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広島の土砂災害

広島で大規模な土砂災害が起きました。被災地の皆様に、心からのお見舞いを申し上げます。
地震や台風、竜巻、大雨、地滑り。こうした大規模自然災害は、考えてみれば、日本全国、いつどこで起きてもおかしくないのが日本列島です。
こうした自然災害は、なにもいまに始まったことではありません。
大昔から日本列島にあったことです。
だからこそ日本は、そうした万一に配慮した社会の仕組みを作ってきました。
そのひとつが談合制度です。
談合制度は、公共工事を業者が受託するに際して、業者間で話し合って次の受注を決めるという仕組みです。
これが政治や行政との癒着を生むから悪だと、いまどきは多くの日本人が思っています。
けれど、実は大きな間違いなのです。
そのことは、談合廃止後の日本を見ればわかります。
土木工事も建設工事もいまでは入札の価格競争になっていますから、値段を下げなければ工事の受注ができません。価格が下がるから、いくら工事をやっても儲からない。儲からないから業者が次々と倒産または廃業し、いまでは建設工事や土木工事への就業者自体が数が減ってしまいました。
その結果、いざというときに、工事を請け負うことができる人がいなくなってしまったのです。
平時はそれでも構いません。
しかし、大規模土砂災害や、東日本大震災にあるような大規模津波被害が起こっても、被災地復興をするための作業員すらも確保できなくなってしまっているのです。
だから、震災被災地も、いつまでたっても復興しない。
わかりやすいのは、終戦直後のことです。
日本中が焼け野原になりましたが、そのあと日本は、当時の日本は世界の最貧国といって良い状況だったにも関わらず、またたく間に復興を遂げ、昭和22年頃には、街の姿は大方、もとにもどってしまっていました。
昔は大型の重機なんてありません。全部人力です。
それでも、被災地は、またたく間に復興しました。
人がいたからです。
いまは、なるほど大型重機や建設機械も揃っているし、お金も当時とくらべればはるかにあります。
にもかかわらず、軍隊も解散していた終戦直後の頃の方が復興も早かった。
何もかも揃っているはずのいまの日本の方が、復興がまるで進まないのです。
人がいないのです。


