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『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻: 「和」と「結い」の心と対等意識』
■ねずさんの百人一首本は2015年3月発売予定です。
■【チャンネルAJER】政治経済と人

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ひとくちに「日本を取り戻す」といっても、その言葉の中には、いろいろな意味合いがあるようです。
景気を取り戻す、雇用を取り戻す、経済力を取り戻す、教育を取り戻すなどなどです。
もちろん自主憲法を制定する、憲法を取り戻すことも、大きな課題のひとつです。
外務省を中心に、日本の素晴らしさを世界に発信していこうという取り組みも、今後なされていく方向にあります。
ひとつひとつ、とても大切なことです。
ただ、いかなる情報を海外に向けて発信するにせよ、あるいは景気、雇用、経済、教育、憲法等々に関してどのような施策を打つにせよ、その根底には、日本そのもののカタチをどのようなものと認識するかがあろうかと思います。
裏返しに言えば、いかなる改革も改善も、日本について、よくわかっていないというのでは、必ず方向を誤るし、成果が生まれません。
その典型的な例が経済問題です。
バブル崩壊以降の四半世紀、日本はさまざまな改革を行ってきましたが、結果として景気は思うように改善せず、日本の一人あたりGDPは、世界二位から、いまや世界13位です。
国際競争力は1位から26位、企業の時価総額ランキングも、世界20位以内に14社あったものが、いまや0社です。
かつては、就職したてのOLがヨーロッパやガラパゴスにまで海外旅行を楽しんだのに、いまではその就職そのものが夢のまた夢。
東日本大震災は、あれからもう4年ですけれど、いまだに瓦礫は撤去されていません。
一生懸命、経済対策に取り組んでいる方々には申し訳ないけれど、よくなるわけがないのです。
よくなるわけないのです。
経済の根幹が壊れているのです。
経済というのは、お金の流れのことですが、そのお金の流れは、2つのことでしか生まれません。
ひとつは「つくる」こと、
もうひとつは「奪う」ことです。
ものづくりをし、新たな富を生産する。これが「つくる」です。
どこかから富を収奪するのが、「奪う」です。
日本は、もともとは富を創造する国でした。
そして富の創造、これにはモノづくりや、サービスの提供などの一切が含まれますが、その根底に必要なことは「信用(クレジット)」です。
たとえば工事や作業を誰かに委託したとき、その相手が何も言わなくても誠実正確にそれを実現してくれる。
お店で料理を注文したら、お金は店を出るときでも、ちゃんと食べさせてくれる。
人と人との信頼関係、信用、クレジットがあるから、それらが可能になります。
これがあるからこそ、日本は、明治維新後も、大東亜戦争後も、極めて短期間で経済の復興が可能になっています。
ところがこの信頼関係が崩れる。
工事を委託しても、ちゃんとやってくれるかどうかなんてわからない。
品物を注文しても、カネだけとられて、粗悪品が渡される危険の方が大きい等々、信頼関係のない社会では、安定した高品質の製品やサービスの提供は不可能です。
結果、富の創造が阻害され、経済が不活性になります。
もうひとつの富は、「奪う経済」です。
ChinaやKoreaがその典型です。
昔、上海市の予算が3億円だった頃、Chineseたちが日本にやってきて、日本人のクレジットカードでファミコンなどを大量に買い、これを横流ししてひとりで3億円くらい荒稼ぎしてChinaに帰って行きました。
彼らは、本国でビルを建て、大金持ちの生活を営みました。
そして日中双方の政府を動かし、さらに日本政府から様々な名目でお金を奪いました。
韓国も同じです。
日本から資本をもらい、技術をもらい、工場まで建ててもらって、組み立てLINEだけを自前で行い、日本製品よりも格安な日本似製品として売って外貨を稼ぎました。
そして、日本からカネや技術をもらうと、そのもらう窓口の人はそこからのピンハネで、大金持ちになりました。
かつての西欧の殖民地経済も同じです。
アフリカや東洋の国ごと支配し、収奪することで、彼らは500年の栄光と優雅な暮らしを手に入れています。
日本はどこに行こうとしているのでしょうか。
日本も「奪う国」になろうとしているのでしょうか。
それをいくら志向しても、日本に、それは無理だと私は思います。
日本を中傷する国がありますが、そうした誹謗に対して、日本が同じように誹謗中傷で反応することは、日本人は望まない。
むしろ、反論している日本人に、眉をしかめてしまうのが日本人です。
結局のところ、その国の歴史伝統文化に基づかないやり方には、民衆がついてこれないし、ついてこれなければ、破綻してしまうのです。
そもそも中傷合戦に陥れば、得をするのは彼らです。
なぜかというと、そもそも現在の国連秩序のもとにおいて、日本は敵国です。
