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秋の里1126

政治ブログにいながら、普段、あまり政治のことは書かないのですが・・・・。
衆議院が解散となり、議員から議員候補者となった方たちが選挙区を回ると、必ず聞かれるのが、「なぜいま選挙なのか」なのだそうです。
建前は「消費税について国民の信を問う」です。
それが真実です。
けれど本音もあります。
メディアは絶対に報道しないことですけれど、団扇(うちわ)がどうしたとか、SMクラブに行ったとか、この大事なときに下らない問題で国会を空転させようとした左巻き野党に対して、総理が伝家の宝刀をサラリと抜いたのです。
国会は1日2億円もの経費がかかるのです。
くだらないネタで大事なことを議論する国会を停滞させ、ただ対立のための対立しかしない。まともな議論をしようともしない。そんなアホをいつまでも抱えて、たいせつな国政を停滞させてはならない。あたりまえのことです。
国民は誰も国会議員の対立なんて(ごく一部の酔っ払ったような偏った人たちを除いては)、誰も望んでいません。
若者たちに仕事がないのです。


日本に住む外国人社長が何百億円もの年収を得ている一方で、ひとむかしまえまでは、旦那ひとりが働いて一家を養うことができたし、それが普通だったのに、いまでは旦那の給料だけでは家族を養えません。そればかりか旦那は昼間の仕事の他に夜、別な仕事でアルバイトし、女房までパートに出るのがあたりまえです。
ひと昔前には夫婦共稼ぎの「鍵っ子」が社会問題になりましたが、これは社会全体にいえることではなくて、そういう家庭が戦後に生れたことへの危惧をしめすことばだったし、子供達のクラスのなかでも鍵っ子はせいぜいひとりふたりしかなかったのに、いまでは、鍵っ子でない家庭のほうが珍しい。
そればかりか、中高年の旦那の本業での稼ぎが、高校生のバイト収入よりも低かったりする。
笑えない現実です。
先日テレビで、「アベノミクスで景気が良くなったと実感しますか?」という質問に、「なぜか何度も出演している通りすがりの街の人」が、「主人の給料はこの5年間、まったく上がってないから、ぜんぜん実感しません」と答えていました。
冗談じゃあないです。
給料が上がらなかった→横ばいだったのなら、そのご家庭はとっても幸せな5年間だったのです。
なぜならほとんどのお宅では、給料は大幅に下がっている。
年収600万だったサラリーマンが、この5年間にいきなり年収400万に下げられ、いまではやっと250万をいただいていて、ようやく建てた住宅さえも手放し、いまやアパート住まい。
そんなことが普通の日本人の普通の状況だったのです。
ほんの20年前には、日本は就職したてのOLさんたちが、世界中に海外旅行できていたのです。
企業の接待で夜の街にはネオンが輝き、深夜タクシーはひとりのお客さんが終電のあとの乗車で帰宅のために万単位の乗車をするのがあたりまえのように行われていたのです。
ある会社では35歳の中管理職の社員が、冬のボーナスを200万円もらって、「ウチの会社はケチでどうしようもない。俺の大学の同級生は別な会社だが今年の冬のボーナスは400万だぜ。ほんと職業の選択を間違えたよ」なんて、年末の忘年会の二次会、三次会に「高級クラブ」で同僚に愚痴っていたりもしたのです。
それがいまどうでしょうか。
日本がバブル崩壊後、世界中の国々が経済成長していくなかで、日本だけが経済が停滞した。それもまる四半世紀も停滞しっぱなし。
その間、さまざまな「改革」が行われ、その結果は、ますます悪くなる一方です。
なぜでしょう。
実に簡単な答えなのです。
日本は良い物を生産する国でした。
良い物が生産されたということは、みんなが食うことができ、競争の要件が「価格」だけではなくて、国内製造業の最大の競争要件が「品質」だったのです。
お父さん方の年代の方なら、思い出していただきたいのです。
昭和50年代、60年代、安月給を嘆きながらも、植木等の「そのうちなんとかなるだろう♪」の曲に合わせて、マルイのコマーシャルの「なにかひとつは贅沢を」の言葉に乗せられて、月賦で勝ったケンメリのスカイラインに乗り、彼女を口説いてドライブに誘い、夜は同僚たちを連れてはしご酒。
