■ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識
2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。
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真珠湾攻撃について、近時の学者さんたちなどの通説は、GHQ説に基づく「日本のだまし討ち」となっているようです。
田母神先生がよくおっしゃることですが、そういう説は、いってみれば赤穂浪士の討ち入りだけを見て「これは暴動だ」と決めつけるようなもので、そこに至る経緯をちゃんと考えなければならない。
私もそう思います。
ただ同時に、その真珠湾の戦いだけを見ても、実は、日本の正当性がわかるのです。
このことは、昨日の記事でもすこし触れていたことなのですが、今日はそこのことを少し詳しく書いてみたいと思います。
真珠湾攻撃は、日本がやってくるとあらかじめ予期し、十二分な対策を講じて待ち受ける米国前線基地を、日本がまたたく間に、米国の目論みとともに粉砕した、実は歴史に残る大事件です。
当時の米国は、「戦争には絶対に参加しない」ことを国民との約束として大統領に就任したルーズベルト大統領の時代です。
ところがヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、ドイツの快進撃が続き、英国もドイツの軍門に下る寸前にまで追いつめられ、どうしても英国は、米国に扶けてもらいたいという情況に至ったわけです。
ちなみに、このときのドイツの快進撃について、単にナチスドイツが戦争に強かったからと解釈しているものを多く見かけますが、実は間違いです。
陸続きの大陸内での、それも欧州における戦争というのは、単に銃器の撃ち合いというだけではなく、相手国内部に、ドイツを待ち受け、その進出を期待する動きがなければ、不可能です。
このことは、昨今のウクライナへのロシアの侵攻を見ても明らかです。
ロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナ内部にロシアと結託する勢力があることが、事態を複雑にしていますが、これよりも、さらにもっと複雑な事情が、当時の欧州にはあったのです。
どういうことかというと、それが第二次世界大戦からさかのぼること10年前に起こった、1929年10月のウォール街の株価の大暴落です。
第一次世界大戦(1914-1918)以降の戦勝景気に沸いていた欧米市場は、この日を境に極端なデフレ経済に突入しました。
安倍内閣が登場するまでの日本経済も、バブル崩壊後の失われた20年と呼ばれたデフレスパイラルのたいへんな不況下にありましたし、いまもまだその残滓が続いていますが、当時の欧州経済の不況というのは、実はそれとは比べ物にならないくらいのとんでもない情況で、なんと失業率が50%に達するという悲惨なものとなっていました。
ヒットラーがドイツで政権をとったのも、実はこの不況が大きな原因で、ヒットラーはまだナチス党がヨチヨチ歩きだった時代に、「ドイツ国民の失業率を限りなくゼロに近づける」と、まるでウソのような政権公約を掲げ、実際に政権をとると、またたく間にデフレを克服し、まさに失業率をほぼゼロにしてしまいました。
つまりこの時点で、欧米経済圏において、唯一、ドイツだけがデフレスパイラルから脱出し、未曾有の好景気を満喫するようになったわけです。
欧州の各国からみれば、自国経済が未曾有の不況下なのに、ドイツだけが好況なわけです。
多くの国民は自国の政府の無策を嘆くし、むしろ自分の国が積極的にドイツ経済圏にはいる。それどころか、経済政策で成功しているドイツに、自国の面倒をみてもらうべきだ、という議論が盛んに起こるわけです。
