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ああ、またプロパガンタに染まった発言かとあわれに思ったのが、Chinaの競泳代表の孫楊選手でした。
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日本国歌は「耳障りだ!」 中国の競泳選手に批判
2014.9.25 21:01 [日中関係]産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/140925/oth14092521010037-n1.htm
香港メディアは25日、仁川アジア大会で中国の競泳代表の孫楊選手が「日本の国歌は耳障りだ」と発言したと報じた。中国のインターネット上では「品のない発言」などと批判が広がっている。
香港紙、香港経済日報(電子版)などによると、24日の男子400メートルリレーで2位の日本チームを押さえて優勝した中国チームの孫選手は、メディアの取材に「中国人に留飲が下がる思いをさせた。正直言って日本の国歌は耳障りだ」と話した。
中国の短文投稿サイトでは「スポーツ選手としての素養がない」「同じことを言われたらどんな気持ちになるか」などと批判する書き込みが目立った。中国の主要メディアは孫選手のコメントを、国歌に関わる部分には触れずに報じた。
中国外務省の報道担当者は25日の定例記者会見で「孫選手個人の行為にコメントはできない」と述べた。孫選手は日本の萩野公介選手のライバルとして知られる。(共同)
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ちなみに、この記事にある「ライバル」という語は、戦後よく使われるようになりましたが、この「ライバル」に適した日本語は、いまだに出来ていません。
訳せば、宿敵とか好敵手、あるいは競争相手となるのでしょうが、それらは「ライバル」とはかなり語感が異なります。
なぜ日本語にならないかというと、「ライバル」という概念自体が、もともと日本にはないからです。
日本にも「きそう(きそふ)」という言葉はありますが、「きそふ」のもともとの意味は衣を重ね着することを意味します。
寒い日に重ね着すれば暖かい。このことから「きそふ」は向上するという意味に用いられるようになり、互いに学びあい、向上するという語感となっています。
ですから日本語化した「ライバル」も、競って上下関係を決める相手ではなく、どこまでも「一緒に向上する相手であり仲間」という語感があります。
けれど残念ながら、China語や韓国語に、この概念はありません。
China語なら、「ライバル」は「對手」で、これは「対戦相手」であり、戦って上下を決める相手です。
おもしろいことに、「對手」を日本語に訳すと、ただの「相手」となり、攻撃感がなくなります。
さて、上の記事を見て残念に思っていたら、しおんさんが26日に、これを私のブログも引用しながら上手にまとめてくださいました。
思うことは同じなので、そのまま転載させていただきます。
(しおんさんの了解はいただいています)
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◆中国金メダル選手「日本の国歌は耳障り」と言うが、中国の国歌は反日映画の主題歌
ブログ『しおんの勉強部屋』2014-09-26 19:18:51
http://ameblo.jp/siryousitu/entry-11930414498.html
仁川アジア大会の競泳男子400メートルリレーで
2位の日本チームを押さえて優勝した中国チームの孫選手が、
「中国人に留飲が下がる思いをさせた。正直言って日本の国歌は耳障りだ」
と発言をしたことが報じられています。
このニュースを、今朝、テレビで見たとき、
ついでに、中国の国歌についても触れてくれるんじゃないか?と期待したのですが、
残念なことに、そこはスルーされ、
テレビはひたすら、「中国との友好」に懸念を示すばかりでした。
意外と知られていないことですが、
実は、現在中国で使われている国歌は、抗日映画の主題歌を、そのまま使っているものです。
「反日映画の主題歌を、国歌にしてるの!?」