日本の製品の品質が高いのは、日本の消費者の品質の選択眼が肥えているから、なんて言葉が行き交った。そんな時代がたしかにあったはずです。
それがいまではどうでしょう。
品質競争ではなく、価格競争です。安ければ良い。
その結果、生産拠点がChinaやKoreaに流出しただけでなく、気がつけば「軒を貸して母屋を乗っ取られ」て完成品市場まで奪われてしまっています。
完成品の製造が国内で行われなくなれば、就業機会は減ります。
母屋をのっとられれば、利益は他所の国や、ごく一部のウシハク人たちだけが巨富を得、一般の人たちは貧困に落とし込まれます。
さらに文化的価値観を捏造されて、人々が安ければ良いという選択に走れば、モノの値段が下がります。
値段がさがれば、企業も農家も同じだけのモノを作っても、いままでは一個で100円もうかったのに、同じ営業努力をしても10円しか儲からない。それじゃあ食ってけないからと、廃業する人も相次ぎます。
お客さんの数が減ったのではないのです。
製品価格が下がり、利益が減ったのです。
いま日本にある製造業の多くは部品屋さんです。なんと完成品を作るChinaやKoreaの下請けです。
それで景気が良くなると思うほうがどうかしています。
昔の人は「安物買いの銭失い」と言いましたが、モノには適正な価格があるのです。
「安かろう悪かろう」までは適正価格の範囲内ですが、昨今の情況は「安かろう危険だろう」です。
「安物買いの銭失い」どころか、「安物買いの命失い」です。
たとえ1000円のものが700円で買えたとしても、本来それは売ってはならないものだし、買ってはならないもの、値段なんか1万円オマケがついても要らないものです。
人体に明らかに害のある塗料を塗った子供向けおもちゃや衣料。
人肉とホルモン剤で無理やり肉厚にしたウナギ。
PM2.5どころではない公害汚染地帯で育成された野菜。
開発コスト抜きと為替の政治的操作で格安で売られるパクリ製品。
火を吹くスマホ。
エンジンキーを差し込んだ瞬間に暴走する自動車。
上り坂で後ろに下がるオートマ車。
外見は、それらしい品物に見えるけれど、中身はまるで品物の名にさえ値しないものを、最近では決して安くもない値段であてがわれ、一方では国内産業は規制緩和すべしと言って、国家規模で国内産業保護を放棄する。
挙句の果てが、若者たちの雇用も、主婦のパート先もなかなかないのに、その若者や主婦たちよりも、もっと人件費が安い外国人労働力を大量に受け入れろ、そんなものが日本の政治でしょうか。
そんなことで景気が良くなるわけなどありません。
そしてこうした一連の動きの中で、いったい誰が得をし、誰が損したのでしょうか。
わたしたちが「国益」という言葉を使うと、それは右翼だとすぐにレッテルを貼られます。
世の中はグローパリズムの時代だといいます。
日本は金持ち国なのだから、食料などは外国から買ってくれば良い。
農地なんていらないとばかり、いまでは故郷の村の田畑は荒れ放題、かつてみんなの台所を潤していた平野部の田んぼは、いまではすっかり住宅街です。
そしてその住宅建築は、古民家に代表される日本古来の在来工法が否定され、輸入物の新建材で住宅の姿さえもすっかり様変わりしています。
そしてその住宅は、耐用年数が20年とか35年とかいわれるけれど、第一種住居専用地域にある住宅街を御覧ください。
築後20〜30年経つ家はボロボロ。
核家族化が進み、そこに住むのは高齢者ばかり。あと50年もしたら、第一種住居専用地域はゴーストタウンになるか、このままいけば、特亜からやってきた外国人達が住んで糞尿や生ごみをまき散らすスラム街になってしまいます。すでにそうなっている都市もある。
そうなったとき、古くからの日本人は、いったいどこに住むのでしょうか。
それでも、アマチュア・スポーツの世界なら、公正な試合が行われ、才能あるアスリートたちが日頃の訓練の賜物の技術を競う、爽快感がありました。
けれどそのアマスポーツに、いま蔓延しているのは不正ジャッジや試合妨害のオンパレードです。
女子サッカーの選手が、スパイク・シューズで顔面を蹴られて顔が腫れ上がる。
男子サッカーの選手が、どこぞの国の選手に、プロレスもどきの延髄斬りをされる。
バスケットボールの試合は、ただの乱闘試合になる。
日本の選手が一本をとってもノーカウントだけれど、どこぞの国の選手が場外で一本とったら判定で勝利?