いまでこそ、国家というものはナショナリズムに支えられたものということが常識になっていますから、ドイツが周辺諸国へ軍事侵攻したということは、まるで非道行為であると思われがちですけれど、実は、その時代の感覚では、かなり様子が違います。
日本は島国なので、愛国精神はすでに7世紀の大伴部博麻の時代に、すでに存在していた、日本人にとってはあたりまえの常識なのですけれど、そうした愛国精神、つまり西欧風にいうならナショナリズムが西欧で登場するのは、18世紀のナポレオン以降のことです。
そのナポレオンの軍隊があまりに強かったから、ナポレオンが主張した「フランスのために」という概念を、導入して、それまでは国王の私物、国王の私有民でしかなかった国民に対して、国王も国民と同様に憲法下における存在であるのだから、国王も国民も一緒になって国を守ろうという概念が登場しました。それが立憲君主制です。
つまり、国家という形而上学的な存在に対しての忠義が登場するのは、ヨーロッパでは、19世紀になって以降のことなのです。
逆にいえば、20世紀の第二次世界大戦以前のヨーロッパにおいて、そうした西欧的国家なるものに対して、民衆の忠義心や愛国精神が完全に確立していたかといえば、実は、おおいに疑問なのです。
むしろ、国家は、かつての領主である国王の私有の代替物という認識の方が強い。
そういう環境下にあって、隣のドイツが、西欧諸国全部がデフレスパイラルの不況に沈んでいる中で、唯一、政治的経済的に大成功をおさめる。
その一方で、自分の国を見れば、相変わらず政治屋たちがシノゴノと理屈を言っているだけで、庶民生活は苦しくなるばかりです。
それなら、いっそのこと、ナチスに自分の国を支配してもらって、その経済的繁栄のおこぼれにあずかったほうが、はるかに得策だ・・・そういう庶民感情が周辺諸国にはあったし、だからこそ、ナチス党を自国に招こうという動きが、ドイツの周辺諸国に拡大するわけです。
そしてそのナチスドイツは、またたく間にヨーロッパ全土を席巻する。
もはや、海を隔てた英国くらいしか、敵はいない。
その英国では、市民の多くがナチス党を歓迎しようという中で、チャーチルが、七つの海を支配する大英帝国の誇りをかけて、断固戦う!とやっていたわけです。
ところが、戦局は、むしろナチスの思いのまま。このままでは、栄えある大英帝国も風前の灯火となる。
ならば、永世不戦を誓っている米国は、そもそもが英国の領土だったのだから、君たち、なんとかして応援してくれよ、というのが、チャーチルのルーズベルトに対する要請です。
米国としては、なんとかしてその要請に応えたい。つまりヨーロッパに出兵したい。
そのためには、不戦を誓っている米国が、どこかの国に攻撃されたという事実がほしい。
けれども、その時点で、ヨーロッパの国々に、米国を攻撃できるだけの国はないわけです。
ところが目を太平洋側に転じてみると、日本がある。
日本は石油その他の資源を米国に頼っているし、農業大国である満州国も、米国産のリンがなければ、農業を営めない。
つまり、日本を締め上げれば、必ず日本は何らかの攻撃をしかけてくる。
これを、完全に防衛し、米国の圧倒的強さを国の内外に示して、ヨーロッパへの派兵を米国市民に認めさせようというのが、米国ルーズベルトの意思になります。
そして、その「日本に叩かせる前線基地」として白羽の矢が立ったのが、真珠湾でした。
真珠湾は、米国本土からはほど遠い場所にあります。
この時代、まだ大陸間弾道弾はありませんから、日本が真珠湾を攻撃してくるなら、海路を艦隊を率いてはるばるやってくるしかありません。
そしてこの時代、まだGPSも、ミサイルもありませんから、やってきた日本は、艦隊からの砲撃と、爆撃機による真珠湾基地への爆撃しか、日本の真珠湾への攻め手はありません。
怖いのは魚雷を搭載した潜水艦ですが、真珠湾は水深が浅く、潜水艦は入って来れない。
そしてこの時代、海上からの艦隊の砲撃は、波があって艦が揺れるだけに、正確な砲撃は困難です。