そしてナチス・ドイツと、旧日本軍は、世界中で、映画やゲームの世界においてさえも、これを極悪非道として叩くことは、正義とされている。
これが現実です。
つまり日本民族は、国連秩序のもとでは、いわばバンパイヤ(吸血鬼)かリカント(狼男)のような人類共通の敵とみなされているわけです。
そういう土俵の上で、日本に対する中傷が行われています。
これに対して日本は、これまで、お金を寄付して、とりあえずナアナアで誤魔化してくるということを、戦後ずっと行ってきました。
それが良かったか悪かったかという議論はあろうかと思いますが、いえることは、「そのおかげでとりあえず日本は平和な国でいることができた」、というのが現実の戦後の70年でもあるわけです。
国連秩序のもとでは、国際間に何らかのトラブルがあったときの対策は、国連安全保障理事国と、そうでない国では、大きな違いがあります。
国連安全保障理事国でない場合は、まず当事者国同士で話し合いをすることが義務付けられています。
そして当事者同士で話し合いで決着がつかなければ、国連の議会にはかり、そこで各国の代表の前で互いの言い分を主張して決議をしてもらう。
その決議にどうしても不服というのなら、そこで安全保障理事国が乗り出して、その不服を言っている国を討伐する。つまり国連によって編成された多国籍軍によって、その国を攻め滅ぼすということになっています。
要するに、まず「話し合い」が行われ、それで決着が付かなければ衆議にはかり、それでもダメなら軍隊の力に物を言わせる(戦争する)ということになっているわけです。
では、一方の当事者国が国連安全保障理事国である場合はどうでしょう。
この場合、安全保障理事国は「話し合い」を必要としません。
独自の見解に基づいて、一方的に相手国に兵を送り討伐することができることになっています。だから安全保障国です。
米国は安全保障理事国です。ですから彼らがイラクに一方的に難癖をつけて軍事力を行使しても国際社会にこれを止める力はありません。
同様にロシアは安全保障理事国です。ですから彼らがウクライナに一方的に軍事侵攻しても国際社会にこれを止める力はありません。
中共も安全保障理事国です。ですから彼らがウイグルやチベットに一方的に軍事力を行使したり、あるいは南シナ海に勝手に軍事侵攻しても国際社会にこれを止める力はありません。
国連安全保障理事国というのは、それだけ強い立場にあるのです。
このことを、日本と韓国、日本と中共で考えてみます。
韓国は、国連秩序に基づいて日本を敵国とみなし、日本を叩きます。
それは国連秩序のもとにおいては「正しい」行為とみなされます。なにせ日本は国連という名の人類共通の敵なのです。
これに対して日本がNOを主張しますと、当事者国である日本と韓国は、相互の話し合いの必要が生じます。ですから日本政府はこれまでにも何度も両国の話し合いの場を求めてきました。
歴史認識なら、歴史認識のための有識者会議を開催しようという動きになったのもそのためです。
理は日本にあります。
ファンタジーと事実では、議論さえなりません。
ファンタジーに勝ち目などないのは当然です。
けれど韓国は、そのファンタジーにしがみつきます。
しがみつけば話し合いは決裂します。
決裂すれば、あとは戦争するしかないわけですが、日本は戦争を放棄しています。
ということは、日本から責められる心配はまったくない。
つまり、日本は叩き放題です。
さらに韓国は、国連安全保障理事国である中共に泣きつきます。
中共は、安全保障理事国です。
ですから、日本に「敵意あり」と彼らが認めれば、彼らは一方的に日本に軍事力を行使することができます。
チベットやウイグルと同じです。あるいはソ連のウクライナ侵攻と同じです。国際社会にそれを止める力はありません。
ただ、彼らがそれができないのは、ただ日本に、同じく安全保障理事国である米国の軍事施設があるから、というただそれだけの事由です。
ちなみに集団的自衛権を日本が行使するかどうかについて、いろいろと議論があるようですけれど、その意味ではとっくに日本は集団的自衛権を行使しています。
なぜなら、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などの有事に際して、日本にある米軍基地から次々と飛行機が飛び立っています。
自国を戦争のための基地として提供しているということは、これはどうみても中立国ではありません。
つまり日本は、はるか昭和25年の朝鮮戦争のときから、集団的自衛国の仲間入りをしています。
ついでに申し上げると、いま、集団的自衛権に反対している日本共産党や大韓民国民団は、朝鮮戦争の時に日本から義勇軍を送っています。
自衛権どころか、積極的に攻撃権を発揮しているわけで、そういう人たちがどうしていまになって「集団的自衛権に反対」できるのか、意味不明です。
彼らは、集団的攻撃権には賛成だけれど、集団的自衛権には反対なのでしょうか。
さて、そうした日本にとってきわめて厳しい国際社会の現状がある中において、私達が本当に日本を取り戻していくためには、どのようにしたらよいのでしょうか。
先日ご紹介した山田方谷は、次の言葉を残しています。
友に求めて 足らざれば 天下に求む