史上初の高難度の演技を行なった女子フィギアの選手はなぜか点数が低く、ジュニア級の技術しかない外国人女性が体をクネクネさせてリンクを滑れば、銀河系史上最高の得点。
あきらかにおかしいと誰もが感じていながら、スポーツの公正を守れと立ち上がる政治家が誰もいない。
気がつけば日本人は外国人女性とみればセックス奴隷にする変態民族というレッテルが貼られ、気がつけば外国に住む日本人の子女が、ほんもののセックス・スレイブにされている。
アダルトビデオやコンビニのアダルト週刊誌に、妙に若い美人のお姉さんが出ていると思ったら、なんと中高校生のうちに芸能プロにスカウトされ、カタチばかりのレッスンを施されて、20歳の誕生日を過ぎると、そのプロダクションからアダルトに出るか、これまでかかった数百万円のレッスン料を払えと強要されるのだとか。
騙され怪我され、セックススレイブにされているのは、いまや日本の子女たちなのです。
この話を聞いたときには、あまりの酷さにびっくりしました。
ここまで堕ちた日本で、なお、政治による国の立て直しを拒否し、日本をさらにもっと貶めて個人的な利得を得ようとする人たちがいます。
そしてそういう人たちにとっての政治の最大の関心事は、日本を立て直し、日本の民衆が幸せになることではなくて、どうやら団扇(ウチワ)やSMクラブです。
こんなことでは政治になりません。
だからこそ、年末であろうがなかろうが、いまここで国民に政治の信を問う。
だから解散なのです。
ちなみに、日本全国、いまや駅の案内板は、日本語と英語の標記ではなく、日本語と北京語の簡体字と、ハングルになりました。
この管轄は国土交通省ですが、日本に住む日本人は、そんなものを誰もほしいとは思わないのではないでしょうか。
ローマ字なら、まだわかるのです。
なぜならときどき読めない駅名があったりするから。
安足間(あんたろま)とか、鵜苫駅(うとま)とか、酒々井(しすい)とか、艫作(へなし)とか、漢字を見てすぐに読める人などそうそういない。だからローマ字表記をする。これは理解できます。
けれどそこに、簡体字やハングルがどうして必要なのか。
すくなくとも私は大甕(おおみか)に「많음인가」とフリガナがふってあっても、判読することはできません。
なのになぜ国土交通省は、そんな標記を推進しているのでしょうか。
日本は、民衆が「おおみたから」とされてきた国です。
民衆こそが宝とされてきた国なのです。
だから政治も「民衆のために」がもっとも大事にされてきたのです。
ところが最近の政治をみると、日本人の民衆ではなく、ごく一部の人の利権のために政治が行われている。
それは政治が行われているというのではなく、日本人の感覚としては、政治が歪められているということです。
私は自民党を信頼しています。
総理を信頼しています。
けれど、自民党だけではできなかったこと、自公政権ではできないことを、「次世代の党」は、民衆の側にたってそれを実現しようとしています。
ですから私は「次世代の党」を応援します。
なぜなら、日本を守ることは私達の今の生活を守り未来を守ることだし、それを本気で行おうとしているのは、いまや「次世代の党」だけだからです。


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