これに対して、陸上砲台からの海上の艦への砲撃は、狙いが正確です。
つまり、日本の戦艦や巡洋艦などは、ずらりと並べた真珠湾の防衛砲台群によって、戦艦の主砲の届く位置までやってきたら、またたく間にこれを粉砕することができるはずでした。
また、この時代、バトルモードにはいった戦艦にとって、航空機は、ネタにしかならない、戦艦からみたら、飛行機などハエ程度のものでしかない、というのが、軍事の常識でした。
戦闘機は、銃程度の火力しかないし、爆撃機は速度が遅く、高射砲の餌食となり、また迎え撃つ米戦闘機群によって、速度の遅い爆撃機など、またたく間に粉砕できるはずでした。
要するに、真珠湾基地を、日本が攻撃するというのは、当時の軍事の常識からしたら、ありえないほど無謀なことでしかなかったわけです。
ということは、日本は、おいそれとは真珠湾にはやってこない。
やってこないなら、やってこざるを得ないくらいまで、日本を追いつめる。
そして、のこのことやってきたら、完全に完璧に、日本の艦隊も、航空機群もやっつけ、叩きのめす。
基本的に米国人の発想というのは、戦いに「勝てば良い」のであって、そのためには、ありとあらゆる工夫が凝らされるわけです。
そして、真珠湾での戦いには、米国は120%の確率で、必ず日本に勝てると踏んでいました。
踏んでいたからこそ、真珠湾で日本がやってくるのを待ち受けていたわけです。
ところが、そこで「あり得ないこと」が起こりました。
日本は一発の艦砲射撃をすることなく、航空機で真珠湾を完膚なきまでに叩き、並みいる米艦隊に対しては、潜水艦が湾内に入って来れないから、艦隊は100%魚雷攻撃を受けることなく、絶対に安全と読んでいたのに、それをなんと、航空機に魚雷を搭載して、それを当てることで艦隊をまたたく間に壊滅させてしまったのです。
艦隊は真珠湾に近づかないから、軒を連ねた米軍の砲塔群はまったく機能しませんでした。
それどころか、大砲を撃つ前に、日本の爆撃機群によって、ことごとく破壊されてしまいました。
日本の航空機がやってきても、高射砲群によって壊滅させれたはずだったのに、その高射砲も、奇襲によって、初戦でピンポイントでことごとく破壊されてしまいました。
日本の速度の襲い爆撃機を、全機破壊できるはずの米戦闘機群は、基地から飛び立つ前に、地上で日本の戦闘機によって、すべて破壊されてしまいました。
120%勝利できるだけの準備万端整えて待ち受けていたはずの真珠湾は、こうしてあっという間に、壊滅してしまったのです。
米国にしてみれば、これは予期していなかった事態でした。
そこで苦肉の策として言い出したのが、「リメンバー、パールハーバー」です。
真珠湾をだまし討ちした日本を許すな!というわけです。
そもそも手ぐすねひいて待ち構えていたのに、よく言うよと言いたいところですが、失政によって重大事件となった出来事を、逆に政治利用して、失政を取り戻すというのは、政治ではあたりまえのことです。
一方、日本にしてみれば、真珠湾への攻撃は、米国と軍事的な全面対決を希望するものではありません。
開戦とともに、フィリピン、ハワイの米軍と、マレー沖の英国海軍を完膚なきまでに完全に叩き、日本の圧倒的実力を見せつけた上で、外交上の和平交渉を実現させる。
あくまでも戦争は、外交手段であって、戦争そのものが目的ではないのです。
ドイツとの戦争で、本国が危うい状態になっている英国にしてみれば、東亜のはずれでの日本との戦争は、あくまで米国を欧州戦線に巻き込むための方便であって、本旨ではありません。
米国にしても、戦争参加の目的は、あくまでも欧州戦線への参画にあるわけで、太平洋における権益の確保は、その次の課題でしかありません。
そして当時の日本は、世界の五大強国(英米日独ソ)のひとつです。
なかでも、日本の強さは、英米独に匹敵する強大さと認識されています。
