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今日は、今日は真珠湾攻撃があった日です。
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イジメで生徒がたとえば自殺したというときに、いまの日本の法律が問題にするのは、「誰が手を下した犯人なのか、イジメの加害者は誰なのか」です。
そしてそれが自殺であれば、警察はまったく手出しはできないし、逮捕される人も処罰される人もいません。
けれどわたしたち日本人の感覚はちょっと違います。
「学校の先生はあるいは校長は、どうして事前にそんな悲劇が起こらないように、察すして手を打つことができなかったのか」と考えてしまうのです。
法律で裁けるのは手を下した犯人だけです。
現代日本は、法治国家であり、法治主義であるといいますが、
これが実は、罪刑法定主義、法治主義の限界です。
法治主義の歴史は、戦後の我々は秦の始皇帝の「秦」が法治国家であったとか、あるいは古代Chinaの韓非子(かんぴし)が法家と呼ばれる法治による政治を求めていたとかで、たいへんに歴史の古いものとして学校で教わってきています。
けれども、古代Chinaにおける法家や秦の始皇帝の行った倫理法的思想と、近代法治国家の「法による支配」という思想は、その内容がまったく異なるものです。
何が違うのかといえば、ものすごくわかりやすくひとことでまとめれば、
「法に書いてあることでしか処罰できないのが近代法治、法に書いてなくても処罰できるのが古典的法治」です。
よくひきあいに出されることですが、たとえば日本の刑法には199上に「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」と書かれています。だから殺人は罪です。
もしこの条文がなければ、いくら人を殺しても罪にならない。
それが近代法学の考え方です。
近代法学は、王権の圧政から民を守るというところを出発点にしていますから、その意味においては、それはそれでとても素晴らしい思想であると思います。
しかし多くの人が望んでいる社会は、そもそもそんな事件や圧政の起こらない社会です。
選挙によって民意によって統治者を選んだとしても、その統治者が最近どこかの県であったように非合法な手段を用いてその地位を得たり、あるいは統治者となった途端専横政治のようなものをはじめて自己の利益だけを図るようになれば、結果としてそれは民衆を不幸にします。
いわゆる選挙制民主主義というのは、民意を施政者の持つ権力の原因(理由)とします。
しかし民意というのは、言い方は悪いけれどいくらでも操れる(情報操作)できるものだし、民の求める希望は多様です。
そのどこを採り上げるかによって、施政は180度違ったものになります。
選挙制民主主義は、実はとっても不安定なものなのです。
なぜ不安定になるかといえば、施政者が「権力」と「権威」の両方を持つからです。
日本は、古代からこれを否定してきました。
古代の日本人は「権力」と「権威」を分けたのです。
権威は万世一系の天皇です。権力者の地位はその天皇の権威によって与えられ、民衆はその天皇から「おおみたから」とされています。
ですから権力者にとって、民衆は「自分に権力を与えてくれた人のもの」なのであって、「自分のもの」ではありません。
これによって日本は、民衆を私的に支配するという世界中であたりまえのように、いまでも行われている統治方法を、大きく超越することができたのです。
日本人の知恵はすごいと思います。
また事件が多い荒れた国は、火災の多い国にたとえることができます。
火災が多い地域の消防署は大活躍です。
消防士たちは、地元のヒーローです。
ですが人々が本当に求めているのは、火災が起こらない街です。
火災が起こらないようにするためには、日頃からの予防が大切です。
また万一火災が発生した場合でも、それがボヤのうちに完全に完璧に消し止められること。
そして放火のような不埒なことをしでかす馬鹿者が出ないようにすることが大事です。
つまり、事件や事故が起こる前に、事前に察して対策をきちんととっておく、ということが大切なのです。
昔の日本では、「よそ者」という言い方が一般的でした。
よそから来た人は、地元でもなかなか信用されないで、地元の人達からものすごく警戒されました。
このことは、「因習が深い、住みにくい」と戦後はものすごく批判されたものですが、けれどもよくよく考えてみれば、同一地域内で、誰もが互いによく知った仲間たちであるということは、そういう地域では、犯罪など起こし得ないし、それこそ「玄関の鍵も、縁側の窓も開けっ放しで夜寝ていても、なんの心配もない」郷土が実現できていたわけです。
そして他国に出た者が、その他国で何か失敗すれば、それは郷土の恥さらしとなりました。
自分が失敗してつらい思いをするだけでなく、郷土にいる親兄弟にまで肩身の狭い思いをさせてしまうことになる。
そのことは「人はまっとに生きなければならない」という修身の教えとあいまって、日本の社会から悲惨な事件や事故を防ぐ、おおきな鎹(かすがい)となっていたものです。
これは加瀬英明先生がよくご講演でお話されることですが、江戸の享保年間(徳川将軍吉宗の時代)は20年続きますが、この20年に江戸の小伝馬町の牢屋に収監された囚人の数はゼロ人でした。
犯罪を犯す者が誰もいなかったのです。
では、誰も犯罪をおかさなかったのは何故なのでしょうか。
法治主義だったからでしょうか。
そればかりではないと思います。
よく言われるのは、「当時は民度が高かった」ということです。
けれど実は、それだけではないのです。
施政者の側が、犯罪が起きる前に犯罪を起こしそうな人を、前もって「目を付け」て、犯罪を起こさないように「しっかりしろよ、悪いことするんじゃないぞ」と教導してきたからなのです。
だから、犯罪を取り締まる人のことを「お目付け役」と言いました。
いまの日本はどうでしょう。
