
お彼岸も終わり、風もめっぽう秋めいてきました。
「天高く馬肥ゆる秋」とはよく言ったもので、あの暑かった夏はどこへやら。
だいぶ涼しくなってきて食欲も旺盛になるし、空を見上げればなんといっても雲の位置が高いです。
ちなみに、夏の雲といえば、積雲に入道雲(積乱雲)ですが、積雲というのは、だいたい高度が2千メートルくらい。積乱雲(入道雲)は、その積雲がもくもくと上空に立ち上がった雲で、てっぺんのあたりは高度が1万メートルくらいに達します。
ただ夏は、湿度が高いので低い位置に雲ができやすく、これが夕方には雨雲になって夕立を降らせたりします。
夏の雨雲は乱層雲で、やはり高度は2千メートルくらい。高度は低いです。
ところがこれが秋になりますと、空気が乾燥してきて、雲の位置がぐっと高くなります。
秋の雲といえば、巻雲、巻積雲などですが、こちらは高度が1万3千メートルくらい。
たいへん高いところにある雲です。
巻雲というのは、雲の仲間の中で一番高いところにできる雲で、「すじ雲」とも呼ばれます。
ハケで掃いたみたいなスジになっている雲です。
夕焼け雲になるのが、巻積雲です。
巻層雲は、見え方によって、「うろこ雲」、「いわし雲」、「さば雲」などと呼ばれます。
「うろこ雲」は、空一面に巻積雲がひろがって、まるで空全体が魚のウロコみたいになったもの。
「いわし雲」は、よく水族館などの水槽内で、イワシの大群がまるで巨大なモニュメントみたいにみえたりしますが、あのような感じで空に見える雲。
「さば雲」は、まるでサバの背中のように、巻積雲が波打っている雲です。

巻層雲は、位置が高いので、それだけ日没後も長く夕陽を浴び続けます。
これが秋の美しい夕焼け雲になります。
秋と言えば、「天高く馬肥ゆる」といわれますが、一般にこの言葉は杜審言(としんげん)の『贈蘇味道(そみどうにおくる)』という漢詩から生まれた言葉とされています。
そういう背景には、「天高く馬肥ゆる」も「中国様からオクレた日本が教わったものであり、教えたのは朝鮮様なのだ」という、実はとんでもない「思想」が背景になっています。
なぜならわたしたちがイメージするこの言葉の語感と、杜審言の漢詩では、意味がまったく違うからです。
わたしたち日本人は、「天高く馬肥ゆる」には古くから、「秋になると雲が高くなり、食べ物もおいしくなって、牛や馬たちも元気一杯になるし、特に男の子たちなどは、まさに馬並みにモリモリとご飯をいっぱい食べるようになる。秋はまさに稔りと収穫の秋なのだなあ」といった語感を抱いています。
ところが杜審言の漢詩は、「秋になって雲が高くなって空気が澄んで来る季節になると、北方の遊牧民である匈奴たちの馬は、夏草をいっぱい食べて、今頃は太ってきているであろう。そうなると、匈奴がまた南に下って攻めて来るので、気をつけてくれよ」という意味を、詩の内容にしたものです。原文では「雲淨妖星落 秋深塞馬肥」とあります。
意味は、馬が肥えるということは、馬が長距離を走れるようになるという意味なので、体力をつけた馬に乗って匈奴が攻めて来る、だから友に、気をつけろよ、と読んでいるわけです。
結局、杜審言のいた唐は、最終的には度重なる匈奴の襲来で国力を落として滅んでいますから、彼らにとっては死活問題であったわけです。
杜審言は7世紀のChinaにあった軍事大国「唐」の官僚だった人です。
そして、あの「国破れて山河あり」の詩を書いた杜甫の祖父にあたる人です。
一般にはこのことについて、昔の日本人が杜審言の詩の意味を取り違えて、世間に広がったのだと言われていますが、私は違うと思っています。
むしろ、稔りの秋を寿ぐ習慣が、日本には古代からあり、空も高いし、馬たちも食欲旺盛になるし、人間もそれと同じように、みんな食欲がモリモリとでてくる。
そのことについて、たまたま似たような意味を持つフレーズが杜審言の詩の中にあったから、それを日本流に楽しんだ、ということなのではなかろうかと思っています。実際、同じ唐の時代の杜甫の詩の「国破有山河(国破れて山河有り)」は、そのまま漢詩の意味のまま日本国内に普及しています。
なぜこういうことが起きるかというと、日本が「遅れていたから」ではなくて、日本にはChina文化とは別な、古くからの日本文化があったからです。
戦後の日本はアメリカからたくさんのカタカナ英語を採りいれていますが、その中には、本来の英語の意味とはぜんぜん別な意味に使われている単語がたくさんあります。
どうしてそうなるかといえば、日本人が、単に英語化しているのではなくて、日本文化の土壌の上に、カタカナ英語を採りいれているからです。
同じことが、古代においてもあったというだけのことです。
だからこそ、杜審言の漢詩は漢詩として楽しみながら、もとからある「食欲の秋」に、たまたままったく別な意味の詩の中の一部のフレーズに、それらしきものがあったから、そこに寄託して「天高く、馬肥ゆる秋」が慣用句となったものと思います。
なんでもそうですが、漢詩にせよ漢文にせよ英語にせよ、なんでもかんでも日本は劣っていて、何もかも余所の国から教わったのだというように子供たちに教えたり、解釈したりすることは、間違っています。
そういうものは、情報操作に軽々と乗せられてしまった、あわれな思考にすぎません。
漢字の他にカナがあり、漢字に訓読みがあるように、わたしたちの祖先は、もとからある大和言葉による日本文化という土壌の上に、輸入語を日本風にアレンジして使って今に至っています。昔も今も同じです。
儒教における礼儀などもその典型で、儒教では礼儀はどこまでも君(上司)に対するものであるのに対し、日本では「礼」という字に「うやまう」という大和言葉に、あとから「礼」という字を充てています。
ですから儒教では、礼は「相手にはっきりとわかるように見せるもの=禮」でしかありません。
これに対し、日本人には、もともと「うやまう」という大和言葉があり、相手が特段上司や主君でなくても、友達や恋人、あるいは子供たちに対してさえも、それなりに相手を尊重し、敬って接することをもって「よし(=良し、好し)」としてきました。
ですから古くは、「礼」と書いて「うや(ゐや)」と読んでいました。
人を尊敬し尊重するというのは、日本人の感覚では、あたりまえのことだったからです。
似て異なるのが、漢字文化と日本文化です。
両者を混同し、漢字文化が日本文化よりも上位に位置するとか、そのように物事を上下関係でしか捉えようとしないのは、特に戦後の文系学会のしでかした大きな間違いのひとつであろうと思います。

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