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士規七則
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今日は、吉田松蔭の「士規七則」をお届けしようと思います。
すこし大げさに言いますと、平成の世の武士であらんとするならば、この七則を心得よ、と肝に銘じたいと思うからです。
吉田松蔭と聞けば、長州藩の幕末の志士たちを育成した松下村塾の主宰者と、誰もが知っていることと思います。
ところが実は、ご存知の方も多いかと思いますが、松下村塾を開いたのは、吉田松陰の叔父の玉木文之進です。
その頃の吉田松蔭は、まだ学生で、九州の平戸や熊本、江戸、東北にまで遊学をしてご自身の学識を高める努力をしていました。


ところがある日、遊学のために申請していた藩の通行手形の発行が遅れてしまいます。
このとき吉田松蔭は、宮部鼎蔵らとの約束を守るために、通行手形の発行を待たずに遊学に出ました。
このことから、藩によって「脱藩者」とみなされ、吉田松蔭は士籍も家禄も奪われてしまいます。
そんな情況にあったときに起きたのが、嘉永六年(1853)年の黒船来航です。
「これはたいへんな事態になる」そう思った吉田松蔭は、外国の強さの原因を探ろうと、長崎に寄港していたロシア軍艦に乗り込もうとして失敗。次いで翌安政元年に、伊豆の下田にまで赴いてペリーの黒船に乗り込もうとして拒否され、幕府に自主して野山獄に幽閉されてしまいました。
そして安政2年、やっと幽閉を解かれて自宅に戻った時、叔父の玉木文之進が開いていた松下村塾を引き受けて、その主宰者となりました。
そこに集った生徒が、高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文、山縣有朋らです。
この塾の面白いのは、師匠が一方的に生徒に教えるというものではなくて、松蔭と生徒たちが互いに激論を交わし、またいまでうピクニックをしたり、水泳をしたりなど、みんなで同じ釜の飯を食いながら、互いに自己を磨きあうというものであったようです。
生徒数の少ない小規模の塾であり、生徒たちも成年であり、松蔭も若かったからこそであったからともいえますが、なにより松蔭の言葉に「二十一回猛士」とあるように、人生において21回は大きなおもいきった行動をすべし、という松蔭の教えが生きた学問であったことに由来したことであったろうと思います。
さて、その吉田松蔭が、松下村塾の主宰を引き受ける際に、その規範(もしくは塾の綱領)としたのが、「吉田松蔭の士規七則(しきななそく)」です。
この「士規七則」は、もともと松下村塾の綱領とした書かれたものではなくて、叔父の玉木文之進の子の玉木彦助が15歳で元服するのに際して、当時の松蔭が野山獄に幽閉されていたことから、元服のお祝いに駆けつけることがかなわず、そこで手紙をしたためて、そこに武士の心得として七か条を贈ったときのものでした。
そしてその七か条が、日本精神の神髄を、きわめて短い言葉の中で的確に示していることから、これがそのまま、松蔭が主宰を引き受けた松下村塾の綱領となりました。
この「士規七則」は、幕末の長州藩志士たちの人生の道標になっただけでなく、明治政府において、乃木希典将軍が常に肌身離さず所持して絶えず読誦した書としても知られています。
そこで今日は、この「士規七則」について、ねず流で現代語訳してみたいと思います。
=========
吉田松蔭「士規七則」
披繙冊子 嘉言如林 躍躍迫人
顧人不讀 即讀不行 
苟讀而行之 則雖千萬世不可得盡 噫復何言
雖然有所知矣 不能不言 人之至情也
古人言諸古 今我言諸 今亦詎傷焉
作士規七則

世の中に良書はたくさんあるけれど、人はその書を読まず、読んでもそこで得た知識を行動にうつしません。
人は良書に書いてあることのすべてを行動することはできないかもしれないけれど、そのなかでも特に規範とすべき七つを述べます。
一 凡生為人 宜知人所以異於禽獣
  蓋人有五倫 而君臣父子為最大
  故人之所以為 人忠孝為本

