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山崎暗斎

以前、野中兼山をこのブログでご紹介したのですが、その兼山の弟子に、山崎闇斎(やまざきあんさい)という儒学者がいます。
彼は京にのぼり、上京区に「闇斎塾(現在、山崎闇斎邸跡となっています)」を開きました。
塾で教えるのは、孔子、孟子の教えです。
教え方は、とてつもなく厳しかったそうです。
孔子、孟子の教えが徹底して叩き込まれる。
その結果、塾生たちは、誰もが孔子、孟子への心からの尊敬心が養成されます。
そんな厳しい講義を受けて育った三人の高弟が、ある日、山崎闇斎に呼ばれました。
山崎闇斎は言いました。
「三人に聞く。お前たちには孔子、孟子の教えの素晴らしさを教えてきた。お前たちが孔子、孟子を尊敬することは、おそらく人後に落ちないものと思う。」
三人はうなづきました。
「では、お前たちに聞く」師匠は続けました。「もしいま、孔子を大将とし、孟子を副将として数十万の兵を率いて彼らが日本に攻め込んで来たとする。そのとき我ら儒者はどのようにしたら良いか答えよ」
三人はびっくりしました。日頃から、孔子、孟子を、まるで神様同然に尊敬するようにと教わってきたのです。
その神様が、自分たちを責めに来る。
どう答えて良いのかわからない。
いくらなんでも相手が悪すぎる。


三人が答えに窮して黙っていると、山崎闇斎は、
「お前たちは、これまでこの塾で何を教わってきたのか!」と大声で三人を怒鳴りつけました。「そのような事態に至ったならば、我々は身を固め、武器を手にして彼らと一戦交える。そして孔子と孟子を捕まえて、その首を一気に刎ねる。こうして国恩に報いるのだ。それが孔孟の教えなのだ。わかったか!」
この山崎闇斎の弟子となったのが、水戸の藤田東湖です。
そして西郷隆盛も、河井継之助も、その東湖の教えを受けました。
外来の文化を採り入れるということは、ただその外来文化に染まったり模倣したりすることではありません。
福沢諭吉も、明治の元勲たちも、外来文化を積極的に採りいれましたが、それはあくまでも、わたしたちの国にある「天皇のおおみたから」を護るためのことでした。
外国を敬い、学ぶことは良いことです。
しかし、それが行き過ぎて外来文化に「かぶれ」ることは、勘違いというものです。
それは実は、その外来文化さえも「学んでいない」ということだからです。
すべての民族の文化は、その根本に自分たちの民族や親兄弟、あるいは家族、友への情愛を基礎として成立しています。
共産主義でさえ、もともとは貴族の圧政に対して、民衆が自分たちの家族を護るために、安心して暮らせるためにというきわめて素朴な問題意識からスタートしています。
まして伝統ある国家の文化ともなれば、西欧でも中東でも、古代のChinaにおいても、その根底にあるのは愛そのものとさえいうことができます。
ところがそれにかぶれるということは、いってみれば、自分の女房を愛さずに隣の奥さんを愛するようなもので、根本的に勘違いしています。
たとえどんなに学校の成績が良くても、たとえどんな高貴な役職に就いていたとしても、その学問の本質を学んでいないなら、そんなものは自己の都合のためだけに学問をもてあそんだ曲学阿世の徒にすぎないのです。
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