作業員というのは、人が足らなければ、外国から賃金の安い労働力をひっぱってくれば良いという考え方は、植民地経営や人種差別主義の考え方です。
しかし、工事を行うのは、どこまでも人なのです。
日本は、もともとは質の高い職人さんたちという労働力に、談合制度によって利益を与え、常に余剰労働力を確保しているという社会の仕組みがあったのです。
そして、工事は、たとえばビル建設がそうですけれど、日本の企業は利益は守られていましたから、ではどこで競争するかといえば、技術力であったり、工事の完成度の高さが、競争の大きな要素となっていました。
全面ガラス張りのビルというのは、日本にも海外にもありますが、世界中、どこの国にいっても、そのビルのガラスに映る影は、ガラス一枚一枚が、あっちむいたりこっち向いたりしています。
ところが日本のビルは、まるで一枚のガラスのように、景色がきれいに移る。
工事が丁寧なのです。
その理由が、競争の要素が、価格ではなく、工事の出来、不出来にあったからです。
それだけ建設業者も、作業員も、監督も、みんな質が高かったのです。
ところが、談合制度の廃止によって、利益の確保ができなくなり、なんでもかんでも安かろう悪かろうでOKという時代になり、しっかりとした良い工事をしようとしていた古い考えの業者は、片端から倒産し、いまでは、会社の数も、作業員の数も、三分の一です。
そして会社にも作業要員数にも余裕がないし、工事をしても儲からないから、こうしていざというときに、作業員も集まらないし、結果として、復興作業も進まない。
あげく、外国人労働者を受け入れようか、などという議論まで起きている始末です。日本人の就職先がないのに、です。
どうしてこのようなことになったのでしょうか。
その理由が、談合の廃止にあります。
談合というのは、いまではその言葉を聞いただけで、まるで犯罪のように言われます。
自由な価格競争が大事なのであって、建設業者が相互の話し合いによって順番に工事を請け負うのは、いけないことだと、多くの人が思っています。
けれど本当にそうなのでしょうか。
価格競争に走った結果、建設業者は工事をしても儲からず、結果、生き残りのためには下請けに支払う金額を、とにかく削るということをしました。
結果、建設業従事者は、末端にいけばいくほど、利益がなく、働いても食えない。
働いても食えないのです。廃業するしかない。
また、酷暑や極寒の中、外にある作業現場で働いても、給料はコンビニのアルバイト店員以下にしかならない。オヤジの稼ぎよりも、高校生の娘のバイト収入の方が多いなどという笑えない状態が、談合廃止以降ずっと続いています。
では、談合があった時代はどうだったのでしょうか。
建設業者は、公共工事を請け負うとき、値段が高くてもいけないし、安くてもいけない。
常に請負い代金の2割の利益が、確実に保証されていました。
工事をすれば間違いなく儲かるのです。
ですから、すべての作業員たちの生活も保証され、もっというなら、いわゆるホワイトカラーと呼ばれる人たちよりも、建設現場で汗をかいて仕事をする人たちは、良い給料をもらっていました。
利益があって儲かるところには、人が集まります。
ですから結果として、実はここがいちばん大事なところなのですが、建設業界全体として、常に余剰人員を抱えていました。
そしてその余剰人員が、実は、自然災害のような大規模な事態が起こったときに、一挙に災害復興をする、非常時の要員となっていたのです。
ですから何かあれば、人が集まる。
そして公共工事は利益が保証されているから、安心して働ける。
大勢の人が集まって、大災害があっても、またたく間に災害復興ができてしまっていた。
それが、大昔から自然災害の多い、日本の一般的な姿だったのです。
雨は、1時間あたりの降雨量が、10mm以上20mm未満で「やや強い雨」です。
ザーザーと降る雨で、話し声がよく聞き取れない。
1時間あたりの降雨量が、20mm以上30mm未満が「どしゃ降り」です。
道ばたの側溝があふれ、車はワイパーを速くしても、前が見づらくなります。
1時間あたりの降雨量が、30mm以上50mm未満になると「激しい雨」です。
バケツをひっくり返したような雨です。道路は川のようになり、都市部では下水管があふれる。
1時間あたりの降雨量が、50mm以上80mm未満で「非常に激しい雨」です。
このレベルになると、雨は滝のようにゴーゴーと降り続き、車のワイパーはまったく役にたちません。
歩く人の傘はまったく役にたたず、マンホールからは水が噴出します。
ちなみに自動車のワイパーは、1時間の降雨量が50mmまでを想定して規格ができています。
河川の堤防や、下水施設も、1時間の降雨量が50mmまでを基準に構築されています。
ところが最近の雨は、1時間に100mmを超える雨なんてのがザラです。
今回土砂崩れのあった広島・安佐北区に降った雨は、20日午前1時半から3時間の降雨量が観測史上最大で243mmだそうです。
人間の作った規格など、まるで歯が立たないようなことが、現実に、日本全国いたるところで頻繁に起きているのです。
そういう、実は「何が起こるかわからない」という日本列島にあって、いざというときに困らないように、日頃から備えをすることは、実はとっても大事なことです。
けれども、実際に起きてしまったときに、その復興をしなければ日本列島は、戦時中の空襲でなく、こんどは自然の猛威によって瓦礫の山になってしまいます。
被災地は、片付けなければならないのです。復興しなければならないのです。
そしてそのために、日本は、平時においてちゃんと利益を確保し、いざというときへの備えをちゃんと確保する。それがあたりまえの社会制度になっていたのです。
日本神話によりますと、日本列島ができたとき、神様は「つくり、かため、なせ」とおっしゃられたそうです。
土地をつくり、かためなさい、というわけです。
そしてこの「つくり」に、昔の日本人は「修理」という字を充てました。
ですから「修理」と書いて、「つくる」と読みました。
つまり、「つくる」ということは、ただ作っただけではだめで、それを修繕しながら、使い続ける。
私たち日本人は、日本という土地から逃げることができないのです。
これが大陸ならば、土地を捨てて民族ごとどっかに行ってしまうということが頻繁に起こっていますが、日本人は、日本列島で生活しなければなりません。
何があっても、そこで、みんなで力をあわせて、創意工夫して、修繕しながら生きて行く。
日本人はそうやって時代を繋いできたのです。
植林も、実はそのひとつです。
そして修理するためには、「つくる」だけでなく、「修理」するための人がいります。
「修理」はお金にならないかもしれないけれど、そういうことを余裕をもってできるように、平時から備えておく。その備えのためにも、実は談合という相互の利益がきちんと守られるという社会的仕組みが、千年以上も前から日本には確立されていたのです。
なんでもかんでもアメリカ式が良いのではありません。
結果としてどうでしょうか。
談合を廃止して、価格競争による入札制度に切り替えて、建設労働者はいなくなる。いざという時の作業員もいなくなる。災害がおきても復興できない。
つまり、非常時への対応ができない。
そして災害がおきた非常時だけでなく、平時の工事においても、質の悪い手抜き工事が横行している。
土木工事も建設工事も、見えないところの工事が一番大事なのに、その肝心のみえないところの工事がどんどん手が抜かれる。
日本はいったい何をやってきたのでしょうか。
いま、国内にある高速道路や橋梁、あるいは公共施設などは、その多くが東京オリンピックのときに作られたものです。
もう50年以上経っています。
鉄筋コンクリートでできた施設は、耐用年数が50年です。
どこもガタがきています。
修繕しなければ、いつ橋が落ち、崖が崩れ、建物が崩落するかわからない状況になっています。
しかも自然災害の猛威は、これまでの日本の気象統計では、想像もつかないような規模になってきています。
そういう社会的な大きな事態が起きているとき、あいかわらず「談合はよくない」で、日本はとおるのでしょうか。
なんでもかんでも古いものが良いとは思いません。
しかし、現実を直視し、古今のさまざまな工夫に素直な心で学び、新たな時代の建設に向けて叡智を集め、みんなが力を合わせて、安全安心な未来をつくる。
それは、人として、国家として、あたりまえのことなのだと思います。
日本はいま、戦後壊した様々なものについて、もういちど原点に返って見直しを図るべきときにきている。
私はそのように思います。



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