天下に求めて足らざれば 古人に求めよ
本気で日本を取り戻していくためには、そのための人材を天下に求め、天下で足らざれば古人に求めよと、方谷は書いています。
そもそも経済も、景気も、軍事も憲法も、平和も紛争も、すべては人間が招き起こすものです。
大切なことは、何が正しいのかではなくて、どうすればみんなが良くなれるのかです。
国連秩序を上に述べましたが、なぜ国連秩序が、このように怪しげな、むしろ戦いや紛争を招くものにしかなりえないのかといえば、結局は「正義」と「正義」の「対立と闘争」がその根底になっているからです。
「正義」があるから「悪」があります。
国連が正義だというから、ナチスや日本が悪になるのです。
ナチスや日本が正義なら、今度は国連が悪です。
こうした二者択一では、どこまでいっても、対立だけです。
そうではなく、みんながよくなるための道を探る。
そのためには、「日本人こそ日本の古人から改めて多くを学んでいかなければならない」と思います。
日本は正しかった、日本は間違っていなかったという主張も大事ですが、
そもそも日本とはどういう国なのか、
日本は何を求めていたのか、
戦争という悲惨をなくすために、
日本は世界でもっとも古い歴史を持つ国として、
どのような治世をしてきたのか。
それらはつまり、日本はどのようなカタチをしている国なのかということを、私達がいまいちど学び直すということです。
たとえば慰安婦にしても、おそらく日本ほど、かつて売春が合法であった時代に、売春をする女性達に多くのメリットを与え、彼女たちを大切にしてきた国は世界中探しても他にないと思います。
南京にしても、虐殺どころか、日本が南京で行った善政ほど、当時の南京市民にとって幸福であったことはありません。
けれど、それらは、世界の常識では、まさに「We can't believe it !!」です。
そうであれば、それらを説明する説明責任は、他のどこの国もありません。
私達日本人自身が説明責任を果たさなければ、国際社会では誰もわからないのです。
そしてそのためには、私達日本人が、まず、日本を学び直すことが大事だと私は思います。
そして日本は、古人に学べば学ぶほど、不動の日本人ができあがります。
いま、日本は戦後70年目にしてようやく、日本を取り戻そうという動きが国政レベルで本格化しようとしています。
ただ、「日本を取り戻す」といっても、それはあくまでバブル崩壊以降低迷し続ける景気経済や雇用を取り戻すという、限定的なことであって、日本人の歴史伝統文化に基づく日本人のアイデンティティそのものを取り戻すという趣旨のものではない、という人たちもいます。
あるいは憲法改正問題にしても、一方に、日本の歴史伝統文化に根ざしたしっかりとした自主憲法にしたいという人たちもいれば、他方には、単に自衛隊の呼称改正を議論するだけ、あるいは人権規定を各論ベースで織り込もうといった矮小化された議論に誘導しようという人たちがいて、さらには憲法改正そのものに断固反対という人たちもいます。
これらの諸問題を単純に図式化すると、そこに極めて特殊な戦後日本の姿が見えてきます。
すなわち、「戦後の敗戦利得者」対「普通の日本人」の戦いです。
「戦後の敗戦利得者」の利権・特権は、すでに既得権化しています。
この集団は、数の上からは、ごく一部の人たちにすぎません。
けれど巨額の財力を持ち、その財力に群がる人たちを通じて、さらに権益を強化しようと企てています。
財力には政治力が結びつきやすく、戦後70年を経て、彼らは敗戦国日本の特権階級として日本社会に君臨し、日本から歴史伝統文化を奪い、日本人を支配し隷属化しようとします。
ひとつの民族をまるごと隷民化するための方法は、かつての植民地時代から、民衆から教育を奪い、民衆を愚民化するのがセオリーですが、残念ながら日本には戦後、教育制度を米国風に変えさせられたとはいえ、いまだに教育は義務化されています。
ですからがそのためには日本人を愚民化しなければならず、愚民化するために、教育のカタチはあっても、中身がただのクイズ教育へと退化しています。
その先棒を担いだのが日教組であることは、みなさまご承知おきのとおりです。
けれど、はっきりといえることは、教育の中身がくだらないものに書き換えられたとしても、教育で日本人のDNAを書き換えることはできないということです。
最近では、だいぶ混血も進められているようですが、それでも、日本人の圧倒的大多数は、もとからの日本人です。
そしてもとからの日本人ならば、すこし話せば、日本のカタチを肌で思い出すことが、必ずできるものです。できないのは、もとからの日本人ではない人たちです。非常にわかりやすいです。
私達は日本にいる日本人でない人たちまで相手にしようとは思いません。
まずは、圧倒的多数の日本人が日本に目覚めること。
そのために必要なこと、わたしたちに今できることを、一歩ずつ、確実に前進させていくことです。
だって、一日一秒。これが4年積み上がると、うるう年の24時間になるのですから。

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