人が獣と異なるのは、人は君臣父子への忠孝の道を根本にするからです。
一 凡生皇國 宜知吾所以尊於宇内
  蓋 皇朝萬葉一統
  邦國士大夫 世襲禄位
  人君養民 以續祖業
  臣民忠君 以継父志
  君臣一體 忠孝一致
  唯吾國為然

日本がすばらしい国であるのは、万世一系の皇統があり、士大夫が世襲して民を養い、祖先の偉業を継ぎ、臣民が君に忠であり、君民が一体となって忠孝の道を歩んできたからです。
一 士道莫大於義
  義因勇行 勇因義長

武士道は、義より大切なものはありません。
義は勇によって行われ、勇は義にもとづいて成長します。
一 士賢以質實 不欺為要
  以 巧詐文過為耻
  光明正大 皆由是出

武士道は、質実、実直、人を欺かないことを要諦とします。
公明正大であることは、すべてここからはじまります。
一 人不通古今 不師聖賢 則鄙夫耳
  讀書尚友 君子之事

歴史を学ばず、聖賢を師としない者は、心の貧しい者です。
読書を友とすることは、君子のなすべき大事なことです。
一 成徳達材 師恩友益居多焉 故君子慎交遊
徳を磨き優れた人材になるためには、良い師と良友をたくさんもつことです。それだけに、人との交流には慎重さが必要です。(おかしな連中とはつきあわないことです)
一 死而後已四字 言簡而義廣
  堅忍果決 確乎不可抜者 舎是無術也

志をもって耐え、決然と断行し、何事にも揺るがないためには、「死而後已(死して後やむ)」の四字が大事です。
士規七則 約為三端 

立志以為 萬事之源
選交以輔 仁義之行
讀書以稽 聖賢之訓
士苟有得於此 亦可以為成人矣

以上の七項目は、もっと要約したら次の三項目になります。
それは、
1 志を立てることは万事の源です。
2 交友を選ぶことは仁義の行です。
3 良書を読み習うことは、聖賢の訓です。
この3つで体得することがあれば、人として大成することであろう。
==========
一字一句がたいせつな言葉ですが、私はこのなかでも特に「死而後已」が好きです。
すこし辛い書き方をしますが、歴史に嘘ばかりを言い立て、自分の都合ばかりを声高に主張し、他人の批判しかできず、内紛ばかりを冒しているような連中とは、私はおつきあいする気はありません。
交友を選び、良書に学び、人から何を言われようが、いかに中傷されようが、日本の良さを取り戻すために、わたしにできるすべてをつくして、まめに活動を続けて行く。
私は不器用なので、それしかできない。
ですからいかに中傷されようが、バカにされようが、私にとっての毎日の活動は、「死して後やむ(死而後已)」ことです。
そしてその行動は、私が死んだ後もきっと誰かに受け継がれ、けっして已むことがない。
そして日本は、かならず再起三起する。
そのように信じています。
※ おかしな連中とは、リアルでもネットでもつきあわない
※ 立てた志は「死して後やむ」
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士規七則
披繙冊子 嘉言如林 躍躍迫人 顧人不讀 即讀不行 苟讀而行之 則雖千萬世 不可得盡 噫復何言 雖 然有所知矣 不能不言 人之至情也
古人言諸古 今我言諸 今亦詎傷焉 作士規七則
一 凡生為人 宜知人所以異於禽獣 蓋人有五倫 而君臣父子為最大
  故人之所以為 人忠孝為本
一 凡生皇國 宜知吾所以尊於宇内 蓋 皇朝萬葉一統
  邦國士大夫 世襲禄位 人君養民 以續祖業
  臣民忠君 以継父志 君臣一體 忠孝一致 唯吾國為然
一 士道莫大於義 義因勇行 勇因義長
一 士賢以質實 不欺為要 以 巧詐文過為耻 光明正大 皆由是出
一 人不通古今 不師聖賢 則鄙夫耳 讀書尚友 君子之事
一 成徳達材 師恩友益居多焉 故君子慎交遊
一 死而後已四字 言簡而義廣 堅忍果決 確乎不可抜者 舎是無術也
士規七則 約為三端 曰 立志以為 萬事之源 選交以輔 仁義之行 讀書以稽 聖賢之訓 士苟有得於此 亦可以為成人矣。

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