と、日本人なら誰でも驚くと思います。私も初めてそれを知ったときは、大変驚きました。
これを機会に・・・知らない人もいると思うので、
中国が現在使っている国歌の意味について、書き留めておきたいと思います。
・・・と思ったのですが、この件について、
一瞬で理解できる、わかりやすい動画があるので、
そちらをご紹介しておきますね。
↓ ↓ ↓ ↓
あれほどの広さの国土を持った、中国の国歌が、
反日プロパガンダ映画の主題歌を使っているだけ、ということには、
まことに驚かされます。
しかしながら、この映画主題歌の歌詞については、深い裏があって、
「作詞者は、ただ、日本に対する憎悪を掻き立てれば、用が済む、と思って、こんな歌詞にしたんだろう。」
などとは、どうも、言えないらしいのです。
この映画の主題歌=中国国歌、の歌詞を書いた田漢(でんかん)は、
実は、日本の東京高等師範学校で学んだ人でした。
その方の半生をみると、この歌詞には、もっともっと、大きな意味が見えてくる・・・
詳しくは、政治系アルファブロガーであり、歴史にかんする本を複数書いておられる、
小名木善行さんの記事を読んでいただきたいところですが、
↓ ↓ ↓
◆ねずさんのひとりごと:「中共の国歌は日本生まれ」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2386.html
お時間がない方のために、上記、ねずさんの記事から、
国歌(=映画主題歌)を作詞した田漢について、
特に重要な部分を引用させていただきます。
「中共(=中国共産党)の国歌は日本生まれ」
田漢が師範学校で学んだ期間は、大正6(1917)年から大正9年までの4年間です。
この頃の日本は、日露戦争で大勝利をおさめ、大正3(1914)年には人類史上初の世界的大戦争である第一次世界大戦に、欧米連合国の一員として参戦し、またたく間にドイツ軍を降伏させた、まさに日の出の勢いの国家でした。
そして東京師範学校は、もちろん軍人養成校でもあるわけですから、国威発揚精神教育、東亜の伝統を重んずる精神の育成、欧米の植民地支配の実情と歴史に関する教育、東洋民族解放のために必要な精神の熟成等を生徒たちに教えていました。
じつは、そうした文化観、歴史観というものは、当時の東洋(のみならず世界)に、ないものです。
当時の世界は、白人こそが「人」であり、有色人種は「人の皮をかぶっただけのバルバロイ(獣人)」でしかない。それが世界の普遍的標準的思想です。
いまの世の中では、人種の平等は、むしろあたりまえのことですが、当時の世界では、人類の平等や、諸民族のもつ歴史の素晴らしさ、そしてそのために必要な具体的課題を教えているのは、日本の師範学校だけだったのです。
田漢にとって、東京師範学校での体験がいかに刺激的なものであったか。
そのことは想像するにあまりあります。
ここでひとこと添えますと、共産主義というのは、一面において人種の平等を歌います。
もともとがロシア的ユートピア思想からきていますから、人に上下の差別なく、人種のさべつさえもないユートピア(これを原始共産主義社会といいます)の建設を至上課題としています。
ですから田漢の生きた「西欧による人種差別があたりまえ」の時代に、平等主義である共産主義は、たいへんな人気となったわけです。
ところが、共産主義思想においては、めざす結果としてのユートピアは、結果としてはただの偽装でしかなく、実体は上下関係(社会的関係)を、ただ破壊するだけの破壊主義でしかなかったわけです。
なぜなら、共産主義は、ユートピア建設のために、既存の社会的仕組みを破壊することを正義とするからです。
これに対し、日本の師範学校で教えた主義思想は、人種は平等であること。そしてその平等を実現したいならば、自らを律し、自らが立派な人間、立派な存在に成長することによって、西欧社会の信頼を勝ち得よう、そのために君たちは、民衆の師範(リーダー)になるのだ、というものでした。
民衆のすべてが素晴らしい人間になることは理想ではありますが、非現実的です。やはりおかしな人もいる。
だからこそ、民衆の間に、真のリーダーとなる人を育て、そのリーダーにみんなを引っ張って行ってもらう。
そういう民衆のリーダーとなるべき人を育成するために設立されたのが師範学校です。
