使役するという考え方は、ヨーロッパにおいては古代からの、ごく一般的な思想です。
15世紀にはじまる大航海時代において、人が遠くアフリカや南米に出かけて行く。
その国の原住民を殺して金銀財宝を持ち帰る。
それが罪にならなかったのは、その国の原住民が「人」ではなく「野生の動物」とみなされたからです。
そうした考え方が、まさに「常識」とされていた時代に、たいへんな努力をすることで、有色人種でありながら唯一「人」として認められたのが日本です。
「人」と「獣」の違いは、ひとことでいえば、人としてのルールを守れるか否かです。
日本は、古来の伝統的武士道に基づく道徳観にさらに磨きをかけ、これを国民的共通観念とし、さらに教育によって西洋人以上に約束を守り、勇敢で、高潔で、人としての尊厳を保つ民族、国家、人種として、日本社会を構築していったのです。
その努力があったからこそ、日本民族は、ルールを守れ、勇敢で高潔で勤勉な民族として、西欧社会に受け入れられたのです。
本来「野生の動物」としかみなされない有色人種が白人種の中でも最強とされた英国と対等な同盟関係を結べれた背景には、日本の「俺達は野生の動物じゃない。俺たちは人間だ」ということを国をあげて証明する努力が続けられてきた結果です。
ところが、お隣の韓国は、自らを何も律することなしに、両班の尊大と、ヒトモドキの隷民を抱えたままで、日本に対し「対等な合邦」と言い出したわけです。
これはまさに、人として国家としての「ルール」をまるでわかっていない、ということです。
つまり彼らは、自分たちから率先して「ケモノ」や「ヒトモドキ」であることを、世界に向けて高らかに宣言したようなものです。
ルールがわからない、理解できないということは「獣」である証だからです。
「人になろうとした猿」の日本が困りきり、西欧諸国が「涙を流して笑い転げた」のは、あたりまえのことです。
結果、欧米諸国は、日本に「韓国の面倒をみてやれよ」といい出しました。
「野良の猿が、君のとこに妙になついてしまったのだから、
まあ、面倒くらいみてやりなさいな」
というわけです。
日本は、世界でただ一国「有色人種も人である」と必死に主張していましたが、なんとお隣の国が「オイラ、獣です」と世界に向けて宣言したようなものです。
もし隣の有色人種が「獣」なら、日本人も「獣」であると証明したことになります。
そうなれば、明治の開国以来の国をあげての努力が、ぜんぶ水の泡になります。
こうして米英露伊仏独は、それぞれに日本に朝鮮統治を迫りました。
日本は欧米との外交上、朝鮮の面倒を見ざるをえない方向に追い込まれてしまったのです。
やむなく日本は、大韓帝国の面倒をみることにしました。
本来なら、植民地か、保護国、保護領、従属国にするだけでも足りるのです。
そもそも当時の国際的常識では、韓国は「人の国」ではないのです。「猿の国」です。
けれど、日本が「有色人種は人である」と主張するなら、朝鮮半島に生息する猿も同じ「人」となります。
ならば日本は、韓国を対等に遇しなければなりません。
そして韓国の中味が「獣」でしかないなら、なんとか教育して「人」に仕立て上げなければなりません。
こうしてできあがったのが、明治43(1910)年8月の「日韓併合」です。
韓国を併合した日本は、韓国内に古くからある不条理な刑罰や牢獄制度を廃止させました。
韓国内に八つあった言語を統一しました。
さらに半島内に5200校に及ぶ小学校を作り、239万人を就学させました。
道路をつくり、鉄道を敷設し、上下水道を整備し、病院をつくり、電気を引き、ビルを建て、道路を拡張整備しました。
そして路上での大便を禁止しました。
こうして日本は、韓国の近代化をいっきに押し進めたのです。
現代韓国人は、「七奪(칠탈)」といいます。
日本が韓国併合により朝鮮半島(韓国・北朝鮮)から、主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源を奪ったというのです。
けれど、李氏というヤクザの親分が民衆をヒトモドキ扱いして威張っていただけの地域が、そもそも主権国家といえるでしょうか。
李氏朝鮮はChinaの隷属家です。
朝鮮半島にある全ては、李王朝のものです。
そして李王朝のものは、すべてChina皇帝の所有物です。
そのどこに主権があったのでしょうか。
李朝の国王には、日本は併合後、皇族の身分を与えました。
しかも年金は、日本の本物の皇族よりも高いお金を払っています。
そもそも李王と、日本の天皇では、格が違いすぎたのに、です。
朝鮮半島の人口は、日韓併合後、倍になっています。
人命を奪ったどころか、みんなが食える国にしてあげたのは日本です。
朝鮮半島に、統一言語はありません。
8つあった言語を統一し、埋もれていたハングルまで復活させてあげたのは日本です。
日本人の名を名乗りたかったのは、Koreanたちです。
彼らは満州などで、自分たちは「第二日本人」を名乗っていましたが、さらに日本人名になれば、日本人そのものとして「大きな顔」ができたから、彼らがそれを望んだのです。
七奪というくらいなのですから、もう二度と日本人名は名乗らせる必要はありません。
通名は一切廃止すべきです。
土地も、私有を認めてあげたのは、日本です。
それまでは、両班のものですが、その両班には土地台帳はありません。
上に立つ両班が、「ここは俺の土地だ」と言ったら、そこがその両班の土地になりました。
それを全道を測量し、私有地を認めてあげたのは、日本です。
資源など何もなく、女性をセックスのために輸出する他、何の産物もなかったエリアが、いまでは世界第14位のGDPを持つ経済大国です。
全部、日本の技術です。そのどこが七奪なのでしょうか。
もう、日本は目をさます時です。

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