その日本と全面対決するのか、それともまずは欧州戦線に全力を傾注するのかといえば、米英にしても、できれば欧州戦線のみに傾注したい。
だからこそ、日本は、過度に米国の領土を奪う、たとえばハワイを制圧し、そこを拠点にして米国本土への攻撃を狙うという侵略的意図をまったく持たず、見せず(はじめからそんな意図はないのですから、見せる必要すらない)、真珠湾で日本の圧倒的強さを見せつけただけで、悠々と艦隊を引き揚げていたわけです。
このことは、もし、日本が戦後、巷間言われるような侵略国であったのなら、真珠湾の米軍を壊滅させたのち、陸戦隊が真珠湾に上陸し、またたく間にハワイを軍事占領し、そこから米国本土へ向けて攻撃をしかけるという選択もあったと考えれば、すぐに答えが出ます。
ところが、日本の攻撃は、意に反して、絶対に沈まないはずの米戦艦に向けられたものだったし、日本は真珠湾基地の米軍兵舎や補給施設には、まったく攻撃をしかけない。
しかけないどころが、圧倒的な戦いで真珠湾の米太平洋艦隊そのものを壊滅させただけで、悠々と引き揚げてしまいました。
上陸し、占領するだけの能力も兵力も十二分にあったけれど日本がそれをしなかったのは、日本は、米国を侵略する意思などまったくなく、誰がどうみても、日本はあくまで米国の日本への政治的干渉に対して、乾坤一擲の大槌をふるっただけだからです。
真珠湾攻撃は、そのための政治的メッセージだったのです。
そして戦争は、政治目的達成のための究極の手段です。
国家の行う戦争というのは、ただ武力を行使するだけの暴力事件ではありません。
充分に計画された政治的問題解決のための手段なのです。
実際、日本の意思はまさにそこにあったし、だからこそ、打撃は与えたけれど、それ以上の行動を控えたのは、日本は、米国との戦争を望んでいないというメッセージです。
整理しますと、真珠湾における勝利は、絶対勝利を確信する米国との戦いでした。
ところがその絶対的自信、絶対的防衛力を、日本はいとも簡単に破り、粉砕してしまいました。
この日本の勝利は、当時の常識として、物理的にも理論的にも戦術的にも、絶対にあり得ない勝利でした。
これはすごいことです。
そしてその勝利が、実は「ありえない凄みのある出来事」であったということは、裏返せば、米国が真珠湾をおとりにして待ち構えたということの裏返しとなることから、戦後、ほとんど語られませんでした。
そしてこの真珠湾から、翌昭和17年まで、日本は連戦連勝状態になります。
米国は、日本にまったく勝てない。負け続けでした。
日本の強さは、圧倒的だったのです。
ですからその間にこそ、日本の外務省は、死力を尽くしてでも、徹底した和平交渉を展開すべきでした。
ところが、日本が勝ち続けている間、外務省は、日本が戦争状態に突入することで、米国における日本の立場が悪化した、顔を潰されたと嘆くか、個々の戦いでの勝利に胸を張るばかりで、肝心の和平工作を何も進めていません。
和平工作は、勝っている時こそ、チャンスなのです。
それをしない。
このことこそ、戦後に断罪されるべきことと思うのですが、この点に関する議論は、戦後、まったくされていません。
外務省に関しては、もうひとつあります。
これはまた稿を改めて詳述しますが、米国のグルー大使が、日本のためにと様々な努力をしてくれていたときに、外務省はむしろこれを否定し、無視し、結果としてグルー氏の存在までをも、歴史から抹消しています。
大東亜戦争の開戦という戦前から、対戦中、そして戦後史を語るとき、いつも思うのは、断罪すべきが放置され、高く評価されるべきが貶められ、唾棄すべきものが高く評価されという、真実をねじ曲げた曲報が、ずっとなされ続けていることです。
そしてその歪みがあるから、日本は、いつまで経っても戦争の総括ができない。
日本は、いま正念場です。

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