悲惨な事故や事件が毎日報道されています。
けれど、そういうことが起こらないようにするための手は、何か打たれているのでしょうか。
手を打っているのは、せいぜい交通取り締まりのシートベルト着用違反くらいなのではないでしょうか。
これでは犯罪はなくなりません。
まったく報道されませんが、昨今、若い女性を狙った連続強姦魔事件が多発しているのだそうです。
けれども、事件になるのは、百件以上もの強姦を働いた犯人でさえ、立件されるのは、せいぜい3〜5件の強姦犯としてです。
被害者の女性たちが泣き寝入りし、被害届に応じないからです。
被害が現実に発生していながら、被害が発生し、多くの女性達が辛い思いをしているという現実がありながら、あくまでも被害が起き、被害届が出されてからでなければ、犯人の処罰ができない。
事件の発生を防ぐことができない。
それでいて「法治主義」というものが、そんなに素晴らしい近代的な進化した制度と、果たしていえるのでしょうか。
飛鳥、奈良、平安の時代というのは、500年続いた貴族政治の時代です。
ちょっと補足しますが、日本は古代から現在にいたるまで、そして未来までもずっと天皇の国です。
そして天皇は、政治の中心者ではなくて、政治を行うものに政治権力を揮うための権威を授ける、政治権力よりも上位の存在です。
ですから、飛鳥、奈良、平安の時代を天皇の世紀と呼ぶのは間違っています。
天皇の世紀というならば、日本は、太古の昔からずっと天皇の世紀であり、飛鳥、奈良、平安の時代は、その天皇のもとで世襲の貴族たちが政権を担った時代、というのが正確な表現です。
その貴族の時代、やはり日本はずっと平和なままでした。
左前に偏った教科書などでは、貴族たちは毎日豪勢な食事をし、一般の庶民は貧困のどん底にあったなどと書かれていますが、もしそうであったのなら、その一般庶民が学問を修め、万葉集に載るような素晴らしい和歌を詠むなんてことはできません。
それにそもそも、「平安以来の伝統的貴族料理」なんてものも、日本には存在しません。
昔も今も、日本食における最高の美味いものは、魚であれば漁師さん、農産物であれば農家のみなさんが調理する雑多な鍋であり、炉端焼きであり、海鮮料理です。
日本では、いちばん美味しいものは、常に「新鮮なもの」です。
そして新鮮なものは、常に生産者が食べてきました。
そうなったのは、日本の施政者がそれだけ食べ物の生産者をたいせつにしてきたからです。
その施政者にとって、生産者は天皇の「おおみたから」です。
そして施政者は、天皇によって任じられるものです。
これが「皇民主義」であり、もとからある日本のカタチです。
3世紀末の魏志倭人伝や、8世紀の令集解(りょうのしゅうげ)には、当時の日本(仏教伝来前)では、人々が新米ができると、これを神社に奉納し、神社はその奉納米を非常食として保存するとともに、種籾(たねもみ)として、苗を育てて、田植えの際に、その苗を農家に配っていたことなどが描写されています。
いいかえれば神社の宮司さんたちは、人々の上に立つ存在だったわけですけれど、その宮司さんは、新米を奉納してもらっていながら、代々新米を口にしません。
しないというより、できません。
なぜなら、新米は種籾や非常食として保存しなければならず、ですから古い奉納米からしか自分たちの食卓に出せないからです。
このことは、2千年前の大昔も、現代も同じです。
ずっとずっとそうなのです。
このことは、神社の中の神社といわれる大社においてさえ、同じです。
自分たちはもっとも古い「古米」から消費し、いちばんおいしい新米は、来年のために、人々のためにとっておく。
それが日本の「上に立つ者」の姿勢です。
武士も同じです。
城に集められた年貢は、常備米として城に保管します。
そして武士たちには、その俸禄高に応じてお米が給料として支給されましたが、毎年秋に支給されるお米は、城に保管してあった古米からです。
お百姓さんや町人たちは、備蓄がないから新米を食べますが、食料難に責任を持つ施政者は、常に非常時用に年貢米を保管していなければならず、ですから古いお米から食べて消費していたのです。
それが日本です。
そのことをちゃんと教えない教科書や学者は、申し訳ないが、はっきりいってバカです。
できてまだ200年そこそこの、西洋の共産主義史観である階級闘争史観に縛られ、日本的価値観を見失った哀れな曲学阿世の徒です。
権力のある者が、率先して地味に暮らし質素にし、自分が美味しいものを食べたり贅沢をすることよりも、民が安心してご飯をお腹いっぱい食べれるようにする。
それが人の上に立つものの、あるべき姿とされてきたのが日本です。
そして、こういうことが実現されるためには、万一の場合の備えをちゃんとしようという、ひとことでいえば、万一の場合を常に想定できるだけの「察する力」が根底になければなりません。
殺人や強姦や放火事件が起きてから処罰のためにオロオロするのは、バカの仕事です。
それを近代的なんとか主義といって自慢気に胸を張るなら、ただの世間知らずの子供です。
事件や事故が起こらないようにする。
万一のために日頃から襟をただして、ちゃんと備える。
それができるのは、誰もが「察する力」を持っている社会だからです。
それが「シラス」国です。
「シラス」は漢字で書くと「知(しらす)」もしくは「治(しらす)」です。
「シラス」は「シメラフ→スメラフ」と変化して活用されますが、この場合の「スメラフ」は、漢字では「統(す)めらふ」と書かれます。
もともとが「やまとことば」であり、あとから輸入漢字を当てているだけなのですが、意味的には「シラス」は、「知、治、統」であり、「シラス」国は、「知治国」といった語感になろうかと思います。
私は法治主義より明察主義、選挙制民主主義よりも皇民主義、知治国(しらすくに)こそ、人類の理想とすべき思想であり、統治であると思います。

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