師範というのは、民衆の師匠であり、模範となる人、という意味です。
だからこそ、田漢は、「戦え、奴隷になるな」と作詞したわけですが、その意図にあったのは、人が人を殺し奪うという戦いではなく、自分との戦いにおいて、奴隷にならない立派な人間になろうという意図があったし、だからこそこの歌詞が、Chinaの多くの文化人に受け入れられたわけです。
ところが中共政府は、この田漢の「戦え!」を、相手を殺し、支配するという、いまだに「相手」に向けて解釈しています。残念なことです。(後略)
結局、作詞者の田漢は、
彼が歴史的文化を大切にする人物であるということと、
彼の持つその民族的文化意識の原点が日本文化に依拠している、ということから、
逮捕・投獄され、獄中で非業の死をとげています。
そしてそれだけでは飽き足らず、中国共産党は、
昭和45(1970)年、死去した田漢に、周揚、夏衍、陽翰笙とともに「四大悪漢」というレッテルを貼り、さらに昭和50(1975)年には、党籍の永久剥奪処分も決定しています。
亡くなって7年も経ったあとに、です。
中国共産党の「国歌」は、ウソで塗り固められ、矛盾に満ちた、
彼らの自身の象徴のような曲であると言えるのかも知れません。
(※ここで、ぜひ読んで欲しい参考サイト、
「南京大虐殺は誰が捏造したのか?」わかります。
↓ ↓ ↓
◆歴史の真実を知ろう(『中韓を知りすぎた男』より)
http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-1016.html
そうそう、この「中国共産党の国歌(=映画の主題歌)」ですが、
実は、「作詞」だけでなく、「作曲」した人物・聶耳も、日本にゆかりの深い人で、
中国から命の危機を感じて日本に亡命し、
「日本に渡って、日本で生活をしながら」作曲したのが、
この「義勇軍行進曲」の旋律なのです。
なお、中国の国歌は、歌詞を、中国共産党をたたえる内容に変更するなど、二転三転し、
正式に、国歌として、中華人民共和国憲法に明記されたのは、2004年のことでした。
(結局、歌詞は映画の主題歌とまったく同じに戻しました。)
アジア大会で、日本の君が代を「耳障り」と言った金メダルの選手は、
こんな自国の国歌については、どう思っているのでしょうね?
先日あった、「中国共産党がウイグル人2000人以上を虐殺」という事件
(一説に、3000人以上が殺されたという情報もある)を、
日本のテレビは、みごとに「報じない」という姿勢で隠蔽してしまいましたが、
↓ ↓ ↓
(※リンク:【閲覧注意】ウイグル、チベット問題って何?【中国人残酷物語】)
http://matome.naver.jp/odai/2137782854291065401
これと同じで、「中国に不都合な真実」の多くは、
テレビでは報じられることがないということを、あらためて認識し、
「おかしいな。」と思ったら、ネットで調べてみる、という姿勢を、
これからも忘れないようにしていきたいものです。
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対立と闘争を国是にすれば、このようになるのです。
国のはじまりが歪みなのです。時が進めば、その歪みはますます酷くなる。
これを定性進化といいますが、歪んだ方向に進化すれば、その結果は自滅しかありません。
ただし、自滅するときまで、その歪みは周囲に歪みを撒き続けることになります。
隣国は、よほどしっかりしなければ、その影響を受けることになる。
わたしたちの国は、国の始まりがまっとうなものであったからこそ、2674年の永きにわたって国が続いています。
ただし、政治体制(政権)は、その都度時代に応じて変化してきました。
そして「自国よりも周辺国の公正と信義を信頼する」と書かれた最高法規を、後生大事にした戦後の日本は、とくに歪みの影響を受けやすい状態になっていました。
いま、多くの人が、その歪みに気付き始めました。
いよいよ、日本が変わる時がきたのです。
日本人に生まれたことに感謝し、これからの時代を担う子供たちの未来のために、わたしたちが「変わる時」、それは「いま」です。

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